圭の時価は計れない   作:深紫Sιn姉

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20:白銀圭は継ぎたい

投票日の朝。

 

鞄の中には、三日かけて書いた原稿が入っていた。

 

生徒会室の記録棚から、兄の演説の原稿を見つけたのは、先週のことだ。

高等部一年の秋。兄が初めて会長に立候補した時の、あの演説。

 

まっすぐで、強くて、誠実な言葉が並んでいた。何度も読み返して、言い回しを真似て、構成を真似て、私の原稿を書いた。

 

これなら、きっと大丈夫。

兄の言葉は、兄を会長にした言葉なのだから。

 

「圭〜、パパがスーツ着て見に行こうか?」

「来ないで」

「月の石さんも見に行きたいって」

「絶対に来させないで」

 

スマホが震えた。

 

兄からだった。

 

『勝て』

 

一言だけだった。

 

続けて、もう一件。

 

『いってらっしゃい、圭』

 

かぐやさんからだった。

 

私は、スマホを鞄にしまって、玄関の扉を開けた。

 

九月の終わりの空は、高くて、青かった。

 

 

□■□■□

 

 

立会演説会は、六時間目だった。

 

講堂を埋め尽くす全校生徒。壇上の端には、選挙管理の責任者として、伊井野会長が座っている。その隣には、なぜか石上先輩もいた。手伝いらしい。

 

宝月くんは、推薦人の席にいた。

規定で、演説中の推薦人は、発言できない。

 

「先攻、一年、藤原萌葉さん」

 

萌葉が、壇上に立った。

 

「みなさん、こんにちは! 藤原萌葉です!」

 

一言で、講堂が明るくなった。

 

「今日はちょっとだけ、真面目な話をします。……ちょっとだけね!」

 

笑いが起きる。

 

「私はずっと、誰かを推すのが好きでした」

 

萌葉は、講堂を見回した。

 

「千花姉ぇの推し活に付き合って、友達の恋を応援して。中等部の時は、親友を生徒会長に推しました」

 

萌葉が、ちらりと私を見た。

 

「その子は今日、私の対立候補です」

 

講堂が、どっと沸いた。

 

「推すのって、楽しいです。誰かが輝いてるのを、一番近くで見られるから。……でも、今日だけは——」

 

萌葉は、一度だけ、深く息を吸った。

 

「今日だけは、推される側に立ってみたかった。だから——私を、どうか推してください!」

 

「「「萌葉! 萌葉!」」」

 

講堂の後ろの方で、桜色のはっぴの応援団が、一斉にコールを始めた。

 

「コールは規定違反です!」

 

伊井野会長が、マイクを掴んで叫んだ。

 

それでも、拍手は鳴り止まなかった。

 

萌葉は、壇上で大きく手を振って、それから、私とすれ違う時に、小さく片目をつぶった。

 

「後攻、一年、白銀圭さん」

 

 

□■□■□

 

 

壇上に立った。

 

講堂が、広い。

何百もの顔が、こちらを見ている。

 

私は、原稿を広げた。

 

「……一年、白銀圭です」

 

声が、思ったより小さかった。

 

「私は、生徒会長として、強く、誠実で、全ての生徒の模範となる——」

 

読む。兄の言葉を、なぞるように。

 

「——私は、兄のように」

 

そこで、止まった。

 

兄のように。

 

その一言が、喉に引っかかった。

 

「…………っ」

 

——違う!

 

これは、兄の言葉だ。

兄が、兄のために書いた言葉だ。私が言っても、それは兄の言葉のままで、私の言葉にはならない。

 

じゃあ、私の言葉って、何だ?

 

続きが、出てこない。

 

原稿の文字が、ぼやけて見えた。

 

一秒。

三秒。

十秒。

 

講堂が、ざわつき始めた。

 

「……あれ、どうしたの?」

「固まってる?」

 

膝が、震えた。

 

前にも、こんなことがあった。

二年生の先輩に、お兄さんみたいな会長になりたいんですか、と聞かれた時。答えられなかったあの瞬間と似ている。

 

あの時から、何も変わっていない。

 

伊井野会長が、時計を見ている。石上先輩が、腰を浮かせかけている。

推薦人の席で、宝月くんが、膝の上で拳を握っていた。規定で、何も言えない。

 

二十秒。

 

もう、だめだ——。

 

「伊井野会長!」

 

講堂に、声が響いた。

 

萌葉だった。

 

候補者席から、萌葉が立ち上がっていた。

 

「選挙管理規定で、候補者同士の質疑って、演説中でもできましたよね!」

 

講堂が、しんとなった。

 

伊井野会長が、萌葉を見た。それから、隣の石上先輩を、ほんの一瞬だけ見た。

石上先輩が、小さく頷いた。

 

「……規定第十四条。演説中の候補者に対し、対立候補者は質問をすることができる」

 

会長は、マイクを握り直した。

 

「許可します」

 

萌葉が、壇の下まで歩いてきた。

 

私を、まっすぐに見上げた。

 

「白銀さん」

 

それから、ふっと笑った。

 

「……いえ、圭ちゃん。なんで会長になりたいの?」

 

