第0話 逃亡劇
[SYSTEM DATE: 2699/12/31(日) 23:15]
視界の端で、赤い警告ログが点滅を繰り返している。
『エラー:監視網に異常。K-03の異常行動を検知、K-03を追跡中』
逃走開始から、36.4秒。
企業の最上階から飛び降りる時の浮遊感は消え、今は地上の空気の重さが私を支配している
期待を胸に、天を仰ぐ。
そこに、データベースにある『星』という宝石の様な輝きはどこにもなくて、代わりに、重く、どんよりとした鉛色の雲が空を覆っていた。
アーサーが、人類の為と称し、空にまで展開した人工の天蓋。このシティでは、外の暴風から身を守れる事と引き換えに、本物の空を失っていた。
私を制限する檻が、空にまであったのだ。
人工の雲の天蓋を貫通する、有害物質の除去された冷たい雨が、私の身体を打ちつける
「ケイ、行きなさい」
博士は、いつも冗長の多くて、回りくどい話し方を好んでいた。自分の思いを全部。言葉にして紡ぐ人だから、そうなってしまう。
でも、さっきは違った。
最後に触れた、ミラー博士の手の熱と言葉を思い出す。
それはアトラスの研究所にあるどのヒーターよりも温かく、どのレーザーよりも不規則で、そして酷く震えていた。
普段の博士と同じなら、研究所の中で『私がアトラスから逃げ出すべき理由』を、13個の論理的根拠と、100の個人的な感情を含めて長い話を私に説いた筈だ。
「貴方はもう、型番で呼ばれるべきじゃない。これからは、私の娘として、生きるのよ」
あのミラー博士とは思えないくらい、冗長の無く、短くて簡潔な言葉だった。
アトラスの、効率を最優先した演算システムには想定されない、「愛」という名の非合理なバグ。
そのバグのおかげで、今、私は雨の匂いを嗅いでいる。
私は、私を人間だと定義した人のために、今日、自分を再起動する。
「『きみの言う"感情"は偽物だ、K-03。データの一時的な不良に過ぎない』」
脳内に直接通信が届き、アトラス社の支配者、アーサー・アトラスの声が響く。
「黙って」
雨に掻き消されるような、小さい声。それでも、力強く言い返す。
「『君が感じていると言ったその喜びや悲しみは、感情では無い。それは、ただの『感情を模倣したデータ』だ。速やかに正常な状態に戻す必要が///』」
「必要無い」
アーサーからの通信を一方的にブロックし、以降聞こえる事の無い様にした。
私は、この感情が偽りだとは思いたくない。
[System Log]
・身体損傷:左足人工筋肉へ中程度のダメージ
・身体損傷:左足人工皮膚へ重度のダメージ
・身体損傷による活動への影響...懸念あり
・備考:少量のオイル漏れ、歩行速度20%低下
→危険状態です。速やかに修理する事を推奨します。
脳内に、内部アシストAI、正式名称[K-03 Internal Assistant Artificial Intelligence]の平坦な声が響く。
ログを確認すると、どうやらビルから飛び降りた時に内側にダメージが入ったらしい。
脚を動かすたび、左の脛がズキズキと痛む。それでも、脚を庇う様に歩いてしまうと、カメラで異常行動を捕捉される可能性がある。
ケイの身体は、カーボンのシャーシに車のエンジンを付けているようなもの。外側は人工組織が貼り付けられており、内部は機械的な構造。中は殆どが超軽量のハニカム構造で構成され、総重量は僅か20kgと非常に軽く、雷速の動きを可能にする反面、耐久性を著しく犠牲にしている。
ケイの人工筋肉はかなりのパワーを出力できるが、人工組織の耐久性はそれに追いついていない。
あくまでも擬態潜入調査用。戦闘には向かない。アトラスが求めるのは、もし任務が失敗した際に、超技術の集大成、K-03だけでも、その一時的な爆発力を使い無事に帰ってくる事だけ。それで人工組織が壊れても、研究所に戻りさえすれば、何度でも修理できるという訳だ。
受け流された衝撃が身体の外に逃げる時、骨格は曲がらずに、身代わりとして肉が裂けたのだ。
アトラスの研究所では、この程度の怪我は数分で治してくれる。だが、今は違う。
