キメツ学園中等部3年の宵咲月唯は、学年でも指折りの成績優秀者だ。しかし、先週の数日間、珍しく高熱を出して学校を休んでいた。
今日、病み上がりの彼女が放課後に向かったのは、化学教師・伊黒小芭内が待つ理科準備室である。
「失礼します、伊黒先生。先日はお休みしてすみませんでした。実験のレポート、どうしても自分で確かめたくて……」
白衣の袖を捲り、試験管を整理していた伊黒は、眼鏡の奥のオッドアイを僅かに細めた。
「……宵咲。お前は成績優秀だが、要領が悪いな。休んだ分のデータなど、クラスメイトにでも写させてもらえば済む話だろう。わざわざ個別補習を願い出るとは、余程の物好きか」
「ふふ、数値を見るだけじゃなくて、自分の目で『色の変化』が見たかったんです。それに、伊黒先生の解説、分かりやすくて好きですから」
伊黒は無言で、準備しておいたアルコールランプに火を灯した。
実は伊黒は、彼女が休んでいる間、鏑丸と共にどこか落ち着かない様子だったのを数学の不死川先生に揶揄われていた。だが、そんなことはおくびにも出さない。
「……始めろ。今回は沈殿反応の確認だ。お前が休んでいた日に、竈門や我妻が試験管を一本割ってくれたおかげで、予備の器具を出す手間が増えた。お前はミスをするなよ」
「はい! よろしくお願いします」
月唯の手つきは、普段の優秀さ通り非常に丁寧だった。伊黒の指導を受けながら、試験管の中の液体が透明から鮮やかな青色に変わるのを見つめる。
その真剣な月唯の横顔に、伊黒はふと、かつて自分たちの先陣を切って戦場を駆け抜けた「雪柱」の凛々しさを重ねた。
実験が佳境に入ったその時、科学室のドアが「ガラッ!」と勢いよく開いた。
「月唯! もう終わった!? 病み上がりなんだから、あんまり根を詰めないでよ」
無一郎が月唯の額に自分の額をぴたっと当てて、熱を測り始める。
「おい無一郎、離れろ。……月唯、俺たちが作ったお粥のおかげで治ったんだから、また無理してぶり返したら承知しないぞ。伊黒先生、こいつに劇薬とか触らせてないだろうな?」
有一郎が厳しい顔で伊黒を睨みつける。
「……時透。人の聖域(科学室)に土足で踏み込むな。それに宵咲は、お前らのような単細胞とは違って注意深い。実験の邪魔だ、消えろ」
伊黒と双子の間で火花が散る。月唯はそんな三人を見て、クスクスと楽しそうに笑った。
「伊黒先生。……先生も、私が休んでる間、心配してくださってたんですよね? 炭治郎先輩が言ってました。『伊黒先生が、月唯さんの体調を気にして何度も中等部の方を見てたよ』って」
「……竈門の鼻は、たまに余計なものまで嗅ぎ取るようだな。俺はただ、レポートの提出が滞るのが不快だっただけだ」
伊黒は顔を背け、鏑丸を月唯の肩に移動させた。
鏑丸は「おかえり」と言うように、月唯の頬に冷たくて心地よい鱗を寄せた。
「ふふ、ありがとうございます。……先生の実験、やっぱり受けられてよかったです。なんだか、足りなかったピースが埋まったみたいで」
月唯のその言葉は、単なる勉強の話ではなく、魂の欠損さえも埋めるような響きを持っていた。
理科室を満たすオレンジ色の夕日。
かつて孤独だった蛇の教師と、雪のように純粋な少女。そして彼女を護る双子の騎士。
キメツ学園の日常は、化学反応のように予測不能で、けれど何よりも美しい色彩を放っていた。