犬とお姫様   作:DICEK

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時を経て、雪ノ下陽乃は報復する

 夕食が終わった後、気付いたら一人になっていたことに鶴見留美は溜息を吐いた。クラスを主導する連中の思惑が入った結果だろう。別に一緒にいたい友達がいる訳でもないが、完全に連中の予想の通りというのもそれはそれで面白くない。

 

 最終的にどうなるか分からないが、現状、留美に対して行われているのは無視される、仲間外れにされる程度のもので、我慢しようと思えば何とかなるものだった。我慢し続けるというのはストレスが溜まるものの、それでより悪い事態になるよりはマシだ、と留美は考えていた。世間で行われているらしい所謂いじめの中には、留美がされているよりももっと酷いものもあるという。

 

 そんな現状を改善することを、考えなかった訳ではない。実際、この状況から脱出するだけならば簡単ではないが難しくもなかった。要するに逆の手順を踏めば良いだけの話である。留美を無視している連中も、どうしても標的が留美でなければいけない訳ではないのだ。

 

 早い話、彼女らにとって標的というのは、攻撃する理由があれば誰でも良いのである。なので、脱出のためには留美を攻撃する以上に魅力的な理由を用意してやれば良い。冷静に冷酷に、自分の代わりに生贄にできそうな人間を脳内でリストアップし始めた所で、留美は考えることを止めた。

 

 冷酷冷徹になれば、ここから脱出するのは簡単だ。それを実行するための手順も、生贄が頭に思い浮かんだ段階で二つも三つも思い浮かんだが、それを本当に実行してしまえば最低の人間になると自重してきた。自分の立場などそこまでして執着するものでもない。

 

 それでも、皆が皆でいる時に一人でいるのは寂しいと思うのは、我儘なのだろうか。自分の近くに誰もいないことを誰にともなく毒づきながら、一人で時間を潰す方法を探して歩いていると、留美の背中に声をかける人間があった。

 

「あ、見つけたー」

 

 軽い声に振り返り――声をかけられた時点で走って逃げなかったことを、留美は心の底から後悔した。

 

 雪ノ下陽乃。留美たち小学生の班の面倒を見るために配置された、高校生組の内の一人である。彼女本人は大学生で、高校生の中の彼氏に付き合って参加したとか聞いているが、そんなものはどうでも良い。

 

 留美はこの女を一目見た瞬間、関わり合いになるべきではないと心に決めていた。ここまで、直感的に物を判断したのは生まれて初めてだったが、留美は自分の感性に全力で従うことにしていた。

 

 この女、どう見ても留美の思う『人間』ではない。自分が思いつき実行するのを躊躇った手順を、この女は迷いなく、しかも鼻歌でも歌いながら実行することができる……そんな気がした。良く言えば強い信念を持った強い女性だが、悪く言えばロクデナシだ。

 

 そのロクデナシはあっという間に、小学生たちの中心に立ってしまった。今なら留美の同級生たちは、あの女の命令さえあれば、大抵のことを実行してしまうだろう。それは留美が生まれて目にする『カリスマ』というものだった。

 

「鶴見留美ちゃんだよね。ちょっとお話があるんだけど、良い?」

 

 良い? と確認こそしているが、それは実質的な命令だった。笑顔を浮かべてはいるが、断ることなど許さないという雰囲気を察した留美は、思わずこくりと頷いてしまう。

 

「良かった。じゃあ、その辺に座って話そうか」

 

 陽乃に促され、一番近くにあったベンチに腰掛ける。陽乃の距離が妙に近い。既に小学生の人気者になったのだ。爪はじきにされている自分と一緒にいるところを見れば、彼女らはたちまち突撃してくるに違いない。普段は関わり合いになることも避ける同級生の登場を、この時の留美は心の底から欲していたが、そういう時に限って、近くに人の気配はなかった。

 

 元より、そういうタイミングをこの女は狙っていたのだろう。人を避けてまで、一体自分にどんな話があるのだろうか。考えてみたが、留美には分からなかった。所謂良い人ならば、留美が仲間外れにされているのを察して、ということも考えられるが、この女はどう見ても扇動してけしかける側で、良い人サイドではない。

 

 考えれば考えるほど、雪ノ下陽乃という人間が解らなくなるが、それこそが陽乃の狙いだった。留美が軽い思考のドツボにハマって頭が鈍っているところに、陽乃は言葉を口にした。

 

「単刀直入に言うけどさ、留美ちゃん。人気者になってみない?」

「……人気者?」

「そ、私の言う通りにすれば、留美ちゃんクラスの人気者になれるよ? なってみたくない? 人気者」

 