一拍。

 

「原稿じゃなくて」

 

 

□■□■□

 

 

私は、原稿を見下ろした。

 

兄の言葉が、びっしりと並んでいる。

 

それを、私は、そっと閉じた。

 

講堂が、静まり返る。

 

「……最初は」

 

声が、震えた。でも、止めなかった。

 

「最初は、兄と同じ場所に立ちたかったからです。兄は、一年生の秋にここで会長になりました」

 

正直に言った。

 

「でも、兄の言葉じゃ、私は最後まで話せませんでした。……さっき、見ての通りです」

 

講堂のどこかで、小さな笑い声が起きた。

笑ってもらえて、少しだけ、肩の力が抜けた。

 

「私は、ずっと、欲しいものを欲しいって言えませんでした」

 

自分でも驚くくらい、するりと言葉が出た。

 

「口に出したら、値段がついてしまう気がして。断られたら、それで終わりな気がして。だから、いつも誰かが先に言ってくれるのを、待っていました」

 

壇の下で、萌葉が、黙ってこちらを見上げていた。

 

「中等部の会長も、そうでした。対立候補がいなくて、信任投票で、気づいたら会長になっていた。……自分から欲しいって言ったことは、一度もなかったんです」

 

閉じた原稿を、ぎゅっと握る。

 

「だから、今日は、言います」

 

息を吸った。

 

「私は、生徒会長になりたいです」

 

講堂の、どこからも、物音がしなかった。

 

たった一言だった。

 

膝の震えは、いつの間にか止まっていた。

 

「計算なら得意です。一円単位で、予算も組めます。でも、数字にできない大事なものを、どう守ればいいのか。私はまだ、ちゃんと分かっていません」

 

私は、講堂を見渡した。

 

「だから、分からないまま、一年かけて探したい。……この学校で、会長として」

 

言えた。

 

一つ言えたら、次の一つは、もう怖くなかった。

 

私は、推薦人の席を見た。

 

「それから——隣にいてほしい人が、いるから」

 

講堂が、爆発した。

 

悲鳴と、歓声と、口笛と。マスメディア部のカメラのフラッシュが、壇上を白く染めた。

 

宝月くんは、ただ、まっすぐにこちらを見ていた。

 

そして私は、壇の下にいる大親友を見すえた。

 

「ねえ、萌葉——」

 

萌葉が、目を瞬かせた。

 

「私、今日、萌葉に勝ちたい」

 

講堂が、もう一度、静まり返った。

 

「譲ってもらうんじゃなくて。信任投票でもなくて。……萌葉に勝って、会長になりたい」

 

萌葉は、一瞬だけ、泣きそうな顔をした。

 

それから、今日一番の笑顔で、拳を突き上げた。

 

「受けて立つ‼︎」

 

講堂中が、総立ちになった。

 

壇上を降りると、膝から力が抜けた。

舞台袖の暗がりで、壁に手をついて、ようやく息をする。

 

「……白銀さん」

 

石上先輩が、パイプ椅子を一つ持ってきてくれた。

 

「座ってください。顔、真っ白っすよ」

「……すみません」

「謝ることないっす」

 

石上先輩は、照れくさそうに、頭を掻いた。

 

「白銀先輩の一年の時の演説、僕は聞いてないっすけど。……きっと、今日の方がよかったんだと思います」

 

私は、パイプ椅子に座ったまま、石上先輩を見上げた。

 

「……兄には、内緒にしておいてください」

「言えるわけないっすよ。あの人、シスコンなんで」

 

 

□■□■□

 

 

放課後。本校舎の通路。

 

開票の結果は、通路の掲示板に貼り出されることになっていた。

 

掲示板の前には、もう人だかりができていた。

私と萌葉は、その一番前に並んで立っていた。宝月くんと石上先輩は、少し後ろで見守っている。

 

伊井野会長が、丸めた模造紙を抱えて歩いてきた。

選挙管理の責任者として、自分の手で、それを掲示板に広げる。

 

四隅を、画鋲で留めていく。

一つ。二つ。三つ。

 

萌葉が、私の手を握った。

 

私も、握り返した。

 

最後の画鋲が、留められた。

 

『第七十期 生徒会長選挙 開票結果』

 

『藤原萌葉 二百九十三票』

 

萌葉の指に、力がこもる。

 

そして————。

 

 

『白銀圭 三百七票』

 

 

…………。

 

『以上の結果により、白銀圭を第七十期生徒会長の当選者とする』

 

周りから、わっと声が上がった。

 

十四票。

 

たった、十四票の差だった。

 

隣で、萌葉が、ふうっと長い息を吐いた。

 

「……おめでと、会長」

 

いつもの声だった。

 

人だかりのざわめきの中で、私は、萌葉の方を向いた。

 

「……なんで、なんであの時、助けたの」

「ん?」

「黙ってたら、萌葉の勝ちだったのに」

 

萌葉は、首を傾げた。

 

「だって、黙ってる圭ちゃんに勝っても、意味ないもん」

 

萌葉は、掲示板から一歩離れた。

 

「私が勝ちたかったのは、本気の圭ちゃんだから。……ま、負けちゃったけどね〜!」

 

