外来人。幻想郷で、大工をする。――妖怪たちの褻(け)の日の話―― 作:ゴケット
それだけで、ひとつの事件だった。
――永遠亭編、終幕。
※本作は原作設定を尊重した二次創作です。
男の指が刻むリズムは、この屋敷とは異なる拍動。
久方ぶりに迷い込んだ、有限の理(ことわり)。
……さて。その脈動、少し覗かせてもらいましょう。
月都万象展の中には体験の為の展示もある。
それに触れる男の反応で能力は把握した。
月の術式で言えば、人間の集合意識から記録を盗み出し、
自身の魂に繋ぎ合わせることで、
人間という種の限界値を再現している――ように見える。
人間を超えない程度、という枠の中で。
魂の繊維を解き、別の繊維と織り合わせる
『綴魂術(ていこんじゅつ)』とでも名付けるべきだろうか?
てゐの罠を避けることができたのは、
人間とイナバの可視周波数※1の違いからくるものだろう。
展示を一巡すると、男は満足したのか、見返すこともなく、
指折り数えるのを続けている。
そろそろ、輝夜も着替え終わるころだろう。
客間に通す。
居心地が悪そうに腰を下ろした客人に、茶の用意をする。
客人が口を開いた。
「…で、なにか悪いところはありました?」
医者に自分の体の具合を聞くのと、同じく口調。
しかし…。
「…健康診断の依頼ではなかったと思いますが…」
「子供が動物を拾ってきたら…。
保護者は悪い病気を持っていないか、調べるものでしょう…」
――あるいは、牙や爪、毒を持っていないか――
と、続けるところを飲み込んだのは。評価しましょう。
「あら、そういえば…、あなたは駒でしたね」
技術の差はあれど、きちんと頭を使える者は嫌いではない。
「若いからと言って、あまりお酒を飲み過ぎないように…。それと額に軽い頭皮打撲」
「ああ、…はは」
男は額に手を当てた。
「…それ以外はなにも。ええ、『何の問題にもなりません』」
たとえこの男が「全人類のフルポテンシャル」を使えたとして、
月の技術の前では足元にも及ばない。
「でしょうね」
男が健康に異常がないといわれた、青年そのものの、軽い声で返した。
――そう、月人としては、何の問題にもならない。しかし…。
男の視線が廊下側の視線に向かった。
「失礼します」
ウドンゲの小さな声と共に襖が開いた。
輝夜が普段の姿……の、上に一枚重ね着をしている。
ここに来る際に羽織っていた半纏。
輝夜は盤上を俯瞰するような表情を男に向けると、視線だけ私に向けた。
視線から読み取れたのは、
贈り物を受け取った子供が箱を開ける直前の好奇心。
しかし、箱の底(私の顔)には、お目当ての物がなかったらしい。
(おそらく、ウドンゲも気が付いていないだろうが)
落胆した視線を男に戻す。
「私の青駒は房の中に入るとずいぶんと大人しいのね」
「十二単で白塗りの姫様を期待していたんでね」
「あれはもっと後の時代の服よ。私の頃はそこまで重ねなかったわ」
着飾らせようとしていた媼を思い出したのか、
口元を隠して静かに眉をひそめた。
「白粉は落とすのが面倒でしょう?」
「へぇ、塗られている間、大人しくなさったんで」
上がった口角を隠さずに男が言った。
「心もとながりながらね」
輝夜は男を制す視線を送る。
半纏の袖を軽く摘まみ、
今度はくすりと笑う。
「――今は、青駒の前よ」
「ああ、そうだな。
今すぐ泥をはね上げながら、外まで走り抜けてぇや」
「あら、せっかく永琳がお茶を用意してくれているのに…」
輝夜の言葉に合わせて、用意した茶を差し出す。
男は茶が乗った盆の前で腕組みをした。
「……?」
「…どうしたのよ?」
さすがに意図が分からなかった。
輝夜も同様で問いを投げた。
「…よく聞くだろ、異界で飲み食いしたら帰れなくなるって」
その言葉が、
茶碗の縁に、音もなく落ちた。
一瞬、意味が結びつかなかった。
理解したのは、ほんの呼吸ひとつ分、遅れてからだ。
――私が淹れた茶が。
蓬莱の薬を完成させ、
