もしもダンが破門されなかったら   作:まりもまんじゅう

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第十話 泥に塗れた、傷だらけの……

 七月中旬、ここまでくると、もはや季節は完全に「夏」だった。吹いている風さえも逃げ場のない湿り気を帯びている。日本って治安がいいから住みやすくはあるが、こういうところがキライなんだよな……!!

 寺を包む空気は、まるで誰かが濡れた毛布を何枚も重ねて被せてきたかのように重苦しい。もしくは生温くへばりつく液体で満たされた水槽に身体丸ごと突っ込まれてる気分だ。ただ立っているだけで、汗がとめどなく流れる……夜なのに! 汗を吸い尽くしたシャツが肌にまとわりつき、不快感を煽っている。この厳つい暑さが、道場全体の雰囲気をいっそう淀ませている気がした。

 

 本堂の横にある庫裏(くり)――つまり台所では、板張りの床に、装飾もなんにもない飯台がひとつ。そこに四人分の食膳が並んでいた。

 新入りのケンが来てからというもの、この道場に流れる空気は、それまでのオレとリュウだけの穏やかなものとは一変していた。そのことに責任を感じたのか、ケンが来てからは師匠が家事を手伝う機会が増えた。今日ここに至っては、「わしが全部やる」とまで言い出した。挙句、「たまにはわしの好みのレシピで作らせろ」と妙なこだわりを発揮し、膳の上には茶色い里芋の煮物や、根菜たっぷりの筑前煮がずらりと並んだ。……いや、これって、ケンは馴染みがねえんじゃねえかな……。

 案の定、ケンは箸を握ったまま動かない。まるで目の前にある煮物を、未確認飛行物体でも見るような、あるいは毒物でも盛られているのではないかと言いたげな、険しい目つきで見つめていた。

「……お前ら、いつもこんなの食ってんのか?」

 低く、どこか突き放すような声。オレは思わず箸を置き、ケンを窘めた。まあ、気持ちは分からんではないけど……。

「慣れねえもん食わせてるこっちもアレだけどよ、『こんなの』って言うなよ。せっかく師匠がわざわざ腕を振るってくれたんだぞ。栄養的にも悪いことはねえだろ」

塩分は過多かもしれないが、と付け加えようとしたが、師匠がどう思うか分からないのでやめておいた。仲裁する人間って、考えることが多くて嫌んなるな。

 ケンは「けっ」と言ってから、「別に食えなくはねえけどよ」と呟くと、しぶしぶといった様子で里芋を口に運んだ。一口噛み締めると、あからさまに眉根を寄せる。

 どうやら、師匠秘伝の濃い味付けが彼の口には合わなかったらしい。むせてしまっている。やっぱりそうなるよな……。それを見たリュウが、自分のお茶をすすりながら淡々とフォローを入れた。

「……師匠は調味料に凝ってるらしい。慣れれば案外、美味い、はずだが」

「案外、かよ」

「……まあ、美味しいほうなんじゃないか?」

 リュウのどこまでも冷静な訂正に、ケンは「へえ」と力のない相槌を打つ。師匠を見ると、肩を落としていた。怒るでもなく落ち込まれると、なんて声をかけたらいいか分からなくなるんだが!?

 会話が続かない。ぎこちない沈黙が食卓を支配し、ただ咀嚼の音だけが響く。この居たたまれなさに耐えきれず、オレはあえて底抜けに明るい声を出してみた。

 

「なあケン、お前の好きな料理とかねえのか? 今度オレが作ってやるぜ、こう見えても洋食の心得がないわけでも……」

「ない」

「即答!? せめて一秒くらい考えてから答えろっての!」

「より正確に言うなら、てめーにまともな料理が作れるとは思えねえ」

「こ……このガキぃ……っ!」

 オレは震える拳をぎゅっと握りしめた。不当な偏見だ! オレだって、やる気になればそれなりのものは作れる……ただ、普段は面倒なだけなんだよ! ぐ、こんなに舐められると知ってたら、普段からもっと料理してたのに……!!

