キッチンから、トントンと食材を刻む軽快な包丁の音が聞こえてくる。
フライパンの上ではバターが黄金色に溶け出し、焦がし醤油の香ばしい匂いと混ざり合って食欲を刺激する香りを放っていた。
「──よしっ、こんなもんかな」
調理を行なっていた陽介は、料理の出来映えに満足そうな表情を浮かべていた。
彼は元々手先が器用で要領が良い人間だった為、長い一人暮らしの中でそれなりの調理スキルを身につけていた。
しかし、それらはあくまで家事の一環として行っていただけであり、特段料理にこだわりを持っていたわけではない。
だがコロンビーナと出逢ってからは、そんな彼の心境も大きく様変わりし、料理が明確な
その理由の一つとして挙げられるのは、新たな同居人となった月霊ソルヴェーテの存在である。
「────♪」
リビングの方を見れば、暖色系の光を纏ったソルヴェーテが、フローリングの上を滑るように移動しながら、浄化の炎を用いて掃除を行っていた。
従来の掃除機や雑巾を使ったやり方とは違い、汚れそのものを燃やし尽くす為、その仕上がりは完璧といっても過言ではない。
月霊の種族特性を活かして、人の手が届かないような天井や家具の隙間に至るまで細やかに清掃し、日常生活によって排出される塵も可燃物不燃物問わずその場で焼却処理される。
高価な乾燥機能付きのドラム洗濯機はお役御免となり、完全に置物になってしまった。
何故ならソルヴェーテが浄化の炎で衣服を燃やせば、どれほど頑固な汚れや臭いも一瞬で浄化され、新品のような状態を維持出来るからだ。
「────(ウムッ)」
窓の縁を指先でなぞり、綺麗になったことを確認して満足そうに頷くソルヴェーテ。
掃除は最早この月霊のライフワークとなっていた。
そんな清掃活動に加えて、主要なライフラインの動力源を担っており、洗濯機だけでなく、エアコン、冷蔵庫、コンロ、照明器具なども使用頻度が極端に下がっていた。
最近では電力すら、家の外に設置されている太陽光パネルで賄うようになってしまった為、日向家の光熱費はほぼゼロ円という、物価高の日本において非常に有難い存在になっていた。
このようにソルヴェーテが優秀なお陰で、陽介の手が空く時間は劇的に増え、必然的に料理という趣味に割けるリソースも増えたという訳である。
「……陽介の作るご飯は相変わらず美味しいね」
そして何より──幸せそうに頬を緩ませ、自らのつくった料理を味わうコロンビーナの笑顔。
これに勝る原動力はなかった。
コロンビーナにもっと美味しいものを食べて貰いたい、そしてその喜ぶ顔が見てみたい。
そんな単純かつ強力な動機が、嘗ては作らなかった手の込んだ料理や菓子作りへと彼を駆り立てていたのだ。
「今回は秋が旬の食材をテーマに作ってみたけど、気に入ったみたいで何よりだよ」
本日の昼食のメニューは、旬の食材をふんだんに使った秋鮭のムニエル茸のクリームソース添えと海老ピラフだ。
元々コロンビーナは霜月の里で暮らしていたこともあり、調理されていない素材そのものの味を活かした食材を好んで食べていた。
しかし、この家で過ごす内にその趣向が変化し、陽介の作ってくれる様々な料理を味わうことが、この世界での楽しみの一つとなっていたのである。
空っぽになった皿に名残惜しさを感じながらも、コロンビーナはふと何かに気づいたのか、スプーンを置いて悩ましい表情を浮かべた。
(……あれ? 私、何もしてない?)
コロンビーナは自らの掌をジッと見つめながら、今の自分の状況にふと疑問を抱いてしまう。
彼女は月神として霜月の民達から崇め奉られていた過去がある為、ある意味では人に世話をされるという状況に慣れていた。
だが今の状況はその頃とは全く違う。
何故なら陽介は与えても求めず、ありのままのコロンビーナを受け入れてくれたからだ。
それが彼女にとっては何よりも嬉しかった。
だからこそコロンビーナは、陽介から一方的に与えられるだけの関係性に甘んじたくはなかった。
友人として対等な関係で在りたいと思ったからこそ、陽介に恩を返すことに拘り、その結果として月霊ソルヴェーテが生まれたのである。
「……ん~?」
それらを踏まえた上で、コロンビーナは自身の今日一日の行動を顧みる。
朝は陽介が朝食を用意し、彼が仕事をしている間は買い与えてくれたスマホやパソコンでインターネットで情報収集しながら、偶に気に入った歌を唄い、陽介が構ってくれるまで時間を潰す。
眷属であるソルヴェーテは明確な役割を与えられ、家事全般を任されているのに、コロンビーナは自由に遊んで過ごしているのである。
(……これって、「にーと」ってやつなのかな?)