 そんな上手い話があるはずないが、この女ならばそれくらいは実行してしまいそうな気もする。相変わらず、どうして自分に? という疑問こそ残るが一人でいることにいい加減、寂しさを感じていた留美は、よせば良いのに、視線で陽乃にその先を促してしまった。

 

 悪魔の提案に食いついてきた獲物を見た陽乃は、小さく口の端を上げた。

 

「簡単だよ。人気者の仮面をかぶるだけ。自分がどう思ってるかとか全部投げ捨てて、皆が望む自分になるの。雪乃ちゃんみたいに不器用だったらどうしようかと思ったけど、話してみた感じ留美ちゃんそういうところは器用そうだからできると思うよ」

 

 もしかしてこいつ、結構良い奴なんじゃ……留美がそう思い始めていた頃、やはり悪魔は爆弾を落とした。

 

「一人嫌われ者を作るの。留美ちゃんが今、そういう役割でしょ? 代わりの人を作ってあげるの。留美ちゃんが一言お願いしてくれれば、私がそれをやってあげるよ? 一人くらいいるでしょ? 背中を蹴飛ばしてあげたい同級生くらい」

 

 いる。一人どころではない、何人もいる。

 

 今の状況を主導した奴。留美にとって友達だった少女を裏切らせた連中。報復のための手段がないなら我慢もするが、そのための手段があるならば話は別だ。この女ならばそれをやれるということは、留美にも何故だか確信できる。はっきり言って人気者になることになど全く興味はないが、その過程であいつらに報復できるならば喜んで人気者になってやる。

 

 二つ返事で悪魔の問いに頷こうとして、留美はそこで押し黙った。悪魔はいまだに留美の前で微笑んでいる。こいつの手を取れば、すぐにでも今の状況から脱することができる。憎いあいつらにも、仕返ししてやることができる。自分をこんな状況に蹴落とした連中だ。それくらいの報いはあってしかるべきで、自分は復讐するに正当な権利を持っている。

 

 どんどん自分を正当化しようとする内面に、しかし、留美の理性と良心は抵抗した。それは本当にやっても良いことなのか。元いた場所に返り咲くためだけに、他人を自分と同じ目に合わせることは、本当に正しいことなのだろうか。

 

 考えれば考えるほど、理性が欲望を駆逐していく。悪魔の手を取りたい欲求は依然、留美の中で燻っていたが、今ははっきりと言うことができる。震える身体を叱咤しながら、留美ははっきりと悪魔の目を見て言った。

 

「……お断り、します」

 

 留美の返答に、悪魔は眉を僅かに顰めた。良い気味だ。少しだけ気分を良くしながら、更に言葉を続ける。

 

「私は、そこまでして、人気者になりたくありません」

 

 言いたいことを全て口にすると、留美の中から全ての圧迫感が消えた。悪魔なんて怖くない。未だ、笑みを崩さない陽乃を前に、留美は毅然と睨み返す。小学生にしては意思に満ち溢れた瞳に、

 

「…………良かった」

 

 陽乃は、心の底から声を漏らした。ここに八幡がいたら、あまりに優しさに満ちた陽乃の声音に耳を疑っただろう。彼が目の前にいないという、気の緩みがあった故のある意味弱みとも言える悪魔の感情の発露に、留美も思わず彼女を見返した。さっきまでの悪魔と同じ人間とは思えない。これではただの優しいお姉さんだ。

 

「……そういう、気高い気持ちを大切にしてね。私にはもうないものだから」

 

 こくこくと頷く留美に、陽乃は笑みを深くすると距離を詰めた。警戒心を全く持っていなかった留美は、その極端に狭いパーソナルスペースまで、接近を許してしまう。この世で最も陽乃について理解している八幡が横で見ていたら、これこそが彼女の目的だったのだと気づいたのだろうが、まだまだ人生経験の少ない留美は陽乃の意図に気づかない。

 

「あ、でもでも、仮面を被ったら良いっていうのは本当だよ? 人気者とまではいかなくても、今と違う自分になるのは結構簡単なんだから。それができそうって思ったのも本当だよ? 要するに、こんなのは気の持ちようなんだから」

 

 努力して、変わってみよう。いつの間にか、悪魔の言葉は留美の中に浸透していた。それこそが陽乃の狙いであったことには、気づいていない。そこは経験の差である。せめて同年齢だったならば違う展開にもなっただろうが、いくら敏いと言っても小学生に見抜かれるほど、雪ノ下陽乃は甘くはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仲間外れにされている女の子がいる、という葉山の言葉に、八幡たち高校生は朝食の後に召集された。案の定、これを改善するために尽力すべき、という意見が結衣から出される。曰く、これは奉仕部の活動として適当なのではないだろうか、と慣れない難しい言葉を使っての結衣の主張に、雪乃などは眉根を寄せた。

