【書籍化】設定厨、悪役貴族になる。 ――原作知識で破滅シナリオを攻略し、闇堕ち確定ヒロインを全員光堕ちさせるまで── 作:涼暮皐
ティム=グリルにとって、それはあまりにも
「――ハァイ、こんにちはァ」
と。底意地の悪いニヤけた声に意識を揺さぶられる。
薄く目を開けると、滲む視界の奥に嗜虐的な表情の男が見えた。
「……っ、アロルド=ラヴィナーレ……!?」
「その通り。さすがに、家主くらいはちゃんと調べて来たってワケだ」
そうでもなかった。金髪蒼眼の青年だということくらいしか彼は知らない。
この状況で、ほかの名前が浮かんでくることはなかっただけだ。
続けてティムは、男の傍らに立つひとりの少女に視線を移す。
その瞬間に、ぞっとした。
その少女を――否、その少女が床についている禍々しい剣を見た瞬間、すぐにでもこの場から逃げ出したいという焦燥に駆られる。
理由はわからない。ただその剣はティムにとって、死神が持つ鎌の如き恐怖感を、ただ目にしただけで与えるものだった。
「あれ。……なんか思った以上に効きすぎか、これ?」
「そうかも。……ねえ、終わったらホント早く戻してよコレ。ホント困る」
お陰で、ぼそぼそ小声で話すふたりの会話は耳に入ってこない。
その恐慌を見て取ったアロルドは、こほんと咳払いをしてティムに向き直った。
「さて。じゃあ次の確認だが、今の状況については頭でしっかり理解してるか?」
「……あ、ああ、してるさ。クソっ、今までで最低の仕事だ」
剣を視界から外すことで気を取り直し、吐き捨てるようにティムは言った。
別に、アロルドに向けた言葉ではないのだろう。どちらかといえば、こんな仕事を請ける羽目になってしまった自分の不運と、自分に目をつけた黒尽くめどもへの恨み言だ。相手が爻印教徒でなければ絶対に断っていた仕事なのだから。
「よろしい。そういうわけで今、お前の首根っこは俺がこの手に掴んでる」
「……何が訊きたい?」
「いいね、話が早い。でもそんな簡単に仲間を売っていいのか?」
「仲間だったら売ってねえよ。たとえ拷問されたってな」
「……へえ?」
半ば捨て鉢になって語ったティムに、アロルドは厭らしく口角を吊り上げた。
やはりラヴィナーレの御曹司、噂通りの悪党か。
確かに強がりに近い台詞だったが、相手はその強がりをどうやって曲げてやろうかと思案するような笑みだ。これから行う暴虐を想像して愉悦しているに違いない。
自分で喋り、傍に控える従者らしき少女が何も言わないのがいい証拠だ。
でなければ侵入者の尋問など、自らは行わないだろう。
だが無駄だ。今のはあくまで『仲間だったら』の話。
彼にとって顔も知らない爻印教徒どもは、仲間どころか仇に近い。
「あんな連中のことなんざ知ったことか。言ったろ、好きでつるんじゃねェよ」
「なら素直に吐いてくれるって期待していいんだな? こっちも余計な手間を取って情報を引き出すのは面倒だ。そっちが協力的なら生かして返してやってもいい」
「は――そりゃありがてェ話だ。涙が出るね」
ティムは口角を歪めた。そんな言葉はこれっぽっちも信じていないらしい。
どうあれロクな目には遭わないと悟りながら、それでも自分をこんな目に遭わせた連中の足だけは必ず引っ張る。今、彼が考えているのはそれだけだ。
一方、アロルドのほうもティムが信じていないことを態度で悟ったらしい。ふっと笑みを深めて、悪い顔の貴族は言い含めるように言葉を作る。
「別に嘘じゃない。そりゃ無条件にとはいかないが、こっちの言うことを飲むんなら無罪放免で帰してやるつもりだ」
「あ……?」
「まあ、さすがに教会には報告することになるが、俺が庇ってやれば大したお咎めもないだろう。別に何も盗まれてないからな。罪状としては住居侵入だけだ。……この国にそれを縛る法律とかあるのかね?」
「何、を……言ってる?」
わずかな期待が内心で膨れ上がったことを自覚して、ティムは表情を曇らせる。
