レリーフ・プロトコル   作:最上 イズモ

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第4話 北棟ノイズ

北棟へ向かう廊下は、庁舎の中でも特に“規則”が濃い。扉の開閉音、足音の反響、警備端末の電子音。全部が同じテンポで揃っている。揃いすぎている。だからこそ、ひとつ狂うと目立つ。

 

その狂いが、今は息をしている。

 

面会室の机に置いた掌の下で、冷たさが微かに揺れた。世界線の縫い目が、薄く擦れる感覚。歪みは北棟へ移動している。いや、移動というより、足場を増やしている。

 

エルニウスの中枢が、遠い場所で低く唸った。艦が警戒を上げる時の音は、地球署の警報とは違う。もっと静かで、もっと悪い。

 

私は立ち上がった。観測拠点を離れるのは嫌だ。だが、中心に近い場所で一度だけ“封じ”の形を作らないと、彼らの現場が折れる。折れたら、次は庁舎全体が燃料になる。

 

イズモ「……行く」

 

監視の隊員が動揺した顔をしたが、止める前にホージーの指示が飛んだ。

 

ホージー「同行は二名まで。刺激を増やすな。イズモ、行動ログは残せ」

 

イズモ「了解」

 

廊下へ出る。北棟へ近づくほど、空気が軽くなる。軽いのに息が詰まる。紙が引っ張られる時の軽さ。同期点が、音を吸っている。

 

角を曲がった瞬間、通信室前の警備シャッターが半開きになっているのが見えた。本来なら完全に閉まる。半端は規則の敵だ。半端は、侵入の入り口になる。

 

扉の向こうから、ウメコの声が飛ぶ。

 

ウメコ「待って、触らないで! それ、今触ったら――」

 

バン「分かってる! でも中にいるんだ!」

 

セン「落ち着いて落ち着いて! ほら、深呼吸! 手順手順!」

 

テツの低い声が続く。

 

テツ「息が揃ってない。揃えるぞ。バン、前に出るな。俺が押さえる」

 

バン「くそ……!」

 

シャッターの隙間から中を見る。通信室はいつも清潔で、いつも無音に近いはずだ。今は違う。端末の表示が一斉に明滅し、ランプが規則外のリズムで点滅している。部屋の中央に、隊員がひとり立っていた。制服。背中。肩が僅かに揺れている。震えているのではない。何かに合わせて“揺らされている”。

 

ジャスミンが壁際に立ち、目を閉じていた。眉間に皺。呼吸が浅い。追跡が負荷になっている。

 

ジャスミン「……輪郭、ここ。薄い。本人の境界が溶けてる」

 

ホージーが端末を操作しながら、冷静な声で言う。

 

ホージー「通信ログに外部侵入はない。内部から書き換えられている。だが、書き換えの命令が通常の入力ではない」

 

センが半笑いで誤魔化しそうになり、やめた。

 

セン「つまり、頭から入ってるってこと?」

 

ジャスミン「……そう」

 

ウメコが息を呑む。

 

ウメコ「そんなの、ひどい……」

 

バンが一歩踏み出しかけ、テツが腕を伸ばして胸を押さえた。

 

テツ「止まれ。先に熱が出ると、向こうの足場になる」

 

バン「でも中で――!」

 

テツ「助ける。だから落ち着け」

 

その時、通信室の隊員が、ゆっくりこちらを向いた。目が合った瞬間、私は背中が冷えた。焦点が合っていない。人間の目なのに、見ているのは“こっち”ではない。もっと奥。もっと遠い。誰かの声を見ている目だ。

 

隊員「救済は、静かだ」

 

声が乾いている。本人の声ではない。本人の声を使った、別の発音だ。

 

バン「おい! 何言ってんだ! 正気に戻れ!」

 

隊員は笑った。笑うというより、口がそういう形になっただけだ。

 

隊員「正気は、折れる。折れない世界に行けばいい」

 

ウメコが前へ出かけ、センが肩を掴んで止めた。

 

セン「ウメコ、今はダメ。触ると引っ張られる」

 

ウメコ「でも……あの人、あんな顔して……!」

 

ジャスミンが苦しそうに息を吐く。

 

ジャスミン「中に、もう一人いる。声の主。ここにはいない。遠い。遠いのに、繋がってる」

 

ホージー「遠隔誘導。テレパシーの“送信”か」

 

ジャスミン「送信というより、共鳴。救済という言葉で、思考の形を揃えてる」

 

イズモ「位相同期」

 

皆が私を見る。バンの目が鋭くなる。

 

バン「またそれかよ」

 

イズモ「同じ仕組みだ。世界線だけじゃない。人間の判断も同期させる。同期した判断は、同じ行動を取る。止めないと増える」

 

ホージーが即座に理解した顔で言う。

 

ホージー「通信室なら、全署員の端末とリンクしてる。ここを足場にすれば――」

 

イズモ「庁舎全体が同調する。最悪、地球署の“手順”そのものが汚染される」

 

