土曜日の午後。キメツ学園中等部の正門付近。
そこには、獲物を待つ鷹のような鋭さで、月唯を待つ時透無一郎と有一郎の姿があった。
「月唯が、しのぶさんと図書館で勉強会なんて、怪しいと思わないか?」
「……思う。しのぶさんは『毒』があるからね。月唯に余計な知識を吹き込みそう」
そんな二人の背後を、目出し帽……ではなく、大きなサングラスと夏帽子で変装した三つの影が通り過ぎていく。
「ふふ、作戦成功ですね。」
高等部3年の胡蝶しのぶが、不敵な笑みを浮かべる。
「きゃあ! しのぶちゃん、スパイみたいでドキドキしちゃうわね!」
蜜璃がはしゃぐ隣で、月唯は少し申し訳なさそうに振り返った。
「あの……二人には悪い気がするけど、今日は『女子だけ』のお話があるんですもんね?」
三人が辿り着いたのは、街外れにある隠れ家的なアンティークカフェ。
しのぶは、前世での「雪柱」月唯を忘れていない。柱で、数少ない女性同士として、彼女に注いでいた深い情愛を今も持ち続けている。
「月唯さん、今日は進路のお話もしましょうか。あなたは優秀ですから、高等部で薬学を志してみませんか?」
しのぶが優しく微笑む。
「薬学……。なんだか、昔からお花の香りを調合したり、怪我をした人に寄り添ったりするのが好きだった気がするんです」
月唯のその言葉に、しのぶの瞳が僅かに揺れた。
「ええ、あなたはとても手先が器用で、慈悲深い人でしたから。……今世でも、その力は誰かを救うために使われるはずですよ」
話題は次第に、蜜璃の得意分野へと移る。
「ねえねえ月唯ちゃん! あの双子くんたち、最近さらに背が伸びたわよね? 学園でも『時透親衛隊』なんてファンクラブができてるって噂よ!」
「えっ、親衛隊!? ……全然気づかなかったです」
月唯の反応に、しのぶはクスクスと肩を揺らす。
「あの子たちは、月唯さんの前ではただの『懐いた子犬』ですからね。でも気をつけて。月唯さんの自覚がないところで、彼らは周囲の男子を全て『毒』で麻痺させているようなものですから」
「毒……? やっぱり、二人はちょっと過保護すぎるのかな」
月唯が首を傾げると、蜜璃が熱っぽく語る。
「でもね、愛されてるって素敵なことよ! 私なんて、小芭内さんにこの前、名前を呼ばれただけでパンケーキ三つ食べちゃったもの!」
楽しい時間はあっという間。店を出ようとしたその時、しのぶの「直感」が危険を知らせた。
「……おや。想定より早かったですね」
店の外、曲がり角から殺気のようなオーラを放ちながら歩いてくるのは、竹刀袋を担いだ双子だった。
「見つけた……。月唯、そこから動かないで。しのぶさん、月唯をどこに連れ回してるの」
無一郎の目が、いつになく据わっている。
「あら、時透くん。私たち、ただの『お勉強会』の延長ですよ。……さあ月唯さん、蜜璃さん。あちらの裏道から次のケーキ屋さんへ逃げましょうか!」
「ええーっ!? まだ食べられるの!? しのぶちゃん、最高!」
「わわっ、二人とも待って! ……ごめんね、有一郎くん、無一郎くん! 夕飯までには帰るからー!」
夕暮れの街を、笑いながら逃げる三人の乙女たちと、それを血相を変えて追いかける双子の少年。
前世のどんな戦いよりも、騒がしく、そして愛に満ちた「追いかけっこ」に彩られていた。
「……絶対に許さない、あの人たち」
「……月唯、帰ったら反省会だ」
双子の悔しそうな声は、幸せな街の喧騒に、温かく溶けて消えていった。
「秘密の外出」から数時間後。夕闇が迫る宵咲家の玄関前で、月唯は大きく深呼吸をした。
扉を開けると、そこには案の定、リビングのソファで腕を組み、彫刻のように動かない二人の少年がいた。
「ただいま……。有一郎くん、無一郎くん」
「……遅い」
有一郎が、地吹雪のような冷たい声で応える。
「……月唯、しのぶさんたちと何をしてたの。スマホのメッセージも無視して。僕たち、すごく心配したんだよ」
無一郎は表情こそ変えないが、その瞳には「捨てられた子犬」のような寂しさが微かに混じっている。
「ごめんね。女の子同士の話に夢中になっちゃって……。でもね、二人のことを忘れてたわけじゃないんだよ?」
月唯は背中に隠していた紙袋を、二人の前にそっと差し出した。
「はい、これ。二人に、どうしても食べてほしくて」
有一郎が不審げに袋の中を覗き込む。そこに入っていたのは、三人が行ったアンティークカフェで、一日数点しか販売されない特製の『塩キャラメル・ガレット』と、『季節の果実が詰まった贅沢ふやき』だった。
「これ……。あそこの店、予約しないと買えないんじゃなかったか?」
有一郎の眉間の皺が、わずかに解ける。
「蜜璃さんがね、こっそり予約しておいてくれたの。二人がお留守番頑張ってるから、お土産に持たせてあげようねって。……これ、二人が前に食べてみたいって言ってたでしょ?」
月唯が優しく微笑みながら二人の手を取ると、無一郎の頬がふっと緩んだ。
「……僕らのこと、考えててくれたんだ」
「当たり前じゃない。二人がいないと、ケーキの味も半分になっちゃうんだから」
その言葉は、双子にとってどんな高級なスイーツよりも甘かった。
有一郎はフン、と鼻を鳴らしてガレットの包みを手に取る。
「……まあ、せっかく買ってきたんだから、食ってやるよ。次は絶対に俺たちも連れて行け。……いいな?」
「うん、約束するね!」
リビングに、月唯が淹れたお茶の香りが広がる。
お土産を口にした二人は、先ほどまでの殺気が嘘のように穏やかな顔をしていた。
「……ねえ、有一郎。これ、意外と美味いな」
「……当たり前だ。月唯が選んだんだからな」
そんな二人の様子を眺めながら、月唯はふと思った。
前世のことは分からないけれど、こうして二人が笑って、美味しいものを食べている姿を見るのが、自分にとって一番の幸せなのだと。
「次は三人で、あのカフェに行こうね。……しのぶ先輩たちには、内緒でね?」
月唯のいたずらっぽい提案に、双子は顔を見合わせて、今度は心からの笑顔を見せた。
夕暮れの部屋に満ちる、三人の笑い声。
小さなハプニングの後は、いつもよりも少しだけ、絆が深まったような気がした。