やはり信じられない。無駄な期待を持たされるということは、あとから裏切られたときの絶望が増すということだ。あり得ない空想に縋る心の弱さは隙を作る。
ただ一点、――最初から疑問だったことは確かにあった。
「あんた本業は冒険者だろ。それもダンジョン専。なんでこんな仕事を請けた?」
考え込むティムに、アロルドは重ねて告げた。
よく言えばトレジャーハンター、悪く言えば遺跡の盗掘屋。もっともダンジョンの宝は見つけた者勝ちで得られるのが正当なルールだから、別に犯罪ではない。
ともあれ素性を知られていると悟り、ティムは盛大に表情を歪めた。
「……それを知ってんなら察しはつくだろ。稼げる仕事じゃねェんだ」
「だからって盗みを仕事で請けるなよ」
「好きでやってねェよ……。つーか普段ならこんな仕事は請けてねェ。貴族の屋敷に入るなんざ破滅願望だろ」
「ふぅん。ま、なんでもいいけどな。どっちにしろ盗みからは足を洗えよ」
「……それが条件か? まァ教会に目ェつけられたら終いだ。言われなくても、もう仕事にゃならねェだろう……」
かぶりを振る。実際、盗人として生きることに限界が来ていたのは事実だった。
たまさか今まで捕まったことがないだけ。どうしても金が必要で、冒険者としての稼ぎに限界があって、だからわかっていても悪事に手を染めざるを得なかった。
そのことを、食うに困ったこともないだろう金持ちの
だから代わりに、別のことを口にした。
「ところで、アンタ……爻印教の連中の恨みを買う真似でもしたのか?」
「この状況で訊く側に回るとは大した度胸してんな」
アロルドは肩を竦める。あまり気分を害したようには見えなかった。
「当たり前だろ。こっちだって必死だ。たとえアンタが本当にオレを見逃したとしても、今度は爻印教の連中に目ェつけられるんじゃ話にならねェ」
「……それは確かに。だからこそしっかり売れよ? あんたが恨まれないようにする方法なんかない。できるのは恨んでくる奴に丸ごと消えてもらうことだけだ」
「…………」
「それはあんたの協力次第で、乂印教会がしっかりやってくれる。それがいちばんだと思わないか?」
「……んじゃやっぱ、ラヴィナーレ家が爻印教と繋がってるってのは昔の話か」
「そんなの暗黒時代の話だろ。教会を裏切って魔王についた連中は、当時軒並み粛清されてる。先祖がそんなことになってて、同じ真似をする奴いるわかったらよかっただろ。……じゃなくて、いるわけないだろ」
「なんで途中、願望だったんだよ、不安だなオイ……」
だが実際問題として、本当に味方同士ならこんなことになっていない。
――アロルド自身は知らなかったが、実のところ、彼の評判の悪さというものは、世間的にはほとんどが《ラヴィナーレ家自体の悪評》に起因している。
アロルド個人の悪評は、実際に交流のある町の人間や、学院の生徒くらいからしか出てこないからだ。
そして実際に被害を受けた者たちは、彼を恐れて噂としては流せなかった。
つまり本当はティムだって、アロルド個人の評判など別に知らないのだ。
悪名高き人類の裏切り者の血筋、ラヴィナーレ家の人間だという理由から来る想像で、勝手に悪い奴だと思われているに過ぎない。
悪役貴族アロルド=ラヴィナーレも所詮、世間的には学生でしかないのである。
そのことが、ほんのわずかだけティムの警戒を解いた。
噂はあくまで噂で、本当は爻印教と敵対関係にあるのならば。
確かに生き残る目が出てくるかもしれない、と。
「まあ、でもその通りだ。ウチは爻印教とすこぶる仲が悪くてな、認めるよ」
「……正気かよ。連中がどんなことやってんのか、知らねェワケじゃねェだろ……」
別に爻印教に限らずとも、盗賊団なり冒険者崩れのごろつきなり、世の中に悪党は掃いて捨てるほどいる。自分だって、客観的に見ればその一角に過ぎない。
それでも《爻印教》が特別に恐れられているのは、悪辣さが度を越しているから。
彼らは根本的には
その探究のためであれば、人命など埃ほどにも価値を感じない行いができる。
言葉通り
