犬とお姫様   作:DICEK
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早速、不安の影は広がり始める

 

 

 

 

 主に自分以外の力によって副委員長に就任した、その翌日である。委員長になれなかった悔しさはまだ胸の奥で燻っていたものの、役職なしよりは良い結果だと無理矢理前向きに考えることにしたいろはは、一人で会議室への廊下を歩いていた。

 

 クラスでのいろはの立場は微妙なレベルで向上している。副委員長就任のニュースが担任の熱意に火をつけ、他にすることもなかったクラスメートが、それに乗っかる形となったのだ。

 

 いろはが元々目指していたのは委員長である。副委員長になった結果だけを見れば、彼女にとっては敗北の歴史でしかないのだが、二年生以下が委員長になるという慣例の都合上、その補佐をする副委員長も、二年生以下という暗黙の了解が総武高校にはあった。

 

 補佐という意味では三年が就任しても良さそうなものだが、夏休みも終わったこの時期に、受験を控えた三年生に仕事を任せるというのも気が引ける。一応進学校である手前、その手のことには下級生は配慮しなければならない。

 

 三年生が候補にならないという環境下ではあったものの、他の二年生や同級生を押さえて自分のクラスの生徒が副委員長に就任したという事実は、同じく一年であるクラスメイトには何やら胸のすくようなものであったらしい。普段別に仲良くしていない女子からも励まされたりと、クラス内でも色々な変化があった。

 

 それで自分が人気者になったとは錯覚しないいろはである。この手の盛り上がりが一過性のものであることは、十分に自覚していた。この環境を維持してこそ良い女への道も開けるものだが、そのためには文化祭をより良いものへと導いていかなければならない。

 

 一色いろはには何より実績が必要なのだ。目標としては、雪ノ下陽乃の率いた一昨年の文化祭である。過去最高の来場者数と収益を記録したイベントを超えるというのは並大抵のことではないが、せめて目標くらいは高く設定しておかなければならない。これを標榜するかは他の委員の熱意にも寄るのだが、この辺りは今日の会議を含めて追々決めていけば良いだろう。

 

 扉の前で一人気合を入れ、会議室に入る。部屋をぐるりと見まわし、物足りなさを覚えたいろははちらと腕時計に視線を落とした。会議開始の十分前である。

 

 実行委員の出席は一応、強制ではない。クラス展示の進行や部活の事情もある。委員全員、あるいは全てのクラスの代表が毎回出席するとは限らないのだが、まだ二回目の会合であるにも関わらず、会議室はどこか閑散としていた。

 

 開始十分前という時間にあって、この人数というのはいろはには聊か集まりが悪いように思えた。二年で着席しているのは国際教養科の1クラスだけ。他の学年に比べて明らかに出席率が悪く、当然、委員長である南の姿もない。

 

 これはもしかすると、もしかするかもしれない。嫌な予感を全身に覚えたいろはは、それを共有できる人間を探した。最初に目に留まったのは、良くも悪くもいろはがこの学校で最も注目している人間である。

 

 会議室の端の方。外部協力者の席に座っている八幡の所には、人影があった。会議室の中でも、その背の高さは目立つ。正面から見なくても整っていると解るその顔立ちには、いろはのクラスにもファンが多い。

 

 F組の葉山隼人だ。所属はサッカー部。父親が弁護士の所謂富裕層出身で、勉強もできる。おそらく将来は弁護士になるのだろうと、イケメンというだけでは動かない打算的な女子からも人気があった、いろはの見立てでは、一年で一番モテる男子である。絵に描いたようなリア充イケメンであるが、それだけにその真逆を行っているような八幡と接点があるイメージはない。

 

 八幡も顔は悪くないのだ。あの雪ノ下陽乃が彼女なのだから、リア充でないという訳でもない。目つきの悪さというかとっつきにくさというか、諸々の事情から所謂イケメンと表現するには多くの女子が抵抗を覚えるだろうし、仮に陽乃という彼女が存在しないとしても、彼がモテるというのは想像ができない。

 

