* * *
ーー俺の眼前には。
天海湾を一望する「海天楼」特別室からの絶景と。部屋の中央に鎮座した巨大回転テーブルと。そしてその上に所狭しと乗せられた大量の中華料理……という光景が広がっていた。
山海の珍味をこれでもかと搭載した回転テーブルを囲む面々の顔は、これから美味に舌鼓を打つ純粋な喜色に溢れている。
普段なら、俺も同じ顔をしていたかもしれない。
……支払いがすべて俺でなければな。
「じゃ!約束通り、きょうは全部ウラベの奢りって事で!」
かつて。桜井を「天海を荒らすダークサマナー」として裁く流れで、なぜか俺も同罪扱いされた。
慣例通り、半殺しにされて土地を追い出されたくなかったらここにいる全員に中華料理奢りで許してやる、と言われて屈した結果が目の前の惨状である。
いや待て。あの時いなかった人間も大勢笑顔で卓を囲んでいるんだが。
「今日は急なお声がけにも関わらず大勢お集まり頂きありがとうございます!」
紹興酒のグラスを片手に音頭を取り始めるナオミ。
お前が集めたか……。人の奢りだと思って……。
「では!今回の事態解決を祝して……乾杯!」
「「「「「乾杯!!」」」」」
大人たちは笑顔で高い酒を傾け始めた。
人の財布に手加減をする気はなさそうだ。
一方、ソフトドリンク片手の未成年たちも負けてはいない。
うめーうめーというヤギめいた雄叫びとともに、テーブル上の中華も見る見るうちに消えてゆく。
どれも脂っこいのによくもまあ。十代の食欲を舐めていた。
スプーキーズはみな健啖家揃いだな。もうハッカーからフードファイターにクラスチェンジしろ。
若干すまなそうな顔で、連中の監督責任者……桜井が話しかけてくる。
「こんなご馳走を。済まないね、ウラベさん……。
ウチのメンバーもみんな食べ盛りだから……。
ーーそれはそうと。まだ、お礼が言えてなかった」
そう言うと、桜井は酒席に不似合いな九十度の礼をする。
「色々とお世話になったけど。
あの時……背中を押してくれて。本当にありがとう。
門倉を直接殴り返しに行かなかったら。僕はきっと今も、アイツの天才に劣等感を覚えたままだったろうと思う。
門倉は行方不明になってしまったらしいし……危うく、勝ち逃げされるところだった」
律儀なことだ。俺は桜井をけしかけたに過ぎない。(おかげで俺まで罪に問われた)
この負けん気があるならば桜井は、門倉のしょせんは借り物の才などに、いつまでも負けてはいなかったはずだ。
桜井はそのまま、中華の早食い勝負を始めたメンバーたちをいとおしげに見やる。おいやめろバカども。
「今回の不祥事で、天海市の次世代情報モデル都市計画は白紙撤回。
僕含め、スプーキーズの面々はみなそれぞれ違う土地に引っ越すことになってね……」
桜井は展望スペースの先、穏やかに凪ぐ海を見つめた。
これまでずっと隠蔽されてきた大量の無気力症患者発生と、それを隠蔽してきた省庁次官たる西の死。未解明の地域病の蔓延さえ囁かれ始め、ごくあっさりとモデル都市計画は無期限凍結へ追い込まれた。事実上の中止である。
もともととんでもない金食い虫だった「単なる一地方都市の全面的開発」からは次々に予算も引き揚げられ、ポストや飯の種のアテを失った人々は次々に他都市へ引っ越してゆく。五輪が終わった長野かな。
ランチはアルゴン精工の他支社へ移る父親の転勤についてゆき。家へ戻ってまた一緒に暮らしつつも、真実を明るみに出す記者を目指すつもりらしい。今回の事態、メディアへの情報リークにも一役買っていたと聞くし……きっと巨悪の隠蔽を許さぬ、正義のブン屋になるのだろう。ただなんか、退魔経済新聞を読んでいるのを見かけたんだがそこに就職するのだけは絶対にやめておけ。
シックスは親が地元に引き上げてまた店を開くとかで、その手伝いを始めるつもりらしい。そう言えば実家が何の店をやってるのか聞くのを忘れたが、いつもオシャレツナギ着てたし銃砲店かバイク屋あたりだろうか? どちらにせよ、ランドセル片手にしもべを操る魔法少年マハムド⭐︎シンゴの経験がこの先役に立つことはなさそうだが。亡き姉エリカに幼少時から優しい虐待もとい鍛え上げられた経験はきっと……たとえ彼の未来にどのような困難が待ち受けようとも、記憶にある姉の姿の方をこそより恐ろしく感じさせることだろう。いや大丈夫かそれ。トラウマ治ってなくないか。
ユーイチはボンボンらしい見た目に違わずやはりお偉いさんの一人息子だったらしく、建設族の親が出向前の本庁に戻るとかでまた大都会での官舎暮らしへ戻るらしい。スーパーハカーになるとの野望は捨てていないらしいが、巨大電力テスターで未知のテクノロジーを躊躇いなく分解(バラ)しにかかるあの蛮族性は、そもそもあまり都会暮らしに馴染まない気もする。喩えるならば、四軒茶屋ではなく八十稲羽で暮らした方が合うタイプではないだろうか? 大丈夫か?
