そんな素晴らしい暖かさの中にイレギュラーが一つ。
「……きてー」
何かが俺を呼んでいるような気がする。しかし今はこの混濁とした意識が気持ちいいのだ。簡単に起こされては困る。
「……ろー。……きーろー。おーきーろーって、言ってるのー‼︎」
「イタッ!」
パシコーンという、心地よい破裂音が閑静な神社に響き渡る。
せっかく快眠してたのに……なんで起こされないといけないんだよ……。
どこかデジャブのようなものを感じつつ、ゆっくりと体を起こしながら俺のことをひっぱたいてきた本人を見つけ睨もうとすると、ピタリと、身体が動かなくなった。
別に真上にきた太陽が眩しかったわけではない。首を寝違えててあまりの痛みに身動きが取れなくなったわけでもない。……というよりは、屋根の上で寝違えるような体勢取ってたらまず間違いなく落ちてるな。
まあとりあえず身体が動かなくなったのだ。…………理由? そんなもの俺を起こした人物以外にあるはずがないじゃないか。
今俺は蛇に睨まれたカエル状態である。このまま首を動かして悠々とその尊顔を拝謁した暁には、何が起こるかわかったもんじゃない。っていうかわかりたくない。
そんな超緊張状態で膠着していると、いい加減しびれを切らした諏訪子が俺の頭をもう一度ひっぱたいた。
「いったっ!」
それでさっきまで硬直していた身体の緊張が解れ、自由に動けるようになった。
今度こそ文句を言おうと、諏訪子をおもいっきし睨み返すと、俺は嫌なものを見てしまう。
先ほど俺を叩いたブツであろう特徴的な帽子を片手に持ちながら、ありえないぐらい満面の、幸せの絶頂の時でさえ見せることがないくらいの笑顔を浮かべている。俺はその姿を……見たことがある。──つい昨日に。
ヤバいッ! 死ぬッ! 謝れ俺! この命を過労で失ってしまう前に!
「わ、悪かった諏訪子その、えーっと、そうだ確か仕事を探してもらってたんだよなそうだったそうだった。だからその、早く教えてくれないか、ちゃっちゃと終わらせるから。寝てたことは悪かった、できることならなんでもしてやるから許し──」
慌てて口を抑える。ミスった……焦りのあまり、一番言ってはいけないものを口走った気がする。
その証拠に、諏訪子はピクリと片眉を吊り上げている。
「ふーん。今何でもするって言ったよね? なら、私の仕事もちょっとはやってもらおーっと。異論はもちろん無いよね?」
くっ……反論できない、か。
……んー。しかし、あまりにも横暴じゃないですかねぇ。いくら居候の身分であっても、俺は雑用係じゃないんだが……。ちなみに言うともっとえらいはずなんだが……。
そういう意味を込めて怨嗟の視線を送ると、諏訪子はあからさまに不機嫌そうに眉をひそめた。
「誰が他人の家ぶち壊したと思ってんの?」
「いや、それはさっき直した──」
「問答無用! というかまだ清算できてないんだけど」
……?
キッチリと本殿は修理したし、砂利だって集め終わったんだが……?
他に何が終わってないんだろうか。
俺が不思議そうに首を傾げているのを見て、諏訪子ははぁ、と大きくため息を吐いた。
「野次馬。あれだけの見物人に対してどう言い訳するのさ」
「あ」
そうだ。確かにギャラリーのことを完璧に失念していた。確かにギャラリーの対処も俺の管轄だったな。
「というわけで、今から言うことをしっかりと覚えて今日中に終わらせること」
それだけ言って、今度はつらつらと仕事内容を述べていく。
俺はそれを一語一句聞き漏らさないように、しっかりと耳を傾けて暗記する。
一つ二つと仕事が増え、十を超えるほどになった時、やっと長々とした言葉の羅列が諏訪子の口から発せられなくなった。
もちろん聞いている途中から絶望しか感じなくなったが。
「はぁ……。嘘だろ……」
あまりの多さに思わず口から予期せぬ言葉が出てしまった。これは俺、社畜デビューかな?
なんにせよ、一日で終わる仕事量ではなかった。……やらなかったら晩飯抜きとか言われそうだからちゃんとやるけどさ。
うー……いつから諏訪子は俺のオカンになったんだ……。素晴らしいくらいしつけられてる気がするぜ。
まあ、行動しないことには何も始まらない。ある程度しっかりやっていれば、仕事が終わってなくても許してくれるだろう。
「ふう、……やるか」
俺は静かに気合いを入れる。
「おおー。頑張ってねー」
ありえないぐらいに他人事として扱っている諏訪子に若干の憤りを覚えるが、今は考えないようにする。
俺は頭の中でやることリストを整理した。そして比較的簡単なものをピックアップしていく。
ある程度めんどくささ順に並べ替え終わると、俺は神社を飛び立った。
「いってらっしゃーい」
後ろから諏訪子が声をかけてくる。俺はそれに対して振り返ることはせずに、軽く手をあげるだけで応えた。……ちょっとキザっぽかったかな?