 いろはが近寄ってくるのに気づいた隼人は、そこで笑顔で会話を打ち切った。そのまま軽い挨拶をしていろはの横を通り過ぎ、自分のクラスの席に座る。クラスの女子代表は金髪の縦ロールの、いかにも女王様風の女子である。こちらも、見覚えはあった。中学の時はテニスでそれなりに活躍していたらしいが、今は帰宅部で葉山グループの女子代表といった風である。

 

 名前は確か三浦優美子。隼人にちょっかいをかけたい女子も、彼女がいるせいで大きくは踏み込めないでいるらしい。確かに、彼女を相手にするのは骨が折れるということはいろはにも解った。容姿で負ける気はしないが、自分のグループを維持する手腕が、その強気な性格と相まって彼女の立場をより強固なものへと変えている。

 

 一年女子の中で『権力』を数値化すれば、実際、かなり上位に位置しているだろう。他のクラスにまで影響力を及ぼせなくとも、1クラスを十分に牛耳っている上に、隼人をグループに取りこんでいるという事実があれば、その権力は盤石である。

 

 存在感を放つカップルを横目に見ながら、いろはは八幡に向き直る。とびっきりの営業スマイルを浮かべてみるが、八幡にはどこ吹く風だった。

 

「こんにちは、先輩。さっきのF組の葉山くんですよね。知り合いですか? 向こうは仲良くしたいみたいでしたけど」

「海老名みたいなこと言うなよ……少し前にテニスやっただけの仲だよ」

 

 それだけだ、とあまり話を広げてほしくなさそうな風である。振り返って隼人を見てみれば、優美子の話に笑顔で相槌を打っていた。見れば見る程リア充一直線な男である。自分から八幡に話しかけるようなタイプにはどうしても見えないのだが、彼の八幡に対する興味は中々強いように思えた。

 

 男なのに良く解らない趣味だと思うが、そんなものは人それぞれだろう。奉仕部の海老名姫菜がそういうのが得意だと聞くが、それはさておき、

 

「奉仕部の方、実行委員になったのは雪ノ下さんだけみたいですね」

 

 横目で席を見ると、雪乃は周囲の喧噪など知らないとばかりに文庫本に視線を落としていた。そこだけ別世界が広がっている風である。総武の姫は読書のために静かな空間を所望している。それを察知した周囲の人間はなるべく静かにしようと努めているが、そんな彼女の横には一人、男子が所在なさげに座っていた。

 

 国際教養科は女子が多いというのは中学生にも知れ渡っていることだが、多いだけで全てが女子な訳ではない。少ないながらも男子は存在しており、雪乃の隣に座っているのはその一人だ。ただその男子、気を抜くと消えてしまうんじゃないかというくらいに存在感がない。

 

 女子が多いどころか、女子しかいないんじゃないかと、同じ学校に通っている人間すらそういう認識でいる国際教養科だ。いろはも噂には聞いていたが、男子の立場というのは低いようである。見られていることに気づいたのだろう、雪乃は文庫本から視線をあげていろはを見た。軽く会釈をし、そしてまた文庫本に視線を戻した。

 

 雪乃からのアクションはそれだけである。つれなくしている……訳ではないらしい。協力体制を大っぴらにしない方が良いだろうという、彼女なりの配慮である。

 

「そうなるな。F組はどういう訳かさっきの葉山が男子代表になって、あっちの縦ロールがそれに追従した。由比ヶ浜が謝ってたぞ。役に立てなくてごめんとさ」

 

 何とも律儀なことである、といろはは内心で感嘆の溜息を漏らした。会話をしたのは部室を訪れた時だけだが、

『良い子』だというのはそれだけで解った。女子でも視線を吸い寄せられずにはいられない巨乳が見てて忌々しくはあるが、同じクラスであれば、いろはも声をかけたに違いなく、それだけに、実行委員で一緒になれないことは残念ではあった。

 

「先輩が実行委員やった時も、こんな感じだったんですか?」

「一昨年はこれくらいの時間には全員が席について待ってたな。出席率は基本、百パーセントだ」

 