カツオは父親のリハビリも兼ね、別支社へ転勤する父に母と妹と共についてゆき、一度も行ったことのない地方で暮らすらしい。そう言えば天海の次世代都市計画も十年以上前から動き出しているから、十代の若者からしてみればこの近代情報都市が地元みたいになるんだな。フィネガンのCOMP(初代)は渡したままだ。芯の強い彼の事、あの軽薄なメギドラオンピクシーと一緒に、また妹をマイクロソフトの魔の手から守って暮らすんだろうな。どんな生活だ。
ヒトミはずっと長期単身赴任を続けていた考古学者の父親を追って、外国ーー北米へと飛ぶらしい。今度の調査プロジェクトは、父親に加えて親類であるという平崎大の吾妻教授までもが加わった、大規模発掘調査なのだという。あの教授の親戚かよ。面識あるのに全然気づかなかったわ。トレーラーの中でネミッサに憑依された時に垣間見たという……太古よりマニトゥの根付いていた、生命力溢れるネイティブ・アメリカの大地が見たいのだという。ひょっとしたら。また向こうで会えるかもな。
スプーキー、つまり桜井は……今見下ろしている海を渡って、違う土地へ腰を落ち着けるつもりらしい。そう言えばこいつしばらく天海出禁にされたんだっけ。まあそれだけが理由じゃないんだろうが、どこへも移動できる便利なトレーラーアジトのコンテナをそのまま下ろし、固定拠点に変えた上でまたネットセキュリティ関連の仕事を始めるらしい。個人事業主としてだけでなく法人登録もして、コンテナオフィスにはそのまま看板も掲げるらしい。「スプーキーズ」と。ハッカーグループの匿名性は一体何処へ行ったんだと激しく疑問だが、桜井はすっきりした笑顔で、もう逃げるのはやめたんだ、と言っていた。本人曰く、ここからはストロングスタイルのハッカーで行くらしい。そんな概念存在するのか。まあこいつの凄腕ならば、例えどこでどんな仕事したところでカンペキな結果を出すだろう。その点だけは心配ない。
光る数多の波を見つめ。桜井は眩しそうに目を細める。
「だから。スプーキーズは解散になるけれど……
ここで経験した事は、きっと僕らの財産だ。
みんなはそれを元手にーーそれぞれ独りで歩き始める」
さんざん飲み食いして俺の財布に最大ダメージを与えた後。
ありがとうございました、と皆で頭を下げ。
スプーキーズの面々はーー特別室から去っていった。
* * *
「どうしたーーシケた面だな」
白乾児を煽る俺の隣に。まるで古馴染みのごとく腰掛けるのはーー全然知らない歌舞伎役者である。
グラスを持ち片手をポケットに突っ込むスタイルは、さまになっているが……
「“お前の外見がコロコロ変わるのには未だに慣れない"と。そう顔に書いてあるな。はは」
スケロクーー葛葉キョウジは、笑ってグラスを傾けた。
そういえばこいつはカクテルとか好きだったな。
平崎でもよく飲んでいた。(そして飲酒後に悪魔退治に向かっていた)
「そうだな。バー・エゼキエルで飲む酒もーーそろそろ恋しくなってきたな。お前もそう思わないか?」
尋ねてから、俺の行きつけはそこじゃなかった事を思い出したのか……葛葉はマダム銀子の方を見た。
「ああ。お前はバー・クレティシャスの会員だったな。
ところで銀狐はまだ怒らせたままか? お前、あの息子に何やったんだ?」
何もしてない。何もしてないから怒られただけだ。
答えぬ俺の横顔を、葛葉はよい酒の肴とばかりに笑う。
「はは。まったく、身内というのも面倒くさいな。
手ばかり掛かってしょうがないしーーそれに、おちおち留守にもできやしない」
