ふと、クロノジェネシスって、過去の名馬解説に向いてるんじゃないかと思って書いたやつ。一発ネタ。
何か、書いてる途中にこれそんなに面白くないなって思ったので、無理やり話を終わらせて供養したやつ。
出典・参考文献
立川健治 著. 文明開化に馬券は舞う : 日本競馬の誕生, 世織書房, 2008.9, (競馬の社会史 ; 1).
立川健治. 鹿鳴館時代の競馬--明治12~25年--資料編. 富山大学人文学部紀要 = Journal of the Faculty of Humanities, University of Toyama. (通号 22) 1995,p.p63~103.
うみねこ博物館."白雲".2005.08.05.うみねこ博物館.
https://umineko-world.jugem.jp/?eid=177#gsc.tab=0(参照 2026-1-10).
ネット競馬."Dublin".ネット競馬.
https://db.sp.netkeiba.com/horse/000a02bbeb/(参照 2026-1-10).
「ええ……。何ですこれ」
鬼・悪魔・たづなでお馴染み、トレセン学園理事長秘書、駿川たづなは困惑するように呟く。鬼悪魔をも恐れる彼女が何に困惑しているのかと問えば、それは眼前に映る一枚のポスターだった。
──『クロノのパーフェクトけいば教室』
その言葉と共に、開催日、場所が記されたポスターが存在感を放っていた。まるでテ◯キオンのように。
けいば……それはウマ娘レースの別称である。現代では、ウマ娘レースという呼び方が主流であるが、たづな世代の人間からすれば、競馬という呼び名の方が馴染みがあった。
うら若き乙女であるたづなが、どうして馴染み深く感じるのかは公言できないが、久方振りに聞いたその言葉はたづなを童心に返らせるには十分であった。
なぜ、クロノジェネシスが競馬なる語を使っているのか、困惑の感情は大きかいが、しかし時間が経つにつれ穏やかな感情がたづなの中に増していった。
言うなれば、今時ギャルのヘリオスが、突如としてマルゼンスキー顔負けのナウい言葉を使い出したような状況であるが、クロノジェネシスの人物像について思い出してみると不思議と納得できた。
(クロノジェネシスさんは歴史を探求するのが好きなウマ娘。ポスターの説明書きを見るに、ウマ娘の歴史講座をするつもりのため、敢えて競馬という古い語を使った、と)
そう思えば、このポスターにはなんらおかしな所は見当たらない。加えて、パーフェクトの文字が入っているのもたづな的にはお気に入りポイントの一つだった。
それは、とある幻の名ウマ娘の幼名が『パーフエクト』であったこととは、一切関係のない話である。
「……折角ですし、行ってみましょうか」
たづなはポスターをじっと見つめて声を出す。それは冷やかし半分の言葉であるが、彼女の歴史講座に興味がない訳でもなかった。
加えて、たづなとしては、先週、クロノジェネシスから取材を受けたばかりというのも引っ掛かっていた。
たづなの正体については極秘事項なのでここで書くことはできないが、ついこの間のこと、クロノジェネシスがたづなの顔をじっと見つめたかと思えば、彼女の正体を看破したという出来事があった。
本人曰く、ダービーの映像集を視聴したばかりであり、もしやと思い鎌を掛けただけだと答えるが、その流れで当時のエピソードを語らされたのだ。
つまる所、たづなの正体をバラされないかという監視と、当時を知る謎のウマ娘が老人ぶって茶々を入れるというのがやりたいのだ。
時代的に、老人ぶってというより老人そのものであるということは、決して言ってはならない言葉である。
◇◆
「おはようございます、クロノさん」
「わっ、たづなさん。ご無沙汰しています」
ポスターに記載されていた空き教室に向かうと、クロノジェネシスがリハーサルをしていた。彼女の講座が始まるのは午後から。まだ準備の段階であるのはたづなの想定通りであった。
それでも、たづなが事前にクロノジェネシスの元に訪れていたのは、他言無用としていたが、その講座にたづなの正体に関わる話が入っていないか探りを入れに来たのだ。
「ポスター見ましたよ。私も行こうと思ってますので、よろしくお願いしますね」
