「よお」
知り合いに呼びかけるように、気さくに呼んでみた。当然、そいつは驚いてこっちを見る。知らないやつなのに、なんで? って顔だな。
「ああ、きみ、この子の知り合いかな?」
そいつの相手をしていたお巡りの兄ちゃんが尋ねて来るので、オレは適当なことを言った。
「うん。そうなんだ。それでさ。どっか、用でもあるのか、聞きたくてさ」
「そうかあ。でも、困ってるんだよな。この子の行くとこ、すごい山の中みたいなんだ。デジタルの……。DVDの地図には記載されてないみたいだから、紙のを取り出してね」
道着の子どものほうは、何事かぜんぜんわかんねーって感じだった。そりゃそうだろな。って、考える間にオレは古めの地図を確認したわけだが。これがまた、驚きの結果だった。
「ここ、うちの寺じゃねえか」
「ええ! きみん家なの、ここ」
「はあ、はい。そうなんだよ、なあ」
オレは背後に居る道着くんのほうを振り返る。うんともすんとも返事をしなかった。そりゃそうだ。見知らぬ他人だしな。
「きみ、悪いけど、この子を送って行ってくれると助かるなあ。なんだか、ひとりで来て、頼れる大人もいないようなこと、言ってたからね。さっきね」
「ははあ。それはオレがなんとかしたほうがよさそうですね」
オレは、道着くんの腕を取って、「それじゃ」とお兄さんにあいさつしてから交番の外に出た。
「なんなんだ、あんた。ちょっと、離してくれ」
交番を出てすぐにそう言って、道着くんはオレを振り払う。歩道の隅に寄って、オレに詰め寄った。
「あんた、なにが目的だ。なんのためにこんなことを」
「おお、悪いな。驚かせたか」
「悪いじゃないだろ。だいたいなんだ、知り合いのふりをして、適当なことを言って」
「適当って、どんな?」
「オレの目的地を知ってるだとか、適当じゃないか」
「それは本当だぜ」
道着くんは、目をまんまるくした。それから、オレに確かめる。
「本当って、本当のことなのか?」
「こんなことで嘘は言わねえよ。お前、急いでるのか?」
道着くんは、腕を組んで、ちょっと考えるような感じになった。答えが出たのか腕を離すと、オレの目をまっすぐ見る。
「出来れば、陽が出てるうちに着きたい」
「わかった。ついて来いよ。ええっと……お前、名前は?」
まさか道着くんと呼びかけるわけにもいかないだろう。なんて言って読んだらいいのか分からず、聞いてみる。そこは素直に応じてくれた。
「
「ん? 苗字は?」
「……あるけど、ない。オレと父さんはむやみに名乗ったら駄目なんだってさ」
なんだそれは、と思いはしたが。どうやら複雑なことがあるようだ。深くは聞かないでおこう。
「わかった、リュウ。オレはダンだ。火引弾、だ。今住んでるとこの主とは、……まあ、師匠と弟子、みたいな。だから、家族ではないから、お前がここに来るとき、オレのこと知らなかったのも、そのへんのことがあったからだろ」
リュウはうなずいて、オレに確認を取る。
「オレが訪ねていってもよさそうなのか?」
「うーん。知らねえけど、門前払いはねえだろ。いくらなんでも」
オレはあいまいに言って、電話ボックスを探して歩く。二百メートルぐらい歩いたところのボックスに入って、今居るとこの近くにあるビル名を告げる。
オレはボックスから出て、リュウに言っておいた。
「今タクシー呼んだからな。すぐ来るってさ」
「歩いていくんじゃないのか?」
「お前、物好きだな。ここからうちまで二十キロはあるぜ」
「だって、あんたの住んでいるところ、修行をするところなんだろ? だったら歩くんじゃないのか??」
あまりにもまじめな質問に、オレは笑ってしまう。
「体力作りのためなら走り込みも毎日するさ。だけどな、こういうのは別だろ。不便な場所なんだし。オレはそう考えてるけど」
かっこつけの言い訳を付け足してはみたが、ほんとは走らずに強くなれるならそのほうがいい。それこそ、息を吸うだけで強くなれるならどんなにいいことか。だけど、現実ってそうはいかないんだよな、嫌になるぜ。
オレの言い分を聞いても向こうはなんだか腑に落ちてなさそうだったが、そうしてるうちにタクシーが来た。今度は、後部座席に二人で乗った。目的地を告げ、タクシーが走りだす。
乗って運ばれている間、オレは今まで考えないようにしていた破門のことを考えてしまった。
ちぇ、なんだよ、こんなときに。というか、師匠はこいつが来ることを知ってんのか?
