[System Date 2700/01/01 (月)6:45]
「戻ってこれたのか…?」
診療所の扉を開けると、パッチが目を見開いて驚いている。そんなに心配してくれていたのだろうか。私とは会って間もないというのに。
「パッチ、今からもう一度管理エリアに行ってくる、おじいちゃんを助ける」
「はぁ?お前、優先順位ってものがあるだろ?今そのじいさん助けるのがシステムの出した最優先事項か?」
パッチの意見は、ぐうの音も出ないほどの正論。御尤もであった。しかし、最適解に従い、効率を最優先する思考回路では、アーサーと同じ。再び、「K-03」に戻ってしまうと感じた。
「常に最適解を選ぶような私なら。K-03なら、今ここにいない。ずっとアトラスの元にいると思う。でも私は違う、あの人の―」
「効率が悪すぎる」
パッチは工具を投げ出し、背を向けた。
「お前を狙ってる連中がそこら中にいるんだぞ。自分の存在を秘匿するのが最優先事項だろ。何が悲しくて、他人の過去のためにリスクを背負う必要がある」
「最優先事項なら、もう書き換えたよ」
ケイの静かな、だが確固たる声が診療所に響く。
「アトラスがくれたプログラムは、私を守るために他人を切り捨てろって言う。でも、パッチは私を治してくれた。そこに、そんな冷たいプログラムは無かった。……私は、ジジの思い出を守りたい。それが今の私にとって、何よりも守るべき、『最優先事項』なの」
「……チッ、勝手にしろ。その代わり、無事に帰ってこいよ。派手に壊して帰ってきたら、修理費は倍にするからな」
ケイは無言で、微笑む事で答えを返した。
「じゃあ、今度こそ、行ってくるね」
「…いや、待て。お前に伝えていない、とても重要な事がある」
ケイは足を止め、パッチの方に振り返る。
「本当は、シティまで接続に行く時に言うべきだったんだが、アトラスの位置追跡の間隔は5分に一度だった…。そして、30メートルの誤差がある。精度は決して高くねぇ」
「へぇ…!いや…本当に…本当に先に言ってよ!それ!不安だったんだから!立ち止まった時、警備ドロイドが目の前まできちゃって。心臓が止まるかと思った!」
「すまねぇ…うっかり…な、運が良かったな」
パッチは目を逸らしてそう言う。何故大事な情報を言い忘れてしまうのか、キレ気味のケイであった。
[ System Log K-03 ]
・…未確認のノイズを検知。
・…心拍数及び回路温度の上昇を検知
→緊迫状態は解除済み、現在の行動は非合理的です。
脳内で、アシストAIの平坦な声が、ケイの怒りを不具合だと判断する。
(うるさい!今はキレてるの!20%くらい!)
→…はい…了解しました。リソースの20%を、非効率ですが。威嚇行動に割り振ります。
心の中で、どこか不服そうなAIを黙らせ、引き続きパッチを睨みつけた。
「…そこでだ、お前への償いと言ってはなんだが、アトラスの神様に対抗する特殊なチップを仕掛ける」
「…どういう事?」
パッチは人差し指を天上に向け、こう説明する。
「『30メートルの嘘』を『5つの真実』に塗り替えてやるのさ。アーサーの画面には、完璧な精度で捉えられたお前の位置情報と、お前のゴーストが4つ並ぶ。あいつはどれを掴めばいいか分からず、計算機を焼き切らせるだろうよ。完璧主義者に、完全な運頼み、『あみだくじ』をさせるんだ。これ以上の屈辱はないだろうな」
パッチはそう言って、空になったコーラのアルミ缶をぐしゃりと握りつぶし、ゴミ箱の真ん中へ放り投げた。
違法端末を起動し、キーを1度押すと、モニタ画面上の緑色の点が5つに分裂し、ぐちゃぐちゃに、さらに高速で動き回る。
「これがアトラスから見える情報だ。こんなにカオスな光景、連中は中々見る機会ねぇぞ」
口角を上げながら、キーボードをカタカタと打ち始めるパッチ。左手で、縦5cm、横4cm程度のチップを私に見せた。
「これをお前の脊髄に書き込む。基本プログラムを書き込む為のポートがある筈だが、それは使えない。ネットに接続する時、アーサーにチップの事が筒抜けになっちまう」
パッチはコーラのプルタブを捻りながら、「治療台に乗っとけ、うつ伏せにな」とだけ言い、端末の方に向き直す。
(そのポートが使えないのなら、どう接続するんだろう。遠隔の書き込み?そんな事ができるのかな?)
