──幻想郷。それは人と妖怪が共存することを目指すために創ろうとしている世界。
そんな夢みたいな理想郷、創れるわけがない。そんなことはわかりきっていた。だが、夢だからこそ叶えることができるかもしれない、というのもまた事実である。
こちらの瞳をじっと見つめてくる紫の紫眼には、この理想郷を創り上げるという決意と覚悟が見え隠れしていた。
「……時間をくれ。そうやすやすと請け負っていい願い事じゃない」
数分の思案の後、俺は紫にそう伝えた。一朝一夕、というよりたかが数分で結論を出していい問題ではない。雪輝と一緒に熟慮して答えを出さないと、紫にとっても俺たちにとってもメリットがない。
「そうよね。……判りました。ではまた明日、お昼過ぎに訪ねさせていただきますわ」
俺の意見が妥当だと思ったのか、紫は何も言わずに頷き、空間を裂いた。
「良いお返事を待っています」
心の底から切に願うような声で言い、紫はスッと裂け目の中へ消えていった。
「……優陽は、どうするの?」
裂けた空間が元どおりになるのを見届けてから、先ほどからずっと黙っていた雪輝が口を開いた。
俺は畳へ身を投げ出して、大の字になって体を伸ばす。足の痺れはなくなったものの、いろいろ疲れている。そんな体勢のまま俺は彼女の言葉を今一度頭の中で反芻した。
「わからん。けど、……うん。どうしようかなぁ。雪輝はどうだ?」
考えても結論が出ないし、俺はいつの間にか疲れた様子で壁にもたれていた雪輝に助けを求める。なんだかんだ言って雪輝はサッパリした性格だ。
「んー……どうって聞かれても……。わたしはその辺よくわかんないし……」
珍しく歯切れの悪い答えだった。これはつまり、俺自身が答えを出すしかないってことか。……まあ、ほとんど俺の答えは決まっているのだが。
「紫の夢って、実現すると思うか?」
「人と妖怪の共存だよね? わたしは……難しい、と思う」
若干の俯き加減で雪輝は答えた。
この言葉で雪輝の言葉の歯切れが悪い理由がわかった。雪輝は紫の夢が叶わぬものだとわかっているのだ。でも性根が優しい雪輝はそのことを正直に言えず、言葉を濁すしかなかったってことか。
「難しい、か……。でもできないことはないってことだよな? 俺は……完成させたい。絶対に」
「え……?」
雪輝は目を見開いて驚き、こちらの目をじっと覗き込んできた。
俺の答えは〝協力する〟だ。理由は……俺自身よくわからない。しかしなぜか手伝わなければいけない気がするのだ。
何が俺を突き動かしたのかは見当もつかない。過去の過ちが起きないような理想郷を俺が作りたいのか、それとも紫の眼がほっとけなかったのか。
「ホントにやる気なの?」
よほど予想外の答えだったのか、彼女はびっくりして目をまん丸にしたままだ。
そこまで言って雪輝は一度言葉を区切った。それから一語一句、うまく言葉に表せないのか数回口をパクパクさせてから、ようやく声になった。
「わ、わたしは…………………反対、かな」
「────!」
雪輝が俺から目を逸らし、綺麗な唇を血が出るほど噛みながら答えた。
初めてのことだった。……雪輝がきっぱりと俺に意見してきたのは。もちろん、今までにも意見が食い違ったことはあったが、それでもなんだかんだ大事な場面では合わせてくれた。
……明確に、受け入れることを拒否した雪輝の泣き出しそうなほど潤んだ空色の目を見ながら俺は訊いた。
「理由……聞かせてくれ」
「わかった」
それから雪輝はふう、と頭の中を整理するように一息を吐き、言葉を続けた。
「幻想郷を創るってことは、妖怪とかを呼び込むってことだよね? そうなるとどうしても危険になるし……わたしは妖怪相手に戦えないから優陽に任せちゃう」
声を濡らしながら、ゆっくりと一つ一つの言葉を編み出すように彼女は話す。
「任せちゃうと優陽が危険になる。幻想郷を創れなくなるかもしれない。そんなことにはしたくないから……。わたしがついていかなきゃいいんだろうけど……。わがままだって、わかってる。……わかってる。けど! わたしは今の生活……優陽といるの、結構好きだから」
──幻想郷を創るには自分が足手まといになる。
──つまり俺の願いを叶えるためにはここで別れなくてはならない。
──けどそんなことはしたくない。
──だからその計画に乗らないでくれ。
言葉足らずではあるが、暗にそう言っているのを俺はしっかりと感じることができた。が、しかし。腑に落ちないというか意味がわからない。理解不能である。
「なんで、俺がお前と別れること前提で話してんの?」