もはや、身内というより他人といった方がいい関係性ではあるのだろうが。
平崎に残してきた葛葉の「体」はーーやはりこいつも気になるらしい。
役目を終えたレイ、お目付け役のマダム銀子とともに。「葛葉キョウジ」の任地たる霊地平崎へ帰還するのだという。
「色々。お世話になったわね、ウラベ」
さっきまで共にスイーツ店の話に花を咲かせていたナオミの元から歩み寄り、レイがグラスを掲げる。
幼馴染同士、すっかり仲良しに戻って何よりだ。
「……怜一郎くんを。
これ以上悲しませたらーー承知しないわよ?」
テーブルの向こうに両肘をつくマダムは、老酒を傾けつつちくりと刺してくる。マダム銀子とは平崎以来の長い付き合いだったが。散々迷惑をかけ、長く預かってもらってもいた……こと息子に関しては、相変わらず信用されていないな。
二人の顔を順番に見てから、見慣れぬ葛葉へと視線を戻す。
ところでーー
葛葉キョウジの「体」の待っている平崎へと。葛葉の巫女にして名代のレイと、お目付け役のマダム銀子が帰ってゆく。
そこへ……葛葉キョウジの「魂」は。一体どういう立場で帰ってゆくのだろう?
俺の疑問を読み取ったらしい歌舞伎役者が、ニヤリと笑う。
「葛葉キョウジは二人いる。ーーそれでいいじゃないか」
その笑みだけは、昔のよく知るキョウジのままだ。
きっと三年の間に、目の前の現実をそう飲み下して。慣れていったのだろうーーこいつらは。
葛葉はふと皮肉げな表情になると、俺の肩へかかる長髪をつつく。
「だいたいーーお前も人のことなんて。
もう言える立場じゃないだろう?」
甘党で下戸揃いの葛葉たちは結構あっさりと酔い。
「帰りの便に遅れる」と慌ただしく別れを告げるとーー海天楼から去っていった。
* * *
「ああーー久々に飲んだわ……。
こんなに美味しいお酒は久しぶりね……」
つい先日にも、二回くらい立て続けに大酒を飲んでいるのを見た記憶があるんだが。
短期記憶をあっさり喪失したらしいナオミは、猫科の猛獣のごとく長々と伸びをしてからーー腕時計に目を落とす。
「……あら。もうこんな時間ね。
事務所まで送るわ。すぐそこだし」
鯨飲の名残りすら感じさせない素面のまま、ナオミは店前から歩き始めた。とんでもないウワバミだ。
すっかり軽くなった財布を抱える俺もそれに続く。
天海ベイと芝浜を結ぶ道。海沿いの堤防を並んで歩く。
ナオミはちらりと自分の店ーー海天楼を振り返る。
「けど。せっかく平和になって、念願のお店も手に入れたってのに。
みんな引っ越して行っちゃうとはね。今後の経営が不安だわ?」
ナオミはかねてから気に入っていた海天楼の経営権を買い取り、オーナーとなった。
しかし今の天海は転出ラッシュである。いかに評判高き名店と言えど、客足が細るのは避けられなさそうだ。
だがーーきっと。魂の帰る家を手放しはしないだろう。
加えて、幼馴染と甘味を楽しむ約束をしているのなら……尚更だ。
「ーーそう言えば。ファントムの方も、落ち着いてきたみたいね?
……。いや……アレは落ち着いてるって言うのかしら……」
ナオミが首を振り向ける先には。遠い商業施設の街頭モニターー放映されるCMの中。新型車の傍らへ微笑む、マカロニウェスタンのヒロインめいた格好の女優が映っていた。
一方、堤防脇の河川敷では。ロックスター気取りのギタリストが、集まる子供達へ向かって超絶ギグを披露している。青空ライブに子供達は大興奮である。(うるさい)
「ファントムを抜けたサマナー達も。みんな道が見つかって良かったわね?
