ごめんなさい。
ごめんなさい。ボクは失敗しました。
やり直しを……こんな結末になるなら願うべきじゃなかったんだ。
礼拝堂にピアノの音が鳴り響く。
拙い手付きで慎重に鍵盤を叩く
上達している。
日進月歩。
ピアノに触れた事すらない少女が此処に足繫く通い、音楽の技術を磨き上げていく様を見つめることは、刺激の少ない日々を過ごす僕達にとって良い意味で情動を湧かすモノになっていた。
音楽は感情だ。
その時々の表現者の感情を切り取って形として残す芸術でもある。
だから、この瞬間にノートを広げて湧き立った感情を音階に書き残したい。
ソレはきっと心をワクワクさせるような素敵な曲だ。
最もソレは叶わないモノ。
ボクは幽霊みたいなモノだから。
誰にも見えない。ピアノを弾く少女を指導する彼女――十六夜ツキノに憑いた陰
――今はもう眺めることしか出来ない。
「……どう、でしょうか」
「マリーちゃんとっても練習したんだね……とーっても上手になっていましたよ」
讃美歌を弾き終えたマリーちゃんをツキノはしっかりと褒める。
それを受けてマリーちゃんの表情はピアノを弾いていた時からずっと強張っていたけど、花を開くように静かな笑顔に変わっていった。
ツキノも安心したように微笑む。傍から眺めているボクの心も和む。
だけど、いつも思うのだ。
惜しいなぁ、と。
トリニティ総合学園。
其処のシスターフッドに所属する彼女がまだ一年生という立場でありながら、立派なシスターを志してツキノにピアノの指導をお願いしている経緯をボクは知っている。
この
もっと自分の心の行くままに鍵盤を叩いて旋律を奏でて表現して欲しい。
表現者の先達としてひたむきで真面目な彼女にはもっと自由であって欲しい。
でも、ソレは自分を律し我欲を抑えヒトに手を差し伸べる立派なシスターを目指す少女にとって余計なお世話である。
――あぁ、このままならない感情も音階に残したいなぁ……。
さっきの演奏で至らない点をツキノから聞き出して、真面目にメモを取るマリーの様子から視線を逸らしてボクは礼拝堂の入り口に視線を向けた。
演奏が終わるのずっと待っていたのだろう。
扉の前でずっと気配が漸く動き出す。
僅かな音を立てて開いた礼拝堂の扉から覗いたのは銀色の髪と水色の瞳、あと季節外れのマフラー。
シロコちゃんと……誰だ? あの人。
スーツを着た大人――彼は
シロコちゃんの情報を聞くツキノ後ろでボクは、耳に入る情報を嚙み砕きながらモノ珍しそうに彼をしげしげと眺める。
此処、キヴォトスは学園都市と銘打ってるはいるが教師という役柄の存在がこの世界に生まれなおして17年間一度もお目にしたことがなかった。
ボク達の様な生徒以外は
「……」
「ツキノさんが退院出来るんですか?」
シロコちゃんと先生、二人の言葉を飲み込み押し黙ってしまったツキノに対比するように同席していたマリーちゃんが一縷の望みを見つけた様な喜色を浮かべた。
キヴォトスの中心部――DU地区の精神病棟。
シスターフッドのボランティア活動をきっかけとして始まったマリーちゃんと関係を鑑みれば”快復した”と判断されて、この箱庭から巣立つことは心優しい彼女にとって喜ばしいことに違いない。
実際にこうしてボクがこの様な状態になっているのだから、ツキノの精神状態は一時期と比べても見違えるほどに立ち直ったと判断されている。
何時までもこの場所に居続けていたのは単純に切っ掛けがなかったから。
もし、その切っ掛けが出来て帰れるのなら……。
――だけど、そうなると無視出来ない事情が一つ存在している。
「ホシノは……ホシノは私が帰ることを望んでいるの?」
「……」
シロコちゃんが眉を寄せて押し黙る。
回答を用意していないということは……ホシノに話を通していないということだ。
一年前此処に入れられてから一度もホシノが見舞いに来ることはなかった。
ノノミやシロコちゃんが頻繁に顔を出してくれたからアビドスとホシノの現状は分かっているつもりではあるけども……まだ、ボクはホシノに許されていない。
その言葉を聞いていない。
帰る場所なんて
「ツキノ、一つ聞いていいかな?」
――君はアビドスに帰りたい?