なぜ俺が幻想郷を創るために雪輝と別れる必要性があるのか。俺の旅に勝手に雪輝がついてきたといえばそれまでだが、かといって俺がここで別れるなどという選択肢を選ぶわけがない。そもそもそんな選択肢は存在していない。
「だ、だって……。優陽、その幻想郷絶対完成させたいって思ってるの伝わってくるもん。わたしがいると邪魔になる未来が見えるから……」
雪輝だけが一人歩きしている。自分の世界に入ってしまっていてこっちのことが見えてないのかもしれない。
俺はそんな雪輝の肩を掴んで前後に揺さぶりながら口を開く。
「一旦落ち着け。誰も別れるなんて言ってないし、そんな気も毛頭ない」
「え?」
ゆっくりと雪輝の顔が上がった。それから刹那の時を挟んで、みるみるうちに頬が真っ赤に染まっていく。非常にわかりやすい反応である。
「俺の言い方が確かに悪かった。幻想郷創るのなんて旅の片手間だから、お前が気にやむ必要なんてないの」
「そっそそ、そう。あーなんか暑いなー! ちょっと風に当たってくるね」
雪輝は顔を背け、俺の手を弾くようにして払いながらこちらとは一切顔を合わせようとせずに、部屋から出て行った。……俺の言い方が悪かったのは事実だが、なぜにあそこまで必死になるのか。
「……んー。よくわからん」
──しかしとりあえず、これから数日間顔を合わせてくれなさそうなのはわかった。
◇◆◇
翌日。
結局あの後雪輝は陽が落ちるまで出かけており、……というより俺が寝てから部屋に戻ったらしい。夕方過ぎからどうやって何時間も暇を潰したのか。永遠の謎である。
……と、永遠に解けない割とどうでもいい疑問の解を探しながら、俺たちは紫を待っていた。昨日、お昼過ぎにこちらへ来ると言っていたので待機中というわけだ。
紫を休ませた六畳の部屋には、これといってめぼしいものがない──他の部屋にめぼしいものがあるかと聞かれれば答えに詰まるが──ので、ぼけっとする。単純にやることがないのだ。
例によって、雪輝も同じ部屋にはいるもののこちらと話してくれなさそうなので余計にすることがない。目線を合わせようとするとそっぽを向かれる。
疲れた溜息を吐きながらふと天井を見上げると、落ち着く雰囲気を醸し出す木目が見えた。
暇なのでその木目を数える。ついでに似た形も探す。しかしものの数分で首が痛くなってきたのでやめた。痛くなった箇所を指圧してマッサージしながら、既視感を覚え懐かしいものを思い出した。
いつだったか、まだ永琳たちが地球にいた時代か。あの時は仕事らしい仕事をしており、今のようなぐーたらな生活など夢にも見なかっただろう。特に、異性と一つ屋根の下で暮らしているなど。
輝夜は、永琳は、みんなは元気にしているだろうか。……会いたいとは思わない。だが元気でいて欲しいなとは思う。
それにしても──紫は一体いつになったら来るんだ。俺たちが待機するのが早かっただけか? そんなことはない。太陽が真上を通り過ぎて傾き始めた時から待機しているのだ。お昼過ぎとしてこれ以上最適な時間はなかったはずだ。
「……おっそいなぁ」
おっと、口から本音が漏れてしまった。……まあ問題はないだろう。事実だし。間違ったことは言っていない。
──と。その声を聞いてか聞かずか、数分も経たないうちに臓腑を震わす重低音が部屋に響いた。
やっと来たか……と、つぶやきながら、ぼけっとした頭をクリアにしていく。重くなり始めていた瞼を開いた視線の先には一本の線が。そしてゆっくりと空間が裂ける。
その中から、ナイトキャップのずれた紫が少々テンパって出てきた。……見るからに寝坊かなんかだろう。ゆるくウェーブのかかった金髪が乱れており、こめかみには冷や汗が流れている。
「す、すいません。八雲紫、ただいま参上致しましたわ」
身なりを整えつつ、しかし心持ちだけは優雅に紫が口を開いた。がしかし。慌てている様子と絶妙に合わさってみていて面白い。背伸びをして大人ぶろうとしているところも可愛らしい。
「もうー。遅いよ紫ちゃん」
そんなことはお構いなしにいつの間にかこちら側へと寄ってきていた雪輝が、咎めるように言葉をかけた。雪輝自身怒っているわけではないのだが、紫も自身に非があることを認めているせいで、頭をかきながら黙り込んでしまう。
そのせいで粛然とした雰囲気が部屋を包み込んでしまった。皆が皆、言葉を発するのを躊躇うような沈黙。
……まあ大抵こういうのは俺が吹き飛ばす役目である。パンパンと、二回手を叩く。
「ほい。じゃあ紫には結論を伝えたいと思う」