てっきり粛清されるものだと思ってたけれどーーまあそれどころじゃないわよね。主に、誰かさんのせいで」
いたずらっぽく顔を覗き込むナオミはーー道の行く手に立つ古い雑居ビルを認め、川風に舞う髪を押さえる。
「一体どんな身の振り方を考えているのかと思ったら。
私と違って、いいところに眼を付けたものね。
それにしても……“卜部広一朗土地家屋調査士事務所"。
長い名前ね」
やかましい。
ナオミは雑居ビルの内側に立て掛けられた、新品の事務所看板を覗いている。
ーー転出者が続出し、天海市内はほどなく空き家だらけになる。
築数年のまだ真新しい物件ばかりだから、別の用途で用いるなど、新たな借り手も必ず現れるだろう。
しかしこの天海もまた、二柱の旧神を封じていた霊地。
空き家が勝手に異界化し、誰も気づかぬまま悪魔が巣食っている事態なんて普通にあり得る。
そこでーー専門家たる俺の出番である。
土地家屋調査士という肩書きであれば、調査を依頼された物件へ先に立ち入るのも当然だからな。
物件の価値を担保するのも仕事の内だし……それに、ちょっとした''掃除"くらいはサービスだ。
とは言え。「そういう」依頼が来始めるのは、まだ一年くらいは先のことになるだろう。
なのでせっかく登記も済ませ、事務所も借り、看板まで作ったが……しばらくは開店休業である。
それに。そもそも、今日からはーー
「でも。これから長い旅に出るのにーーわざわざ事務所まで借りるなんて。
それはどういう意思表示と受け取ればいいのかしら?」
ーー俺はこの土地を離れ、長い旅に出る。
からかうナオミだが。これから旅に出る俺が事務所を用意した理由は、ナオミが客足の減る中華屋を買ったのと同じ理由である。
すなわちーー帰る場所があるからこそ。
俺たちは何処へでも行くことができる。
ふと。ナオミは俺の正面へ向き直ると。
首を傾げ、その瞳を覗き込む。
「その旅についていこうかと思ったけど。
今の貴方に同行しても……きっと意味が無いのよね?
ねえーーウラベ」
掬い取った俺の銀髪を掌からさらさらと零すと。
ナオミはごくあっさりと踵を返し、手を振った。
* * *
看板を事務所へしまい、がらんとした部屋を厳重に施錠する。
雑居ビルを出るとーーもう日は傾き始めていた。
銀光を跳ね返す水面を見て、俺の口が言葉を発する。
「……やっぱり。ウラベではないとーーバレてた?」
ーー当たり前だろうが。この大根役者が。
「ちょっと! せっかくのお別れだろうと思って、大人しくウラベのフリを続けてあげていたのに!」
ーーみんな、気づいていたが黙ってくれていただけだ。
ーーお前から悪意も邪気も感じられないから、祓われなかったってだけだぞ?
「うっ……。さすがに言い過ぎじゃない!?」
ーーだいたい。今のお前は……。
川岸を歩いている俺は足元の水面を見下ろす。
そこに映っているのはーー
肩までの長髪がすべて真っ白な銀髪へと変じた、黒帽子にフライトジャケットを引っ掛ける中年男性。
すなわち……あきらかにネミッサに憑依されている。
まさしくこれが今の俺の姿、というか惨状である。
* * *
……これは後から聞かされた話ではあるが。
俺にネミッサ・プログラムを盗まれ。そのせいで、後に頻発する電霊たちの暴走を抑えられなくなったファントムとアルゴンはーー次々召喚され続ける電霊の抑制と、野放しに暴れ回る電霊どもを制御しようと試みていたらしい。
当初。システムエンジニア連中には、ネミッサ・プログラムとは、マニトゥを不活性化させる不要因子くらいにしか捉えられていなかったらしい。だから俺の行いは「わざわざデバッグを手伝ってくれた間抜けな企業スパイ」のように見えていただろう。
が、ネミッサ・プログラムが居なくなったことで(そして生まれ落ちた電霊たちが桜井の意図的な誘導を受けた結果)マニトゥシステムは人の手から電霊たちに制御を奪われ、実質的な制御不能に陥る。そうなってくると、俺という存在もまた「マニトゥの自壊まで先読みし狙っていた凄腕ハッカー」へと180°評価が変わってくるわけだ。まあ違うんだが。俺もレッドマンも別にそこまで企図してはいなかったんだが。
で。欠損したデータを修復さえすればシステムは少なくとも元の状態には戻る……そう考えるのは当然の思考だろう。
連中は持ち去られたネミッサ・プログラムの修復を試みた。コピー・ネミッサ。その結果作られたのは、ネミッサの外殻だけ辛うじて似せたような、がらんどうの複製である。