 オレが本気で悔しがっているのを、ケンは意に介さず、軽く肩をすくめてみせた。この小生意気な態度は、とても九歳の子供のそれとは思えない。

 この話題を深掘りしても、自分の頭に血が上るだけだと悟り、オレは話題を転換した。

 

「じゃあ、趣味は?」

「別に」

「趣味くらいあるだろ! 殴り合いは趣味に入らねえのか!?」

「入ってても困るだろ。……そんなもの、別にねえよ」

「……じゃあ、好きな色とかは?」

「興味ねえよ、そんなもん」

 無いのかよ! その若さで、その目に痛いような派手な金髪に染めておいて、色に興味がないなんて。てっきり金色でも好きなのかと思っていたが、どうやら本心からどうでもいいらしい。だったらなんでそんなことをしてるんだ? 謎が多すぎるぜ。

 ますます沈黙が深まる。リュウも「どうしようもないな」と言いたげな目でオレを見ていた。オレはついに、堪えきれずに声を張り上げた。

 

「お前な! そんなツンケンした態度じゃ、この先一緒に生活していけねえぞ!」

「なら、今すぐここから追っ払えばいいだろ」

「ぬぐっ……」

 その言葉に、オレは言葉を詰まらせた。親に放り出されるようにしてここに来た子供に向かって、そんな残酷なことができるわけがない。ケンもそれを分かって言っているのか、その瞳には冷笑さえ浮かんでいる。

 

 言い返せずに「ぐぬぬ」と呻くオレを見かねたのか、それまで黙って食事を進めていた師匠が重々しく口を開いた。

「ケンよ。家族のあり方には様々なかたちがある。『義兄弟』という言葉を知っているか? 武道の世界では、師弟や兄弟弟子の結びつきは、時に実の家族に勝るとも劣らぬほど強固なものとされる。血は繋がっておらずとも、共に暮らし、共に拳を交わすうちに、魂は互いに影響し合うものだ。……それに、今回の件は、お前が思っているよりも根深くなり、長い年月をここで過ごすことになるかもしれんのだぞ」

「へっ、どうだか。期待してねえよ」

 な、なんてかわいげのないやつなんだ……。ケンは最後までその刺々しい態度を崩さなかった。結局、その晩の食事でまともな会話が成立することは一度もなく、オレは「先が思いやられるぜ……」と心の中で深い溜息をつくしかなかった。

 

数日後の夜中のことだった。山奥の深夜って世間一般……というか都会人にとっては「静かそう」なイメージがあるかもしれないが。実際はそんなことはなく虫の鳴き声が大合唱を始めだし、外ではやばい音量になっている。頭痛くなりそう。どんだけ居るんだよ、虫。暗視スコープを使って外を眺めたらとんでもない光景が見られるかもしれない。そんなおぞましいコトをやるわけはないけど。あと、蛙かなんかの声も聞こえる。この環境でも耳栓なしで眠れるということは、師匠とか、オレやリュウは案外神経が太いのかもしれない。

そんな騒ぎの中なのだが、虫どもの騒ぎと反比例してオレたち人間は部屋の中で静まりかえっていた。(どうでもいいことだが、反比例という概念は最近知ったことだ。こうやって例えに使えるんだから、座学をやるのもやっぱり人間には必要なことであるようだ)

 

 本堂から離れた場所にある和室兼寝室。オレは意を決し、布団に横たわっているケンの枕元に正座した。少し離れた壁際にはリュウも座っている。間接照明として使っている行燈の淡い光が、障子に三人の影を大きく投影していた。なんだか、映画の一シーンみたいだな……なんて暢気な考えを振り払い、オレは口を開いた。

「……なあ、ケン。なんでもいいんだ。少しだけ、お前のことを話してくれないか。お前のことを、もっと知りたいんだ」

 ケンは仰向けに寝転んだまま、視線だけをこちらに向けた。その薄茶色の瞳は相変わらず冷たく、行燈の光を吸い込んで鈍く光っている。年下のガキとは思えない、射抜くような鋭い眼光だ。

「知ってどうする」

「どうもしねえよ。ただ、知っておきたいだけだ。お前のその……怒りとか、苛立ちとか、行き場のない気持ちをさ。事情を少しでも分かっていれば、オレたちだってお前の神経を無駄に逆なですることもなくなるだろ。話して損になることはねえと思うぜ」

「……」

 

 長い沈黙が流れた。外の虫の声がいっそう強く聞こえる。ケンは短く舌打ちをすると、ゆっくりと上体を起こした。話す気になったらしい。背負った光の中に浮かび上がる彼の金髪が、少しだけ逆立って見えた。

ケンは、まずこっち側に確認しに来た。

「お前ら、『マスターズ家』とか、『マスターズ財団』って名前を聞いたことはあるか?」

 その言葉に、オレは麓の街でたまに見かけるニュースや、立ち読みする新聞の内容、その断片を思い出した。

「なんか……世界的な大金持ちで、色んな企業を持ってる、開発事業もやってるんだっけ?……コングロマリットとかいうやつだろ? 教科書に載るようなレベルのさ」

「だいたいあってる」

 ケンの声は、ひどく乾いていた。

「オレの親父は、そのマスターズ家の人間『だった』」

 は? という思いが、のどの奥から空気となって抜ける。ひゅうという音だけが外に出ていった。どういうこと? あの……マスターズ財団の、関係者? 天上人っていうか、話に現実味がなくって。わけが、わからんというか……?