いや? まさか、オレが居なくなったあとの弟子だってのかよ。こいつが? オレは隣に居るリュウを見た。確かに、鍛えてはいるようだけど……。
「どうしたんだ、ダン」
オレの視線に不穏さを感じたのか、リュウが聞いてくる。オレは、気まずくて「別に」としか言えなかった。
まあ、まじめそうではあるよな。少なくとも、人殺しはしないだろう、そんな奴に見える。だからってよ。そんなのってありなのかよ。ふーん。そうなのかよ。けっ、なんか、いやな気分になってきたぜ。
タクシーはだんだんと山の道にさしかかっていった。景色が緑まみれになるまでに、たいした時間はかからなかった。
オレは山の麓に着くと、リュウを先導しつつ山道を登り始めた。麓からしばらくはそれなりに手入れされた石段を登っていけばいいのだが、石段は途中で途切れてしまっている。たぶん、昔はこの石段もなく、ただの坂だったのだろう。寺に住む住職がいなくなったせいで、工事も途中で終わってしまったんだ。師匠が住み始めてからも工事が再開される様子はない。あの人はきれいな道を必要としていないからだろう。年に一回ぐらいは外の人間が電気やら何やらの点検に来るというのだから、最低限道を整えたっていい気はするんだが。一般的な体力の人間の都合も考えろよな。
そう考えていると、石段の終わりが見えてきた。最後の段を登りきると、あとは砂利が敷かれている坂道がうねっているだけだ。この砂利すらも途中でなくなって土がむき出しになっているのだから、相当の山道だった。
リュウは驚きもせず、オレの後ろを付いてくるだけだった。事前に電話か手紙で聞かされていたのだろう。ふん、こんな道を歩かされても文句一つ言わねえとはな。根性のあるやつだ。いい弟子になるだろうぜ。まったくな。
歩いていると砂利がまばらになり、だんだんと薄い黄と褐色が混ざったような土があらわになってきた。滑らないように足下を気にかけて進む。
途中で道がやたらと細くなる部分もあった。道の脇が崖みたくなってるとこもあるんで、危ない。
さすがにここはしょうがねーってんで、オレはなにも言わず手を引いてやった。リュウは、そんとき、ちらっと不安そうにしてさ。崖の下を見ていたんだ。だって、転げ落ちたら軽い怪我では済まないからな。
オレ、そこで、なんだか自分が馬鹿らしくなってきちまった。なんだよ、自分勝手にふてくされて。こんな、オレよりちっこいやつがさ、こんな、ぜんぜん知らねえ土地に来て、人を探してるんだ。一緒に大人がついているわけでもない。周りに知ってる人が居なくて、それだけでもつらいって分かるだろ。
それなのに、オレ、自分のことを優先しそうになった。
破門がどうとか、こいつには関係ねえのに。もし仮に、こいつがオレの代打だったとして、それがなんだよ、こいつがつらいのとは関係ねえだろ。むしろ、かわいそうなぐらいだぜ。こんな、山奥に来る羽目になっちまってさ。
オレは背筋を正して、リュウを案内した。
先の道に砂利が撒かれているのが見える。道のそばにある木が切られ、ある程度空間が開かれている。寺の周りは、少しだけ道が整えられていた。あと少しだ。
それで、寺の山門まで着いた。オレは門を強く蹴って開ける。表の門に鍵なんかかかってない。取られて困るものはすべて蔵にしまってあるらしい。防犯という概念を捨てていた。そんなんでいいのか、と思わなくもない。ほら、リュウも口なんか開けてびっくりしてるしな。
「鍵、かかってないのか」
「ねえな。あの人、なにも気にしねえから」
「そうか……」
オレはリュウを本堂まで連れて行った。今頃の時間は、師匠はここで瞑想をしている。
オレは、なんにも言えなかった。どこから来た、とか。なにしに来た、とか。言ったら、会話を拒まれると思ったんだ。