 各委員のやる気もあるだろうが、そこは委員長の資質の差が大きいのだろう。あの雪ノ下陽乃が委員長として音頭を取っていたのだ。彼女を知る人間なら、何か起こりそうだと、胸を躍らせていたに違いない。当時の狂奔をその中心で眺めていたはずの八幡だが、集まる実行委員を見つめる彼の目は、どこか冷めたものだった。

 

 能動的に行動していた理由の大部分が恋人であるとすれば、今彼が校内行事に注力する理由はないのかもしれない。部活で依頼されたというだけでここまで来てくれるのだから、彼の性格を考えればこれはとても得難いことなのだろうといろはでも思う。

 

「懐かしいねー、文化祭。はっちゃんとお話するようになったのもその頃からだよね?」

「まだお前の押しの強さと頑固さを知らなかった頃の話だな」

 

 めぐりも陽乃の補佐として文化祭の運営に参加したが、実行委員として参加した経験はない。一年の時は陽乃政権を支えていたし、二年の今頃にはめぐりは生徒会長に就任していた。陽乃は実行委員長と生徒会の役職を兼務したが、めぐりはそれを辞退し、補佐という形で実行委員を手伝った。

 

 陽乃と八幡はバンド演奏に専念したため、運営そのものには全く手を出さなかったが、めぐりはバンド演奏の練習もした上で委員会の補佐もし、生徒会の活動もこなしたのだ。書類上は委員としての活動は未経験のめぐりだが、経験値という面では他の追随を許さない。経験者がいるというのは、初参加が多いこの手の委員会で、何よりの助けになるものだ。

 

「会長と先輩は、元々クラスメートだったんですよね? それまでお話しなかったんですか?」

「そりゃあなぁ。今も昔もぼっちの俺が、女子に自分から話しかける訳ないだろ」

「……それでどうしてあんな美人の彼女捕まえられたんですか?」

「どうも死んだ魚のような目が目についたらしいな……」

 

 ふぅ、と疲れた様子で八幡は溜息を吐いた。めぐりは隣で苦笑を浮かべている。八幡本人は隠したいようだが、近年、総武高校で起こった出来事の中で、比企谷八幡と雪ノ下陽乃の出会いは、大事件として語られている。勿論、いろはも総武に進学した先輩から聞いて知っていた。その時はただそういうことがあったのだ、という認識だったが、去年のバンド演奏を生で見た時に、それがどれだけ大きな出来事だったのかを思い知った。

 

 遠目であるが、生で見た陽乃はそれこそ、存在感の塊だった。ステージの上で演奏し、歌う彼女は人の目を引きつけて止まず、人の上に立つことを宿命付けられたような存在感に、当時中学生だったいろはは魅了され、総武への進学を決めた。

 

 あの人のようになりたい。その願望は今も揺らいでいない。そのために色々と努力を重ねた。あの時よりもずっと成長したとは思うが、あの輝きの一片でも身についている気はしなかった。道は険しいが、だからこそ挑み甲斐がある。良い女への道は、遠く険しいのである。

 

 陽乃がまだ高校生であれば最高だったのだが、彼女は今は大学生だ。高校の中を探しても伝説が転がっているばかりで、良い女度を上げるための助けにはなりそうにない。そんな中、その陽乃と交際を続けていられる八幡はいろはにとって、良い女の指針になってくれるかもしれない存在だった。

 

 今までは接点を全く持ってこなかったが、今は実行委員会という共通項がある。八幡は全力で話かけるなオーラを出していたが、いろははそんなものを気にしない。邪見にされてもめげずに話しかけるいろはと八幡のやり取りをめぐりはにこにこと微笑みながら見守っていた。

 

 先日は議事進行をしためぐりであるが、今回からはただのアドバイザーになる。実行委員長が選出され、諸々の役職が大雑把にではあるが決まったからだ。この時期は執行部も忙しいと聞いている。時間を割いて出席する程暇な訳ではないはずなのだが、めぐりはいつものほんわかした様子である。

 

 自他共に認める八幡の友達である彼女は、八幡が自分以外の人間と話しているのを見るのが単純に嬉しいのだ。

八幡は基本、その時々で接点のある人間と、最低限の会話しかしない。自分から他人に話しかけるという気は基本的にないのだ。沈黙が苦にならないタイプとでも言えば良いのだろうか。