生死の境を処方として扱ってきた、この私の茶が。
黄泉戸喫として扱われた。
あまりの落差に、耳の奥がきしむ。
笑うべきか、正すべきか。
判断が、その場で止まった。
視線を感じて顔を上げる。
ウドンゲは目を見開いたまま、完全に言葉を失っている。
輝夜は片手を口元に添え、円くした目でこちらを見て――
……そう見えただけだ。
実際には。
『やった、やった。永琳も最っ高に失礼な目にあったわね!』
わかる? あなたが二の句が継げないなんて、千年に一度あるかどうかよ。
その口、閉じなさいな。月の兎が飛び込むわ』
色めいた愉悦が、視線の奥から滝のように流れ込んでくる。
……なるほど。
このために、この男を連れてきたのね。
私は、茶を下げなかった。
今さら、何かを訂正する気にもならなかった。
男だけが理解できずに、首を傾げていた。
輝夜は、何でもないことのように今剛の前の茶を手に取った。
ひと口、確かめるように含み、 それから、ふっと口元を緩める。
「それなら……私が、いたって普通のお茶を淹れてあげるわ」
どこか楽しげに、
「駒に水を与えるのも主の務めでしょう?」
輝夜がお茶を入れ始めると、
男は視線の納め処を失ったのか、それを彷徨わせた。
一度目を合わせかけたが、途中で踵を返してウドンゲに向いた。
「そういえば、置き薬屋さん?」
「…え、は、はい!」
「耳、隠さなくていいのか?俺は一応里の人間だぜ」
男の一言に、鈴仙の動きがわずかに止まった。
永琳には、それが見えた。
反応が遅れたのではない。
“自分が何を指摘されたのか”を、頭の中でなぞり直している時間だ。
次いで、彼女の手が無意識に頭へ伸びる。
そこに笠がないこと、
そして――耳が、そのまま外に出ていることを思い出したようだ。
「…あ」
ウドンゲはそれだけ絞り出す。
油をさしていないゼンマイ人形な動きで男を見た。
「ん、ああ、驚いたぞ。耳に…」
男の視線がウドンゲの耳から、服装に落ちる。
「それ以上に、ひざ丈まである学生服姿が珍しくって。さすが幻想郷…」
まるで、それが失われたものでも見たような言い草だった。
ウドンゲの視線が、恐る恐るこちらへ向いた。
叱責を待つ悪い癖。
「……」
何も言わず、ニッコリと微笑むと、
「す、す、みません」
謝罪を漏らし、魂が抜けたような顔をした。
「あら、あら、鈴仙。疲れているようね。貴女もお茶が必要かしら」
輝夜が言って、目を細めると、
ウドンゲの背筋が伸びた。
「いえ、そ、そんなことはありません」
「では、…着替えていらっしゃいな。この青駒を送る、
…馬舎人(うまとねり)が必要なの」
「は、はい。た、ただいま!」
ウドンゲが脱兎のごとく、席を辞した。
「ふふふ、…さあ、どうぞ…」
「お、おう、わるいね」
男が茶碗を取り、一度回すようなしぐさをした後、
「…似合わねぇやな」
鼻で笑って、茶碗に口を付ると、
わずかに眉を跳ねさせ、茶碗の中を覗き込んだ。
「へぇ、箱入り娘と思いきや。たいしたもんだね」
輝夜は、茶器に視線を落としたまま、
ほんのわずかに口元を緩めただけだった。
輝夜の代わりに男が口を開く。
「あの博物館でも思ったんだけど、あれだね」
男が言葉を区切る。
「つれなきを ひどき女(め)と見し 難題は
男の面目(おもて) 守る情けか※2」
――……。
「…て、ところかな。タイトルは…、
かつて誰かが『かぐや姫だ』と言い張ったもの、の真実かな…」
輝夜は、茶器から目を離さない。
だが、湯気の立つ間だけ、指が止まった。
――ほんの一拍。
それだけで十分だった。
「……その題、悪くないわ」
声はいつも通り。
拒みも、戯れも含まない。
男は「そりゃどうも」とだけ返し、
茶を一口、確かめるように含んだ。
それ以上、言葉は続かない。
着替え終わったウドンゲが戻ると、
今剛は無言のまま立ち上がった。
階(きざはし)まで向かう背を輝夜に続いて追う。
――月人としては、何の問題にもならない。
しかし、幻想郷の住人としてはどうだろうか?