→不可能です。遠隔操作に対し、堅牢にプロテクトされています
「…ここに太陽かよ…趣味が悪ぃな」
パッチがボソリと呟やく。多分、私のうなじにあるアトラスのマークの事を言っているのだろう。
「始めて」
「…任せとけ、因みに、痛むぞ」
「え?」
銀色に輝くメスを取り出し、ケイのうなじ部分にあて、人工皮膚を切り裂いていく。
「痛ッ痛い!」
まさか直に接続するとは思っていなかったケイ。突然の強い痛覚信号にパニックを起こす。
「我慢しろ!お前に捕まって欲しかねぇんだよ」
そう強く言うパッチであったが、ケイから見えてはいなくとも、手の震えを隠せてはいなかった。
鋭い痛みがケイの脊髄を走り、彼女の20kgの身体が治療台の上で小さく跳ねた。水色の瞳が、苦痛により激しく明滅する。
パッチの額からは脂汗が流れ、その表情は誰よりも苦しそうだった。
「っ…首が熱い…何か入って…きてる?」
「クソッ...頑強に作りやがったなミラー…」
数分経ち、ケイがついに耐えるのが難しくなってきたのか、「まだ…?パッチ…」と声が溢れる。
「すまねぇ、まだだ」
[System Log]
・持続的な強い痛みを検知―――感覚精度の低下を推奨…承認――成功
[System Date 2700/01/01 (月)9:24]
「よし……成功だ。これで、お前がネットに接続する時、そのチップを作動させられる」
パッチはケイの傷口を荒々しく、だが愛おしそうに塞ぎ、血の混じった青いオイルを汚れた布で拭った後、丁寧に塗装した。
うなじに元々あったアトラス社のマークは無くなり、黒いチップに置き換わった。
ケイは荒い呼吸を繰り返しながら、自分の身体の中に、パッチが植え付けた"自分を守るための不純物"の脈動を感じていた。
「ちょっと、休むことにするね……」
「あぁ、しっかり休んどけよ」
[System Date 2700/01/01 (月)20:30]
最低最悪の術後。ケイは焼け付くような首筋の熱と共に、意識を浮上させた。
[System Log K-03]
・新規のプログラムを検知:名称『Pandora』
・書き込み拒否を推奨----書き込みを承認
→警告。信頼性の低いプログラムです。安全とは言えません。
視界の端で踊るシステムログを適当に流しながら、ケイは作業台に背を向けた男に問いを投げた。
「……パッチ。あなたは、何者なの?」
パッチは答えず、ぬるくなったコーラを喉に流し込んだ。
「私の脚。パッチが直した場所は、アトラスの自動修復には負けるけど……正確で、私に馴染んでる。さっきのチップだってそう。私の構造を、隅々まで知っていないとできない芸当だよね」
パッチの背中が、わずかに強張る。彼はバツが悪そうに視線を逸らすと、油の染みたサングラスを深くかけ直した。
「……俺は、ミラーの元同僚だった。それだけだ」
「じゃあ、私を作ったのも……」
「いいや。俺は、お前の設計図が完成する前にアトラスを逃げ出した。お前の『基礎』に、少しだけ泥臭い理論を混ぜたのが最後だ」
パッチは自嘲気味に笑い、自分の汚れた手のひらを見つめた。「なんで、逃げたの?」その問いを、ケイは唇の裏に飲み込んだ。パッチが突き出した手のひらが、「それ以上は踏み込むな」と拒絶していたから。
「……行ってくる。この温かい"パンドラ"が、本当に『嘘』をついてくれるか試しに」
「パンドラなんて気取った名前だが、中身は只の"嘘爆弾"だ。開けた瞬間、アトラスに大量のノイズ情報をお届けだ」
[ System Log K-03 ]
→名称に「明瞭さ」が欠けています。『嘘爆弾』という不適切な名称から変更し、『Stochastic Parallax Distortion Grid』と登録する事を提案します。
(すとかす……ぱら?……長いし。嘘爆弾の方が良いでしょ!)
