「―――さぁどうぞ、ここが私の部屋よ」
「お、お邪魔致します……」
俺は琴さんの部屋の前で一度立ち止まり、日常世界と神の神域を区切る結界の役割を持つとされる鳥居へ一礼するが如く頭を深々と下げて、そして部屋の中へと足を踏み入れた。ここはかの有名な武神、琴紗月を祀ってあるとされ……
「あっ、あの、お賽銭をしたいのですがお賽銭箱はどこに―――」
「それ以上下らない茶番を繰り広げるつもりなら今すぐ家から追い出すわよ」
「……さ、さっき突然くすぐり攻撃を繰り出してきたもんですから、正直私としては紗月さんの事が怖くて仕方ないんですよぉ……!」
涙目で声を震わしながら訴えると、トラウマ的出来事であった俺とは対象的に琴さんはまるで甘美な蜜を味わうかのように恍惚な表情を浮かべていた。
「……ふふふ、今思い返しても最高以外の言葉が見つからないわね。文歌、貴方は私の恩人よ。本当にありがとう」
「……そっ、そこまでですか?」
「ええ、もちろん」
あの琴さんがまさかこんなドストレートな感謝の意を伝えてくるとはあまりに予想外で、思わずたじろいでしまう。それに前世と今世を通じた筋金入りの陰キャコミュ障な人生ゆえ、自己評価が著しく低い俺は褒められるという行為にめっぽう弱い。だから王塚さんへの嫌がらせに体よく利用されただけだと分かっていても、どうしても喜びの感情が沸き上がってしまうのであった。
「ウ、ウヘヘッ」
ふにゃりと顔を綻ばせていると、琴さんは微笑みを崩さぬまま。
「この感謝は―――2週間ぐらいは忘れないわ」
……訂正、神じゃなくて悪魔でした。もしかして貴方は暁美ほむらちゃんなんですか……?
俺は畳に膝をつき、絶望から心のソウルジェムがみるみる濁っていくのを感じていると。
「……ねぇ文歌、貴方……この部屋を見て何か思う事はないのかしら」
先ほどとは一転して、その表情を琴さんという人物を表すようなキリッとしていて何事にも冷静沈着なものへと戻し、真剣な声色で俺の本音を覗き込むように聞いてくる。
「え、えっと、どういう意味ですか」
「私の部屋を見て、何か感想は?」
「かっ、感想?」
「―――狭いでしょう、いいのよ別に。ただの事実だから」
……あえて触れなかったが、かなり築年数の経っていそうな年季の入ったアパートに連れて来られた時点で俺の中で抱いていた琴紗月さんの自宅のイメージとはかけ離れていたのは否定できない。これを見せて彼女は俺に何を思ってほしかったのだろうか?同情か、あるいは気まずさか。しかし、俺が感じたのはそんな事ではなく。
「……いいお部屋ですね、私、前から祖母の家に行ったときにする畳の匂いが好きで密かにこういう和室に憧れを抱いてたんです。それに私は弟との2人部屋でいつも落ち着かなかったものですから、1人部屋に関しても羨ましいなって思いますよ」
「……貴方、弟いたの? 前に一人っ子だと言っていなかったかしら」
「……あ」
しまった、つい前世の記憶を織り交ぜて語ってしまった……!俺は手をアタフタさせながら何て誤魔化すべきか思考をフル回転させる。そんな俺の様子を見て、琴さんは小さくため息をつき。
「無理にフォローする必要なんてないわ、反応に困る話題を振った自覚はあるもの。悪かったわね」
そう謝ってこられてしまい……悲しかった、何故ならあの言葉はお世辞なんかじゃなく俺の本心から出たものだからだ。
「さ、紗月さ―――」
流石に前世について話すわけにはいかないが、それでも彼女に誤解されたくなくて何か言葉を紡ごうとしたそのとき。
「あーっ! なになに友達!? 紗月ちゃんってば、真唯ちゃん以外に友達いたの!?」
背後から突然、明るく突き抜けるような声が部屋中に響き渡り振り返るとそこにいたのは露出度の高いキャミソールを着た……琴さんによく似た綺麗な若い女性であった。心を開くのにめちゃくちゃ時間がかかる陰キャにとって、初対面の人と会話を交わすという突然の高難易度クエスト発生にもはや本日何度目か分からない震えを抱きながらも必死に口を開き。
「はは、初めましてお姉さんっ!私はいつも紗月さんにお世話になっている加藤文歌という人間です……!」
タジタジで若干(?)変な自己紹介だったが、彼女は特に気にせずむしろ嬉しそうに顔を輝かせこちらに近づいてきた。何かよく分からないけどまるでフルーツのような良い香りがする……そうか、これが大人の女性ってやつなのか……
「わ~、すっごい可愛い子!こちらこそ紗月ちゃんがお世話になってます!紗月ちゃん上手くやれてるか心配してたのよね、大人しいし気のちっちゃい所あるし」