 

 奉仕部の部室では一応、雪乃や他の部員とも会話しているようだが、彼が学校で会話をしているのはそれくらいだろう。陽乃が卒業してしまった今、この学校で彼が所属しているコミュニティは奉仕部だけだ。

 

 だから、今回の依頼はいろはのためであると同時に、八幡のためでもあった。出不精の彼を久しぶりに引っ張り出すことができた。たまには『他人』と会話をするのも良い。噂が広まりきっているため、八幡に好き好んで話しかける人間は少ないが、隼人やいろはのような変わり者も少なからずいる。

 

 依頼をした甲斐があった、とめぐりがうんうん、と一人頷いていると、会議室のドアが開きぞろぞろと人影が入ってくる。先頭にいるのは相模南。先日、委員長に就任した二年生である。一緒にいるのは二年生の委員で、彼ら彼女らは談笑しながら各々の席へと散っていく。

 

 それを見て、いろはは時計を見た。集合の四時を五分過ぎている。堂々とした遅刻だが、南を始め遅刻してきた委員たちに悪びれた様子はない。そんな彼らに、一部の真面目な委員――特にその筆頭である雪乃の力強い視線が突き刺さると、流石に遅刻していることそのものは認識しているのか、バツの悪そうな表情を浮かべる。

 

 彼らは二年で雪乃は一年だ。一年のくせに生意気な、という思いは彼らにも当然あったが、雪乃がどういう立場の人間なのか、彼らは先輩から聞かされて良く知っていた。その上この場には、雪乃を含めた総武高校で敵に回してはいけない人間三人が全員揃っている。思うところは色々あったが、それを口にすることはできない。彼らとて命は惜しいのだ。

 

「ごめん、遅れちゃった」

 

 悪びれた様子もなく謝りながら、さて、と気を取りなおした南はいろはを見た。司会進行は副委員長の役割である。南や二年生の実行委員に思うところがないではなかったが、僅かとは言え議事進行が遅れてしまった。つまらない問答でこれ以上遅れることは、いろは自身の精神衛生上良くないし、自分の出世欲のために依頼を引き受けてくれた奉仕部の面々に申し訳が立たない。何より、不機嫌な様子を隠そうともしていない雪乃が、とても怖かった。爆発しないよう自制してくれているようだが、それがいつまで持つのか雪乃歴の短いいろはには解らない。

 

 もうさっさと進めてしまう。南たちがやってきたことで全員が揃った会議室を見まわしたいろはは、副委員長の席に座り、議事進行を始めた。決めなければならないことは、昨日の内に決めてある。それなら昨日の内にそれも決めてしまえば良かったのではと思ったが、慣習というものの前に人間というのは無力なのである。

 

 初日は顔見せと、主要な役職の選出だけと言われては何もできない。その分の遅れを取り戻そうと、主要でない仕事の割り振りを進めていく。それ自体はあっさりと済んだ。遅刻してきた二年生も積極的とは言わないまでも仕事を受け入れ、全ての割り振りは一時間もしないで終わった。

 

 その間、南は椅子に座ってぼーっとし、相槌を打っていただけである。委員長らしいことは何もしていない。もっと前に出てきてというのがいろはの偽らざる気持ちだったが、二日目に堂々と遅刻してくるような精神の持ち主である。足を引っ張られないだけマシだと自分を納得させて、一応、彼女の許可を取り、その日の会議は解散となった。

 

 委員全員の積極的な参加が望めない以上、時間の許す限り仕事を進めていくべきだと思ったが、これも慣習である。誰もが時間を持て余している訳ではないし、いろはのように積極性を持っている訳でもない。事実、解散を告げると南を筆頭に、二年生たちはぞろぞろと会議室を出ていってしまった。二年で残っているのは、雪乃と同じ国際教養科のペアだけである。

 

 これで本当に大丈夫だろうか。まだ二日目だというのに真剣に不安になるいろはだったが、その不安は早くも的中することになる。

 

 

 翌日、委員長相模南を筆頭に二年実行委員の大半が会議に出席しなかった。早い話が、サボリである。

 

 








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