術式「反重力機構」 作:相川
実重は術式対象を自分自身に指定することで、自身にかかる重力の影響を、軽減する方向にならば自在に設定することができる。
持続時間は未だ10秒であるが、戦いにおいて10秒とは非常に貴重な時間。戦闘目的ならば十分な持続時間と言える。
しかし、その持続時間を過ぎると術式の再度使用までに6、7秒ほどのインターバルを要することになる。
(このインターバルを踏み倒す方法はないか模索してたんだけどな。まあ、だったら持続時間を延ばせばいいんだけど。今に関してはこのインターバルが邪魔すぎる)
目の前の強敵相手に、術式が使えなくなる時間が存在するという事実が、実重の不安要素となっていた。
右腕は力を入れようにも上手く力が入らなくなっているうえに、左手は手首から先が無くなっている。
幸か不幸か、失血死の心配はしなくても良い。
電撃によって傷口が焼かれているためだ。
しかし、時間をかければかけるほど左手がくっつく可能性は低くなる。呪術的にこの状態が正常だと認識されれば、たとえ反転術式だろうと治癒は不可能だろう。
(さっきから反転術式を試してはいるものの、全然上手くいかん。いや、少しは掴めてきたのかかすり傷程度なら時間をかければ治せるようになってきているが……)
とはいえ、未だ輪郭。真に反転術式と言えるほどにまで習得したわけではない。言うなれば、反転術式擬き。
しかし、掴みかけていることは事実。
そのようなことを考えながら、重力による影響を減らし、高速移動を可能とした実重は目にもとまらぬ速さで鹿紫雲を襲う。
鹿紫雲も鹿紫雲で、実重のその動きに冷静に対処し反撃を食らわせようとしているが、重力という物理法則から脱却し、癖のある動きをする実重の攻撃を予測することは難しかった。
(さっきから動きが読みづらい。鞠が跳ねるように動くときもあれば、紙が風に飛ばされるみたいに動くときもありやがる。その癖、速い。動きに緩急がついているから、攻撃の機会を掴みづらい。……厄介だな)
カウンターを仕掛けようにも攻撃のタイミングを掴めず、かといってこちらから攻撃を仕掛けようにも純粋に速さで劣る。打撃とともに電荷を移すことで稲妻を放つ鹿紫雲にとって、打撃の機会を掴めないというのも痛手であった。
鹿紫雲にとって、厄介極まる相手。
しかし、実重もこの状態が無限に続くわけではない。
(……そろそろ、術式の持続時間が来る。インターバルを少しでも稼ぐために、距離を取るか)
術式終了後、再度術式を使用するための6、7秒。それを少しでも稼ぐために、実重は鹿紫雲を全力で殴り飛ばす。
今までとは大きく異なる一撃に、鹿紫雲は一気に吹っ飛ばされた。
木々をなぎ倒し、土ぼこりを上げて吹き飛ばされた鹿紫雲は、しかしダメージとしては軽微。
この程度で倒せる相手ではないと分かってはいたが、全力の一撃を難なく受けきっている鹿紫雲を見ると、苦い表情を隠しきれない。
「おい。オマエ、名は?」
術式終了後のインターバルを少しでも稼ごうと、術式終了直前に全力で殴り飛ばした鹿紫雲が戻ってくる。
そして、実重に対して名を聞いた。
そういえば、お互いまだ名乗っていなかったかと思いながら、術式の再使用までの時間を稼ぐのには丁度良いと素直に名乗る。
「……加茂実重。そっちは?」
「鹿紫雲一」
両者とも名乗りを上げたことで、この戦いは仕切り直しと相成った。
そうして、次の瞬間には鹿紫雲が如意棒で実重へと肉薄する。純粋な身体能力、実戦経験の差により術式を用いない実力は鹿紫雲に軍配が上がる。
だが。
「馬鹿正直に肉弾戦をするかよ」
実重は、鹿紫雲に一瞬触れたことで術式対象を再度鹿紫雲とする。
重力を失ったことで自身の肉体を思うように制御できなくなった鹿紫雲に対し、再び打撃を加える。今度は地面に向かって。