バンの拳が震えた。怒りではない。恐怖と責任が混ざった震えだ。正義が、自分の中で燃料にされそうな感覚。それを彼は嫌っている。だから踏ん張る。

 

バン「……じゃあどうすりゃいい」

 

イズモ「壊すな。切断する。孤立させて、封じる」

 

テツが頷く。

 

テツ「よし。俺が中に入る。隊員を制圧する。イズモ、封じで囲え」

 

イズモ「入る前に一つ。あなたの動きは最小に。衝撃が大きいと、同期点が跳ねる」

 

テツ「跳ねない殴り方をする」

 

バンが食い下がる。

 

バン「殴るなよ。俺は――」

 

テツ「殴るためじゃない。止めるためだ」

 

センが小さく笑い、すぐ真面目になる。

 

セン「うん、今のはかっこいいやつ」

 

ウメコが唇を噛んだ。

 

ウメコ「助けて。ちゃんと、助けて」

 

その言葉が、通信室の隊員の目を僅かに揺らした。ほんの一瞬だけ。そこに本人がいた。私はそれを見逃さなかった。人間はまだいる。溶けてない。なら、戻せる。

 

イズモ「戻す。手順で」

 

ジャスミンが眉間に指を当てたまま、低く言う。

 

ジャスミン「……今、声が笑った」

 

バン「どこだ!」

 

ジャスミン「遠い。だけど、ここに触ってる。通信の裏側。規則の裏側」

 

ホージーが端末の表示を見て、顔色を変えた。

 

ホージー「通信波形が、通常の暗号化ではない形で揃ってる。これは……」

 

イズモ「言葉の暗号だ」

 

ホージー「言葉の暗号?」

 

イズモ「救済。反復。共鳴。人間の脳は、意味に引っ張られる。意味を揃えると判断が揃う。判断が揃うと行動が揃う。行動が揃うと――」

 

バン「世界が折れる」

 

イズモ「そう」

 

ドギーが通信で割り込んだ。低い声が、現場の空気を一度で整える。

 

ドギー「北棟状況を報告しろ」

 

ホージー「通信室で署員一名が同調。庁舎ネットワークに位相同期が発生しています。内部汚染の可能性あり」

 

ドギー「よし。全館通信を段階的に遮断する。ホージー、切断手順を組め。ジャスミン、声の輪郭を追え。バン、熱を制御しろ。テツ、制圧。イズモ、封じ」

 

バンが短く返す。

 

バン「了解!」

 

その返事が、通信室の隊員を僅かに笑わせた。

 

隊員「手順……いい。手順は救済だ。手順は世界を守る」

 

声が混じる。本人の声が、敵の声に寄り添ってしまう。危険な兆候。寄り添うと、戻る理由が消える。

 

ウメコが一歩だけ前へ出て、震える声で言った。

 

ウメコ「違う。手順は、人を守るためにあるの。人を消すためじゃない」

 

隊員の目がまた揺れた。今度は、ほんの少し長く。

 

隊員「……守る……?」

 

その瞬間にテツが動いた。速い。だが粗くない。床を蹴る音が小さい。扉を押し開け、最短距離で背後へ回り、腕を取る。関節を決め、床へ誘導する。衝撃が少ない。殴らない。止める動き。

 

テツ「寝ろ」

 

隊員が抵抗しようとし、体が一瞬だけ跳ねる。跳ねると空気が薄くなる。同期点が反応する。

 

私は装置の側面パネルを開いた。封じ込めの楔。発動キーはバンの手にある。共同の手順。共同の責任。

 

イズモ「バン。封じる。キーを」

 

バンが躊躇なく頷いた。

 

バン「押すぞ!」

 

イズモ「押して」

 

ボタンが押される。空気が一段、静かになった。通信室の明滅が遅くなり、規則が戻り始める。だが完全ではない。封じは“中心”にしか効かない。中心がここなら止まる。中心が別なら、ここはただの端末だ。

 

ジャスミンが目を見開いた。

 

ジャスミン「まだいる。声の主、まだ繋がってる。封じの外に逃げた」

 

ホージーが歯を食いしばる。

 

ホージー「切断が遅い……通信を落とす!」

 

センが端末の前に回り込み、ホージーの指示に合わせてケーブルを抜こうとして手を止めた。

 

セン「抜くと裂けるって言ってたやつ?」

 

イズモ「抜くな。物理切断は跳ねる。段階的に遮断して、位相を崩してから落とせ」

 

ホージー「分かってる。だが時間が――」

 

その言葉の途中で、通信室の天井スピーカーが勝手に鳴った。ノイズ。規則外の音。音が、言葉の形を取り始める。

 

スピーカー「救済は、優しい」

 

ウメコが顔を歪めた。

 

ウメコ「やめて……!」

 

スピーカー「折れた世界は、痛くない」

 