 

 心情的には救ってあげたいところなのだろうが、現状の奉仕部は依頼があって初めて行動に移される。明確に自分たちの意思を持って行動する以上、その結果には責任が伴う。何とかしてあげたいという高潔な意思は尊重したいと雪乃も思うが、正しい目的を持って行った行動が、本人にとって良い結果になるとは限らないと、雪乃は身をもって体験していた。

 

 まして音頭をとっているのは葉山隼人だ。提案には慎重にならざるを得ない。

 

「その、鶴見さんというのは、どの娘なの?」

「かわいい娘だよ、えーっと……」

 

 留美を探そうとして、結衣は小学生たちを見回した。昨日は一人でいたから、一目で解る。軽い気持ちで小学生を見たのだが、さっぱり見つからない。あんな綺麗な黒髪の美少女だ。探して見つからないということはないはずだ。もしかしたらまだ寝てるのだろうか。別の心配をする結衣を余所に、先に留美を見つけたのは八幡だった。

 

「あれだろ? あの黒髪の」

「そうそう、あの娘――」

 

 八幡の声に視線を向け、結衣は言葉を詰まらせた。その視線を追って全員がそちらを向くが、皆同じように言葉に詰まる。

 

「俺はその鶴見さんとやらを良く知らないんだが、仲間はずれ? されてるようには見えないんだが」

 

 視線の先には女子ばかりの小学生の集団があったが、そこでは全員が談笑していた。仲間はずれがいるようには見えない。しかも、輪の中心にいるのは黒髪の、隼人が話題に上らせた留美だ。

 

 留美のことを認識していた隼人達は元より、認識していなかった面々も混乱する。一体どこにいじめがあるのだろう。良く解らない空気に戸惑う面々を他所に、八幡は留美の笑顔に違和感を覚えていた。

 

 程度は大分低いがあれは、陽乃がよくやる仮面のような笑顔だ。教えてできるようなものだと思ったことはなかったが、実際、仮面を被っているのを見ると陽乃の手腕に敬服せざるを得ない。たった一晩で何をどうしたのか。疑問を持って視線を向けると、陽乃は小さく肩を竦めて見せた。

 

 留美の背中を押したのは事実だが、陽乃が尽力したのは受け手の側。留美を仲間はずれにしていた連中に働きかけたのだ。それとなく、自然に。留美を受け入れられるような土壌を、昨日の内から作っておいた。

 

 もっとも、留美に集団に戻る意思があり、なおかつ仮面を被って自分を殺すくらいのことができないと、溶け込むことはできなかった。クリアできるだろう、という見立てではあったものの、そこは他人任せだ。八幡に話した時点では実のところ絶対ではなかったのだが、留美は陽乃の思惑を難なく超えて見せた。

 

 見た目は小さい時の雪乃のようなのに、内面は思っていた以上に柔軟である。

 

 斜に構えているだけで、実は孤独に飽いていたのは、陽乃には一目で解った。ただ『落とす』だけであれば、自分よりも八幡の方が向いていることは解りきっていたが、落としきってしまうと強力な敵になってしまう可能性があったため、それは見送ることにした。

 

 容姿は雪乃に近く年下で、内面に自分と共通するものがある孤独な少女など、八幡は放っておくことはできないだろう。一度こちらに転ばせてしまえば、そうした場合よりは距離は遠くなる。後はどうにでも料理できる。

 

 一瞬で理解した八幡と、何となく理解できた静と姫菜。陽乃に近しい人間全員の視線が集まっていたことで、雪乃と隼人も遅まきながら、陽乃が何かしたのを理解した。これで何か、目に見えて悪影響があったと断じることができれば、雪乃も隼人も抗議の声を挙げていたのだろうが、昨日つまはじきにされていたはずの留美は、今、少女の輪の中で談笑している。突っ込むところは一つもない。

 

 あの雪ノ下陽乃が……と現実を見ても信じることのできない隼人の肩に、陽乃はそっと手を置いた。口の端を小さくあげて笑うその顔は、陽乃をこの世で最も敬愛する八幡の目をもってしても、地獄の大魔王そのものに見えた。

 

「隼人。問題を解決するっていうのはこういうことを言うの。よく覚えておいてね?」

 




ルミルミをかわいくするはずだったのに葉山をいじめて終わりました
おかしいこんなはずでは……
クリスマスイベントの時には何とかします
次回は多分二人で旅行にでも行く話です






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