気まずい沈黙を断ち切るように掛けられた言葉。
俯いていたツキノが顔を上げる。其処にはしっかりとした意思が宿っていて迷いはない。
「帰りたいです。ワタシの帰るところはあそこ以外あり得ないから」
砂漠の中のポツンと建った荒廃した場所でも、其処に全てを置いてきた。
マリーちゃんの前任者――同じようにピアノを習っていた彼女は、トリニティに転入してシスターフッドの庇護下に入ることを勧めてくれた。
傍から見ればそれが健やかで平和的な選択だって事もボク達は分かっている。
此方を気遣ってくれた善意からの提案だ。――でも、断った。
生まれ直して築き上げたモノ、全てがアビドスにあるんだ。
こんな状態になって隔離処置されてしまったけれど……全てを捨ててなかったことになんかしたくなかった。
「分かった」
「私が力になるよ」
”帰ろう、アビドスに”
そうして、差し伸べられた手をツキノは腕を伸ばして握り返した。
「ぁ……あれ? 私……」
「――あ、起きた? 大丈夫?」
すやすやとした呼吸が止まって、意識を取り戻したホシノが額に手を当ててぼんやりとしている。
うだるような暑さの中、遠くから聞こえる蟲の声はとても安眠出来る様な環境ではない。
照りつける太陽に燦燦と差す熱射の中でボクの言葉に聞かなかった馬鹿は倒れたのだ。
「はい、飲める?」
「……ありがとう」
仰いでいた団扇を止めて、側に置いたクーラーボックスからサイダーを取り出す。
カッシュッ。
プルタブを引いた彼女は、渋面を引っ提げてごくごくとサイダーを飲んでいる。
血の気がちゃんと脳に回ったのか、今の状況を理解したらしい。
「納期までにはまだ時間あるじゃん。あんま無理したってしょうがないって」
「……」
陽炎の中に佇むホイールローダーに目をやる。
頻繁に故障が起きるオンボロ。
ガス欠で止まったソレの整備を休憩も入れずにやろうとしてたのだ。
「……今回の仕事が早く終われば、花火見に行けるじゃん」
「……そうだねぇ」
ほんっと素直じゃないな。
ユメ先輩がDU地区の花火を見に行こって言った時には、そんな暇ないって返してた癖に。
そんな心が表に出ていたみたいだ。ぎろりとした視線と共に”笑うな”って拳が飛んでくる。
脇腹に刺さった小突き。
地味に痛かったのでこっちからもジャブ程度にやり返す。
”介抱してやったのに恩知らずの短気め!”
”いつも上から目線で笑って来るのが気に食わない!”
そんなことをやいのやいのと言いながら、キャットファイト続けた後にふと我に返って終戦と相成った。
得たものは埃だらけのシャツとジャージ。
二人してサイダーの缶ジュースを開けて、砂だらけの口を漱ぐ。
ふと、ホシノが口を開いた。
「ユメ先輩は?」
「そーいえば、まだ帰ってきてないね」
軽油たくさん買って来るよー。
なんて、勢いづいてぶんぶん手を振って彼方に消えた軽トラを思い出す。
いい加減帰ってきてもいい時間が経っている。
「……あ」
未読のメッセージが一通届いている。
ホシノと戯れていたせいで気付くのが遅れてしまったのだ。
”たすけて!! ツキノちゃん! 軽トラが動かなくなっちゃった!”
どうやら向こうでもトラブルが起きたらしい。
暫く忙しかったから、軽トラの整備も出来ていなかったなぁ。
思い返せば何時故障してもおかしくないオンボロだった。
遠い目をしながら画面を見つめるボクの側で、同じようにスマホを眺めていたホシノが身体を起こす。
「そのまま、寝ていなよ」
「そういうわけにもいかないでしょ。あの人、ポンコツなんだから」
日陰から出てふらふらしながら歩く彼女を見て、ため息が零れた。
さっさと歩いて追い抜き、熱を発するハンドルを握る。
足を止めたホシノがポカンとしている。
「ほら、乗りな。運賃はアイス一本でいいよ」
「骨は拾ってあげる」
「……それはどうも」
荷台に荷重が掛ったのを確認して、ペダルを踏む。
加速した身体が風を切るお陰で汗が滲む暑さの中でもわずかに涼しい。
――いや、暑いわ!
後ろにホシノを乗せてる所為で全然速度出ないし、ペダルも重い。
ヒィヒィ言いながらペダルを漕ぐ。
「遅いよ~、こんなんじゃ日が暮れちゃうよ~」
煽りおる。
ボクが頑張って自転車漕いでいるって言うのに。
「あとで覚えてろよ──!!」
夏の青い空。
ボクの声は高く、高く昇って溶けた。
電車が止まる。
何処か懐かしい気持ちと共に少しだけ寂しさを感じた。
――昔の夢を見ていたみたいだ。
アビドス高等学校3年生
部活 対策委員会
十六夜 ツキノ
| 年齢 17歳 |
| 誕生日 1月9日 |
| 身長 166㎝ |
| 趣味 楽曲製作 |
アビドス高等学校所属、アビドス生徒会の副会長、嘗て存在したアビドス生徒会バンド、ブレーメンのリーダーを務めていた薄幸の少女。
物静かで委員会のメンバーの後ろに立って俯瞰視する立ち回りを好んでいる。
戦闘を好まず、誰かを傷つけることに強い抵抗がある為か、銃声に過敏。
最もキヴォトスに馴染めない性質を持ってしまっている為、委員会のメンバーの中でも最上級生でありながら過保護に扱われる場面が多く見られている。
そのお礼も兼ねてか後輩たちへの音楽指導に熱を入れている。
使用楽曲:コード
あの夏に咲け:N00505804
妹十六夜ノノミと対照的に線は薄くスレンダー。
針金細工のようなイメージ。
使用楽器は ショルキーとシンセサイザー
なお、作者に音楽知識はなく。
ぼざろでちょっと齧った程度なのでバンドメインで話を深ぼって進行しませんのであしからず。