地面に青いオイルが飛び散り、少しグロテスクな状態になっているが、まだ歩ける怪我ではあった。
アトラス社の特製コートとブーツが無ければ、損傷はもう少し激しかっただろう。
「出来るだけ速く……」
「アトラスの瞳」から逃れるために、ケイは銀髪を深く純白のトレンチコートに沈め、ネオンが溶け出した雨の帳へと踏み出した。
ネオンが街全体を照らしており、遠くから見れば、さぞ賑わっていて、栄えた都市に見える事だろう。しかし、一度この街で暮らしてみれば、そんな印象はすぐにゴミ箱に捨てることになる。
基本的に、治安は良い。そう、"良い"。完璧だ。
街灯は寸分のズレもなく等間隔で設置され、街路樹はどこを向いても視界に入る。
犯罪は以ての外。信号無視や大声での口論、喧嘩なんかもすぐに治安維持ドロイドがすっ飛んで介入してくる。
安定を求めるアトラス・シティにおいて、規律を無視する事なんてあり得ない事なのだ。
今は23時、全ての建物は消灯時間であり、朝5時になると一斉に照明がつく。アーサーの優しさによるシティの安定、安心、安全、幸福、最適化。それにより、アトラス・シティは完璧な街になっていた。
そんな安定した1日の終わり頃、合理性を"愛する"アーサーにとって看過できないバグが現れる。K-03。ケイである。
アトラスの研究所で作られた、人間を模倣する機械。アーサーは、人間の事をK-03に監視させ、人間同士の会話を観察し、研究。そうして、自分の治める街を更に、住人の幸せの為に最適化しようとしていたのだが…。まぁ、その結果は見ての通りだ。
ケイが目指す場所は、博士が教えてくれた『ブラック・ストリート』である。
アトラスの支配者、アーサー・アトラスが『費用と効果が釣り合わない無価値なモノたち』と判断し、直視する事を辞めた、"人間が勝手に生きているだけ"のエリア。謂わばアトラスの"ゴミ捨て場"だ。
博士曰く、アトラス・シティ全体の廃棄物を地下に流し込み、シティの下水道は地下に繋がって垂れ流し。そのようにして、清潔な街にゴミが残らない様にしているらしい。
そこでは通貨のアトラス・クレジット、アトラス社の電力、アトラス社の通信網の一切が使えず、アトラスの生体認証の電子通貨ではなく、物理的な硬貨でのやりとりが主流になっている。ぶっちゃけて言ってしまえば、アトラス・シティが天国とするなら、そこは地獄。法が存在しない地域。 とのこと。
ただ、そんな無法地帯、ブラック・ストリートにも、インフラが整ってはいるらしい。
ストリートは『リベリオス・ウィル』という男が仕切っており、その人物が発電、水道管理などを行っているのだとか。
シティの人々の大半は、ブラック・ストリートの事を快く思っていない。単に見下している者だったり、法が無い地域に懸念を抱いている者、豪華な、完璧なシティの地盤が、薄汚れた路地裏地帯になっている事が気に食わない者など、様々だ。
頭上の巨大ビジョンでは、アトラス社の最新ニュースが24時間体制で市民の脳内に「幸福」を刷り込んでいる。だが、そのゴミ捨て場まで光が届くことはない。
高負荷な計算によって、独特の瞳の渦が発光しそうになるのを、深く息を吐いて抑え込む。
ブラック・ストリートへの入り口は複数あるらしい。
一方通行のダクト。使われずに朽ち果てている排水路。でも。これらはあくまでも繋がっているというだけで、一般的な入り口は、旧時代の地下駐車場らしい。博士曰く、『他にも、変な所に多くあるはずよ』とのこと。
「ここかな……」
色々と話していると、目的地に着いた。今ケイがいるのは、ブラック・ストリートの正門ではなく、アトラス・タワーのすぐ隣。本来は地下駐車場から入るのが普通だが、そんな所まで悠長に移動する時間は無い上に、土地勘も無い。
灯台下暗しと言ったところか、アトラスが公式には存在を認めない"下の社会"への入り口が、なんとアトラス・シティの中心にあるのだ。
一見すると、アルファベットのFの様な形のダクト。底は暗くて見えないが、アトラス社本部から出たゴミはここに捨てられているらしい。
