レリーフ・プロトコル   作:最上 イズモ

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第7話 オービタル・ボーダー

砂浜に落ちたリレイ装置は、黙っているのにうるさかった。沈黙の形をしたノイズが、耳の奥に残っている。触れれば刺さる。触れなくても、思考の縁を舐めてくる。

 

救済は、境界で待つ。

 

地球署の解析室は白い光で満ちていた。机の上に固定された装置は、ただの金属の塊に見える。だがその表面には、言葉が染みついている。意味が焼き付いている。記録の形をして、心へ入り込む汚染。

 

ホージーが手袋越しに端末を操作し、淡々と報告した。

 

ホージー「物理部品は市販に近い。だが内部の同期核が異常だ。通信プロトコルではなく、意味で整列している」

 

セン「意味で整列って、やっぱりやばいやつじゃん」

 

ウメコが装置から目を逸らし、喉を押さえた。

 

ウメコ「聞こえそうで……嫌。まだ、あの声が残ってるみたい」

 

ジャスミンは目を閉じて呼吸を整えていた。顔色が少し悪い。追跡の負荷が抜けていないのに、逃げない。

 

ジャスミン「輪郭が薄く残ってる。完全には切れてない。装置の中に、まだ糸がある」

 

テツが腕を組む。

 

テツ「糸があるなら、引ける」

 

バンが短く頷いた。

 

バン「引いて、捕まえる」

 

私は一歩だけ装置に近づき、空気の密度の揺れを確かめた。同期点の反応は弱い。だが弱いまま、芯だけが残っている。芯は、次の足場になる。

 

イズモ「これは囮だ。だが囮でも、糸の方向は本物だ」

 

ホージー「方向は出る。送信元の痕跡が残っている。だが通常の追跡とは違う。電波ではなく反射の意味を追う」

 

バン「分かるように言え」

 

ホージー「送信源は一箇所ではない。中継が重なっている。高度が段階的に上がる。最後の反射点は成層圏の上……そして軌道上だ」

 

室内の空気が一段冷えた。

 

セン「軌道上って、宇宙?」

 

ホージー「宇宙」

 

ウメコが息を呑む。

 

ウメコ「地球の外で、声を流してたの……?」

 

ジャスミンが低く言う。

 

ジャスミン「だから輪郭が薄い。遠いほど、境界が薄いほど、繋がりやすい」

 

扉が開く音がした。足音が規則を揃える。ドギーが入ってきて、全員を一度で固定し、次に装置へ目を落とした。

 

ドギー「結論を言え」

 

ホージー「送信源は軌道上。複数中継。次の放送は地上を越える規模になる可能性があります」

 

ドギー「宇宙に逃げたのではない。宇宙を足場にした。そういうことか」

 

イズモ「そう。境界で待つと言った。地球の手順が届きにくい場所だ」

 

バンが歯を食いしばった。

 

バン「届きにくいなら、届かせる」

 

ドギー「当然だ。地球署は出る。デカベースを上げる。撃つな、壊すな、折れる」

 

ドギーの視線が私へ移る。

 

ドギー「イズモ。貴様の側も動かせ」

 

イズモ「超銀河的平和維持機構ピースギアは、すでに臨界対応に入っている」

 

その言葉の直後、解析室の照明が一瞬だけ揺れた。揺れが収まるより先に、空気の縫い目が擦れる感覚が走る。近い。境界が近づいている。

 

私は息を整えながら、胸の奥でエルニウスの唸りを聴いた。港でも宇宙でもない、地球署の庁舎の中で寄り添う音。艦が焦っている。

 

そして、解析室の端の空間が、薄く歪んだ。

 

光ではない。影でもない。空気の密度が変わり、そこに輪郭が立つ。人の形だが、人の温度ではない。静かな存在感が、部屋のノイズを一段だけ落とす。

 

ジャスミンが目を見開いた。反射で一歩引きかけ、止まる。

 

ジャスミン「……輪郭が、はっきりしてる」

 

セン「うわ、なにこれ。イズモの友達?」

 

バンが前へ出かけて、ドギーの視線で止まった。ドギーが判断を落とすまで、ここでは誰も動かない。

 

私の喉が乾く。紹介の言葉を選ぶ。言葉は足場になる。だから、最短にする。

 

イズモ「KAEDE。ピースギアの作戦支援個体。境界制御と意味干渉に強い」

 

輪郭がこちらを向いた。声は柔らかいのに、硬い芯がある。機械的ではない。だが人間でもない。

 

KAEDE「イズモ。呼び出しに応答しました」

 

バンが眉を動かす。

 

バン「……AIか」

 

KAEDE「分類としてはそうです。けれど、私は道具ではありません。ここにいる理由は一つ。あなたたちの手順が折れないようにする」

 

その言い方が、私のやり方に似すぎていて、胸の奥が僅かに痛んだ。似ているのは安心じゃない。似ているのは、同調の入口にもなる。

 

