レリーフ・プロトコル   作:最上 イズモ

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第9話 リトリーバー・ルート

記録セルの中は静かだった。静かすぎて、逆にうるさい。空気が戻ったはずなのに、耳の奥にだけ薄い圧が残っている。捕まえたのは枝。だが枝は根を呼ぶ。

 

エルニウスの隔離区画は、地球署の解析機材とピースギアの封じ装置で二重に囲われていた。外から見れば、ただの透明な筒が机に置かれているだけだ。だが内側では、意味の流れが固定され、逃げ道が削られている。

 

ホージーが端末を叩き、無駄のない声で言う。

 

ホージー「枝の反応が増幅している。外部から呼応が来ている」

 

セン「来るって言ってたやつ、ほんとに来るんだ……」

 

ウメコが唇を噛み、セルから目を逸らす。

 

ウメコ「ここに来させたくない。ここ、みんながいるのに」

 

テツが腕を組んだ。

 

テツ「来るなら、ここで捕まえる。そういう檻だろ」

 

バンがセルを睨む。怒りではない。責任の顔だ。ここで感情を揃えたら、相手の足場になる。だから彼は、怒りを握りしめたまま動かない。

 

バン「返しに来るって言ったな。つまり、ここが狙いだ」

 

ジャスミンは椅子に座っているのに、全身が立っているみたいだった。目は閉じているのに、視線が空間を探っている。輪郭を追う時の顔。

 

ジャスミン「……近い。近いけど、まだ外。エルニウスの外側の縫い目に触ってる。笑ってる」

 

KAEDEは壁際に立ち、呼吸を一定に保っていた。一定すぎる呼吸は危ない。揃いは刺さる。だから私は、彼女の呼吸の揺れを見続けた。

 

イズモ「KAEDE、息を乱して。一定にしすぎるな」

 

KAEDE「了解。乱します」

 

わざと微妙に乱れる呼吸。揃いを作らないための技術。だがそれでも、胸の奥に残る糸は消えていない。枝が触れた痕が、薄く残っている。

 

ドギーの声が通信に落ちた。低く、重い。

 

ドギー「状況を報告しろ」

 

ホージー「枝が外部と呼応。根が接近しています。侵入経路は意味経路のみ。物理侵入の兆候はなし」

 

ドギー「意味経路なら尚更、言葉を揃えるな。ここから先は手順で動け」

 

イズモ「了解。侵入を許して、閉じる。出口を用意しない」

 

バンが短く言う。

 

バン「誘い込むってことだな」

 

イズモ「そう。根は枝を取り返すために“確信”が必要になる。確信が出た瞬間に、形が生まれる」

 

センが眉を寄せる。

 

セン「確信って、なんか宗教っぽいな……」

 

KAEDEが淡々と言った。

 

KAEDE「信仰に近い構造です。救済という単語を釘にして、心の柔らかい部分に刺す。刺さった釘は、引っ張ればついてくる」

 

ウメコの顔が歪む。

 

ウメコ「それ、ほんとに許せない……」

 

その瞬間、記録セルがカツンと鳴った。今度は耳の奥だけじゃない。筒そのものが鳴った。内側の圧が、外側の壁を叩いた音。

 

通信「返す」

 

声が落ちる。短い。冷たい。広がらない。広がらないのに刺さる。

 

ジャスミンが目を開けた。瞳が揺れている。

 

ジャスミン「来た……! 輪郭が、セルの外に重なろうとしてる!」

 

ホージー「ログ捕捉。侵入開始。位置はセル中心、ではない。KAEDEの方向にも伸びている」

 

バンの視線がKAEDEへ跳ねる。躊躇は燃料だ。だが彼は躊躇を握り潰して、言葉を最短にする。

 

バン「狙いはKAEDEか」

 

KAEDE「糸が残っている。そこを引けば、枝を迂回して取り返せる」

 

テツが一歩前へ出た。

 

テツ「じゃあ切れ。糸を」

 

KAEDE「切れません。切ると傷が残る。傷は次の釘になる」

 

イズモ「傷を残さずに切る。だから封じがある」

 

私は装置の焦点を、セルではなくKAEDEの周囲へ合わせた。意味経路の流れを観測し、糸が通る細い道だけを固定する。広げない。広げると折れる。

 

イズモ「縫い目固定。糸の通路だけを狭める」

 

通信「無駄だ」

 

言葉が落ちた瞬間、隔離区画の照明が一段暗くなった。電源が落ちたのではない。視界が薄くなった。脳が、意味の薄さに引っ張られる。

 

セン「うわ、なにこれ……目が、遠い」

 

ウメコ「やだ……」

 

バンが歯を食いしばる。

 

バン「見るな、聞くな、合わせるな……!」

 

テツが低く唸った。

 

テツ「だが現場は見る。守るために見る」

 