「えっ、たづなさんも来るんですか!その、魅力的に語れるか不安ではありますが、頑張ります」
クロノジェネシスはやる気に溢れた様子でそう話す。たづなが調べたところによると、このイベントは教務課に許可取りされたもので、詳細資料を取り寄せたのだが、歴史講座という情報以上のものは出てこなかった。
興奮した様子のクロノジェネシスが、教務課で企画について熱弁を振るっていた様子だけが証言として伝わるばかりだ。
「少しお聞きしたいのですが、講座ではどのようなことを話すつもりなんですか?」
たづなは、自身の正体に関わる内容が含まれていないか確認を込めて尋ねる。
クロノジェネシスは、たづなの言葉にうーんと悩む素振りを見せるとゆっくりと口を開く。
「……そうですね。最初はウマ娘レースが今に至るまでの歴史とか話していこうかと思っていたのですが、それよりも歴史的な名ウマ娘を中心に歴史を話していこうかなって」
たづなの言葉に、クロノジェネシスはゆっくりとした口調で答える。
名ウマ娘と呼ばれる存在は
例えば、URA顕彰ウマ娘。
中央レースの発展に大きく寄与したウマ娘を讃えるために作られた制度で、後世まで語り継ぐべきウマ娘が選ばれる。皇帝シンボリルドルフや世紀末覇王テイエムオペラオー、ちょっと意外なところだと、指導者として大成した大王キングカメハメハといった変わり種もいる。
とまあ、様々なウマ娘が思い浮かぶのだが、問題はその顕彰ウマ娘の中に、たづなの正体たるパーフェクトなウマ娘も含まれているということだ。
「……歴史的な名ウマ娘って、もしかして、顕彰ウマ娘でしょうか?」
たづなは恐る恐るといった様子で尋ねる。しかしクロノジェネシスはアッサリと返答する。
「いえ、違いますね。顕彰ウマ娘もいずれ語って行きたいですが、歴史を語るなら新し過ぎます」
「え?」
耳を疑う。帽子の中に隠れた耳をピョコピョコ動かして不調を疑うが、特段の異常はない。新し過ぎるとは一体どういうことだ。顕彰馬に選ばれた一番古いウマ娘、栗毛の貴公子と呼ばれた彼女でも、クロノジェネシスが生まれる80年前の存在なのに。一体彼女は何目線なんだろうか。
……因みに、たづなとクロノジェネシスとの間にも約70年というギャップがあるが、それが何のギャップであるかはトップシークレットであるため明言しない。しないったらしない。
ともかく、URAが誕生する前の名ウマ娘に対しての、新しいという言葉はたづなに衝撃を与えた。
「……そうですね。クモハタさんは確かに歴史的なウマ娘ではありますが、それでもダービーが日本で開催されてから第8回もの月日が流れています。もっと前の時代から日本で競馬は開催されていた筈ですよ」
たづなやセントライトですら半ば、神話に片足突っ込んでいるというのに、そんな彼女よりも古いウマ娘に対しこの言いざまである。しかしながら、こうなってくると他に思い浮かぶウマ娘はそれほどいない。
ダービーが開催されてからという言葉を鑑みるに、彼女が想定しているのは、『URA』の前身組織である『国営競馬』……の前身組織である『日本競馬会』…………の前身組織である『競馬倶楽部』だろう。
目黒記念、東京優駿、中山大障害、中山記念の4競走は、この時代の組織によって始まったものだ。
競馬倶楽部の名ウマ娘として思い浮かぶのは、ナスノ、バンザイ、コイワヰの三人だ。もう少し遡って、ミラー号の名前を挙げてもよいが、ここまで来ると、もはやどんなウマ娘だったのかたづなでも分からない。専ら、指導者として名を馳せていた覚えしかない。
「……ふむ。ナスノさんとハクシヨウさんのマッチレースは今でも語り草にされていますね。
バンザイさんは国家にその血を認められた最初のウマ娘として名高いです。サラ系ですけど。
そして、コイワヰさんは戦績を見るのが一番ですね。82戦45勝[45-17-12-8]という圧巻の戦績、そして指導者としての成功は目を見張るものがあります」
クロノジェネシスは一息に言い切ると、大きく溜めを作って言葉を発する。
「しかし、歴史的にはまだまだ新しいです。たづなさん、日本で一番最初に洋式競馬が行われたのはいつかご存知ですか」
クロノジェネシスは静かに問い掛ける。
「え、明治時代のどこかでしょうか」