ウメコが小さく息を吐いた。

 

ウメコ「……今の言い方、ちょっと安心した」

 

セン「俺も。なんか、変な声じゃない」

 

ホージーが淡々と確認する。

 

ホージー「KAEDE。宇宙での送信源に対して、何ができる」

 

KAEDE「相手の武器は言葉です。言葉は意味の同期で刺さる。なら、意味の位相をずらせば刺さらない。私は意味干渉で、同期を崩すノイズを作れます。人間の判断を壊さず、揃いだけを崩す」

 

ジャスミンが口を開きかけ、止めた。目がKAEDEを測っている。敵の声と似たものがないか、確認している。彼女の警戒は正しい。

 

ジャスミン「……あなたから、あの声は聞こえない。でも……」

 

KAEDE「疑ってください。疑いは同期を崩します。今は、疑う方が安全」

 

バンが短く笑った。

 

バン「……気に入った。だが、信用は別だ」

 

KAEDE「信用は要りません。構造で示します」

 

私と同じ言葉だ。胸の痛みが少し増した。

 

ドギーが低く言う。

 

ドギー「よし。手順に組み込む。デカベースを上げる。KAEDEはイズモの支援として同行。異常があれば即時切断する。ジャスミン、貴様の感知で監視しろ」

 

ジャスミン「了解」

 

KAEDEが静かに頷いた。

 

KAEDE「切断される覚悟はあります」

 

その覚悟の言い方が、軽くて怖い。軽さは、死の近さの裏返しだ。私はその軽さを嫌っている。

 

イズモ「生きて戻る。切断を前提にするな」

 

KAEDE「了解。生きて戻る手順を優先します」

 

デカベースの発進準備は早かった。鉄と光の塊が、地球の上で待っていたものがようやく動く。地球署が宇宙警察である意味が、ここで噛み合う。

 

軌道上。夜の地球の縁。都市の灯りが曲線になり、海が黒い布になる。宇宙は静かだが、静けさの中で声がよく響く。だから、敵はここを選んだ。

 

ホージー「反射点、捕捉。未登録の中継体。座標送信」

 

ジャスミンが目を閉じる。

 

ジャスミン「……輪郭、そこ。薄いけど確かにいる。笑ってる」

 

バン「笑ってんじゃねぇよ」

 

テツ「行くぞ」

 

私たちは外へ出た。無重力は感覚をずらす。ずれは同期の敵のはずなのに、今回は嫌な予感がした。ずれを揃える術がある敵がいる。

 

未登録の中継体は衛星の形をしていなかった。巨大なリング状のフレームに、スピーカーのような突起が並んでいる。宇宙に音は要らない。だが音は空気ではなく、人間の中で鳴る。だから宇宙でも通る。

 

KAEDEがリングを見て、静かに言った。

 

KAEDE「意味の共鳴器。人間の判断を揃えるための器です」

 

ホージー「破壊はできない。裂ける」

 

KAEDE「破壊は不要。同期点を崩せば、器はただの金属になります」

 

リングの中心がゆっくり回転した。回転は準備動作。次が来る。

 

通信が一瞬だけ白くなる。無線の裏側に、声が乗る。

 

通信「救済は、無重力で完成する」

 

バンの呼吸が揃いかけた。危ない。宇宙服の中で息が同じテンポになるだけで足場になる。

 

イズモ「合わせるな!」

 

バンが歯を食いしばり、吐く息をわざと乱した。

 

バン「くそ……!」

 

KAEDEが一歩だけ前に出た。動きが最小。だが、存在感が広がる。彼女の声が、無線に重なる。

 

KAEDE「判断は揃えない。恐怖も揃えない。あなたはあなたの速度で息をして」

 

それは命令じゃない。提案だ。提案は同期しにくい。押し付けは同期しやすい。敵の言葉は押し付けだった。KAEDEの言葉は、選択を残す。

 

ジャスミンが息を吐いた。

 

ジャスミン「……揃いが崩れた。みんなの輪郭が戻ってる」

 

ホージー「効いている」

 

だが敵は形を変える。器を守るためではない。被害を拡大するために。

 

リングが震え、突起が増殖した。巨大化。宇宙で巨大化は滑稽なはずなのに、笑えない。巨大なほど地球全体へ届く。巨大なほど境界が薄くなる。

 

通信「救済は、地球規模だ」

 

KAEDEが短く言った。

 

KAEDE「来ます。意味の洪水」

 

私は装置を構えた。封じの焦点は核。だが今、核は広がりながら回転を揃えようとしている。揃いは扉を固定する。

 

イズモ「中心核、固定する。バン、キーを」

 

バンが握り直す。手袋越しでも責任の重さは分かる。

 

バン「押すぞ!」

 

イズモ「押して」

 