今剛の能力は、里の住人には、鬼か神の使い……。
新たな信仰の対象になるのではないか?
本人に野心がなくとも、利用するものは出てくる――
靴を履いて、背負子を背負った今剛に輝夜から声をかけた。
「私の青駒。土産を一つ持っていきなさい」
今剛は眉を顰めると返した。
「姫様からの土産?不死の薬も玉手箱もいらないぜ。
小さな葛籠だったらほしいかも、だ」
「ふふっ…」
輝夜は口元を隠そうともせず、意地の悪い視線を私に投げた。
『聞いた?永琳の玉手箱(みやげ)、いらないそうよ』
『それは、貴方の不死の薬(みやげ)も、同じでしょうが…』
視線で応酬する。
「……そんなもの(葛籠の金銀財宝)を受け取ったって、
もてあますでしょうに……」
「そりゃそうだ」
続けた輝夜に、今剛が返しながら口角をあげる。
「もっと受け取りやすいものよ」
紙と矢立てを懐から取り出した輝夜が筆を走らせる。
受け取った今剛は、紙(月製)の感触に、気を取られそうになっていたが…
「ゆくさきの 道にかがやく 月の影
君のたびねを たえず照らさむ※3」
詠った詩を読み上げ、輝夜が命じる。
「持っておきなさい。そうね、その寸窓報(スマホ)とやらに、
入れておきなさいな」
輝夜が今剛の巾着を指さす。
――なかなか、うまい手を……。
意味を反芻した今剛は、
「月明かりはありがたいが…。新月っていうのも、味わい深いものじゃないか?」
今剛の言葉に、口角をあげながら、今剛の顔を覗き込む。
「…新月は。月に一度だけよ……。それ以上は…、叢雲というものよ」
「覚えておくよ。雲を晴らすのは難しそうだしな」
拙い情報端末を取り出し、ケースにしまい込みながら背を向けた。
ウドンゲの案内で進みながら、黒い水面を覗いている。
「あれ?マップの案内で帰れそうだな…」
「え!いらないんですか?私…」
「いや、念のため頼むよ。電波が不安定みてぇだ…」
という会話と、ウドンゲがこちらをチラチラと窺う視線が遠ざかっていく………。
「…うまい手を考えたわね」
輝夜の詩は加護であり、監視の呪縛。
「琴を弾く青駒なんてなかなかいないもの、結い留めておかなきゃ損でしょう」
半纏の袖を摘まみ、くるりと回る。
指先の触れる太くて短い繊維の無骨な感触を楽しんでいる。
――そう、この半纏と共に、
輝夜は楽しむつもりなのね……。
――― それが、擦り切れるまでは。 ―――
この章の最後の会話は、
今剛が「生還するために選んだ返答」である。
――さて、
次に彼が踏み入れる
妖怪たちの褻(け)の日とは……。
※1:人間が「赤・緑・青(3色型)、稀に4色型」であるのに対し、
うさぎは「パステル調の青と緑(2色型)」
※2:あんなに冷淡でひどい女だと思っていたあの難題は、
実は(振られた)男のプライドを傷つけないように守ってくれた、
彼女なりの深い思いやりだったのだろうか。
※3:あなたがこれから歩む道に、月の光がいつも静かに寄り添い、
あなたの旅路を照らし続けますように。
面白かった、つまらなかった、正直な気持ちでもちろん大丈夫です。
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