術式「反重力機構」   作:相川

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決別の時、来たれり。

 さて、つい先日の模擬戦を見たことで世界の広さを痛感したわけだが。

 基礎的な鍛錬と現時点での課題を解決するために、地道な訓練を積みながら己の術式について思いついたことも色々とメモしている。

 

 一つ。拡張術式への挑戦。

 俺の術式「反重力機構」は、言ってしまえば重力を相殺することで重力から解放される術式である。これは、重力という力と同じだけの力を反対方向へと出力していると捉えることもできる。

 

 その解釈を利用し、好きな方向にベクトルを出力し操作するという拡張術式が作れないかと考えた。

 しかし、そんなこと簡単にはできない。そもそも、デフォルトで備わっているのは一方向への力の生成。というより、力の打ち消しである。

 

 しかし、ことはそう単純ではなかった。

 

 何故ならば、重力を相殺する力の生成ということ自体、俺自身が体感できないからだ。

 俺の術式は、何というかブラックボックスが多い。『そういうもの』として使うべきもののような気すら感じる。

 

 術式を発動すると俺にもよくわからないが重力がなくなり、浮くことができる。そこにどのようなメソッドがあるのか分からない。

 

 即ち、『重力を相殺する力』が仮にあったとして、というかあるはずなのだが俺自身がそれを知覚できない。どうやって歩いているの? 理論的に説明してと問われても不可能なように、あって当たり前の力を理屈に落とし込めない。知覚できないものをいくら操作しようとしてもできるはずがない。

 

 ベクトル操作という拡張術式を物にするためには、ベクトルを操作している実感がなければスタート地点にも立てないのだ。そして、俺はスタートに立つことすらままならない。

 

 しかしまあ、ここで諦めてはならない。諦めたらそこで試合終了だと安西先生も言っていた。

 これは即ち、行動に移さなければ求める結果が返ってくる可能性は0だが、何かしら行動しているうちは極僅かでも可能性があるという教えに他ならない。

 

 ありがとうバスケを愛するもの。おかげで俺は挫けずに済みそうです。

 

 さて、拡張術式を作るにあたり新たな課題が発生した。

 

 それは、力の操作を実感すること。どういうメソッドで反重力機構は作動しているのかという輪郭だけでも掴めればよい。

 

 じゃあどうするのか。このままぼんやりと己の術式の理解を深めるために考察に耽るのか。

 

 

 否! もっと単純かつ、分かりやすく力の操作を実感できる方法がある。

 

 それこそ――

 

 

 ――術式反転

 

 

 俺の術式が反重力ならば、反転した術式は重力を発生させるものになるはずだ。そして、重力の操作ならば俺が実感できる次元のベクトルの操作になるはずである。

 

 いや、イメージしやすくなると言ったほうがいいかもしれない。

 

 反重力という実際に体験したことのない力を知覚できないのは仕方ない。しかし、常日頃から感じているこの重力に何らかの干渉をする効果になるのだとしたら、確実にベクトルの流れを実感しやすくなるはずだ。

 

 少なくとも、順転よりは実感しやすくなるはずである。

 

 というより、この拡張術式はベクトルを自在に操るという能力になる以上、術式反転の習得は必須といえる。

 

 つまり俺は、この拡張術式を手に入れるために反転術式を習得しなければならなくなったわけだ!

 

 先が長い!!

 

 というより、俺は捕らぬ狸の皮算用をしている!

 

 未だ出力と持続時間の壁があるというのに、次に出てくる課題が反転術式だと!?

 

 きっつ。

 

 いやー、嫌になるね。何にってこの程度にきついって思ってる俺の不甲斐なさに。

 

 俺は見たはずだ。呪術の何たるかを。先の模擬戦で、兄者が敗れた相手の術式を。

 あんなものがあるのだ。俺の術式だって鍛えればあれほどの効果を持つ物になることだって夢ではないはずだ。

 

 俺が感じた反重力機構の可能性を俺が閉ざすことなど、あってはならない!