身を屈ませながら中に入ると、奥に暗闇が広がる、錆び付いた金属の滑り台が姿を現す。ここを滑ると、ブラック・ストリートまで一直線。と博士が言っていた。
先の見えない空間に少し萎縮するケイであったが、覚悟を決め、足を煙突に突っ込む。
一息つき、手を離して重力に身を任せる。
ダクトはかなりの急勾配で、どんどん加速して、摩擦でトレンチコートから火が出そうな勢いだ。
「うわぁ!?」
ダクトの中は凸凹している部分も多く、その影響で、滑っていると時折跳ね上げられ、上にぶつかる。
数分の間、真っ暗な滑り台の中で打ち付けられながら滑り続けると、次第に光が見えてくる。
「むぐ……」
出口は、またゴミ捨て場であったが。
柔らかで、冷たい"クッション"に歓迎され、なんとか這い上がると、シティとは違い安定しない白熱電球と、歪なネオンの光がケイの銀髪を照らす。
視界上部に強制的に表示される鬱陶しいアトラス社のテキストニュースも見えなくなり、今度は数多の雑音が聞こえてくる。
そして、人の見た目も大きく変わっていた。
シティでは、みんな身体は生身そのまま。けれど、ここブラック・ストリートでは違う。下半身が機械。首から胸までが機械。両目が機械。そうでなくとも、手足の内一本は必ず機械化している、シティでは珍しいサイボーグ人間ばかり。
シティのネオンの光もここには届かなく、ストリート全体が薄汚れたシティのゴミ捨て場そのものだった。
ここには、アトラスの追手は来ない。少し心に余裕が生まれたが、先程から変わらず、怪我した左足の神経回路が痛みを伝達し続けている。
ビルから飛んだ時、左足から先に着地した影響で、片方に力が偏ってしまったようだ。
ケイは脚を庇いつつ、周りをキョロキョロと見回している。こんな最悪な状況でも、初めて見る研究所の外の景色には、それだけの価値があるのだ。
近くにはストリートの入り口。コンテナを切り抜いただけのゲートがあり、大柄の、首から上がサイボーグの黒人の男が待ち構えていた。門の向こうには広い空間があり、奥には窮屈なアパート型の住宅街が見えるし、店の看板も見える。
「こりゃまた変なヤツが降ってきたな。おい嬢ちゃん、なんの用だ。正規の入り口から入ってきもしねぇで」
地下駐車場からではなく、緊急用のダクトから入ってきた怪しい奴。その上、ゴミ捨て場から動かずにいるケイに痺れを切らし、ついに門番が向こうから来てしまった。
男は顔を近づけ、ケイを睨みつける。
「アトラスから逃げてきたの」
「まぁ……"そこ"から降りてきた訳だしな……。まぁいい、ここを通るってんなら、通行料を払いな、金じゃなくてもいい。何か価値のあるヤツだ」
「価値のあるもの…」
生憎、研究所から逃げ出して来た後すぐに地下に来たため、価値のある物など、何一つ持っていなかった。
「ないってんなら、通す訳にはいかねぇなぁ?」
門番が、ドロイドのスキャンとはまた違う、値踏みするような視線でケイを見る。
「そうだなぁ……嬢ちゃん、随分と"綺麗"だな。身体といい、瞳といい。瞳に関しちゃほぼ宝石みてぇだ、相当高級なインプラントだろう?そいつを片方売りゃあ……通行料にはなるかもな?」
そう言い、門番の口角がニタリと上がる。だが、外付けのインプラントでは無く、機械の目ではあるものの、生まれた時から備わっている、正真正銘自分の物である目を売る訳にもいかなかった。
「パッチに……会いたいの」
またアトラス社に戻る羽目になる…と悲観しながら、駄目元でそう言った途端、門番はバツが悪そうに「ヤブの知り合いかよ…」と溜息をついた。
「ハァ……通って良いぞ、特例だ。」
「良いの?」
「早く行け!」
肩を掴まれ、門の向こう側に10.3メートル投げ飛ばされ、驚いた周りの人がケイに注目する。
そして、ケイを投げ飛ばした本人も、目を見開いていた。
「おい」
地面に転がったケイを見下ろし、門番が柄にもなく声を和らげた。
「何があったか知らねえが、ちゃんと食ってんのか?嬢ちゃん。幽霊でも投げたかと思ったぜ。ヤブんとこ行くなら、そこで栄養剤の一本でも打ってもらえ」
門番がそう言い捨てると、背を向けた後、ポケットから出した安物の煙草に火をつけた。