必死に高尚な名前を考えたであろうAIの意見は無視され、データベースには『嘘爆弾』と登録された
ケイが診療所の重い鉄扉を開けた時、背後でパッチがボソリと呟いた。
「……おい……壊れんなよ、20キロ。じいさん助けたら、コーラでも買ってきてくれ」
それが彼の精一杯の激励だと察し、ケイは街の雑踏へ消えた。
一人残された暗い部屋で、パッチは空のアルミ缶を握り潰した。
「……あぁ、クソッ。俺の負けだな、ミラー。……あんな出来損ないを、守りたくなっちまうなんて」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
[System Date 2700/01/01 (月)21:10]
サングラスとトレンチコートに身を隠し、管理エリアに踏み込む。不思議な事に、この一歩の境界線を越えると急に周りが騒がしくなる。
人の声といい、アトラス社のニュース然りだ。今は夜遅い為、朝、昼と比べれば静かではあるが。
10秒程経つと、『・アクティブ接続:名称『アトラス・ネットワーク』』と視界にログが映り込む。
「・『K-03、君は間違っている。私が君の誤りを修正して///』」
ここからは私のおおよそ位置が追跡される。
相変わらず、夜になってもそこそこ多い人混みに紛れながら、歩く速度を一定に保つ。
[System Log]
・プログラムを起動可能:名称『パンドラ』
・プログラム起動……成功
→意図が理解出来ないプログラムです。ウィルスが含まれている可能性があります。
AIの言葉を無視し、パッチの嘘爆弾を作動させ、徐々に首元が熱を帯びる。今頃、アトラスでは意味の無い位置情報が暴れている事だろう。
夜は、ドローンがライトを照らしながら監視を始める。朝昼は人型ドロイド、夜はドローンで警備をする事によって交互にメンテナンスをしながら24時間体制を実現しているらしい。
空を飛ばれるのが少し厄介であるが、中身は人形ドロイドと全く変わらない為、然程警戒する必要も無い。
歩き続けていると、おじいちゃんが言っていた、取り壊し予定地が見えた。周りにはとても高いビルが並んでおり、そのお陰で、嬉しい事に人通りが多い。
『取り壊し予定地』と赤いホログラムが浮かんでいるが気にせずズカズカと侵入していく。
広さはそこそこといった所。アトラスは超巨大企業。これくらいの面積は無いと支部も建てられないのだろう。
赤い屋根の、洋風な屋敷は完全に朽ち果てており、このまま放置していれば明日ではなくとも、数ヶ月後には自壊していそうな状態だ。
「お邪魔します……」
扉を開けるとギギギギ...と木が軋む音が鳴る。
内装は、外見と比べればまだ綺麗だ。2階建てで、ジジ曰く、左手に地下室への階段があるらしい。
〜〜〜
「うーん……」
ガチャガチャと、埃にまみれた棚を漁るケイ。依頼でなければ、ただの泥棒。アトラスからすれば既に侵入者であるが。
「これかな?」
ケイの右手には銀色の、持ち手に曲線の彫り込みが入ったスプーンが握られていた。
任務は終わり。帰ろう、そう思ったのだが、ケイは積まれた数ある食器の内、一つの青い硝子皿に目が惹かれた。
シンプルな、透き通った青色の高そうな皿だ。持ってみると少し重さを感じる。
トレンチコートの内側にスプーンと硝子皿を隠し、出来るだけ影を薄くしながら屋敷を出ると、警備ドローンがすぐ近くまで迫っていた。
咄嗟に屋敷内に戻り、身体を動かさないようにする。
「……識別困難」「動く物体を視認……男性、反応無し」
ドローンが無音仕様の羽を回しながら機械的な音声で喋っている。
ケイを探しているのだ。
ドローンが屋敷から少し離れた隙をついて、ケイは屋敷の敷地から離れ、人混みに混じり、再度ゆっくりと歩き始めた。
「動く物体を視認……女性、銀髪、虹彩……不明。骨格……不明。判断不能」