 

 重力操作なんて、男のロマンなのだから!

 

 何人たりとも、男の子からロマンを奪うことなど、できはしない!!

 

 

 ▲▽▲▽

 

 

 天正10年6月10日。織田信長、本能寺にて明智光秀の手により謀殺。

 それを受け、同年6月13日。羽柴軍、及び明智軍が山崎にて激突。

 

 無論、この戦いにおいて呪術戦も勃発する。

 

 両軍に所属する呪術師たちによる呪い合いは熾烈を極めた。

 非術師である武将たちを差し置いて、呪術師たちによる戦いこそ戦の趨勢を分ける一大要因だと言わんばかりに、彼らの活躍をその目に刻んだ。

 

 これに対し、呪術御三家は表立っては動かない。呪術界の重鎮たる彼らが動くのは、呪術的な問題が発生した場合、または朝廷からの命令が出た場合のみ。

 

 どの陣営にも所属しない呪術師が参加するという事実は、対外的に大きな瑕となる。

 

 しかしながら、自らの立場を隠すことで個人的に参加するような奴はいた。

 

 加茂実重。

 

 彼もまた、個人的に戦に参加した愚か者である。

 

 自身の成長曲線に限界を感じていた彼は、戦という血みどろの戦いをこの身で経験することで、呪術師としての己を飛躍的に成長させることができるだろうと確信していた。

 

 斯くして、自身の所属を隠し個人として戦場に野次馬することで実戦経験を積むことを目的とした彼は、戦という極限の集中力を要する場にて、呪力の核心をつかむに至る。

 

 一瞬先に絶命の可能性をひしひしと感じる、自分の行動一つ一つが命がけな戦場において加茂実重の実力はみるみるうちに上がっていった。

 

 元より、これまでの15年でコツコツと実力を身に着けてきた彼に足りなかったのは格上との戦闘。そして、命を懸けた殺し合いである。

 

 四方八方が彼の眠っていた潜在能力を無理やりにでも引き出す相手ばかり。

 

 ――極限の集中。

 

 刀剣が舞い、鉛玉が横切る。耳を劈く叫び声が、命の灯を吹き消さんと迫ってくる。

 顔も知らぬ呪術師が、己を消さんと迫りくる。呪術師の首という名誉を寄越せと、武士は刀を振るい抜く。

 

 四方八方、敵、敵、敵。

 

 一瞬の油断が命取り。一歩の間違いが致命的。前後左右に死地はあり。

 

 ――極限の集中。

 

 鉛玉が肩に命中。刀の一閃が脇腹を切り裂く。名も知らぬ術式の一撃に気を失いそうになる。

 

 痛み。苦しみ。怒り。哀しみ。

 

 戦場を支配する負の感情に、自らが吞まれそうになる。

 

 それら全てを考えない。全ての思考は後回し。ここは天下の分かれ道。

 

 止まるか、進むか。

 死ぬか、生きるか。

 

 この戦場では二つに一つ。弱肉強食、自然の摂理。ならば私はどちらを掴むか。

 

(――無論、後者なればこそ!!)

 

 

 ――黒閃!!!

 

 

 打撃との誤差0.000001秒以内に呪力が衝突した瞬間。

 

 空間は歪み。

 

 呪力は黒く光る。

 

 加茂実重のボルテージは上がり、120%のポテンシャルを引き出すに至った。

 

 これより彼は、六度。黒い火花に愛される。

 

 

 ▲▽▲▽

 

 

 実力を向上させるには、実際に戦うのが一番だということはこれまでの人生でなんとなく分かっていた。

 初めて呪霊を払ったあの日、初めて呪術による対人戦を経験したあの日。その日を機に、飛躍的に自身の実力が向上した日というのはある。

 

 実戦経験以上に益となる学習の機会はない。

 

 俺はそう考えている。

 無論、その場で何を学んだか。新たな何かを掴むことができたかどうかが大切なのであって、何も考えずに戦闘狂いになれという話ではない。

 

