そこは、生と死の狭間。
どこまでも続く真っ白な霧の向こうに、一人の少年が立っていた。
時透有一郎。彼はあの日からずっと、ここで待っていた。弟がこちらへ来るのを拒むため、そして、もし来てしまったときには誰よりも早く抱きしめるために。
「…………早すぎるんだよ、馬鹿」
霧を割って現れたのは、ボロボロになった隊服を纏った無一郎。
そしてその隣には、血に染まった白銀の羽織を揺らし、無一郎の手を固く握りしめている少女がいた。
「兄さん……」「有一郎⋯⋯」
「……無一郎、月唯……」
無一郎の声に、月唯の声が重なる。
有一郎の瞳から、堪えていた涙が溢れ出した。
有一郎にとって、月唯はただの幼なじみではなかった。
かつて両親が健在だった頃、山で共に育ち、泥だらけになって駆け回った幼なじみ。無一郎が優しすぎて損をすれば月唯が怒り、有一郎が口うるさく言えば月唯が宥める。そんな、家族同然の時間を共有した存在だった。
「有一郎……ごめんなさい。無一郎を、守れなかった……。また二人で、あの山に帰りたかったのに……」
月唯が震える声で謝る。その姿は、上弦の壱を追い詰めた「雪柱」ではなく、ただの心優しい少女に戻っていた。
「……謝るなよ、月唯。あんたが無一郎の隣にいてくれたから、この馬鹿は……最後の一瞬まで自分を失わずに済んだんだろ」
有一郎は二人へ歩み寄り、無一郎の頭を、そして月唯の頭を、包み込むように抱き寄せた。
三人の体が重なる。
有一郎の腕の中は、無限城の冷気も、黒死牟の刃の痛みも届かない、絶対的な安らぎに満ちていた。
「月唯、お前も頑張ったな。……俺が死んだ後、無一郎が独りにならないようにって、ずっと無理してただろ。……もういいんだ。もう、戦わなくていい」
有一郎の言葉に、月唯は有一郎の胸に顔を埋めて、子供のように声を上げて泣いた。
無一郎も、失ったはずの左手で、そして右腕で、大切な兄と幼なじみを抱きしめ返した。
「……幸せだったよ。兄さんがいて、月唯がいて。……みんなのために命を懸けられた。僕の人生は、何ひとつ無駄じゃなかった」
ふと、霧の向こうから暖かい光が差し込んできた。
「行こう。……これからは、ずっと一緒だ」
有一郎が真ん中に立ち、右手に無一郎を、左手に月唯の手を引く。
幼い頃、雪深い山道を三人で歩いたときと同じ並び。
霞は晴れ、雪は穏やかに降り注ぐ。
三人の魂は、過酷な運命から解き放たれ、懐かしい温もりの中へと、静かに消えていった。