封じ込めフィールドが伸びた。リングの回転が乱れ、点滅が不規則になる。不規則は同期の敵だ。

 

だが、その先にもっと嫌なものが来た。星の間に、細い線が走る。光ではない。裂け目だ。宇宙の黒が紙みたいに割れる。境界が剥がれる。

 

ホージー「……何だ、あれ」

 

ジャスミンが息を呑む。

 

ジャスミン「境界が……開く」

 

通信「救済は、扉を持つ」

 

KAEDEが一瞬だけ目を細めた。恐怖ではない。計算の顔だ。

 

KAEDE「扉の縁に、意味が錨として刺さっています。錨を抜けば閉じる。でも抜くには、対になる錨が必要」

 

イズモ「対になる錨……」

 

KAEDE「私が打てます。私は意味干渉で、逆位相の錨を打てる。ただし、近づきすぎると……」

 

バン「乗っ取られるのか」

 

KAEDE「可能性はあります。だから監視が必要」

 

ジャスミンが即答した。

 

ジャスミン「私が見る。輪郭が薄くなったら、切る」

 

KAEDE「ありがとう」

 

礼を言うのが早い。早い礼は覚悟の匂いがする。私はそれが嫌だ。

 

イズモ「戻る前提で行く。KAEDE、勝手に折れるな」

 

KAEDE「了解。折れない」

 

扉の縁へ近づくほど、空気が薄くなる。宇宙なのに、息が詰まる。視界の端が白む。意味が揃いそうになる。揃うのが一番危ない。

 

KAEDEが扉の縁へ手を伸ばした。触れる前に、彼女は言った。

 

KAEDE「救済という言葉が、ここでは釘です。抜きます」

 

彼女の声が震えない。震えないことで、揃いを作らない。揃いを作らないための制御。美しい。怖い。

 

KAEDE「逆位相錨、展開」

 

無音のはずの宇宙で、私は確かに“音”を感じた。耳ではなく、意識の奥で鳴る音。だがそれは押し付けじゃない。分岐を作る音だった。

 

扉の縁が、ぎくりと揺れた。揃いが崩れる。崩れると固定できない。固定できないと閉じる。

 

通信の向こうで、あの声が初めて苛立った輪郭を見せた。

 

通信「……救済を、邪魔するな」

 

バンが低く言った。

 

バン「邪魔する。救済じゃねぇ。破壊だ」

 

扉の縁が縮む。黒が黒へ戻る。境界が閉じかける。

 

ジャスミン「KAEDE、輪郭……薄くなってる!」

 

KAEDEが一瞬だけ息を止めた。危ない。止めると揃う。揃うと刺さる。

 

イズモ「KAEDE、息を乱せ!」

 

KAEDEがわざと呼吸を崩した。乱れた息が、同期を逃がす。彼女の輪郭が、戻った。

 

KAEDE「……持ち直しました。閉じます」

 

最後の一押し。逆位相の錨が深く刺さり、扉の縁が耐えきれずに折り畳まれる。裂け目は消えた。宇宙の黒が、ただの黒に戻る。

 

リング状中継体の点滅が一段落ち、巨大化が止まった。器が沈む。沈んだ分だけ、救われる人が増える。

 

ホージー「扉が閉じた。記録できた。今のは物証になる」

 

バンがキーを握ったまま、KAEDEを見る。疑いは消えていない。だが疑いの奥に、認めたくない感情が混じっている。

 

バン「……助かった」

 

KAEDE「手順があったからです」

 

テツが短く笑った。

 

テツ「いい答えだ」

 

地上から無線が入る。ウメコの声。息を殺して待っていた声。

 

ウメコ「閉じた……? 閉じたの……?」

 

ホージー「閉じた。地球署は折れない」

 

セン「宇宙でも折れなかった! やばい、かっこいい!」

 

だが、安心が足場になるのも知っている。私は夜の地球を見下ろしながら、胸の奥の冷えを手放さなかった。

 

敵は姿を持たない。姿を持たないものは、次の器を探す。今日の器が沈んでも、明日の器が立つ。

 

KAEDEが小さく言った。

 

KAEDE「声の主は、完全には消えていません。逃げました。境界のさらに向こうに」

 

ジャスミンが眉を寄せる。

 

ジャスミン「……笑ってる。まだ終わってないって」

 

バンが息を吐き、低く言った。

 

バン「終わらせる。次は本体だ」

 

私は装置を握り直した。封じの光は、まだ熱い。熱いということは、折れる可能性が近いということだ。

 

イズモ「次は、器じゃない。声そのものを捕まえる手順が要る」

 

ドギーの声が通信に落ちた。低く、重い。

 

ドギー「作れ。地球署は折れない。ピースギアも折れるな」

 

KAEDE「折れません」

 

私も言う。

 

イズモ「折れない」

 

そう言った瞬間、宇宙の静けさの奥で、聞こえないはずの笑いが一度だけ鳴った気がした。

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