 しかしだ。俺は生まれてこの方18年。そろそろ成長限界というものを感じていた。

 

 命を懸けた戦闘の経験はある。呪術師ならば、呪霊を払うという段階でそれは既に経験して然るべきだ。

 対人戦の経験もある。家の人間と模擬戦闘を行ったり、偶に呪詛師討伐に駆り出されることもある。

 

 だが、俺は本当の意味で『戦場』を経験していないのではないかと思った。

 

 本当の殺し合い。命が軽く奪い取られる正しく戦場での経験は、人を成長させることができるのではないか。

 殺し合いの何たるか。戦争の何たるかを肌で実感することができれば、俺はまた成長できるのでは?

 

 と、当時の俺はそう考えた。

 

 平時の俺ならば到底考えない狂気の発想。

 自らの命をドブに捨てるも同義なその考えを抱いたのは、偏にこれに尽きる。

 

 ぶっちゃけ焦っていた。

 

 15年も掛けているというのに、未だ自分の術式に満足できていないという事実に。

 

 だって、呪霊討伐も立派な命がけの戦いのはずなのに。肌を劈くあの感覚は本物だったはずなのに。俺の努力は着々と身を結んでいるはずなのに。

 だが、それではダメなのだ。かつて見た、あの呪術を超えられない。兄者を倒したあの無下限に届かない。

 

 誰にもだ。誰にも追いつけない。

 俺が足踏みしている間に、他の人間は一歩、また一歩と先を行く。

 

 ――置いて行かれる。

 

 その焦りが、俺から冷静さを奪った。

 

 冷静さが欠けた俺は、いつもだったら考えもしないある一つの可能性を捉える。

 

 俺は未だ一度も『死にかけていない』ではないか。

 

 現代の価値観とそれに付随する保身によって、俺はいつも本当の『命がけ』を体験していない。呪霊討伐の際も、危なくなったら逃げるに徹していた。

 

 死んだら術式どころではないから。可能性の探求ができなくなるから。命あっての物種だから。そういう言い訳。……いや、正論を並べ立てて俺は狂気を押しとどめていた。

 

 だが、呪力とは人間の負の感情から捻出されるもの。『死』を間近に感じた呪術師は、一層強くなるのではないか?

 

 今思えば、馬鹿なことを考え、馬鹿なことをしたと思う。まさかそんな発想になるなんて思わなかったし、今まで命大事にでやってきた俺の現代価値観が侵食されているような気さえしてくる。

 

 だがまあ、今回の件で分かった。

 

 呪術師というのは、そんな甘い考えで強くなれるほど都合のいい存在ではないことが。

 

 山崎での戦に参戦し、黒閃を体験してから目に見えて呪力操作の技術が上がっている。呪力の何たるかを実感できている。自らの術式に生じる力の輪郭を掴みかけている。

 

 七度、黒い火花は微笑み。燻っていた俺の成長を促した。潜在的なポテンシャルを解放し、気づけば反転術式の輪郭も掴むに至った。

 

 今の今まで、漠然と力の流れ・方向を実感するということを考えていたからだろうか。

 

 黒閃を経験したことで呪力操作技術が上がり、呪力というのは腹で回し、反転術式は脳を基準として回すのだということが理解できた。

 

 漫画の主人公もそうだった。

 

 絶対的なピンチ。それを覆すことで強くなる。そういうものだったのだろう。

 

 俺は、無意識のうちにセーブしていたのかもしれない。現代人としての倫理が、無意識のうちに一線を引いていたのだろう。

 

 それは本来、人としては好いものだ。生存本能と言ってもいい。だが、今の呪術師(おれ)にはいらないものだ。

 

 それが、此度の戦いで証明されてしまった。

 故に、決別の時は来た。

 

 さようならだ、未来(現代)の俺。そしてようこそ、呪術師としての俺。

 

 さて、理知的な狂気を宿し、今度こそ、この術式の可能性を広げよう。

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