蝶屋敷の縁側。月唯が持参したお菓子を炭治郎と分け合っていると、箱から出てきた禰豆子が当たり前のような顔をして、月唯の膝の上に陣取った。
禰豆子は月唯の指先を小さなお手玉のようにして遊び、時折「むふー」と満足げに喉を鳴らしている。
「……すみません、雪柱様。禰豆子が本当に懐いてしまって。まるでお姉さんに甘えているみたいです」
炭治郎が申し訳なさそうに、けれど温かい眼差しで笑う。
「いいのよ、竈門君。私も、こうしていると心が穏やかになるから」
月唯は禰豆子の柔らかな髪を撫でながら、ふと炭治郎の瞳を見た。そこには、柱に対する畏怖だけでなく、一人の人間に対する深い信頼が宿っていた。
「あの……雪柱様。もし、差し支えなければなのですが……」
炭治郎が少し照れくさそうに、けれど真っ直ぐに月唯を見つめた。
「あなたの匂いは、とても澄んでいて、雪のように綺麗です。でも、その奥にはとても温かい匂いもします。……だから、その、階級ではなく、お名前でお呼びしてもいいでしょうか?」
月唯は一瞬、驚きに目を見開いた。
柱になってからというもの、皆から呼ばれるのは「雪柱」か「宵咲」だ。名前で呼んでくれるのは、記憶のない無一郎と、底抜けに明るい蜜璃くらいだった。
「……ええ、もちろん。好きに呼んで、竈門君」
「ありがとうございます! ……月唯さん!」
炭治郎が晴れやかな笑顔でそう呼んだ瞬間、月唯の胸の奥に溜まっていた冷たい空気が、ふわりと春風に溶かされたような気がした。
「……ねえ、 呼び方を変えるの?」
今まで庭の蝶を眺めていた無一郎が、いつの間にか月唯の背後に立っていた。彼は少しだけ面白くなさそうな顔をして、炭治郎をじっと見つめる。
「時透様! はい、月唯さんのお名前を呼んでもいいと許可をいただいたので!」
「……ふうん。……でも、月唯のことを下の名前で呼んでいいのは、僕だけだと思ってたな。……なんだか、少しだけ、モヤモヤする」
無一郎はそう言うと、自分も月唯の隣に座り、空いている方の膝に頭を乗せた。
右には禰豆子、左には無一郎。二人の「年下」に甘えられ、月唯は苦笑する。
「時透殿まで……。竈門君、ごめんなさいね。彼は少し、独占欲が強いみたい」
「いえ! 月唯さんは皆に慕われているんですね」
炭治郎は二人の絆の深さを嗅ぎ取り、嬉しそうに目を細めた。
四、新しい絆の匂い
「月唯さん。俺、もっと強くなります。あなたや時透様が繋いでくれたこの命で、必ず禰豆子を人間に戻します」
「ええ。応援しているわ。……頑張ってね、炭治郎君」
月唯が初めて少年の名前を呼ぶと、炭治郎の匂いがさらにぱぁっと明るくなった。
膝の上の禰豆子も、賛成するように「むー!」と声を上げる。
雪柱という重責も、過去の後悔も、この瞬間だけは遠いことのように思えた。
「月唯さん」という新しい響きは、彼女の凍てついた心を、少しずつ、けれど確かに溶かし始めていた。