ホージー「視覚の誘導だ。暗く見せて、判断を揃えようとしている」

 

ジャスミンが苦しそうに言う。

 

ジャスミン「声が……複数。根は一つじゃない。群れで来てる」

 

KAEDEが一歩、前へ出た。動きは最小。だが存在感が揃うと危ない。だから彼女は、わざと視線を外し、身体の向きを少しずつずらした。揃いを避ける。

 

KAEDE「群れなら、群れの揃いを崩します」

 

通信「救済は、揃いだ」

 

KAEDE「救済は、選択です」

 

その返し方が危うい。言葉の同じ土俵に乗ると、相手のゲームになる。だがKAEDEの言葉は押し付けではない。選択を残す構造になっている。だからまだ踏みとどまれる。

 

ホージーが端末を叩き、指示を落とす。

 

ホージー「ウメコ、セン、声を重ねるな。質問で分断しろ。断言は揃う」

 

センが即座に口を開く。明るい声。だが断言しない。問いを撒く。

 

セン「ねえねえ、その救済ってさ、誰の許可取ってるの? 本人が嫌って言ったらどうするの?」

 

ウメコが震える息を整え、短く続けた。

 

ウメコ「救済って、あなたが気持ちいいだけじゃないの?」

 

問いが刺さる。刺さると揃いが崩れる。揃いが崩れると、声は形を持ちにくい。

 

通信「……黙れ」

 

苛立ちが混じった。感情が出る。感情が出ると捕まえられる。

 

イズモ「ホージー。今の苛立ち、ログ化できる?」

 

ホージー「できる。感情波形が出た。枝が根の一部と同期している。方向が見える」

 

ジャスミンが目を見開き、指を空間へ向けた。

 

ジャスミン「そこ! セルの上じゃない、壁の角! 縫い目の薄いところに、根が頭だけ突っ込んでる!」

 

壁の角の空気が、わずかに脈打った。見えないのに見える。紙の裏から指で押したみたいな膨らみ。境界がこちら側に出たがっている。

 

バンが一歩踏み出しかけ、止まった。拳を握る。殴りたい衝動を飲み込む。殴る衝動は揃う。揃うと刺さる。だから彼は言葉にする。

 

バン「イズモ。そこだな」

 

イズモ「そこ。だが叩くな。固定して、形を作らせる」

 

テツが短く言う。

 

テツ「形を作らせたら、俺が止める」

 

私は装置の焦点を壁の角へ合わせ、封じの光を薄く走らせた。縫い目の縁だけを固める。入り口だけを狭める。狭めれば、通ろうとするものは圧縮される。圧縮されると形が生まれる。

 

イズモ「縁を固定。抜け道なし」

 

通信「……狭い」

 

声が小さくなった。圧が増えた。圧が増えるほど、形になる。形になるほど、逮捕できる。

 

ホージー「今だ。記録セル、引力増幅。枝を餌にして、根を引き込む!」

 

透明な筒が淡く光り、空間の圧を吸い寄せる。引っ張られる。壁の角の膨らみが、ずるりとこちらへ滑った。姿はない。だが重さが移動した。重さが移動すると、空気が鳴る。

 

通信「返す。返す。返す」

 

繰り返しが来た。繰り返しは揃いを作る。揃いが危ない。だが繰り返しはパターンにもなる。パターンは捕獲できる。

 

ジャスミンが叫ぶ。

 

ジャスミン「根の輪郭、セルへ引かれてる! でもKAEDEの糸も一緒に引かれる!」

 

KAEDEの肩が僅かに揺れた。呼吸が止まりかける。止まると揃う。揃うと刺さる。

 

イズモ「KAEDE、息を乱せ!」

 

KAEDEが息を崩す。小刻みに。わざと不規則に。輪郭が戻る。だが糸は引かれ続ける。引かれると、心が引っ張られる。

 

KAEDE「……引かれます。意志の形を、揃えようとしている」

 

ウメコがすぐに言った。断言じゃない。選択を渡す言葉。

 

ウメコ「揃えなくていいよ。怖いなら怖いって言っていい。嫌なら嫌って言っていい」

 

センも続ける。軽さで緩衝し、揃いを壊す。

 

セン「そうそう。KAEDE、別に完璧じゃなくていいじゃん。ほら、今の呼吸、めっちゃ人間っぽいよ」

 

テツが短く笑った。

 

テツ「褒め方が雑だ」

 

その雑さが、逆に効いた。揃いが崩れる。KAEDEの輪郭が、ほんの少し強くなる。

 

通信「……汚い」

 

苛立ち。嫌悪。感情が濃くなる。濃くなるほど形になる。

 

ホージー「捕捉率九十。根が、セルに触れた!」

 

透明な筒の中が、見えないのに重くなった。空気が詰まった感じがする。人間の胸が締め付けられる感じ。意味が閉じ込められる重さ。

 

