【完結済】ポケモン最強トレーナー・サトシ、バレンタインで好感度が限界突破している件 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
ホワイトデーの熱が、まだ胸の奥でくすぶっている。
あの夜、オレは8人分の真っ直ぐな想いに、一つひとつ、逃げずに向き合った。恋という形で隣に立つのは、たった一人。けれど、振った相手も、選んだ相手も、誰一人として「仲間」でなくなった奴はいない。それが、オレの出した答えだった。
そして、季節は春へ。ブルーベリー学園での「レジェンド・リスタート奨学生枠」の修了――つまり卒業を目前にして、学園は最後の総合大会「ブルベリーグ・エキシビション」で沸き返っていた。
「テラスタルの集大成、そして君たちの学びの証明です。……悔いのないよう、全力でぶつかりなさい」
ブリアー先生の宣言に、テラリウムドームのアリアドームが、割れんばかりの歓声で震えた。ここでオレは、まだ決着をつけていない「宿題」を、全部片付けるつもりだった。
最初にオレの前に立ちはだかったのは、あいつだった。
「サトシさんっ……ずっと、この日を待ってました!」
ホップ。ガラル出身の、闘志の塊みたいな男。あの学園バトル大会の予選で、オレに「宣戦布告」をしてきた、あの日から――こいつはずっと、勝ち上がってきたんだ。
「オレの兄貴は、ダンデ。……世界最強って呼ばれてた、あの人だ。でも、その兄貴を五年前に倒して、ワールドチャンピオンになったのが……サトシさん、あんただ」
ホップの拳が、震えていた。恐れじゃない。歓喜の震えだ。
「兄貴を超えたいって、ずっと思ってた。でも、いつからか気づいたんだ。オレが本当に超えなきゃいけない背中は、兄貴を倒したあんたの……その熱さなんだって。だから――勝負だ、サトシさん!」
(……ホップ。お前は、ちゃんと自分の道を見つけたんだな)
「望むところだ、ホップ! いくぞ、ピカチュウ!」
「ピカチュウ!」
ホップのエースが唸りを上げ、テラスタルの光が弾ける。こいつのバトルは、もう「兄貴の真似」なんかじゃなかった。泥臭くて、真っ直ぐで、諦めが悪い――オレが一番よく知っている、あの戦い方だ。
激闘の末、オレはピカチュウの一撃で、辛くもホップを退けた。だが、勝敗以上に、オレの胸を打つものがあった。
「……っ、参った……! でも、届いた気がするんだ。あんたの、その背中に……ほんの少しだけ、指先が!」
倒れ込みながら、ホップは笑っていた。悔しさより、清々しさが勝った、最高の笑顔で。
「サトシさん。オレ、いつか本当にあんたと並ぶ。……その時は、兄貴も交えて、三人で本気の勝負をしようぜ!」
「ああ、約束だ。オレも、その日まで立ち止まらねえよ」
5年間、ずっとオレを追いかけてきた一人の少年の「宣戦布告」に、オレはようやく、王者として正面から応えることができた。
そして――決勝トーナメントの舞台に、忘れられない顔が現れた。
「よお、サトシ。約束、覚えてるかい?」
深碧色のコートをはためかせ、長靴を履いたニャースを肩に乗せた青年。テツヤだ。
かつて、ホウエンリーグ・サイユウ大会。あの決勝トーナメントで、オレはこの男に敗れた。最後の最後、ピカチュウとこいつのニャースが、アイアンテールをぶつけ合って――倒れたのは、ピカチュウの方だった。オレのリーグ制覇の夢を、ベスト8で断ち切った男。それが、テツヤだ。
「体育祭のとき、言ったよな。『次はオレと本気で勝負しろ』って。……特別ゲストとして招かれてよかったぜ。この因縁、今日こそ精算しようじゃないか」
観客席で、ハルカが身を乗り出した。サイユウ軒のラーメンで意気投合した、食い意地の張った旅仲間。テツヤとの再会が、よほど嬉しいらしい。
「サトシ! テツヤさん! 二人とも、最高の勝負を見せてよねっ!」
「ハルカも相変わらずだな。……よし、いくぜテツヤ。あの日の続きだ!」
バトルは、あの日の再現だった。テツヤのヒット&アウェイ。相手の攻撃を敢えて相殺して勢いを削ぐ、主導権を渡さない老獪な戦い。そして最後は――やはり、ピカチュウとニャースの一騎打ちになった。
「ニャース、アイアンテール!」
「ピカチュウ、お前もだ……全部ぶつけろ、アイアンテールッ!」
鋼と鋼が、火花を散らして真正面からぶつかり合う。あの日と同じ構図。あの日と同じ、鼓膜を裂くような衝突音。
――でも、今日のオレたちは、あの日のオレたちじゃない。
世界の頂点を知り、数えきれない絆をこの背中に負って、それでも笑って前を向いてきた、5年分の重み。その全部が、ピカチュウの尻尾に乗っていた。
弾き飛ばされて膝をついたのは――ニャースの方だった。
「……はは。参ったよ。オレたちの負けだ」
テツヤは、悔しそうに、けれどどこか満足げに、ニャースを抱き上げた。