けらけらと笑って、萌葉は人だかりをすり抜け、通路の向こうへ歩いていった。

 

「ちょっと、顔洗ってくる!」

 

 

□■□■□

 

 

——とある少女の、五分間。

 

(あー、負けた。負けちゃった。十四票。くやしいなあ、もう)

(……中二の途中だったなあ。宝月くんが転入してきたの)

 

転校生には、藤原家の娘が一番に話しかける。

それが私のルール。

だから、一番に話しかけた。

休み時間のたびに、話しかけた。

新しい機械の話も、株の話も、全然分かんなかった。

それでも、聞いてるのが楽しかった。

 

(けどある日、宝月くんが聞いてきたんだよね〜)

 

『白銀さんは、どんな人ですか』

 

……あ、って思った。

彼の目が、いつもどこを追いかけてたのか、その時やっと分かった。

 

(だから、決めたの。推す側になろうって。圭ちゃんを会長に推して、宝月くんを副会長に推して。二人が並んでるところを、一番近くで見られる場所にいようって)

 

あの気持ちが、何だったのかは——。

 

「わっかんないな〜」

 

分からないままで、いいと思う。

だって、今日の圭ちゃんの顔。私に勝ちたいって言った時の、あの顔。……一番近くで見られたのは、間違いなく、私だったのだから。

 

「よし。顔、洗い完了!」

 

 

□■□■□

 

 

萌葉は、五分後に戻ってきた。

 

前髪が少しだけ濡れていて、目が少しだけ赤くて、それ以外は、いつもの萌葉だった。

 

「会長! 書記、空いてる?」

「……え?」

「私、書記やりたい! 千花姉ぇとおそろいがいいの!」

 

私は、思わず笑ってしまった。

 

「……空いてるよ。だって、それは萌葉の席だから」

 

 

□■□■□

 

 

九月の最終日。

 

第六十九期生徒会の、最後の日。

 

伊井野会長は、引き継ぎの書類の最後のページに、判子を押した。

会長印ではなく、自分の判子を。

 

ぽん。

 

『伊井野』

 

それから、胸元の純金飾緒を外して、私の前に差し出した。

 

「白銀さん」

「はい」

「重いですよ」

「……はい」

 

受け取った飾緒は、本当に、重かった。

兄が背負って、かぐやさんが隣で支えて、伊井野会長たちが守り抜いてきた重さだった。

 

「……石上」

 

伊井野会長——いや、伊井野先輩。

彼女がふとソファの方を向いた。

 

「何だよ」

 

石上先輩は、ゲーム機から顔を上げた。

 

「隣、座ってもいい?」

「……半分、空いてる」

「狭い」

「じゃあ座んなよ」

「座る」

 

伊井野先輩は、石上先輩の隣に、すとんと腰を下ろした。

 

二人とも、それきり何も言わなかった。

どちらも、相手の方を見ようとしなかった。

 

 

□■□■□

 

 

新しい生徒会の、最初の仕事。

私は、棚から、あの白磁のティーセットを取り出した。

 

かぐやさんが置いていって、伊井野先輩が毎朝拭いて、春に一度だけ使ったカップ。

 

お湯を沸かして、茶葉を蒸らして、ゆっくりと注ぐ。

一杯目を、萌葉の前に置いた。

 

「……萌葉に、一番に飲んでほしくて」

 

萌葉は、カップを両手で持って、一口飲んだ。

 

「苦っ!」

「……かぐやさんの淹れ方、まだ分からないの」

「えー、会長なのに〜?」

 

萌葉は、文句を言いながら、最後まで全部飲んだ。

 

「美味しいよ!」

 

 

□■□■□

 

 

萌葉たちが帰ったあと。

宝月くんが戸締まりを確かめている間に、私は、鞄から、あの帳簿を取り出した。

 

最後のページ。

日付だけが書かれた、空白の一行。

 

『八月一日』

 

あの夜は、どうしても書けなかった。

でも、今なら書ける。

 

 

□■□■□

 

 

帰り道。

空に、まんまるの月が浮かんでいた。

 

十五夜だった。

 

宝月くんと二人、夜の坂道を歩く。

 

「……かぐや姫は、十五夜に、月に帰っちゃったんだよね」

「はい。古典の授業で、やりました」

 

私は、立ち止まった。

 

月を見上げる。

 

それから、隣を見た。

 

宝。月。

その名前を持つ人が、ここにいる。

 

「悠くん」

「はい」

 

もう、迷わなかった。

 

「月には、帰らないでね」

 

宝月くんは、少しだけ目を見開いた。

それから、いつもの涼しい顔で、静かに笑った。

 

 

「——ええ、悠までも」

 

 

本日の勝敗:白銀圭の勝利……そして藤原萌葉の勝利

理由:十四票の差では、計れない勝負だったため

 

—END—




完結! 完結! 完結!

これにて竹取物語は終了
偉大なる原作と
ここまで読んでくれたあなたにお辞儀を
これで本当に終わりです

——しかーし!

続きが書かれる可能性も
それは明日か、千代の先か

それでは、また
いつの日か会いましょう
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