裂け目から出てきて姿勢を崩していた紫が佇まいを直して正座をし、真剣にこちらの目を見てくる。しかしその瞳のうちにはすでに諦観が混じっているようである。
「こ、答えは……?」
震える声で問うてくる。その目を見つめながら伝える。
「協力、するよ」
刹那、紫の目から大粒の涙が滑り落ちた。その涙を隠すように、紫は俯く。
俺は、俺たちはそんな様子を見ながら、顔を合わせ同時に微笑んだ。──受けて良かった、と。
まだ何もしていない、始まったばかりである。しかし俺たちの行動一つでこんなにも喜んでくれる人がいる。それだけで俄然やる気が湧いてきた。
「理由を、……聞かせていただいても?」
「あ、それわたしも聞きたーい」
涙でぐちゃぐちゃになった顔をごしごし服で拭きながら、紫と雪輝が訊いてきた。……そういや雪輝にも理由は言ってなかったな。だからあんな勘違いされたのか。
「ハッキリ言おう。……俺自身あんまり理由はわかってない。昔あった過ちを二度と引き起こさないようにするためか、紫の目がほっとけないと思ったから、それとも……」
「えっ何それ。そんな理由なの?」
「優陽さん。さすがにそんな生半可な気持ちでは困ります」
言い切る前に女性陣から集中砲火を受けた。確かに理由が明確ではないし、生半可な気持ちだと受け止められても仕方ない。でも、俺はそんなつもり毛頭ない。
「生半可な気持ちのわけないだろ? 俺は紫の理想が素晴らしいと思った。それだけだよ。なんで素晴らしいと思ったのかがわからないだけ」
はぁー……と長ったらしいため息を雪輝にも吐かれた。なんだよ、と視線で訴えると「優陽らしいな、って思っただけ」と返ってきた。
そんな答えが腑に落ちないので、むすっとしていると紫が問うた。
「……では、本当に協力していただけるのですか?」
紫は俺と雪輝の二人を交互に見た。俺たちは意図せず声を合わせて答える。
『もちろん!』
◇◆◇
「では、最初の依頼をお願いします」
そう言いながら紫は優陽達に一枚の紙を渡した。口頭で伝えても良かったのだが、紙の方が忘れないし良いことが多いと思ったためである。
その紙には〝天狗らの誘致〟と書いておいた。幻想郷は人と妖怪の共存を目標としているので、きちんと対話できる程度に力の強い妖怪達が来て欲しいのだ。そこいらの木っ端妖怪では、ただ同じ場所で過ごすだけになってしまう。
やがて読み終えた優陽が怪訝な顔をした。
「そもそも妖怪を勧誘するって何すんの?」
優陽はどうやら交渉してからのことが気になったらしい。そこで紫は、自身の能力〝境界を操る程度の能力〟を使って背後にスキマを作り出した。
「ただ交渉して頂ければ。その後の諸々はこれを使ってなんとかしますわ」
「……なんとかできるなら、俺たちが助ける必要ないんじゃ?」
「いえ……。私では舐められてしまいます故」
恥ずかしそうにナイトキャップをくしくしと掻きながら、紫は答えた。優陽は自分の疑問が消え去ったらしく、何か別のことを考えているようだ。腕組みをしてどこか視線が上の空。
と、今度は雪輝の方が「はいっ!」と手を挙げた。紫はそちらへ視線を合わせると、はきはきとした声で言った。
「天狗ってどこにいるの?」
紫はハッとした。もっともな質問である。確かに伝え忘れていた。もし雪輝が質問していなかったら、また後で伝えに来なくてはいけない羽目になっていた。……このようなところがあるから、まだ強者に舐められてしまうのだろう。
「この周辺にいますわ。ここから少し南に行くと聳え立つ山がありまして。そこが天狗らの根城ですわ」
「わかったー。歩いてたらすぐ見つかるよね?」
「はい。結構目立つので」
そこまで聞くと、二人とも気になる点は無くなったようで、各々壁にもたれたり畳に寝転がって自由にし始めた。そうなってくると紫は肩身が狭くなってくるので、早々に退散しようとする。
ちゃちゃっとスキマを開いてその前に立つ。
「では、私はここら辺で。今回は本当にありがとうございました。今後は長い付き合いにな──」
言い切らないうちに頭に手刀を落とされた。犯人は優陽である。
「堅っ苦しいこと言いすぎ。これから長い付き合いになるんだろ? ならもっと肩に力抜いてくれ」
紫はそれを聞いて満面の笑みで一言返事をすると、スキマの中へ消えていった。背中に優陽の声を聞きながら。
「まあ、任せとけって」
これより長い幻想郷を創るための旅の始まりである。
閲覧ありがとうございました。
次回はもっと早く書けるように精一杯努めます。
次回予告!
早速天狗の誘致に向かった二人……。
しかしその道のりは前途多難で……⁉︎
次回 第二十四話 はじめの一歩で躓いた