ネミッサ本体との何らかのリンク機能は有していたらしい。だがマスターとスレイブの関係に過ぎず、送られてくる種々雑多な情報を整理もできぬまま受信することしかできなかったらしい。
もちろん、コピー・ネミッサは期待されていたような、暴れ回る電霊たちへの掣肘なんてまったくできなかったらしい。まあそりゃそうだ。ネミッサという死が離れたからこそ、爆誕し暴れ回る電霊たちという形でマニトゥの生のタガが外れたんだし。ネミッサ本体がどうにかなっているならいざ知らず。本体である死が健在のままなのに、偽物の死でマニトゥを騙くらかして乱行を縛り付けようとしても、そりゃあうまくいかないだろう。
期待された権能、制御機能を発揮しなかったコピー・ネミッサは。連中を落胆させ、そしてそのまま放置された。
で。本来であればそのまま、アルゴン社のサーバの中に眠り続けているはずだったが……
なぜか役立たずのこいつをわざわざ、盗み出した奴がいた。
他でもないーーフィネガンである。
* * *
ここからは業魔殿の主、ヴィクトルの証言となる。
ある時ーー髪が銀髪のままのフィネガンが業魔殿フロントへ現れ、COMPを一台用立てて欲しいと言ったらしい。
大金を差し出して奴が指定したのは、俺が使用しているのと全く同型のーーいわゆるGUMPだった。
COMPの修理を請け負ったりもするヴィクトルは当然、珍しくもない俺のGUMPと同一型番のスペアくらいは普通に所有していたため、その大金と引き換えにくれてやったらしい。
無論、メリケンサック型のCOMPを愛用する元ボクサーのフィネガンがわざわざGUMPを求めることにヴィクトルも疑問は覚えたが。何に使うのかは聞かなかったらしい。聞けよ……。
そして当然、そんな瑣末なことを連れである俺にいちいち話したりはしなかったらしい。いちいち話せよ……。
そしてーーフィネガンは俺の持つものと同型のGUMPの中へ、サーバ内に放置されていたコピー・ネミッサを移すと。
ずっと隠し持ち。そして、あの瞬間を迎えた時。
いきなり取り出し、俺を目がけ解き放ったーーということらしい。
豪雨を貫き飛来した銀光の直撃を受けた俺は。
以来、コピー・ネミッサに身体を乗っ取られ……このザマである。
* * *
さて。
フィネガンはなぜそんな真似をしたのか?
ーー答えは簡単だった。
俺は。アルゴンNSビルの屋上、フィネガンが本来の任務である離反者つまり俺の抹殺を仕遂げられなかった時から、やつにとって全ての歯車が狂い出したのたと考えていた。
だから同じ状況で。やつが俺を改めて殺すーーそれこそがフィネガンにとっての最高の復讐になるだろうと考えていた。
しかしフィネガン本人からしてみれば違ったらしい。
フィネガンの主観からすると、ネミッサに身体の自由を奪われたことがすべての悪因に見えていたらしい。
前にも俺に面と向かって宣告していたように。もちろん、その現実をもたらした俺を殺すのも復讐にはなるのだが。
可能であるのならばーーまったく同じ目に遭わせたい。
すなわち。乗っ取られた身体を内側から眺めつつ、女言葉の銀髪中年おじさんとして振る舞い社会的な死を迎える自分をただ歯噛みしつつ見守るしかない。
そんな恐ろしい経験をーーあの外道フィネガンめは。なんとこの俺に、味わわせようとしていたのだ。(まあもともとは俺がフィネガンに強いた人生リセットだが)
なんと恐ろしい……。ネミッサとは、社会的な死の歌だったのか……。
でーー(恐らくはその計画を面白がっただろうネミッサの協力もあって)やつはその能力を十全に発揮し。
フィネガンは狙い通り、密かにGUMPへ納めたネミッサ・コピーを俺目がけて発射。
目には目を。歯には歯を。女言葉銀髪中年おじさん化には女言葉銀髪中年おじさん化を。
元ボクサーのフィネガンらしい、同一ダメージのクロスカウンターによって……みごと復讐を成し遂げたというわけだった。
* * *
「いや……手伝っておいてなんだけど。
ホントに身体乗っ取ってて、アタシも驚いたわ」
俺の身体を操り喋っているのはネミッサ・コピーである。
リンクが確立されていた関係で、死の歌と共に消え去ったネミッサの記憶をかなり受け継いでいるらしい。
というか、やっぱりお前が協力してたんじゃないか……。
「まあーー面白そうだったし。それに正直フィネガンの気持ちもわかるなぁ、って」
うん。まあ。やつの地位とか信用とかズタボロにしたし。
正直、俺が復讐されるのは当然ではあるが。
もっと他にーー俺を女言葉銀髪中年おじさんにさせ返す以外に、やるべきことがあったのではないか……?