「仕方ないさ。言葉を借りて言うなら『好きでやってない』ってヤツだ」
「……そりゃ剣呑な話だ。意外と苦労してんな、アンタ」
「おかげさまでな。ん、だから、俺からの要求なんて別に大したことはない」
「あ……?」
「これからいろいろ大変になってくるからな。
「――――、クソっ」
それはあまりにも悪魔の契約が過ぎた。
時期も内容も未定で、ただ『お願いを聞いてくれ』なんて、普通に考えれば絶対に頷いてはならない提案だ。今ここで始末されておくほうがマシかもしれない。
しかも想像がつくのが最悪だ。
つまりコイツは、今後いつか爻印教相手にコトを起こす、その協力をしろと言っている――。
そんな契約をしてはならない。わかっている。
だが今の自分にそれ以外の選択肢があるのかといえば、ないというのが現実だ。
「大丈夫だ。爻印教相手の戦力になれ、みたいなことは言い出さねえよ。俺の言った『いつか』が来たときに、できないと思うなら断ってもいいし、そのときはまた何か別のことを頼むことにする。もちろん、依頼する以上は報酬だって払う」
「――――」
「要は
本当だろうか? だとすれば、あまりに自分に都合のいい提案だ。
幸運に浮かれようとする頭をティムは自戒する。
けれど、もし本当に、その程度の条件で見逃されるなら――。
「じゃなきゃ困るだろ? 盗みに手を染めてまで、金を稼ぐ理由があるんだから」
「……待て。お前――」
「稼ぎはほとんど
「わかった! ……わかった、言う通りにする! だからやめろ!」
ぬかった。やはり油断を刺されたのだ。
まさかそこまで自分について調べられているとは思わなかった。
この悪辣な笑みの貴族は、やはり悪魔だったのだ。
「ん? お、おお、そうか? ならよかった」
何もわかっていないような顔を装い、薄くアロルドは笑みを見せる。
――今にしてわかった。噂なんてなんのアテにもならない。
人質を取られた以上、もはやティムは詰んでいる。選択肢など何もない。
「んじゃ、さっそく今回のことを吐いてくれ。誰に依頼され、何が目的で、どこからこの屋敷にやって来たのか。洗いざらい聞かせてもらうぜ」
「――……わかった」
その後のティムは、従順に全ての情報を吐き出した。
どうあれこれが彼の人生を変える一日であったことを、ティムは自覚している。
だがその方向性が想像とまったく違うことには、しばらく気づくことがなかった。
※
「……これさあ。俺、なんか脅したみたいになっちゃってない?」
「なっちゃってないも何も脅してたよ。言い回しホント最悪だったよアロルド」
「いや、そんなつもりじゃ……まあでも被害者こっちだし別にいいだろ?」
「ぼくは正直ちょっと引いてるぜ、キミ」
「酷くない!? せっかく気絶してる隙に同調して情報読み取ったんだから、ちゃんと活用しようと思って……!」
「……意識がないとはいえ、よく会ったこともない他人に同調できるもんだよ。それだいぶ特殊技能だから気をつけたほうがいいぜ、ホント」
「いや、世の中には俺より情報抜くの上手い奴いるからね。ソースは原作*1」
「……アロルドはときどき何言ってるのかわからない」
※
【ティム=グリル 男性 24歳】
【インフィディアの街で冒険者として活動しながら、裏で盗みに手を染める盗賊。徒党を組むことはなく、常に単身で仕事を行う。そのため、本職であるダンジョン探索者としての仕事は減っている。幼い頃から乂印教会の敬虔な信徒であり、今でも仕事の前に祈りを欠かすことはない。――かつてはパーティを組んで冒険をしていたが、あるダンジョンで自分を残して仲間が壊滅。メンバーだった最愛の妻も喪って以来、仲間と行動することにトラウマを抱える。彼は娘を教会の教導院に預け、それからはときおり《盗み》を仕事として請け始める。ダンジョン探索で培った技術は皮肉にも盗賊に向いていた。狙うのは悪党だけだと自分に言い聞かせるも、犯罪であることに変わりなく、娘に父だと名乗り出たことはない。そんな資格は、持っていない――】