オレは本堂の前までリュウを案内すると、中へと師匠を呼びに行った。入る前に、リュウには「あんまりうろちょろするなよ」と言っておいた。
「せーんせえ。せんせい! 客だぜ、あんたに客だ」
師匠は開かれていた拳を握り、目を開ける、返事が返る。
「なんだ、訪問販売か? それなら……」
とんちんかんな返答だった。どうも、師匠のほうはリュウに心当たりがない様だ。そんなら、オレの考えてた、オレが居なくなったあとの埋め合わせって線はなくなった。
なんでえ、早とちりしてたんだな。オレ。じゃあ、ちゃんと紹介してやらねえと。
「違うって! 子どもだよ。オレより年下みたいだ。あんたを尋ねてきたんだ。オレは、目的とか、聞いてないから知らねえ。とにかく、こっち連れて来たからな!」
オレはそれだけ言ってリュウのとこまで戻った。師匠がのそのそとこっちにやって来るのが分かる。足音がでかいんだ、忍ぶときは別だけど、普段はな。
オレは師匠のほうを振り返った。師匠は、リュウを見るなり、目を見張った。
「お前……面影がある。まさか!」
リュウが、頭を下げる。いっときそのままの姿勢で静止して、頭を上げ直した後、背中にしょってた荷物を入れてるらしい袋から一通の書簡を取り出した。
「これ、オレの父親……からの、手紙、です。あなた、剛拳氏……宛である、と、オレは聞いています」
リュウはかちこちになりながらも、なんとか師匠のとこまで手紙を持って行って、手渡した。
師匠は、手紙を開けて、頭からしっぽまで眺めまわして、めくって、次の紙を読んで、を繰り返した。読み進めるうちに、深刻そうというか、苦々しい顔になっていく。それがしばらく続いて、息を吐いた。
「お前は、あいつの息子なんだな……。たまに来る手紙には書いてあったんだが。実際に顔を合わせることになるとはな。この場にあいつが居ないというのが、変な話ではあるんだが」
師匠はため息をついた。
「それで、あいつから……、「ここの寺へ行け」と言われたのか? それで素直に来たというのか……」
「はい。「自分はしばらく帰って来られないから、ここに行って面倒を見てもらえ」と言われました」
はきはきと答えるリュウに、師匠が困った感じになる。おお、こんな師匠は見たことがない。
って、待てよ! なんなんだ、リュウの親父。いきなり息子をほっぽり出して、おまけに師匠なんかに預けるだあ? 頭おかしいんじゃねえのか。ネグレクト野郎だな。最悪だ。オレの中のイメージは最悪だ。会ったことねえけど。
師匠はお天道様を見上げて……そのまま固まった。なんだ、せめて住んでいいかだめかぐらい言ってやれよ。師匠は固まったまんま何十秒か動かずにいて、腹括った感じで言った。
「分かった。お前の寝床ぐらいなら用意できる」
「そうですか!」
リュウはうれしそうだ。うーん。これでいいのだろうか。この人、人の世話なんかろくにしねえぞ。むしろ人に世話させるほうだぞ。って、うわ、待ってくれ、オレ、たぶん破門濃厚なわけで、そうなったらこいつら二人っきり、かあ? こんな師匠と二人暮らしねえ……なんか、かわいそうだよなあ。だからって、師匠が温情をくれるわけねえんだけど、なあ。
そう思ってると、師匠は急にオレの方を見た。なんか、ろくでもないことを思いついたっぽい雰囲気だ。オレは反射的に姿勢を正す。
「おい、ダン」
「な、なんすか」
「お前、こいつの面倒見てやれ。教えを授けるというのならともかく、世話はな。ワシはそういうのは、専門外だからな」
「はっ……ふざけっ、師匠!!?」
師匠はそれきり部屋の方へ戻ってしまって、オレとリュウは二人取り残された。
オレは、「ああああーもーなんなんだあのやろーちょーむかつくんですけどー」と呪詛を吐いてから、リュウに呼びかけた。
「おい、リュウ」
リュウは急なことだからかびくりとのけぞるだけだ。オレは続けていく。