ん? 待てよ。「だった」? 過去形なのか? オレとリュウは思わず顔を見合わせた。

 

ケンはオレたちが戸惑うのに構わず先に進めていく。

「親父はな、家が決めたレールを歩くのも、政略結婚を押し付けられるのもヘドが出るほど嫌だったんだ。だから、お袋と出会って……駆け落ち同然で実家を飛び出した」

「「駆け落ち……!?」」

 リュウと一緒に声を上げてしまった。現代の現実で聞くようなもんではない、なんともリアリティのない言葉だ。今日日、ドラマでもそんな設定は用いないかもしれない。だが、ケンの表情は真剣そのものだった。

「でも、幸せは長くは続かなかった。お袋はオレを産んでから、ずっと病気がちでな。……親父は、そのお袋の姿を見て……それまであんなに反発してたマスターズの実家に、恥を忍んで頭を下げに行ったよ。最高の、出来る限りの治療を受けさせてくれって。でも、あいつらは見捨てた。お前なんかもう息子じゃない、助ける義理はないって。そうやって、お袋を見殺しにしたんだ」

 

それは……いくらなんでもひどすぎる。ここまでの内容だけで、グレてしまうには十分すぎる気がした。外で騒ぐ虫の鳴き声が、頭ん中で反響して、音が歪んでいる。

「ひどい話」にはまだ、続きがあった。

 ケンは虚空を見つめ、苦しげに言葉を絞り出した。

「一年前のことになる。お袋は、大した治療も受けられずにそのまま死んじまった。いくらか泣いたけど、いつまでも泣いてたってしょうがないし。それなら……親父と二人で生きていこうって決めた矢先だった」

ケンは……遠くにいるどこかの誰かに、激しい憎悪混じりの視線を投げかけた。

「生活を立て直そうって必死だったんだ……! それなのに、最近になって、……あのマスターズの連中からひっきりなしに連絡が来るようになったんだ」

そんなタイミングで本家からの連絡が来るってことは。それは。

 

オレにとってはこの話はもはや怪談の域にあった。聞いていて気分がよくなることはないだろうと覚悟はしていたが、ここまでのことだとは……。それでも、催促した以上、最後まで聞かねばならなかった。

 嫌な予感が、オレの背筋を冷たく撫でた。

「……それは、そんな連絡が来たのは、どうしてなんだ?」

「ははは……それ、聞くのかよ。言うけどさ。笑えるぜ? あいつら、一族の中でドロドロの派閥争いをやってたんだと。毒を盛っただの、事故に見せかけて殺しただの、刺客を送っただのってさ……。格闘家でもねえくせに、人殺しの才能だけは一流だったらしいな。挙句の果てに、主要な跡継ぎ候補はあらかた死に絶えちまった」

 

 ケンの目が、ぎょろりとオレたちを捉えた。

 

「分かるだろ? なぜ、自分たちが困った途端に、見捨てたはずの親父とオレを呼び戻そうとしてるのか」

その答えは瞬時に思いついた。それは……考えうる限り、最悪の発想だった。でも、それ以外に答えがないようにも思えた。

だから、誤魔化さずに答えるしかなかった。

「……本流の血を継いでいる人間が、もうお前たちしか残っていないから、か?」

「正解。あんた、察しがよくて助かるぜ。正確には全滅まではいってないが、残ってるのは、もう先が短い隠居したジジイ共ばっかりだ。マスターズの看板を支えるための『生贄』が欲しいだけなんだよ」

 

 リュウが俯き、膝の上で拳を握りしめているのが見えた。「ふざけた話だ」と小さく呟いている。普段は感情を表に出さないあいつまでもが、静かな怒りに震えていた。

オレはあんまり恐ろしくなって、念入りに確認してしまった。

「その連中は……お前のお袋さんが倒れてるときは、なにもしなかったんだよな?」

「さっきそう言っただろ!!! ……悪い、あんたに怒鳴ってもしょうがないことだったな。そうだ。お袋が苦しんでいる時は無視しておいて、自分たちの都合が悪くなったら『家族』を持ち出してきやがった。親父には『もう一度こちらが決めた結婚をすれば、嫡男として迎えてやる』なんてぬかしやがった。……親父は、オレとの生活を守るために、その条件を飲むか悩んでたよ。でも、オレは認めなかった。親父の気持ちは分かるよ、だとしても、父親だからって、そんなことを決める権利があるわけねえ……!」

 