「──答え合わせをしましょう。1860年9月1日です。元号で言えば万延。日米修好通商条約が締結され鎖国が完全に解かれてからおよそ2年後に、洋式競馬が日本にもたらされたのです」
たづなの頭の中には驚きと共に、納得の言葉が浮かんでいた。頭の中に居留地競馬という歴史用語が浮かび上がったからだ。そして、どこかで見たことがあるウマ娘の名前がふと思い出されたのだ。
「たづなさんの頭にも浮かんでいるでしょう。横浜新田、1862年10月1日秋季開催1日目第3レース横浜ダービー。登録ウマ娘は7人、賞金は150ドル。記録に残る日本最初の勝ちウマ娘。バタヴィア号。日本の競馬はここから始まりました」
確かに、日本競馬の歴史を辿るなら彼女から語り始めることに間違いはないだろう。ただ──。
「ええ、分かります。たづなさんの言いたいことは。そう、連続性がありません。今の競馬と彼女はほとんど繋がりがないということを。なんせ彼女は日本ウマ娘。私たちサラブレッドとは違う存在なのだから」
たづなは思った。そこまでは言ってない、と。因みにサラブレッドとは、三女神様を祖先とするウマ娘たちの通称である。かなり古臭い言葉で、たづなからしても古いと感じる言葉である。
「そうなんです。最初はバタヴィアさんやサムライさん、タイフーンさんなどから語ろうかと思いました。しかし、それを語ったところで、『でもそれって私たちとは何も関係ない別種族の子だよね』となるとの結論に至ったのです」
「クロノさん、何だかキャラ崩壊していませんか?」
思わず、ツッコミを入れるたづな。一歩間違えれば差別発言である。日本ウマ娘は数は少なくなったとは言えまだ存在するし、サラブレッド以外にも、ばんえいウマ娘やアラブウマ娘など様々存在する。
何なら世界で数として最も多いのは、クォーターホースである。これは結構センシティブな話題なのだ。
しかし、クロノジェネシスはたづなの心の叫びには気づかず言葉を紡ぐ。
「そこで、今回紹介したいのはこちらのウマ娘。日本初のサラブレッドの血が入ったウマ娘、ダブリン号です!」
たづなは思った。この子、見た目の印象よりもかなりヤバいウマ娘であると。
◇◆
ここで、史実におけるダブリン号の血統を解説しよう。
ダブリン号の父は、名前は全く同じくダブリンである。父ダブリンは1871年のケンタッキーで生まれ、ウィザーズステークスの初代王者としてその名を知られている。
このウィザーズステークスとは、アメリカの中でかなりの歴史を誇るレースであり、アメリカ三冠レースができるまでは、英セントジェームズパレスステークスや仏ジャックルマロワ賞などと肩を並べるほどの大レースと言われていた。
歴代優勝馬を見ると、コリン、マンノウォー、カウントフリート、ネイティヴダンサー、ドクターフェイガー等々傑物揃いである。
現代においては、単なるリステッド競走の一つであるが、それでも過去、大レースであったことには変わりない。
父ダブリンの父父はアメリカ永遠のヒーロー『レキシントン』、すなわちバイアリーターク系である。父ダブリンのファミリーナンバーは9-c。分かり易いところだとタニノギムレットと同じ母系だ。
そして話は戻るが、その産駒ダブリンの母は不明。父がサラブレッド、母が日本馬、いわゆる雑種馬というやつだ。
「と、ダブリンさんの血統については理解できましたか?」
クロノジェネシスはあっさりとした口調でそう述べる。たづなとしては一杯一杯である。ウマ娘の禁忌に触れるような話をされた気がするが、もはやたづなはそれどころではなかった。
父とは何だ、ファミリーナンバーとは何だ、雑種馬とは何だと、話の殆どを理解していなかった。しかしながら、深く触れてはいけないという感情が浮かび上がり、クロノジェネシスの問い掛けに軽く頷いた。
もはや、どうとでもなれといった様子である。
「……さて、そんなダブリン号ですが、デビューは1882年5月8日第9レース、ハーフブリードメイドンステークスです。因みにハーフブリードというのは混血。つまりは雑種馬を意味します。メイドンは未勝利を意味しますね。日本語訳では『雑種馬未得勝馬景物』と言います」
「もう止めませんか?この話」
「止めません。それで、このレースは三頭立てで行われました。1着はダブリン、2着千途勢、3着桜野という結果になりました。因みに3着馬の桜野は芦毛馬です。この時代の雑種馬の競馬は古馬のタチバナ、ボンレネー、そして圧倒的な力を持った