「そう言えば聞いたけど。
あれからフィネガン、今回の一件で幹部が軒並み居なくなったファントムソサエティに戻って、仕切り回してるらしいわね?
ユダもさんざんしごかれて大変だとか」
あの後。
フィネガンは裏切り者としてさんざん罵られながらもファントムソサエティへと帰参した。
とは言え幹部層を一挙に失ったファントムにはろくな実力者も残っておらず、帰参を認めさせたというよりも実力を示して言うことを聞かせ、自分で仕切ることにしたらしい。
今は、ユダを始めとする所属サマナーたちへ鬼のような訓練を課して鍛え上げておりーーこれまでの悪魔ばかりが幹部の組織から、それを召喚してこの世に喚ぶ悪魔召喚士こそが主体となる組織へと作り変えるつもりらしい。
きっとフィネガンは。今回の一件でも散々目にした、サマナーが簡単に組織に使い捨てられるあの体質を変えたいのだろう。ふだん塩対応の割に意外に下から人望のあった奴のこと、それだけは俺にも何となくわかった。
まあーーそのポーズを周囲へ示す為にも。
やつは俺を簡単に殺す、という訳にはいかなかったのかも知れない。
「…………。」
ーーある意味、死ぬより酷い目に遭っているのだが。
「まあーーもうちょっとくらいは。付き合いなさいよ。
どうせそれ程、長いことでもないんだし。ねっ?」
ーー朗らかに肉体の返却拒否を宣言してくるネミッサ・コピーだが。
実は、この世に留まれる時間はそう永くもないらしい。
既にネミッサ本体がマニトゥと共に死を迎えた以上、ネミッサ・コピーも確定でいずれ消えゆく運命らしい。
まあ……体感あと数ヶ月、とか言っていたのだが。
「でも。連れてってもらうとか悪いわね。
故郷、かぁ……もう思い出せないや」
それで俺はーー旅に出ることにしたのだ。
マニトゥとネミッサの眠っていた土地。北米大陸へと。
* * *
ーー港を見下ろす高台。小ぢんまりとした墓地。
半分くらいは十字架だ。海の向こうの故地を見つめる、異邦人のものかも知れない。
まだ真新しい墓の前に祈る、ひとりの幼な子がーー背後に立つ俺を認め立ち上がる。
俺は溢れんばかりの薔薇の花束を、その墓前に捧ぐ。
「じゃーー行ってきます」
「……いってきます」
挨拶を済ませればもう振り返りはしない。
大輪の薔薇で変わらぬ愛情は示した。
最愛の人を奪われた復讐は済ませた。
そしてーー必ずここへ帰ってくる。
大切な家族の待つこの家へ。
固き誓いを胸に抱けば、もう心残りは何もない。
河口近く、夕空を背景に出航準備のすすむ豪華客船。
タラップを登り切った俺たちを、高級車の傍らに佇む船長が出迎える。
「ウラベ。
今回の長期航海の船賃だがーーお前は払えまい?
また質草として愛車を貰い受けるぞ?」
取り返したくばまた研究を手伝え。
そう告げると、ヴィクトルは笑って船長室へ去った。
息子と顔を見合わせ、やれやれと首を振る俺に。メイド姿のメアリがぺこりと一礼し、主人の後を追う。
甲板上に汽笛が響く。もうすぐ出航なのだろう。
紅い夕陽の燃え落ちんとする水平線を前に、俺は煙草を取り出す。
ーー苦痛を受けたら正しく叫ばねばならない。
ーー叫び足りなければ正しく復讐せねばならない。
そしてーー
復讐が終われば、正しく前を向き進まねばならない。
業魔殿がゆっくりと大海原へ滑り出してゆく。
夕陽に染まる航跡は赤く、静かな水面に傷口のようなうねりを広げてゆく。
しかし巨大客船が通り過ぎた後にはーー
夕刻の水面は。すぐにふたたび、波ひとつない静謐を取り戻す。
俺はそれを見届けてから、客室へ戻るべく踵を返す。
その背をーー
遠ざかりゆく薔薇の墓が、見守っている気がした。
(完)