最近ネットで覚えたばかりの言葉が、ふと頭を過るコロンビーナ。
謎の危機感を抱いた彼女は、椅子から立ち上がると、そのままキッチンへと向かう。
先程食事で使用した食器を洗浄しようと思い、シンクへ置かれた洗い物に手を伸ばそうとしたのだが、慌てた様子でソルヴェーテが割り込んで来た。
「~~~!? ~~~!!」
「……えっ、駄目なのソルヴェーテ?」
両手でバツを作りながら、コロンビーナが洗浄しようとした食器を全て取り上げるソルヴェーテ。
ソルヴェーテにとって、陽介から与えられた家事という役割は、自分が活躍出来る絶好の機会なのだ。
例え生みの親であるコロンビーナであっても、その機会を奪われる訳にはいかないし、そもそも掃除に関してはソルヴェーテだけで十分間に合っているのだ。
青白い炎が食器を包んだかと思えば、一瞬で汚れが落ちてピカピカになる。
自分一人で問題ないと行動で示したソルヴェーテに、コロンビーナは素直に引き下がるしかなかった。
「……むぅ」
……元々は私の役目だったのに。
そんなことを思いながらも、自らの介入する余地が無いことを悟り、しょんぼりと落ち込むコロンビーナ。
その姿があまりにも不憫だったので、傍らで二人のやり取りを見守っていた陽介はさりげなく助け舟を出すことにした。
「……食後のデザートにアップルパイでも作ろうと思うんだが、料理を手伝って貰えないかコロンビーナ?」
「……うん、手伝う♪」
訪れた活躍の機会にパァっと表情を輝かせるコロンビーナ。
陽介の隣で手解きを受けながら、慣れない包丁の扱いに四苦八苦しつつも、レシピ通りにアップルパイを完成させる。
「……出来た」
「おお、焼き上がりの色も綺麗で良い塩梅だな」
オーブンから取り出した焼きたてのアップルパイは、表面が黄金色に輝いており、甘く濃厚な林檎の香りが漂っていた。
陽介が紅茶を準備して、昼食後のお茶会が開催される。
今回はアップルパイに合わせてローズヒップ&ハイビスカスがティーカップへと注がれた。
深紅の色合いが美しく、癖のある酸味も蜂蜜で調整されており、アップルパイと絶妙にマッチしていた。
「んぅ~、甘くて美味しい♪」
サクリとした食感と林檎の濃厚な甘さが口の中を満たし、紅茶の程よい酸味が爽やかに口の中に広がる。
気のせいかいつも以上に美味しく感じたが、それもまた料理を作ったものの特権であるのだろう。
「コロンビーナが手伝ってくれたお陰で、いつもより美味しく作れたよ。ありがとう」
「フフッ、どういたしまして♪」
「~~~♪」
膝の上に乗ったソルヴェーテを撫で回しながら、コロンビーナを労う陽介。
そんな陽介の言葉に達成感を覚え、満足そうに微笑むコロンビーナであったが、同時にふと疑問を抱いてしまう。
(……あれ?)