たづなの制止の声を無視してクロノジェネシスは語り続けた。
因みにタチバナ*1、ボンレネー*2、白雲*3の戦績は各自脚色を参照してほしい。
「へえ……白雲さんが圧倒的な力を持っていたっていうのは、確かに納得いきますね。しかし、それ以上にダブリンさんのこの強さは」
「ええ。当時の競馬は雑種馬が現れはじめた時代、黎明期ともあり、雑種馬の育成ノウハウは加速度的に進んでいたところ、更にサラブレッドの血が入ったことで、ダブリン号は無敵の存在になりました」
当時の状況については、これである程度理解できただろう。加えて言うならば、雑種馬自体の数が少なく、圧倒的な強者が現れると、力関係は完全に固定される。レース数も日本馬と中国馬のレースと挟まれて、開催が見送られることもあったとか何とか。
しかしながら、それは始めの内だけで、今後主流になるのは雑種馬、そしてアラブ、サラである。よって、競馬の始まりを語るのなら、雑種馬が最適だとクロノジェネシスは考えたのだ。
クロノジェネシスは解説を続ける。
「ダブリン、千途勢、桜野の中で最初に古馬に挑んだのは桜野でした。1862年春季根岸開催『主員賞盃』のこと。これが桜野にとってのデビュー戦でした。ここでいう主員(Patron)とは、有栖川宮熾仁親王、東伏見宮嘉明親王、伏見宮貞愛親王、北白川宮能久親王のことです。優勝者には皇族から賞盃が与えられました。
距離は3/4マイルで、1着白雲(10-13)、2着桜野(10-6)、3着タチバナ(10-10)、4着ボンレネー(11-5)です。括弧内は斤量のことで、白雲は10ストーン13ポンド、約69.4kgを表しています。タイムは1分36秒。
現代だと3/4マイルは1分10秒程度ですから遅く感じますが、サラブレッドと雑種馬を比べたらいけない話です。当時基準で速いのかという話だと、まあ普通ぐらいなんじゃないでしょうか」
「まあ、私の時代だって現代と比べたら遅いって言われますしね」
それこそ、例外はアメリカの某ビッグレッドぐらいだろう。
「こちらの桜野さんは『主員賞盃』で2着になった後に、『雑種馬未得勝馬景物』に向かい、新勢力の三人で対決したんですね」
「はい。レース結果は前述の通り、ダブリン、千途勢、桜野の順です。斤量は10ストーン4ポンド。レース日はどちらも1862年5月8日で、それぞれ3Rと9Rです」
「連闘とか、中3日とかはよくありましたけど、同一日とは凄いですね」
「速度が遅い分、頑丈なんですかね?私もその辺は分からないです」
クロノジェネシスは首を傾げる。昔のウマ娘はよく走る。アラブウマ娘はサラブレッドより頑丈だし、日本ウマ娘はもっと頑丈だ。
「ダブリン号の2戦目は1862年5月9日根岸開催2日目6R『根岸景物』4頭立です。距離は1周1dis(1874m)、賞金は$100、斤量は10-4。出走ウマ娘はダブリン号、白雲号、千途勢号、桜野号で、白雲号は前述の『主員賞盃』の勝利により斤量が10ポンド追加されて11ストーンでしたが、結果は1着ダブリン、2着白雲、3着千途勢、4着桜野。タイムは2分23秒1/2。ダブリンは白雲に2馬身の差をつけての完勝でした」
「10ポンドって大体4.5kgでしたっけ?やっぱり白雲さんも強いウマ娘ですね」
「白雲号は体高136.7㎝の月毛のウマ娘で、その小さな身体と毛色から、リトルクリームとか、リトルワンダーと呼ばれていました」
強いウマ娘は得てして異名というものが与えられる。この時代の馬にしては名前も残っている方のウマ娘で、インターネットで検索すれば写真だってヒットする。
「ダブリン号は根岸開催では、初日の『雑種馬未得勝馬景物』と2日目の『根岸景物』しか出走しませんでしたが、ついでと言っては何ですが、1872年5月10日根岸開催3日目1Rチャンピオン戦『雑種馬重量負担景物』についても解説します」
「その、チャンピオン戦とは何でしょうか?」
「重賞みたいなものだと理解してくれれば構いません。『雑種馬重量負担景物』は、距離1周(1774m)のハンデレースで、着順は1着千途勢(9-10)、2着ボンレネー(10)、3着白雲(11)、4着桜野(10)でした。