ほとんど動かなくなった右腕を無理やり動かし頭を掴み、鹿紫雲を地に伏せさせた。
(……さすがにダメか)
鹿紫雲の呪力特性である電気。それを攻略する術として、地面に無理やり放電させることができるのではないかと考えたが、そう甘くはなかったらしい。
それを確信次第すぐ彼から手を放す。
さすがに長時間触れたままでは感電死するためだ。
すると、実重が手を離したその瞬間、彼の顔面を鹿紫雲の打撃が掠めた。
無重力状態だというのに、的確に実重へと攻撃を仕掛けてきたその手腕。正に、戦いの鬼才。
「お前の術式、少し慣れてきたぜ」
「……そうか」
実重が先ほど無重力状態の鹿紫雲に対して入力した力の方向は、下方向。そのため、慣性による無制限の距離稼ぎとは至らなかった。
無重力状態であるにも関わらず、自身の肉体を制御し始めた鹿紫雲には驚くべきだろう。しかし、それでも動きのキレは先ほどの10分の1にも満たない。
加えて――。
「“俺の術式『反重力機構』は対象を無重力状態にする。術式の持続時間は10秒で、再使用まで6秒ほどの時間を要する”」
いったい何を言い出すのかと怪訝な表情を浮かべていた鹿紫雲に、久方ぶりの緊張が走る。
(……術式の開示!? ――出力がッ!?)
自らの手の内を晒すという“縛り”により術式効果を底上げする術式の開示。
反重力に慣れてきた鹿紫雲に対して、手っ取り早く出力を向上させる実重の一手であった。
刹那。
実重は鹿紫雲に対して距離を詰め、蹴りによる全力の一撃をお見舞いした。入力する力の方向は、上。
「空に落ちる気分を――味わったことはあるかな!?」
再び、無重力状態の鹿紫雲は上空へと投げ出された。
▲▽▲▽
空を落ち続けている鹿紫雲は、冷静に現状を分析していた。
実重からの術式の開示によって、自身がどのような状態であるのかは理解している。しかし、それを理解できたところでどのように戦場へと復帰するかであった。
これが両面宿儺であれば、空間の“面”を捉え蹴ることで戦場へと復帰していたことだろう。
しかし、鹿紫雲にそのような手段は期待できない。
(何か掴める物体でもあれば話は違ったんだろうが……。奴は的確に木の少ない場所を選んで俺を蹴り飛ばした。俺はこのまま空を上り続け、奴が言っていた術式の持続時間、10秒を契機に落とされる。如何に呪力で肉体を強化しようと、この速度のままなら即死は免れない高度まで到達するだろうな)
冷静に、人外じみた思考速度で解決策を模索する。
(奴に稲妻を落とそうにも、奴は極力俺との接触を避けていた。その上、俺からの接触はほとんど皆無。まだ電荷は溜まりきっていない。……術式を解放すれば、戦場へと帰還すること自体は恐らく可能だ……が、この場で使うには勿体ない)
鹿紫雲が稲妻を放つには、相手にプラス電荷を移す必要があり、それには接触が必須。
先ほどは電荷を移す暇がなかった上に、実重自身が鹿紫雲に触れることを警戒していた。
最早、取れる手段はないかに思われた。
(なら、賭けるか)
現在の鹿紫雲の位置。それから、未だ肉眼で把握できる距離にいる実重の位置。
先ほど、
(勝算は十分だな)
不敵な笑みを浮かべ、僅かながらに宙を舞う。少しでも勝算が高くなるように。
鹿紫雲一。一世一代の大博打に打って出る。
▲▽▲▽
一方で、実重は油断せず鹿紫雲の姿を捉えていた。
先ほどの稲妻を再び喰らえば、こちらの負けはほぼ確実。目で捉えることはできなかったが、せめて左腕を犠牲にかわすことなら可能だろう。
(あの稲妻……。恐らくだが、俺が避雷針のような状態になっていることで、俺に対して落ちてくるようになっている雷みたいなもんだ。ほぼ必中と考えたほうがいい。避けることは不可能だろう。だが、必中であることは必ずしも必殺ではない。落ちる場所をこちらで操作することができるのなら、命に支障が出ない場所を生贄にすればいい)