……マルチバースの琴さんの話でもしてるのだろうか。
そして当の本人である琴さんは心底嫌そうに眉を潜めながら。
「めんどくさいですね本当」
「ええ~?全然めんどくさくないよ、お姉ちゃん、紗月ちゃんの事大好きだから!お姉ちゃん!」
ふむ、デレデレ姉にツンツンとした態度を取る妹。されどその内心は満更でもなく……そんな姉妹百合を脳内に思い描き一人勝手に盛り上がっている哀れなオタクを前に琴さんは衝撃の事実をぶち込んできた。それは。
「勘違いしてる上に何か不愉快な妄想をしているようだから正しておくわ、文歌、これは姉じゃなくて母よ」
「……へっ?」
「もうちょっとお姉ちゃんって言われたかったなー、こんなお姫様みたいな子から見ても若く見えるんだって嬉しかったし」
「やめてもう……」
「も~、紗月ちゃんも文歌ちゃんの事少しくらいは可愛いって思ってるんでしょ?お母さん知ってるんだから!」
「…………ハイハイ、母さんそろそろ仕事じゃなかったんですか」
琴さんの腕に抱きついていたお姉さ……いや本当に信じられないがお母さんは部屋の時計を見ると、「あっ、そろそろ準備しなきゃ!」と言って立ち上がり再度こちらへ近づいてきて、そのまま優しく俺の手をギュッと握ってきた。
「文歌ちゃん!紗月ちゃんをよろしくね、この子全然愛嬌ないけどホント良い子なのよ。誕生日には手編みの靴下くれたんだから!」
「母さんっ!」
「ウフフ、怖い怖いっ。それじゃあゆっくりしてってね―――あ、紗月ちゃんはちょっとでいいから自分の気持ちに素直になってみてもいいんじゃないかなー?」
「間違った解釈しないでください!!」
怒る琴さんを笑顔であしらい、お母さんは部屋から出て行った。母は強しと言うべきだろうか……どこの家庭でもこういうのって変わらないんだな。
「勘違いしないでね、馬鹿に見えたかもしれないけど一応女で一つで私を育ててくれた人だから。いや……本当に馬鹿なのかもしれないけれど」
「馬鹿だなんて……わ、私には娘に愛情を持ち大切にしている良き母で同時に強い人に映りましたよ」
素直にあのお母さんを見て感じた印象をそのまま伝えると、琴さんは感情の読めない瞳で俺を真っすぐに見つめてきて。
「貴方は……」
「さ、紗月さん?」
「―――何でもないわ、それにしても……アルバイト先の恥ずかしい恰好を見られた分、少し意地悪をしてから駅まで送っていくつもりだったんだけどここまで見せる気は無かったわ。私はもうおしまいよ……」
彼女は己の判断ミスだと言わんばかりに虚ろな目を浮かべて、そのまま膝から崩れ落ちてしまった……まさかいつも凛々しい琴さんのこんな姿を見る事になるとは。驚きつつもフォローの意味を込めて誰にも言わないと伝えたが、「信用出来ないわ」と一蹴されてしまった。何気に辛いです……
「どうせ明日には全校生徒の間に知れ渡っているのよ、私が母さんの誕生日に冷え性対策の毛糸の靴下をプレゼントするような女だって」
「さ、紗月さんにもこんな意外な一面がってむしろイメージアップに繋がりますよ」
「そんなはずないわ、クールぶって素っ気ない態度を取っておきながらマザコンなんだって後ろ指を指されながらこれから生きていくの……」
何か俺みたいなネガティブ思考になってる……人には誰しも知られたくない、見られたくない部分が存在し、そしてそれは琴さんにとっても例外ではなかったのだ。
一体どうするべきか、俺も彼女と同等の立場になる為に己の秘密を晒す?いやそれを行った所でどうでもよい秘密ならこの状況が好転するわけでもない。前世は当然除外として何かド級の他人に知られたら自ら死を選ぶようなレベルのものは……頭を悩ませていたそのとき、ポケットに入ったスマホからメッセージの着信音が鳴った。タイミングとしては今確認するべきじゃないのだが、つい偽りの陽キャとして生きる上で身に付いた即既読!即返信!癖で開いてしまった。
相手を見れば俺の母さんで、内容は―――
「あ、あの紗月さん、ちょっとこれを見てくれませんか」
「……何?」
相変わらず虚ろな表情の琴さんだが、俺は自信を持ってこれを出せば対等になれると断言出来た。俺は彼女に自分のスマホの画面を見せて。
「…………文歌、これは一体何かしら」
信じられない、まるで超常現象でも目撃したかのように目を見開く琴さん。そう……そこに映っていたのは。
『もう日に日に高まっていくコスプレ欲をいい加減抑えきれなくて―――お母さん遂にJKコスデビューしちゃった!どう?可愛い?私ってまだまだイケると思うのよねぇ~、それで来週の週末は原宿竹下通りに行くつもりよ!文歌も一緒にどうかしら!』