「あーあ。あの人あんなんだから。ぜんぜん人の面倒見ねえから。聞けば教えてはくれるけど、家事はろくにしないしあんまり自分で動かねえから。……ああ、うん。これもなんかの縁なんだろ。短い間だけど、お前の兄貴になってやるよ。よろしくな」
リュウはオレの言うことを黙って聞いて、その後に、深刻そうな顔になった。
「短い間って、どういうことだ?」
「はは、これが、笑えるんだけどな。……オレさ、昨日あの人に、「おめーなんか破門してやるー」って言われたんだ」
「ええ!?」
「一か月後までに態度を改めなかったら、オレ、ここを追い出されるんだとよ」
オレは笑って言って、頭を抱えた。
「そんなこと言っといて!! お前の世話をこっちにやらせる!! ほんとわけわかんねえよなーー!!」
「……ええと、その、すまない」
リュウが責任を感じてしまったみたいで、オレに謝ってくる。オレははっと気づいて、リュウの肩を正面からぽんぽんと叩いてやる。
「いや。お前は悪くない。悪いのは師匠と、あとお前の親父だから。お前は悪くねえから」
「……オレの父さん?」
なんで? と言いたそうな感じだ。あ、いや、これは地雷だったのか? でもさ、この状況はおかしいだろ。普通に考えて。
「オレ、お前の事情知らねえけど。勝手なこと言ってるかもしんねえけど。でも、子どもを放り出して他人に預けるとか、しかもこんな不便かつ過酷なとこに寄越すとか、オレには信じられない。無理。お前が納得しててもオレが許せない。いや、お前も、親父を他人に悪く言われるの嫌なんだろうけどそれでも」
「……ダンは」
リュウに割って入られて、オレは話すのを止める。
「あんたは、いい人なんだな」
「はあ?」
「オレが交番で困ってたら首を突っ込んでくるし、案内するし、オレのことで勝手に怒るし、ちょっと、突っ走るようなとこがあるけど、うん。あんたはいい人だと思う」
それから、リュウははにかんだ。
「これから、よろしくな」
「ああ。なんか、しっくりこねえけど」
オレはそこで再び、破門のことを思い出してショックを受けた。
「まー!! よろしくしても一か月後にオレは追い出されるがな!」
「それのことなんだが」
「なんだよ」
「理由、分からないのか? 分かるなら、オレが口添えとか出来るかもしれない」
「あー、たぶん無駄だ。理由、分かるけど、お前がフォローしてくれても、だめだな。これは……そう。オレの、心の持ちようだから」
リュウのやつ、言ってる意味が分からなさそうだった。だから、オレは、ちょっとした気の迷いを起こした。
そうだ、出会ってすぐの相手なんかには、到底打ち明けられないはずの、その理由を。
話す気になったんだ。なんでだか、わからねえんだけど。そういう気持ちになっちまったんだ。
「オレの、ここに来た理由さ。それが気に食わねえんだ、師匠は。オレは、親父を殺した男を、……殺すために、強くなりたかった。それが、ここへ来て、修行をしてる理由だ。だから、だから」
オレは、なんだか泣きたくなった。自分がひどくみじめに思えた。
「だから、ほんとは、オレ、お前にいい人だって言われるような筋合いなんか、ないんだ。なにもないんだ。だってオレ、人殺しになるためにここに来たんだから」
オレは、強がって笑った。リュウは、なにも言えずに、ただ、悲しそうだった。
ある春のことだった。風が凪いでいて、過ごしやすい日だった。ムクドリの群れは、相も変わらずぎゃあぎゃあと鳴きわめいていた……。
言うまでもなく、書くまでもないことですが、この小説内のダンは人殺しには向かない性格です。
(というか、正史におけるダンだって人殺しには向いてないと思っています)
根本的に考え方が小物ではあるものの面倒見のいいあんちゃん。そういう人にしかなれないのです。