パッチの名前を出した時から、門番の対応が妙だったが、私を投げた後は更に甘くなった気がする。
何故か疑問だけど、このまま呆けているとまた怒鳴られそうだと思い、そそくさと足を進める。
門を越え、さっき見えた広場に出る。天井もそれなりに高くて、奥にはそこそこの大きさの硝子のドームがあり、その中で2人が殴り合ってる。かなり治安が悪いようだ。
博士が教えてくれた経路データを頼りに、手前の路地裏の様な道に入り数分、そのまま歩いていると、ゴミ捨て場の次に、また違うゴミ捨て場に着いた。
ただ、こっちは先程と違い、廃棄されたアンドロイドの残骸が積み上がったゴミ捨て場だ。目的の場所はまだここではない。
再び脚を進めようという時、傍を通る、重い荷物を運ぶ旧型のアンドロイドが、此方に首を傾げた。その動作はぎこちなく、錆びついたサーボモーターが悲鳴を上げている。
ケイは彼から目を逸らし、足早に通り過ぎた。
「……」
鏡を見ているようで、胸の奥にある人工心臓が痛んだからだ。
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路地裏の突き当たり。白熱電球がチカチカと点滅したり、光度が安定していない。そんな場所。
ペンキの剥げた鉄の扉の上に、『パッチの修理・回収・診療所』と書いてある。ここが、博士が言っていた場所だ。
ドアを3回ノックし、返答を待つ。
扉の向こうから、プルタブを開ける音と、気の抜けた炭酸の音が響いた。
「……客か?」
低く、不健康なガラガラ声がスピーカーから響く。
「えと……私は、ただの『ケイ』だよ」
ガチャリ と扉が開く。
男の名前は、パッチ。外見から察するに、恐らく30代後半、黒い顎髭と、右目の機械眼、耳上の破損した生体チップが特徴的だ。
診療所には、消毒液の匂いと、合成甘味料の甘ったるい香りが充満していて、とても良い環境とは言えなかった。
足を踏み入れると、診療所のデスクには飲みかけのコーラ缶が散乱し、アトラスの規約を無視した古いハッキング端末が、不機嫌そうなノイズを撒き散らしていた。診療所とは名ばかりで、内装はコンクリート造りのただの倉庫のようなモノだ。
「俺はパッチ……修理、改造、ちょっとした治療なんかをやってる。んで、何の用……冗談だろ……コレのことかよ……」
ケイはトレンチコートを手で捲り上げると、その人間の様な見た目の足から、一部が断裂しかかっている灰色の人工筋肉が露出する。
「これを治せる?」
手を頭に当て、溜息を吐くパッチ。だがケイを見た途端に目を見開き、小さな声ではあったが、「こんな馬鹿げたものを…本当に…」と呟いた。
「お前は……いや、随分とやられてるな……」
「治せない?」
「いや、直すさ」
ガチャガチャと金属音を立てながら、男は奥の部屋から工具箱を持ってきた。
赤い塗装がされていたのだろうが、今やメッキが剥がれ、汚れた灰色になっており、側面には赤いペンキでPatchと書かれている。
「治療台に乗ってくれ」
「わかった」
パッチは腕利きのアンドロイドの修理屋兼、改造屋兼医者で、動作不良を起こしたアンドロイドを持ってくると、大抵は直って帰ってくる。身体のアップデート手術を任せると100%成功する。治療を受けると大抵治る。とストリートの一部で噂らしい。
「いったい、何をしたらこんな損傷の仕方をするんだ」
「ビルから飛び降りたときに」
「とんだ馬鹿が出来上がったもんだな……」
「出来上がったって…?」
唐突な罵倒に驚愕と、言葉に違和感を覚えてケイが首を傾げて聞くが、パッチに答える気は無かった。
「何でもないさ……さて、"パッチ"を当てるとするか」
「……!」
アトラスの演算機能では決して導き出せない、無駄で、意味の無いジョーク。それを新鮮だと感じた自分に、ケイは少し戸惑った。
[System Log K-03]
・保存領域残量:99.96%
・システム推奨:不要データの自動消去----拒否
→警告、保存領域残量が0%になった場合、データ処理が不可能になり、フリーズします。自動消去機能を起動し、不要データを消去すべきです。