レース展開は、軽量の千途勢とボンレネーが先行し、2頭が行った行ったの展開となりました。途中までボンレネーの手応えが良かったのですが、第四コーナーで外埒によれて自滅、千途勢が優勝しました。タイムは2分6秒1/4で、昨年の小桜号のタイムを1/4秒上回るレコードでした」
1872年春季の根岸開催は、ダブリンがいないチャンピオン戦においても、新勢力の千途勢がレースを制し、世代交代を感じるものであった。
たづなもそれを感じて、『老兵は死なず、ただ消えゆくのみ』という言葉を思い浮かべた。因みに、たづなはうら若き乙女のため、共感したとかいう感情は断じて認められない。
「たづなさんだって、後1年、2年、3年と走っていたらまた変わってたかも知れませんよ。凡そ70年前、たづなさんの世代の前後なんて、1949年から1954年まで二冠馬が6人も続いて──」
「クロノさん」
「ひっ。は、話をダブリンさんに戻しますね」
クロノジェネシスは一体どこで地雷を踏んだのだろうと思いながらも、焦った様子で言葉を発する。
うら若き乙女であるたづなにはどうにも分らなかった。
「1872年5月27日と5月28日は戸山で競馬が開催されました。これは共同競馬会社によるもので、この会社というのは今で言う倶楽部みたいな意味合いです。1884年には、立地とかその他諸々の理由で上野不忍池に移転します。不忍池競馬は結構有名なのでレースに詳しくない人でも聞いたことはあるかも知れませんね。シヤンベルタン、アニバル、玉来、ヤングオーストラリア、結構な名ウマ娘が走ってます」
「どうして、知って当然という口調で言ってるのか私には甚だ疑問ですが、そうですね。……叶うならば、1900年代のウマ娘の名前が聞きたいです」
因みにたづなの限界は日本最初の名牝ミラーが限界である。少し古臭いが、シラオキ様みたいに神格化されているし、たづなの現役時代には名指導者として名を馳せていた。
「とまあ、共同競馬会社によって開催された戸山競馬ですが、そこでのダブリン号は明らかに不調でした」
「不調……ですか?」
「はい。まず、開催1日目の第3R、資料によって頭数が異なりますが、ここでは4頭立とします。出走ウマ娘はダブリンと白雲。スタートと同時に白雲は出遅れをして後方からの競馬となりました。こうなればダブリン号の圧勝かと思われましたが、脚がどんどんと鈍っていき、ギリギリでの辛勝となりました。1着ダブリン、2着白雲となります」
確かに、勝つには勝ったが、これまでのレース振りを考えるに調子が悪いように思える。
「加えて、同日第6R3頭立では、千途勢相手にまさかの敗北を喫しました。着順は不明。そして、翌日の5月28日開催2日目の3R4頭立でも、白雲相手に敗北します。老兵を舐めるなって奴ですね。ダブリン号は2着でした」
「へえ、結構ボロボロですね」
「同日7R2頭立チャンピオン戦では、千途勢号相手に勝つには勝ったのですが、どうにもその勝利は、千途勢号の前に犬が横切る不利があっての結果で、それがなければどうなっていたか分かりませんでした。そして、続いての三田開催では、ダブリン号は体調が戻らず欠場という流れになります」
ダブリンが出ないので三田開催は割愛するが、2日目2R『農務局賞典』で桜野号が白雲、ボンレネー号相手に勝利を挙げたり、2日目7Rでは元々5頭立ての予定であったが、敵になるウマ娘がいないとのことで白雲号の単走となったりと、これまた面白いレースがあるので何処かで話したいものだ、との旨クロノジェネシスは呟く。
「この後も、ダブリン号は快進撃を続け、1883年の秋季までは敵無しと言ったレースを見せますが、少し長くなったので、ここで休憩を挟みましょうか」
「……はい。そうしてくれると助かります」
たづなは疲労でたっぷりの声色で、吐き出すように言葉を紡いだ。何よりも驚いたのが、クロノジェネシスのマシンガントークである。
大阪のおばちゃん並みに彼女は喋る。いや、ただの面倒臭いオタクと表現した方が良いだろう。
とにかく、彼女のマシンガントークから解放されて休憩時間に入った。ここで抜け出すべきか、大人しく彼女のオタク語りを聞くべきか。たづなは長考を開始した。
生年:不明
馬種:雑種馬
毛色:不明
馬主:山島久光→前田→相良長発
生産:北海道七重農業試験場(?)