 ケンの声が、怒りでわなわなと震え出す。

 

「認められるかよ! お袋を殺したも同然のヤツらの道具にされるなんて! それでオレが拒絶したら、今度はアメリカ中に圧力をかけて、オレたちがまともに生活できないように追い詰めやがった。わずかに残った権力をあんなことに使うなんてどうかしてる……冗談じゃねえ。オレも、お袋も、親父だって……あいつらの持ち駒なんかじゃねえんだよ! そのために生まれてきたわけじゃねえ! だから、オレたちは日本へ逃げてきた。……そして、このオレは、どうしようもなく腐ったオレは、この溜まりに溜まった苛立ちをぶつける場所を探して、あちこちで暴れて、親父にも見放されて……。最終的にここにいる。これが、オレの全てだ」

 

 ケンは一気に語り終えると、そのまま布団に大の字になって寝転がった。それ以上、何も言わないという無言の拒絶だった。

拒まれても、オレはまだ質問があった。これだけは聞いておかねばならないと思っていた。

「じゃあ、なんで……ここに来たんだ? 最初にお前がここに来たときは、親父さんの意思とはぜんぜん関係なくて……自分から喧嘩を売りに来てて……そうだ。なんで、そもそも、ストリートファイトだの、道場破りなんてマネをしてたんだよ……」

一度は尋ねたことだが、あのときと今では状況が違う。ただの子供のカンシャクなんかとは、わけが違うじゃないか……。

 

 ケンは目を閉じた。閉じたまんまで、数秒の間を置いてから、微かに言った。

「……強くなれば、誰もオレを縛れなくなると思ったからだ。名声でも実力でも、圧倒的な力があれば、誰の言うことも聞かなくて済むだろ」

「その理屈は分からなくもねえけど……こんな山ん中まで自分で来る意味が……」

「……ここの流派を選んだのはな、オレが見た古い資料に書いてあったからだ。ここの技を究めれば、『どんなものでも殺せるようになる』ってな」

 オレは、言葉を失った。やっぱり情報が流出してる……いや、分家経由だからしょうがないか、これは。

 ケンは、オレが止めなければ。いくらどん底に居るとしても……その動機だけは否定しなくちゃならない。「力」への渇望。かつて復讐心に囚われ、サガットを殺すための力を求めてここへ来た時の自分と、あまりにも重なっていた。そしてその力は、師匠や豪鬼さんが最も危惧している、求めてはならない種類の力だ。

 

 眠りにつく直前、ケンは背中を向けたまま、ぽつりと付け加えた。

「……あんたのことは、いつか超えてやる。絶対に」

 

 その言葉は、精一杯の強がりのようにも、あるいは彼なりの生存戦略のようにも聞こえた。

勢いで言ったんだとしても、そんなことを言われるのは慣れない。リュウにもそのたぐいのことをたまに言われ、その度にうろたえてしまう。

近頃身に染みて思うんだ……オレって先にここに来たってだけで、そんなにたいした男なのだろうか、って。必死に兄弟子ぶってはいるけども……。いつか越されそうな気がしては、おののいているばかりだ。

 

オレが言葉を失っている間に、リュウが静かに立ち上がった。寝床に戻っていく。布団に入る、衣擦れの音が聞こえた。

「おやすみ。……あんまり、引きずるなよ」

 その一言だけを遺し、リュウは布団に包まった。オレもそろそろ寝ないと明日に差し支えるだろうなと考える。

 

その晩、布団の中で丸まったり、背を伸ばしたり、何も考えないようにしてみたり。いろいろやったが、結局その晩はほとんど眠れなかった。

どうしようもない影が、部屋の中にたむろしている気がしてならなかった……。外の虫の声が、まるで呪詛のように耳の奥で鳴り響き、部屋の隅に溜まった暗い影が、ケンの、そしてオレたちの背負った「業」のように思えて、どうしても目が冴えてしまったのだ。

 





「父親がマスターズの人間」なのは、「暗殺拳」ではそうなってるから設定を拝借しているのです。
……が、スト6の前日譚漫画を見ると、公式でもこっちの設定に切り替えられているようで、「???」となっています。
ケンの元々の設定って、「母方の祖父がアメリカ人」とか、「仲良くしていた叔父に頼まれて財団を継ぐことを決めた」とか、そういう感じだったような……。
ま!!! この二次創作は公式の設定を全破壊しているので、気にするようなことではありませんね!!! 失礼しました。

また、この二次創作内ではマスターズ家がしっちゃかめっちゃかになってしまっていますが、なーんでこうなってしまったかについての設定はちゃんと組んであります。
私の余力が残っていれば番外編で明かされます。
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