バンが一歩前へ出た。怒りが熱として噴き上がる。撃ちたい衝動が、拳に溜まる。彼の正義が燃料にされる瞬間。

 

テツが即座に、バンの肩を掴む。

 

テツ「見るな。聞くな。合わせるな」

 

バン「くそっ……!」

 

イズモ「バン、目を逸らせ。言葉は同期の釘だ。刺さると動けなくなる」

 

バンが歯を食いしばり、視線を床へ落とした。拳が震える。だが踏ん張る。正義が理性に勝つ瞬間は美しい。正義が理性に負ける瞬間は、もっと美しい。現場を守るのはいつも後者だ。

 

ジャスミンが、震える声で言った。

 

ジャスミン「……声の主、言ってる。地球署の“裁き”は遅い。だから折る。折れば、救われる」

 

ホージーが端末を叩き、吐き捨てるように言う。

 

ホージー「遅くて結構だ。遅い分、証拠が残る。残れば裁ける」

 

センが小さく笑い、すぐ頷いた。

 

セン「うん、それ、地球署っぽい」

 

ウメコが涙を堪える顔で言った。

 

ウメコ「裁けるなら、裁こう。ちゃんと、生きて……戻して」

 

テツが床に押さえた隊員の耳元で低く言った。

 

テツ「聞こえるか。戻れ。お前の言葉で戻れ」

 

隊員の瞳が揺れる。声が震える。本人の声が戻りかける。

 

隊員「……私……何を……」

 

ジャスミンが息を吐いた。

 

ジャスミン「戻ってる。境界が戻ってる」

 

イズモ「封じが効いてる。だがまだ終わってない。声の主は切れてない」

 

ホージー「段階遮断、完了。位相崩し――今だ」

 

通信室の明滅が、すっと落ち着いた。ノイズが消える。スピーカーの声が途切れる。規則が戻る。戻った瞬間、私は逆に怖くなった。敵は“足場”を失っただけだ。消えたわけではない。

 

ジャスミンが、顔を上げる。

 

ジャスミン「……逃げた。遠い。外。庁舎の外に滑った」

 

バンが顔を上げ、荒い息で言った。

 

バン「どこだ!」

 

ジャスミン「港湾区……じゃない。もっと高い。空の方」

 

その言葉に、私の背中が冷えた。空。路地のゲート。ポータル艦。逃げ道。足場。

 

エルニウスが、今度ははっきり唸った。艦の警戒が、地球署の庁舎へ重なる。

 

イズモ「……上にいる」

 

ホージー「上?」

 

イズモ「ポータル艦じゃない。艦に似た“中継”だ。地球の通信網の上で、言葉を撒ける位置」

 

センが乾いた声で言う。

 

セン「やば。救済、電波で流せるってこと?」

 

イズモ「思想は電波じゃない。けど、電波は思想の形を揃えられる」

 

ウメコが唇を噛み、呟いた。

 

ウメコ「そんなの、卑怯だよ……」

 

バンが拳を握り、低く言った。

 

バン「卑怯でもなんでも、捕まえる」

 

ドギーの声が通信に戻る。

 

ドギー「北棟、封じは成功したか」

 

ホージー「署員一名の同調解除。通信室の位相同期は切断しました。ただし、声の主は外へ逃げた可能性があります」

 

ドギー「よし。次の現場に移る。地球署は折れない。イズモ、貴様の観測で“次”を読む」

 

イズモ「読む。だが――」

 

私は言葉を切った。胸の奥が、嫌な形で鳴った。同期点ではない。もっと太い振動。世界線の縫い目が“別方向”へ引かれる感覚。

 

イズモ「……次は庁舎じゃない。地球署そのものを囮にして、別の場所を折る」

 

バンが即座に噛みつく。

 

バン「どこだ!」

 

ジャスミンが目を閉じ、苦しそうに言った。

 

ジャスミン「……聞こえる。遠い。人が多い場所。叫びとざわめき……」

 

センが顔を引きつらせる。

 

セン「それ、最悪のやつじゃん」

 

ウメコが震える声で言う。

 

ウメコ「まさか……街……?」

 

テツが立ち上がり、肩を鳴らした。

 

テツ「行くぞ。次は現場だ」

 

私は一歩だけ後ろを振り返る。床に押さえられていた隊員が、今は涙を流している。戻っている。救える。救うべきだ。救うべきだった。

 

だからこそ、逃げた声の主が許せない。救済を名乗って、人を折る者が。

 

イズモ「……救済じゃない。破壊だ」

 

バンが短く言った。

 

バン「裁く」

 

ドギー「全員、出動だ」

 

北棟の規則が戻った直後、庁舎の外の夜が、妙に静かだった。静かすぎて、ざわめきが遠くから迫ってくるのが分かる。あれは人の音だ。人が集まる音だ。事故の顔をした何かが、もう始まっている。

 

私は夜空を見上げた。裂け目のない空。

――裂け目は、いつも見える場所にできるとは限らない。

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