◇◆◇
「えーっと、あれが終わったから次は……」
まだ残っているものを考える。
んー……野菜の収穫は終わっただろ。んで、家の修繕も手伝ったし……子守もやった。病人の看護もやって……あと残ってんのは、外に行って薬草を収穫するのと、ついでに付近まで近づいてきている妖怪の退治だな。
なんだ、結構あると思ってたけど意外に少ないな。……まあ子守が結構ダブってたからか。子守といっても子供の遊び相手をするだけだったんで、楽だった。
ふと天を仰ぐとすでに陽は傾いてきており、そろそろ急がないとまずいかもしれない。
ここら辺の夜はめちゃくちゃ星が綺麗なんだが、同時に足元はなにも見えなくなってしまう。……別に俺自身は能力があるから問題ないんだが、この場所がわからなくなるのだ。
「よし、急ごう」
俺は空を飛んで諏訪の国をあとにする。ついでに妖怪退治も終わらせてしまおう。
住民には、諏訪子と同じ神様っていうことを嘘偽りなく伝えた上で、受け入れてもらっている。なんと心の広い住民であろうか。ちなみに俺のことはただの旅人として扱ってくれていいと断っておいた。……まさか諏訪子みたいな扱いを受けるわけではなかろう。
ある程度飛んでいくと、眼下には柵が見える。俺はその柵を越えて森の近くに降り立った。
「っと。確か必要な薬草は、ヨモギとツルナ、フヂナにオオバコ……だったか」
そう言って、背負っているカゴからその四つを取り出した。これは、まだ植物の見分けがついていない俺のために依頼主が渡してくれたものである。これで見間違う可能性が格段に減った。……フヂナとはおそらくだが見た感じタンポポのことである。それぐらいはわかるぜ。
ちなみにヨモギは今が季節じゃないみたいだし、ツルナはここら辺の野草じゃないらしいので、見つからなければそれで結構らしかった。その分オオバコ、特にフヂナはしっかり取ってきておくれよ、と念を押されたわけだが。
よし、と意気込んで森へと突入する。さっさと終わらせないと、俺の平穏な日々が訪れなくなってしまうので少し急ぎ足で探していく。
生い茂る緑、栄養のありそうな地面、微妙に湿気が多い空気、立派に育っている大木。
それらを見ていると、俺の少年心がくすぐられとてもワクワクしてくる。
しかし人の手が全く入っていない森は歩くのがとても難しく、一歩踏み出すだけで一苦労だ。
木の根っこが土に紛れて隆起してたり、一部だけめちゃくちゃ柔らかい地面があったりと、都会育ちの俺にとっては無縁の感覚を感じながら探していく。
……キノコとかなら白いし目立つからすぐに見つかるんだが、植物となると、いたるところに緑があってなかなかに骨が折れる。
獣道を辿っているからダメなんだろうか。かといって道をそれて行く気にもならないしなぁ。途中で曲がったらそれこそ道無き道を開拓していかなくてはならない。その分いろいろありそうな気はするが。
ブンブンと首を振ってその考えを振り払う。ダメだダメだ。山に不慣れな人間が変に冒険なんかしたらそれこそ何が起こるかわからん。
それでも血眼になって探していると、ふとあることに気づいた。
「俺、森に探しに行けって言われたっけ……?」
そう思い少し振り返ってみると、そんな言葉は聞いた覚えがなかった。
つまり、俺が早合点して森へ出てきてしまったのではないかという疑問が浮かんでくる。
そもそもタンポポなんかは森よりも人の歩く道に生えているイメージが強いし、オオバコなんかもそうだ。
「あー……これはやらかしたか……」
妖怪の退治なんかと一緒くたに考えてるからこういうことを起こすんだろうな。急がば回れ、短気は損気ってやつだ。……ちょっと違うか。
なんにせよ、森に来てしまった以上は先に妖怪に対してなんらかの処置を与えなくてはならない。
……ただ、元人間だからってだけで人側に肩入れするのはなんとなく腑に落ちないんだよなぁ。妖怪たちだって、生きるために人を襲うんだから俺の立場的には強く当たることができない。
ああ、もう。こういう時に俺の肩書きがめちゃくちゃ面倒である。どちら側の神でもない以上、平等に接しなければいけないんだから。
できれば言葉が通じる程度の知能は持っていてほしい。
「あ、そもそもどんな妖怪か聞いてないじゃん」
またもミスを発見する。……疲れているのだろうか、凡ミスばかりが目立つ。そりゃ疲れているか。あんだけ働いたら。
さすがにこれはどうにかなりそうにないので、もう一度クライアントのもとへと戻ると決める。