帰りも、本当は走って今すぐにでも管理エリアを離れたい気持ちを抑えながら、淡々と地下駐車場に近づいていった。毎回、人通りが一番多い大通りからの道を選んでいるが、バレないか少し不安ではある。
無事にブラック・ストリート近くまで来た上、今回は青い硝子皿という戦利品もある。あぁ、私の勝ちだ。
ケイが高まる感情を表情に出さないようにしながら歩いていると、地下駐車場で、依頼主のジジがそわそわとしていた。
「おじいちゃん?」
「おぉ、貴方は!良かった!私はどうかしていました!年端もいかない少女にあんな危ないことをさせるなんて..!」
「良いんだよおじいちゃん、ほら、スプーン」
「おぉぉ……これです…まさに!アトラスはこれを、ただの鉄の棒だとでも思うのでしょうね。」
フフンと鼻を鳴らし、自慢気な顔になるケイ。
おじいちゃんは「ありがとう……!」と繰り返し、お礼に、と1万円分のギルド硬貨を私にくれた。
ギルド硬貨はブラック・ストリートのみで流通する通貨で、支配人のリベリオス・ウィルが製造している。材質はスクラップで、鉄、銅、金の順に価値が高く、それぞれ10円、100円、1000円と刻印が彫られている。円形で、中心に紐を通せる穴が空いている。これにより、常に硬貨を持ち歩けるという利点がある。腰や首なんかにつけ、ジャラジャラと音を鳴らし歩くのが自慢になるらしい。パッチは財布を使ってた気がするけど。
材料が只のスクラップなら簡単に偽造できるのでは?と思いがちだが、本物には特殊な塗料が微量に含まれており、光を当てると虹色に光るため、簡単に見破られる。その上、偽造が発覚した時、『身体のインプラントを全てスクラップにされる』という罰があるため、誰もやりたがらない。
小さな仕事かもしれないけど、私は、確かにこの人の役に立ったのだと感じた。それに、ストリートで一万円もあれば、合成ラーメン(30円)は333杯、パッチの好きな純正コーラ(100円)が100缶は買える。非正規のストリート製コーラ(20円)で良いなら500缶も!
だが、パッチは純正のコーラでないと認めないらしい。ケイにとっては、どちらも甘過ぎる事は変わらないのだが。
「ところで……お嬢さん、コートに何か、隠していますね?」
ギクリッと音を立てたと錯覚してしまいそうな程に、分かりやすく動揺したケイは、コートから青い硝子皿を取り出す。
「……あぁ、それは、主人が大切にしていた硝子皿ですね。」
ジジは昔を懐かしむように、見えない空を見上げながらそう言う。
「ダメだった?」
「いえ、気に入ったのなら、それはもう貴方のものです」
「良いの?」
「えぇ、今回の報酬のオマケです」
「ありがとう!」
「その皿は、君が大切に使うべきです。生活の一部に取り入れなさい。そうする事で、食べる行為はただの『燃料補給』から『食事』に変わります。」
「うん……分かった。元気でね、おじいちゃん!」
「君も、あんまり無理をするんじゃありませんよ」
〜〜〜
「……20キロ、その皿はなんだ、そんなのを拾ってくるならコーラの一つでも拾ってこい」
「ふんふんふん……♪」
「はぁ……」
ケイはパッチが呆れている事には気づかないまま、夢中でお気に入りの皿を綺麗に拭いていた。
[ System Log K-03 ]
全ストレージ容量: 100%
割り当て状況:
・アトラス公式任務データ: 0.00%(未受信・破棄)
・私的保存領域: 0.11%(増加中:+2件のキャプチャ)
・空き領域: 99.89%
システム推奨: 効率化のため、私的ログの自動消去を提案―― [ 拒否 ]
個別データ・タグ付け:
パッチ ―― 『ミラー博士の言った通り、凄腕』
コーラ ――『ぬるい』『非常に甘い』
チップ ―― 『痛み』『温もり』
硝子皿 ―― 『青い』『綺麗』『ジジおじちゃん』
処理結果: データの全保護を完了。
ステータス: 良好。
→想定されていたモノとは違うデータが保存されている為、データの消去を推奨します。