実重は、鹿紫雲が扱う稲妻が躱すことのできない必中のものであることを察していた。
――違和感。
しかし、それを差し置いても身体のどこかを犠牲にすることを容認すれば生き延びること自体は可能だ。
そして、自身が死ななけば術式を解除することはもうない。確実に鹿紫雲を葬り去るために、彼の必殺技であるあの稲妻に全神経を尖らせていた。
――違和感。
それさえ防げれば、対抗手段を失った鹿紫雲は自由落下の衝撃でそのまま死ぬか、死ななくとも気絶は確実だろう。
確実な勝利まであと一手。その一手を確実にするために、実重は鹿紫雲の稲妻を最優先で警戒していた。
――違和感。
脳裏を過る嫌な予感に、実重は冷や汗を流す。
だが、大丈夫なはずだ。あの稲妻さえ乗り切れば、こちらの勝ちは確実。これほどまでの死闘を戦い抜いたのだ。左手を失うのは惜しいが、それでもお釣りがくるほどの成果が得られた。それに、反転術式の輪郭も掴めている。
不安に思うことは何一つないはず……。
思考を振り切り、最優先で警戒すべき事象に全リソースを割こうとした、その瞬間。
(待て。あいつは確か如意棒を持っていたはず……)
一瞬。
空を落ちる鹿紫雲の手に、本来あるはずの如意がないことに気づく。
今までの戦いでは如意を用いた棒術でこちらを攻めてきていた鹿紫雲の手に、その得物の姿がない。
――違和感は、形を成した。
何故。いつ。なんのために。いやそれより、どこにある!?
(――まさか!?)
先ほど地面に叩きつけたその時に――。
「油断大敵だぜ? 重力使い!!」
上空から興奮気味の雷神が叫ぶ。
――バリッ!!
黄色の閃光は、地から主へと回帰する。
その線上にいた実重の左わき腹を抉りながら。
鹿紫雲は、電荷を溜めなければ稲妻を放つことはできない。
しかし、電荷を溜めることができるのは何も術師の肉体だけではない。鹿紫雲は自身の得物である如意に電荷を溜めていた。そして、その電荷を帰還電撃で引き戻すことでその線上にいる相手へと稲妻を放つことができる。
そして、鹿紫雲は先ほど実重によって地に叩き伏せられていたその瞬間、地面に如意を埋め込んでいた。
再び、空へと放たれた時、その時に実重へと十分な呪力を込められていなかった場合に備えた、保険。
戦場の何手先をも読み切った、“雷神”の稲妻が、空へと落ちる。
左わき腹を失ったことによるショックで、実重は倒れることしかできない。気を失い、術式の効果が切れる。
それにより、鹿紫雲は地へと帰還した。
「じゃあな、加茂実重。今までで一番――楽しかったよ」
目の前の強敵を確実に葬る。そのために、鹿紫雲は最後の一撃をお見舞いしようと地に埋め込んだ如意を取り出し、呪力を込めて全力で頭を潰さんと振り抜いた。
――死
最早実重に命の灯はなく、蠟燭の火種は消え去った。鹿紫雲の一撃を以て、本当に死に至るだろう。
だが、呪術師の成長曲線は必ずしも緩やかでは、ない。
負の感情を糧に発生する呪力。それを操る呪術師にとって、『死』とは、絶好の機会。
既に輪郭を掴みかけていた反転術式、その実態。
(痛い。暗い。寒い。空しい。これが――死。
これが、死の気配! 待ち焦がれた強敵との死闘による死にかけの状態!! ここで掴む、呪力の核心!!)
死にかけ、意識を手放しかけたその瞬間にも、呪術の探求をやめなかった狂気の所業。
一瞬が何千、何万秒にも感じる主観時間の中、実重は死に際故に、探索する呪力の核心。
探す。探す。探す。探す。
呪力の何たるか。呪力を掛け合わせることで発生する正のエネルギーとは何なのか。
黒閃を経て掴んだ呪力の核心。それとはまた異なる、呪力の核心。それを求めて実重は彷徨う。
彷徨い、藻掻いた果てに、一筋の光を――
(――――掴んだ)
ここに、一人の呪術師は掴んだ。
例え一流の呪術師だろうと、使用することが困難とされる反転術式、その実態を。