戦績:4戦3勝[3-0-1-0]
競走成績
1880年10月27日根岸開催1日目第2R『雑種馬未得勝馬賞典』3頭立、優勝(2着:イキオイ、3着:魁)
1881年5月9日根岸開催1日目第6R『宮内省賞典』5頭立、優勝(2着:アドミラルラウス、3着:豊駒、着外:朝顔、暁霜)
1881年5月11日根岸開催3日目第3R『主員賞盃』2頭立、優勝(2着:ボンレネー)
1882年5月8日根岸開催1日目第3R『主員賞盃』4頭立、3着(優勝:白雲、2着:桜野、4着:ボンレネー)
生年:1876年
馬種:雑種馬
毛色:鹿毛
馬主:アンゴ→アンゴ&岩下清十郎→西郷従道
戦績:23戦8勝[8-11-2-1]-1(着順不明)
競走成績
1879年11月30日戸山開催1日目第4R『筑波山』不明(優勝:豊駒)
1880年4月17日戸山開催1日目第5R、優勝(鞍上:久保田成章)(2着:豊島(鞍上:南野伝兵衛))。
1880年4月18日戸山開催2日目第6R、2着(鞍上:福羽守人)(優勝:朝顔、鞍上:久保田成章)。
1880年5月16日三田開催2日目7R、優勝(2着:軍川)。
1880年6月7日根岸開催1日目5R『隅田景物』5頭立、2着(優勝:アドミラルラウス)。
1880年6月8日根岸開催2日目7R『内務省賞典』3頭立、優勝(2着:アドミラルラウス、3着:暁霜)
1880年6月9日根岸開催3日目7R『雑種馬重量負担景物』4頭立、2着(優勝:朝顔、3着:ウォーウィック、着外:アドミラルラウス)
1880年10月28日根岸開催2日目8R『下総賞典』2頭立、優勝(2着:アドミラルラウス)
1880年10月29日根岸開催3日目6R『競馬景物』2頭立、優勝(2着:アドミラルラウス)
1880年11月20日三田開催1日目7R、2着(優勝:豊駒)
1880年11月21日三田開催2日目6R、2着(優勝:豊駒)
1881年5月10日根岸開催2日目7R『開拓使賞盃』単走、優勝。
1881年5月11日根岸開催3日目3R『主員賞盃』2頭立、2着(優勝:タチバナ)
1881年11月4日根岸開催1日目7R『秋季賞盃』3頭立、2着(優勝:白雲(旧名:ホクセ)、3着:小桜)
1881年11月7日根岸開催3日目3R『雑種馬無恤景物』2頭立、優勝(2着:小桜)
1881年11月7日根岸開催3日目7R『宮内省賞盃』3頭立、2着(優勝:白雲、3着:小桜)
1881年11月27日戸山開催2日目3R『宮内省下賜賞典』3頭立、2着(優勝:白雲(鞍上:福羽守人)、3着:小桜)
1881年11月27日戸山開催2日目6R『雑種馬無恤景物』2頭立、2着(優勝:小桜)
1881年12月3日三田開催1日目4R3頭立、優勝(鞍上:根村市利)(2着:白雲、3着:小桜)
1881年12月11日三田開催2日目3R3頭立、3着(優勝:白雲、2着:小桜)
1882年5月8日根岸開催1日目3R『主員賞盃』4頭立、4着(優勝:白雲、2着:桜野、3着:タチバナ)
1882年5月10日根岸開催3日目1R『雑種馬重量負担景物』4頭立、2着(優勝:千途勢、3着:白雲、4着:桜野)
1882年6月13日三田開催2日目2R『農務局賞典』3頭立、3着(優勝:桜野、2着:白雲)