俺は上を見上げながら、ある程度開けている場所がないか探してみるも、なかなか見つからない。ここら一帯は草木が生い茂りすぎているようである。
「めんどく──」
さいなぁ、と言おうとして固まった。
言いようのない悪寒が俺の背筋を撫でていったからだ。足元から這い上がってくるような殺気により全身の身の毛がよだつ。
──ガサリと、近くの木々が揺れる。
瞬時に頭を切り替えた俺は、すぐに周囲を見回すも大きな影は見当たらず、じれったい時間が過ぎていった。数秒固まった状態で周囲を警戒していたが、だんだんとその悪寒と殺気は感じにくくなっていた。
退治対象の妖怪ならば、ある程度の力を持っているのだろう。俺は気配が感じなくなったからといって、無視して悠々と帰れるほどの肝っ玉を持ってはいないのだ。
俺は集中したまま、とりあえず体の緊張を解き脱力する。あまり無駄な力を入れていると身体が動かなくなるからである。
そしてもう一度念入りに周囲を見回して、何もいないのを確認してから帰宅の途につこうとした。
「……!」
しかし相手はどこかへ行ったわけでもないらしく、どこからともなく視線を感じる。
俺は体から神力をじんわりと地面へ流していく。このセンサーになんかが引っかかったらビンゴだ。
「……」
集中して、何か別の力を感知するか待ってみるも基本的には何もない。
「なんで、何もいないんだ……。……………!」
頭をひねって考えていると、突如俺の神力が一部で消滅した。
ありえない。何か力が働いたのならまだわかる。なのに、何の前触れもなく一瞬にして結構な量が消え去ったのだ。
これはおかしい。俺は単純に考えることなく、もう一度注意深く周囲を見回す。
すると────いた。一回りほど大きくなった黒い蛇が。
俺の腕から逃げていった、諏訪子の祟りがそこにいた。
そいつは俺のことをひと睨みすると、昨日と同じように草むらへと向かっていった。同時に殺気と悪寒もなくなる。
……なんだったんだ、アレは。あいつは俺の分身? んなわけないか。
この件については考えても結論が出ないはずだ。何しろ情報が少なすぎる。頭の片隅に置いておくだけでいいだろう。
「はぁ……」
今度こそ全身の力を抜ききった。どっと今まで蓄積されてきた疲れが押し寄せてきた気がする。
とりあえず家まで戻ろう。どうせここにいる意味は現状なくなったし、陽も完全に落ちたらなおさら面倒だ。
俺は真上へと飛び立つ。木の枝が大量にあるが、俺の早く家に向かいたいという気持ちの方が強いので止めるには至らない。
ガサガサと俺の肌を傷つけながらもなんとか上空へ出ることができた。
夕焼けが俺を朱く照らす。地平線の彼方へと沈みゆく太陽は、瞳を刺激することなく優しく疲れた俺を癒してくれた。
◇◆◇
ガラリと神社の居住スペースの戸を開ける。すでに陽は完全に落ちており、夜の闇が訪れていた。
ちなみにここに帰ってくる前に依頼主にちゃんと妖怪の特徴を聞いてきた。その特徴を脳内にイメージを描いてみると、この前そらちゃんを助けた際に撃退した妖怪だったということが判明した。あの熊である。
多分あいつの傷はまだ治っていないはずだから当分は動けないだろう、という旨を依頼主に伝えたところ、それでオッケーということになった。
薬草は……っと、家の中からいい匂いがする。
期待しながら居間みたいなところへ進んでいくと、……おお、美味そうな焼き魚が鎮座しておられる。
諏訪子たちはそれをいかにも美味そうに食べていた。
「お、優陽。おかえり」
「ゆーひ、おかえりー」
た、ただいま、と少しどもりながら答える。……なんか久しぶりにおかえりって言われた気がするな。
諏訪子は自分の食事を一旦止めて、パタパタと俺の分を準備してくれる。
……自分で用意しなくていいとか、長い間一人暮らししてたからだろうか、涙が出そうである。
やがて出てきた魚や米。出来立てを表す湯気が立ち上っていた。
それを食べた後、外の川で身体を洗いすぐに寝床についた。
身体を横にすると、足の方から倦怠感がやってきて次第に睡魔も襲ってくる。今日は昼寝したのにもう寝れるのか、と自分の身体に少し驚きながらも、俺は抵抗することをやめた。
閲覧ありがとうございました。
今回から次回予告というものを作ってみます。
洩矢神としての諏訪子へ宛てられた手紙。
それを見た諏訪子は怒り狂った。なだめる優陽とそら。
果たしてそのあいては……? 内容は……?
次回 第十三話 銀世界は静かな日常を終わらせる
いらなかったら言ってください。