「しゃ、写真と文面の通り……私のお母さんがJKコスしてる姿です……」
「…………」
永遠にも感じる長い沈黙が場を支配し、そして琴さんは心底疲れたような、それでいて深い同情の混じった瞳をこちらに向けて言い放った。
「お互い……苦労してるのね」
「そう、ですね……」
ありがとうお母さん、おかげで解決出来たよ。まあ代わりに尊厳やら大切なものを沢山失った気がするけど……こうしてある種の理解者となった俺と琴さんの1日は終わりを告げ―――
「……下着、私と貴方だと体格差があるけれどサイズ的に平気かしら」
「い、違和感はありますけど何とか着れてますよ」
「……そう」
「は、はい……」
……るのではなく、琴さんの部屋にて、横並びに敷かれた布団にお互い身を包まれながら俺はどうしてこうなったと頭を内心頭を抱えるのであった。
一応こうなった経緯を説明すると、あの後母さんから届いたメッセージの返信してる際……あくまで仮だが一応恋人であるものの、まさかそれを正直に伝えるわけにはいかず今友達の家に居るよと話した所。『あの文歌がお友達の家に!?しかもこんな夜遅い時間って事はお泊りするのね!嬉しいわぁ、明日はお赤飯ね~』と勢いよく勘違いをぶちかまし、呆れながらも訂正しようとしたらその様子を隣で見ていた琴さんが「実際もう夜遅いわ、貴方一人で夜道を帰るのは危ないんじゃないかしら。だから、その……別に私の家に泊まっていっても、いいけれど」
そう、何故かたどたどしく目線を逸らしながら言ってきたのだ。申し訳ないと思う気持ちはあったが、確かに彼女の言う通り俺のようなよわよわ女子がフラフラと夜道を歩くのは危険ではある。だから琴さんらしからぬぎこちない様子に首を傾げつつ、ご厚意に甘える事にした。だがしかし、よくよく考えてみれば女子と2人きりのお泊りなど初めての経験であり……しかも相手が今現在偽りとはいえ恋人となっている琴さんとなれば、否が応でも多少なりとも緊張してしまうのは避けられなかった。それでも友達な認識には間違いないのだが。
悶々とした気持ちを抱きながら、寝付けぬまま時間が経過した。羊数えるアレって本当に睡眠効果あるのだろうか?今やってみようかな……そんな事を考えていたそのとき。
「……もう寝た?」
「さ、紗月さん!?あっ、ま、まだです……」
とっくに眠りについたとばかり思っていた琴さんから話しかけられた事に、俺は驚きつつ言葉を返した。
「そう、その布団ね、泊まるときの為にって真唯が置いていったものなの」
「おっ、王塚さんってそんなに頻繁に来られるんですか?」
「小学校の頃はしょっちゅうね、でもアイツもどんどん仕事が忙しくなって……」
「つ、つまり琴さんは寂しさを抱いているというわけですね……!とてもよく分かりましたよ……!」
「貴方を今ここで永遠の眠りにつかせてもいいのよ」
「ごご、ごめんなさいでした……」
……ザコは素直に黙って寝るとします、ちょうど良いタイミングで睡魔もやってきた事ですし……
「……ねぇ、文歌」
「何ですかぁ紗月さん……」
「さっき、私のこの部屋を見て貴方は良いと言ったわ。あのときは無理にフォローする必要なんてないと言ったけれど、文歌の目を見て嘘を吐いてるようには思えなかったの。母さんの事を良き母であり強い人と言ったときも同じよ」
マジで眠い、そろそろ限界だ。
「文歌、答えてくれないかしら。貴方は……どうして偽りなく心の底から人に優しく出来るの?」
そんなのぉ……
「紗月さんが―――大切な友達だからに決まってるからじゃないですかぁ」
「っ……!?」
自分でも何て言ったかよく分からないけど、もう限界だ。多分やらかしてないと信じてお休みなさい……
加藤文歌が眠りについた後、琴紗月は布団から起き上がり彼女の傍に近寄りその顔をジッと見つめていた。
(あの女ももうじきフランスから帰ってくるはずよ、そこで私が文歌と恋人になっている様を見せつけたらこの偽りも幕を閉じるの。でも……どうして?何故そこに寂しさを感じてしまうのかしら?分からないわ……貴方といるとおかしな事ばっかりよ、自分から貴方を家に泊まらせたのもそう、隣で寝ていると思うと落ち着かないのもそう)
琴紗月は己の顔が耳まで綺麗に真っ赤に染まっているのを気づく事もなく、ゆっくりと手を伸ばし。
「もし、この感情が何なのか知っているのなら―――私に教えてちょうだい」
そっと、彼女の頬に触れるのであった。