バンが低く言う。

 

バン「逮捕だ」

 

イズモ「まだ。完全に入ってない。今切ると枝だけ持って逃げる」

 

通信「返す」

 

今度は低い音が混じった。隔離区画の床が震える。震えは揃いを作る。揃いが危ない。根は物理的な揺れを媒質にし始めた。

 

テツが床へ片足を強く置き、震えのリズムを潰す。揃いを作らないための暴力。暴力でも、揃いを壊す暴力なら意味が違う。

 

テツ「揃えるな」

 

ドギーの声が通信に落ちる。

 

ドギー「バン。イズモ。時間だ。枝を捨てても構わん。根を逃がすな」

 

バンの指が僅かに震えた。枝を捨てる。言葉で言うほど簡単ではない。今まで捕まえた証拠、手順、犠牲。全部が枝だ。だが根を逃がしたら、次が来る。

 

バン「……クソ」

 

イズモ「バン。決めろ。迷いは燃料になる」

 

バンが息を吐いた。吐く息をわざと乱し、揃いを壊してから叫ぶ。

 

バン「枝は捨てる! 根を捕まえる! イズモ、やれ!」

 

私は記録セルの封じを一段だけ強めた。枝の位置を固定するのではない。枝を“出口”にしないために、流れの向きをねじる。ねじれば根は戻れない。戻れないなら、残るしかない。

 

イズモ「流れを反転。根を内側に押し込む」

 

ホージー「吸着最大! セル、閉鎖!」

 

透明な筒の蓋が落ちた。音は小さい。だがその小ささが怖い。小さい音ほど、決定的な時がある。

 

セルの中で、何も見えないものが暴れた。暴れた気配が一度だけ、壁を叩いた。

 

通信「返せ」

 

声が、初めて割れた。割れるのは揃いが崩れた証拠だ。崩れたなら、捕まえられる。

 

ジャスミンが息を吐いた。

 

ジャスミン「……入った。輪郭が完全に筒の中。外の糸が……切れた」

 

KAEDEがゆっくりと肩を落とした。倒れない。だが、目の奥が一瞬だけ白くなる。残響が、まだ彼女の中を舐めている。

 

イズモ「KAEDE、意識チェック」

 

KAEDE「正常です。……でも、冷たい。救済という言葉が、まだ近い」

 

ウメコがKAEDEの近くへ寄りかけ、止まった。触れると揃うかもしれない。だから彼女は距離を保ったまま、言葉だけを置く。

 

ウメコ「近くても、選ばなくていい。あなたはあなたでいい」

 

センが小さく頷く。

 

セン「そう。選ぶのは自分。ね」

 

バンがセルを睨んだ。拳を握り、ほどき、また握る。殴りたい衝動を、逮捕へ変える動作。

 

バン「……これで終わりか」

 

ホージー「終わりではない。だが“根”の一つは捕まえた。初めてだ」

 

ジャスミンが顔を歪めた。

 

ジャスミン「一つ、って言い方が怖い」

 

KAEDEが静かに言った。

 

KAEDE「根は一本ではありません。群れで来た。今捕まえたのは、群れの中心に近い個体です。中心に近いほど、返しに来る」

 

その言葉の直後、エルニウスが低く唸った。艦の警戒音。外側の縫い目が擦れる音。

 

ホージーが端末を見て、顔色を変える。

 

ホージー「外部反応。境界の圧が上がっている。来る。今度は隠れていない」

 

ジャスミンが叫ぶ。

 

ジャスミン「笑ってる! 外側で、笑ってる! 返すって、取り返すって――」

 

隔離区画の照明が、ぱちりと鳴って消えた。完全な闇ではない。闇に見える薄さ。薄さが、視界の隅を舐める。

 

闇の中で、声だけが落ちた。

 

通信「返す。返す。返す。返す」

 

繰り返しが増える。揃いが生まれかける。危ない。

 

その時、KAEDEが一歩だけ前へ出て、わざと小さく笑った。敵の笑いじゃない。人間の失敗みたいな笑い。揃いを壊すための笑い。

 

KAEDE「返すなら、手順で返して。ここは地球署とピースギアの現場です」

 

闇が一瞬だけ止まった。苛立ちが混じった。

 

通信「現場?」

 

KAEDE「そう。現場は折れない」

 

ドギーの声が通信に落ちる。低く、重い。

 

ドギー「全員、戦闘配置。だが撃つな。折れるな。現場で止めろ」

 

バンが唇を噛み、短く言った。

 

バン「来い。今度こそ“声”を裁く」

 

闇の中で、隔離区画の壁が、紙の裏から押されたみたいに膨らんだ。姿はまだない。だが圧は、もう隠していない。

 

そして、セルの中の“根”が、初めてはっきりと笑った気がした。

 

通信「なら、現場ごと救済してやる」

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