C107にて頒布しましたコピー本です。
終章ネタバレがあるのでご注意ください。

この二人に脳みそ焼かれましたよ。

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紫とアネモネ

「ライダー、ネモ・トリトン。召喚に応じて進水する。マスター、号令を」

 

 それなりに気取ったセリフと少しばかりの慎みを込めて、最初の言葉を僕はこう作った。

 周りは殺風景で、岩をくり抜いて作った空洞の中に最低限の机と魔術道具やらが散乱している。まるで秘密のドッグのようで嫌いではなかった。おそらくいいセンスをしているマスターなのだろう。

 そのマスターと思われる女性は、紫の髪を揺らしながらうんうんと頷いている。

 

「よし、ちゃんと召喚できましたね。私にかかればなんてことありませんが」

 

 少しだけむっとする。わざわざ召喚に応じたというのにこの対応はいかがなものか。

 

「あー、失礼。あなたがマスターか」

 

「あ、はい。すみません。ちゃんとあいさつしていませんでしたね」

 

 女性は居住まいを正して人の好さそうな笑みを受けべて言った。

 

「シオン・エルトナム・ソカリス。アトラス院の魔術師で、ちょっとした野暮用であなたの力をお借りしたいのです」

 

 

 

 シオンというマスターは自分を召喚した経緯(いきさつ)を、そしてこの星に起こった危機についてを聞かせた。

 

「……」

 

 思わず開いた口が閉じなかった。そりゃ僕のような純正とは言えないサーヴァントが、それも聖杯戦争に関係なく呼ばれたのだからただ事ではないとは思っていた。しかし、事態は数倍は危険な状況であった。

 そしてシオンはこの事態を打開できるだろうカルデアという組織の手助けをするために所属していたアトラス院を抜けて、この彷徨海と呼ばれる場所にまでやってきたのだ。

 彼女は事の次第と予想される出来事、そして僕に求める役割――彼らの母艦となるべき船を作り、彼らが無事に帰れるよう水先案内をすること――を手短に、過不足なく、一息に話し終えた。

 道具を片づけた机に向かい合って座っている僕とシオン。不要と言ったがそれでも差し出されたコーヒーはとっくに湯気を吐き終え、凪のように黒かった。

 

「さて、私があなたを召喚したのは以上の理由です。ご協力、いただけますかね」

 

「……」

 

 一呼吸だけおいて、彼女の話を頭で飲み込み直した。彼女の話を疑うことも、役目に不満もない。

 

「サーヴァントとして、マスターの命令を果たす。それに、船乗りとしてその旅は、正直とてもワクワクする」

 

「そうですか」

 

 シオンはほころんだ。アトラス院の最高峰の頭脳でも、不安なことはあるみたいだ。

 

「だが」

 

 僕がそう言うと彼女は笑みを浮かべたまま、その表情の裏に緊張の糸を張った。

 

「なぜ、君は彼らを助けようとするんだい」

 

「そりゃこんな危機を見てしまったのです。助けなくちゃいけませんよ」

 

「なら言葉を変える」

 

 初めて僕は、マスターに対して敵意を向けた。

 

「なんで、マスターは汎人類史から離れたんだ」

 

「……そうですね」

 

 それは隠していたわけではない。彼女の話と知識があれば自然と導き出される結末であった。

 シオンというマスターはカルデアを助けるために、わざわざ汎人類史と手を切り、白紙化地球の修正の暁には消えてなくなってしまうのだ。間違いのない、確実な未来。コンパスと海図があれば自然と導き出される目標地点なのだ。

 僕は、絶対に消えてしまうマスターのために、この航海を行かねばならない。

 船乗りは海を行くもの。それは未知を発見し、人を乗せ、夢を繋ぐ者たちだ。その道中に命を落とすことはあれど、命を落とすために海を行くのではない。コロンブスも、ドレイクも、太平洋を渡った開拓者たちも、死ぬために海に駆り出たんじゃないんだ。

 それが、僕の敵意だ。死ぬために船を出すことはしない。

 だからシオンに聞かねばならないのだ。

 その返答如何では、僕はこの件から降りなくてはならない。

 僕の剣幕が伝わったのだろう。彼女はうんうんと唸り、最後は困ったように笑って――その笑みは、この先の旅で何度も見ることになる笑みを――力なく言った。

 

「あんまり、誇れるような話じゃないんですけどね。ただ、本当に見てしまっただけなんです。カルデアはきっと、私の助力がなくてもきっと世界を救うでしょう。どんな困難だって乗り越えていきます。それを私は、見ました。

 でも、困難は困難です。どんなに乗り越えられる試練でも、苦しいものは苦しいはずです。

 そんな彼らに少しでも助けになれば、と思っただけです」

 

「……それは、長い航海の中で新鮮な果実を食べることができるようになる、ということかな」

 

「ええ。その程度のものです。干し肉と乾パンでも彼らは道行を果たすでしょうが」

 

 それでも、と彼女は言う。

 

「たまに美味しいものが食べれたら、少しはいいじゃないですか」

 

 シオンの言葉に嘘はないと悟る。そして、自分の中に燻っていた敵意がまったく引いていたことにも気づいた。

 

「うん、うん。うん、分かった。それは、とても大事なことだ」

 

 もしも、広い海原で遭難している船があったら迷いなく助ける。残り少ない食料と言えども必ず分け与える。ともに船に乗せ、何とか乗り切ろうとする。

 それが船乗りというものだ。

 

 けど。

 

「長い航海では新鮮な果実は必要だ。壊血病になったら、とんでもないからね」

 

「いや、それは言葉の綾というか、比喩表現ですよ」

 

「わかっている」

 

 改めて、僕は姿勢を正す。

 この無謀にも遠くに見えた難破船のために、沢山の食料を詰め込んだボートで海原に漕ぎ出してしまったマスターに、敬意を捧げる。

 

「ライダー、ネモ・トリトン。あなたの船として、最後まであなたの使命を全うできるように努めよう」

 

 そう言って初めて、シオンはにへらと笑った。

 

 

 

「おや」

 

 ライダー、ネモが来てから数日が経った。工房の机に一輪の花が活けてある。

 

「これはライダーのものですか」

 

「そうだ。そこら辺にあったから摘んできた」

 

「ほう。このような趣味がおありとは」

 

「海の人はこういう些細なものに楽しみを見出すものさ」

 

 あと、とネモは付け足した。

 

「僕のことはキャプテンと呼んでくれ。マスターの教えてくれた思考分割で、そろそろ同位体を生成できそうなんだ。そしたらライダーだと分かりづらいだろ」

 

「ふむ、それはそうですね。では、今日からキャプテンと」

 

「アイ、アイ、マム」

 

 そう言ってキャプテン・ネモは帽子を深くかぶり、出て行った。

 改めてシオンは机の上の花を見る。

 彼女の髪色と同じ、鮮やかな紫色のアネモネ。

 花言葉は確か、と彼女は想起した。

 

 

 

 船乗りは孤独が嫌いだ。

 同じくらい、孤独で行こうとするやつが嫌いだ。

 我がマスターよ。最も賢く最も勇敢で、最もお人好しな我がマスターよ。

 その最期が孤独になることを、あなたは予見しているでしょう。

 だからそうはさせない。

 どんな旅人にも、地図がある。水先案内がある。船がある。希望がある。

 それらは絶対その最期まで、貴女の許を離れることはない。

 最期の最期まで、その使命を果たすまで。

 それこそが、僕の使命だから。

 


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