生年:1872年
馬種:雑種馬
毛色:月毛
性別:牡馬
馬主:アンゴ&岩下(実際は内務省勧農局)→大河内正質→土方久元→大河内正質
生産:南部産
戦績:23戦12勝[12-7-1-0]-3(着順不明)
競走成績
1880年6月7日根岸開催1日目第2R『試競賞典』5頭立、優勝(2着:暁霜、3着:キチョウ、着外:トキロ、東京)
1880年6月8日根岸開催2日目第2R『下総賞盃』7頭立、優勝(2着:ウォーウィック、3着:東京、着外:朝顔)
1881年11月4日根岸開催1日目第7R『秋季賞盃』3頭立、優勝(鞍上:福羽守人)(2着:ボンレネー、3着:小桜)
1881年11月7日根岸開催3日目第7R『宮内省賞盃』3頭立、優勝(鞍上:福羽守人)(2着:ボンレネー、3着:小桜)
1881年11月19日戸山開催1日目第3R3頭立、優勝。
1881年11月27日根岸開催2日目第3R『宮内省下賜賞典』3頭立、優勝(鞍上:福羽守人)(2着:ボンレネー、3着:小桜)
1881年12月3日三田開催1日目第4R3頭立、2着(優勝:ボンレネー、3着:小桜)
1881年12月11日三田開催2日目第3R3頭立、優勝(2着:小桜、3着:ボンレネー)
1882年5月8日根岸開催1日目第3R『主員賞盃』4頭立、優勝(2着:桜野、3着:タチバナ、4着:ボンレネー)
1882年5月9日根岸開催2日目第6R『根岸景物』4頭立、2着(優勝:ダブリン、3着:千途勢、4着:桜野)
1882年5月10日根岸開催3日目第1R『雑種馬重量負担景物』4頭立、3着(優勝:千途勢、2着:ボンレネー、4着:桜野)
1882年5月27日戸山開催1日目第3R4頭立、2着(鞍上:福羽守人)(優勝:ダブリン(鞍上:根村市利))
1882年5月28日戸山開催2日目第3R2頭立、優勝(鞍上:根村市利)(2着:ダブリン)
1882年6月13日三田開催2日目第2R『農務局賞典』3頭立、2着(優勝:桜野、3着:ボンレネー)
1882年6月13日三田開催2日目第7R単走、優勝。
1882年10月30日根岸開催1日目第9R『宮内省賞盃』3頭立、2着(優勝:ダブリン、3着:桜野)
1882年10月31日根岸開催2日目第5R『北海道賞盃』3頭立、2着(優勝:ダブリン(鞍上:根村市利)、3着:桜野)
1882年11月1日根岸開催3日目第1R『雑種馬重量負担景物』3頭立、優勝(2着:トーカ、3着:ユリオ)
1882年11月18日戸山開催1日目第3R2頭立、2着(鞍上:福羽守人)(優勝:ダブリン(鞍上:根村市利))
1882年11月18日戸山開催1日目第6R4頭立、不明(優勝:桜野(鞍上:京田懐徳)、その他:春駒、ダブリン)
1882年11月19日戸山開催2日目第2R『皇族下賜賞典』2頭立、優勝(鞍上:福羽守人)(2着:桜野(鞍上:京田懐徳))
1882年11月19日戸山開催2日目第6R3頭立、不明(優勝:ダブリン(鞍上:根村市利)、その他:桜野)
1882年11月19日戸山開催2日目第10R4頭立、不明(優勝:桜野、その他:春駒、ダブリン)
続かなかった場合、たづなさんが長考の末逃げ出したと思って下さい。