「サトシ。あの日オレが勝ったのは、ほんの紙一重だった。……お前は、あの一敗を、こんなに立派な『今』に変えたんだな。ホウエンで負けた借り、たった今、耳を揃えて返してもらったぜ」
「テツヤ……。ありがとう。あの日の悔しさがあったから、オレはここまで来られたんだ」
10年近く胸の奥に刺さっていた、ホウエンの棘。それが今、最高の形で抜け落ちていく。負けたまま終わった因縁を、ちゃんと勝ち切って未来に変える。これも、オレがつけなきゃいけなかった決着の一つだった。
控え室に戻る途中、壁にもたれてオレを待っている男がいた。シンジだ。
「……フン。あの日、この学園の予選でオレに勝った時は、まぐれだと思っていた」
感情を排し、理論と効率だけを信じてきた、宿命のライバル。だが、その瞳の奥には、以前はなかった何かが宿っていた。
「だが、今日のお前を見て、認めざるを得ん。……ホップの執念も、テツヤの経験も、お前は『絆』などという非合理な力で上回ってみせた。オレには、生涯かかっても再現できないデータだ」
「シンジ、それは……」
「勘違いするな。オレの流儀を曲げるつもりはない。……だが」
シンジは、ほんの少しだけ、口の端を上げた。あの氷のような男が、確かに、笑ったんだ。
「その非合理な熱量が、時に理論を凌駕する。……その一点だけは、記録しておいてやる。いい試合だった、サトシ」
それだけ言い残して、シンジは去っていった。だが、その背中はもう、オレを突き放すだけのものじゃなかった。
(シンジ……お前とオレは、きっと一生、違う道から同じ頂を目指すんだ)
大会の喧騒が一段落した、その裏で。もう一つ、静かな「決着」がついていた。
学園の医務室兼・栄養管理室。そこで、白衣のブリアー先生と向かい合っているのは、タケシだった。
「ブリアー先生。……俺は、この学園で答えを見つけました」
ケンジと一緒に様子を窺っていたオレは、思わず息を呑んだ。かつてタケシは、この情熱的な研究者に全てを懸けて告白し、そして敗れている。だが今日のタケシの顔には、あの頃の浮ついた熱はなかった。
「先生に振られたあの日、俺は気づいたんです。俺が本当に守りたかったのは、誰か一人の心じゃない。……ポケモンと、それを愛するすべての人の『健康』だったって」
タケシは、大会でボロボロになったポケモンたちのために、寝る間も惜しんで特製の回復食を作り続けていた。その手つきは、恋する男のものじゃなく、完全に一人の「専門家」のものだった。
「フフ。……ようやく、ね」
ブリアー先生は、優しく微笑んだ。
「タケシ君。あなたの『愛の形』は、告白の言葉じゃなく、その手の中にある。ポケモンドクター――それが、あなたが世界に捧げるべき情熱よ。私はあなたを振ったんじゃない。あなたを、あなたの本当の道へ送り出したの」
「……はい。ありがとうございました、先生。俺、一流のポケモンドクターになります。世界中のポケモンとトレーナーを、この手で笑顔にしてみせる」
隣で、ケンジがそっとスケッチブックを閉じた。いつもならタケシの暴走を止める役目のケンジが、今日ばかりは、その横顔を静かに描き留めていた。
「……サトシ。今日のタケシは、カッコいいな」
「ああ。オレたちの中で、一番最初に『大人』になったのは、タケシなのかもな」
女性を追いかけてばかりだった、あの賑やかな旅仲間。そいつが、遠回りの末に、ちゃんと自分の夢に辿り着いた。オレは、なんだか自分のことみたいに誇らしかった。
大会の閉会後。夕暮れのセントラルスクエアには、旅の全ての仲間とライバルが集まっていた。
シゲルが、いつもの不敵な笑みで肩を叩いてくる。
「サトシ。宿題は、全部片付いたみたいだな」
「ああ。ホップにも、テツヤにも、シンジにも……ちゃんと向き合えた。お前のおかげでもあるぜ、シゲル」
アランが静かに頷き、グラジオが腕を組んだまま、微かに口元を緩めた。
「守るものがある強さ。……お前は、それをバトルでも、それ以外でも証明してみせた。もう、オレがお前に言うことは何もない」
カキが炎のような笑みを浮かべ、ハウがマラサダを配り歩き、マーマネが「感情エネルギーの観測値が、過去最高だよ」とスマホロトムを覗き込む。デントは「実に芳醇なフィナーレのアロマだ」とグラスを掲げ、シトロンとユリーカが「学園生活、大・成・功!」とはしゃいでいる。
その、賑やかで、温かくて、少しだけ眩しい光景の中心で。オレは、隣に立つ、たった一人のパートナーの手を、そっと握った。
(決着は、ついた。……でも、オレの本当の目標は、まだ果たされていない)
真のポケモンマスター。5年前、世界の頂点に立ってもなお、オレの前に残されたままの、究極の道。
その答えを見つけるための、最後の冒険が――もう、すぐそこまで来ていた。
「ピカチュウ。……次で、最後だ。オレたちの答えを、見つけに行こうぜ」
「ピカッ!」
肩の相棒が、力強く鳴いた。夕陽に染まるテラリウムの空を、オレは真っ直ぐに見上げた。