手伝いと言いながらも、陽介に料理を教えて貰いながら調理を進めたので、結果的に言うなら陽介の手間が増えており、手伝いになっていないという事実に辿り着いてしまったのだ。
物言いたげな彼女の様子を見て、心境の変化を察した陽介は、スッと小皿を机の上に置いた。
「……クッキーも一緒に焼いたんだが食うか?」
「──んっ、食べる」
コロンビーナの抱いていた疑問は、提供されたクッキーと共に胃袋の中へと消え去り、陽介はホッと胸を撫で下ろすのであった。
この世界はテイワットよりも平和な環境であるが故に娯楽が溢れている。
コロンビーナにとって、それは尽きることのない驚きと喜びの連続だった。
特に彼女が気に入っているのが、様々なジャンルの音楽を気軽に聞くことが出来ることだ。
ネットには古今東西、膨大な音楽が集積されており。気に入った曲を見つけては口ずさむのが、コロンビーナの最近のトレンドである。
鈴を転がすような、透明感のある彼女の歌声がBGMとしてリビングに流れるのは、日向家では当たり前の光景となりつつあった。
「……?」
そんな穏やかな生活を送っていたとある日の夕方──コロンビーナはリビングの片隅に置かれていたあるものに注目する。
彼女の視線の先には、年季の入った黒いグランドピアノが鎮座していた。
リビングという一番目につく場所にあるにも関わらず、陽介がこのピアノを演奏している姿は今まで一度たりとも見たことがなかった。
だからこそ、そんなグランドピアノと陽介の関連性が気になったのである。
「……あれは亡くなった母さんの遺品だよ」
コロンビーナの質問に対し、陽介は懐かしそうにピアノの鍵盤に触れながら語り始めた。
生前の陽介の母親の仕事は音楽の教師であり、幼い頃の陽介は母親にピアノを習っていた。
覚えたての拙い演奏を披露し、その演奏を聴いた父親が笑顔で褒めながら頭を撫でるのは定番の流れとなった。
いつしかそんな演奏会は家族の恒例行事となっており、頻繁に演奏会が行われたことで、回を追うごとに陽介のピアノの腕前も向上していった。
しかし陽介が高校に入学して間もない頃、父が交通事故に巻き込まれて亡くなったことで、そんな演奏会も徐々に無くなっていった。
1年程前に母が病で亡くなったことにより、陽介がピアノを弾く機会はパタリと途絶えてしまい、今の今までリビングに置き去りにされていたという訳である。
「……遺品整理の時も、これだけは捨てられなくてな。そのまま置物になってたんだ」
「……そうなんだ」
コロンビーナは静かにピアノに歩み寄った。
ピアノの表面をなぞる様に触れるその手つきは、故人を偲び慈しむような優しさがあった。
彼女は理解したのだ。
このピアノが単なる楽器ではなく、陽介と家族を繋ぐ大切な絆であることを。
だからこそ、このピアノが音を奏でずに、このまま寂れてしまうのは、あまりにも物悲しいと思ってしまったのだ。
「……陽介。弾いてみて?
──貴方が奏でるピアノの音を私も聞いてみたい」
「……」
コロンビーナのその願いに、陽介は即答することが出来ずに押し黙ってしまう。
このピアノを演奏することに得体の知れない恐怖を抱いており、無意識に躊躇ってしまったからだ。
「……上手く弾けるか分からないぞ」
だが強い意志を感じさせるコロンビーナの瞳にジッと見つめられ、理由なく断ることなど陽介には出来なかった。
観念した様子で椅子に座り直した彼は、並んだ白と黒の鍵盤にそっと指を添える。
──何を弾こうか。
迷った末に陽介が選んだのは、コロンビーナがいつも口ずさんでいる、新月の子守歌の旋律だった。
ポロン……。
最初の一音が、静寂なリビングに波紋のように広がった。
調律は狂っておらず、澄んだピアノの音が溶け込むように耳にスッと入ってくる。
陽介の指が、記憶を辿るように鍵盤の上を滑る。
意外な程に指は滑らかに動き、優しく何処か哀愁を感じさせる音色が奏でられた。
「──
その旋律に誘われるように、コロンビーナが静かに歌い始めた。
包み込むような慈愛に満ちた歌声が、ピアノの音色に寄り添うように混じり合う。
例えその言葉は判らずとも、音に込められた意味は理解出来る。
──懐郷の感情に囚われながら彷徨い歩く子供を、優しく慰め導く子守歌。
陽介は鍵盤を叩きながらも、自問自答していた。
何故自分は、ピアノを弾かなくなってしまったのだろうかと。
(──嗚呼、そうか)
このピアノの音を聞くと、思い出してしまうからだ。
拙い演奏を笑顔で褒めながら、優しく頭を撫でてくれた父の大きな掌を。
息を引き取る際に浮かべていた、母の穏やかな笑顔を。
このピアノが奏でる旋律は、幸せな記憶と共に、もう二度と戻らない大切な人との離別を強烈に意識させる。
だから無意識に演奏することを避けていたのだ。いつか訪れる別れを恐れていたのである。
そして今。
こうしてコロンビーナと過ごす時間もまた、彼女の帰郷と共に過去の思い出に変わっていくのだろう。
「…………」
改めてそんな現実に向き合う事になった陽介は、胸に鋭い痛みを感じながらも、コロンビーナの歌声に合わせるように、無言でピアノを奏で続ける。
──別れの時が間近に迫っていることを、この切なくも美しい旋律が残酷なまでに突きつけていた。
コロンビーナめっちゃ運営に優遇されてますねぇ。
キャラ性能もあり得ん程に強いし、何よりPVの数と出来が圧倒的過ぎる。
コロンビーナの声優役のLynnさんが『満ちる月影の彼方』というキャラソン歌ってますし、空月の祝福の演出変更なども踏まえて、過去一の気合の入れようではと思います。
そして話も漸く折り返し地点に突入。
……ストック尽きたので、頑張って書き溜めないと。