時透家を襲った惨劇から数日。月唯は、自分を救った元・柱の育手、氷室(ひむろ)の隠れ家にいた。
胸に空いた穴が痛い。有一郎は死に、無一郎はどこか遠くの屋敷へ運ばれ、記憶すら混濁していると聞いた。
「……やりたいことがあるんだろう。小娘」
老いた育手、氷室が低く問いかける。月唯は、震える手で懐から取り出した布切れを見つめた。有一郎が最期に握らせた、彼の着物の端切れだ。
「私は、強くなりたいです。雪の中で、もう誰も死なせないくらいに」
月唯は、その端切れを自分の真っ白な羽織の裏側、左胸のあたる場所に丁寧に縫い付けた。一針ごとに、有一郎の厳しい声と、無一郎の穏やかな笑顔を、自分の魂に刻みつけるように。
修行は、一年中雪が降り積もる極寒の霊峰で行われた。
「雪の呼吸は、冷気を肺に溜め、体温を限界まで下げることで完成する。一歩間違えれば、お前の心臓は止まるぞ」
氷室の言葉通り、修行は死と隣り合わせだった。凍てつく空気を深く吸い込むたび、肺の奥が剣で刺されたように痛む。指先は感覚を失い、肌は霜に焼かれた。
「思い出せ……有一郎の、あの手の冷たさを。無一郎を頼むと言った、あの声を!」
月唯は、羽織の裏に縫い付けた布地に手を当てた。そこにはまだ、有一郎の執念が宿っている気がした。
吹雪の中で何万回と刀を振り下ろす。感覚が研ぎ澄まされ、空中に舞う雪の結晶一つ一つの動きが見えるようになったとき、彼女の刃が変化した。
刀を振るう軌跡に、淡い光を放つ雪の結晶が舞う。
それは、あの日無一郎が描いた「三人の印」の形をしていた。
「……できた。これが、私の雪だ」
修行開始からわずか半年で、月唯は最終選別を突破した。
その後も彼女の快進撃は止まらなかった。戦場に立つ月唯は、氷のように冷徹で、かつ雪のように静かだった。
ある雪の夜、彼女は下弦の鬼と対峙する。
「雪の呼吸、壱ノ型――薄雪」
目に見えぬほどの速さで放たれた一撃は、鬼の首を瞬時に凍結させ、砕いた。
舞い散る氷の破片の中に浮かび上がる、三人の絆の紋様。それを見た鬼は、死の間際に「美しい……」と零したという。
任務を終え、月唯は自分の羽織を抱きしめた。
「見てる?有一郎 私は、柱になるよ。そして必ず、無一郎を守る」
十四歳の少女は、雪柱としての重圧を背負いながら、次の任務へと向かった。その胸の裏側には、今も有一郎の布地が、彼女の鼓動を温かく支えていた。
短編小説:三つの輪、ひとつの結晶
その日は、朝からしんしんと大きな雪が降っていた。
まだ十にも満たない三人の子供たちにとって、積もったばかりの雪はこの世で一番純白な遊び場だった。
「ほら、月唯。そんなに口を開けてると雪が入るぞ」
少し大人びた口調で注意するのは、当時からしっかり者だった有一郎だ。彼は小さな竹籠に、凍りついた木の実を器用に集めていた。
「いいの。雪はね、空からの贈り物なんだよ。有一郎も食べてみる?」
月唯がけらけらと笑うと、隣にいた無一郎も真似をして、空に向かって口を大きく開けた。
「本当だ。冷たくて、ちょっとだけ甘い匂いがするね」
「無一郎まで馬鹿なことするな。……ったく、二人とも幼いんだから」
有一郎は呆れたように肩をすくめたが、その実、月唯に掛け直してやった防寒用の古布は、彼が一番大切にしていたものだった。
やがて雪が止み、雲の隙間から柔らかな冬の日差しが差し込んだ。
無一郎が、誰も足を踏み入れていない真っさらな雪の広場へ、ゆっくりと歩き出した。
「ねえ、二人とも。こっちに来て」
無一郎はしゃがみ込み、細い指先で雪をなぞり始めた。月唯と有一郎が覗き込むと、そこには三つの円が重なり合った図形が描かれていた。
「なに、これ。お団子?」
月唯が首を傾げると、無一郎は首を振って、円のひとつひとつを指差した。
「これは僕、これは兄さん、これは月唯。三つの輪っこがこうやって重なってるから、絶対に離れないんだよ」
無一郎はさらに、その重なった部分から外側に向けて、雪の結晶のような六本の線を書き足した。
「僕たちが一緒にいれば、雪の結晶みたいに強くて綺麗になれる。これが『三人の印』だよ」
その言葉に、有一郎は少しだけ照れくさそうに鼻を鳴らした。
「……へんてこな形だな。でも、まあ、悪くない」
「でしょ? 覚えといてね、月唯。この印を見れば僕たちが一緒にいるって思い出せるから」
無一郎の真っ直ぐな瞳に見つめられ、月唯は大きく頷いた。
「うん、絶対に忘れない。この印は、私たちが仲良しの証拠だね」
月唯は、自分の小さな手のひらで、無一郎が描いた印をそっと包み込んだ。
冷たい雪のはずなのに、そこには確かな温もりがあるような気がした。
……数年後、月唯が『雪の呼吸』を振るうたびに舞い散る結晶がこの形になることを、まだ誰も知らない。
そして、その印を考え出した少年が、その意味をすべて忘れてしまう未来も――。
冬の静寂の中、三人の笑い声だけが、いつまでも山々に木霊していた。