オレはその日の夜、なんとも気まずい雰囲気の中布団を敷いていた。外では鳥が鳴きわめいている。電球を替えるタイミングを間違って、寝室の明かりがちかちかと瞬いている。気まずい。
リュウは自分の布団を屋根裏から持ってこようとしたが、オレが二人分持ってきた。リュウはオレから布団を受け取ると、「ありがとう」と短く応えた。
リュウが自分の布団を整えていると、こっちをちらりちらりと伺っているのがわかった。
「なんだよ。オレと一緒の部屋は嫌か」
「そんなんじゃない。そっちこそ、嫌なのか」
「別に……」
オレは目をそらした。おそろしく気まずかった。
同室にオレ以外の人間がいるなんて、そういう事態を想定してなかったから。気が落ち着かない。
その日の夜、オレはなかなか寝付けなかった。寝返りを打った回数を数えたら寝られるかな、と思って数えていたが、百回を越えたあたりで数えるのをやめた。今度は畳の目でも数えようかと考えて、そうしているとリュウの寝息が聞こえてきて、安心してしまったんだろうか、オレもいつの間にか寝てしまっていた。
朝になって、目が覚めてきてなんとはなしに目だけ開ける。オレは横になったまま、隣にいるリュウを見てぎょっとした。目はぼーっとしていたし上半身を起こしているだけだが、リュウが起きていた。まだ、日が出てから間もないってのに。いつもこんなに早起きなのだろうか。
「お、おはよう?」
なんでだか疑問系になった。リュウはぼんやりしたまま「おはよう」と返してきた。まだ眠いようだった。
そのやり取りが、みょうにくすぐったくってさ……。声には出さないが、顔が笑った。だって、こういうなんでもない会話、久しぶりにしたんだ。
そう、親父が居なくなって、それ以来ってことになる。
こういう、いつも生活してる中でありそうなやり取り、してなかったんだ。オレはそれを自覚すると落ち着きを失ってしまって、勢いで立ち上がった。リュウがオレの行動をよくわかっていなさそうに聞いてくる。
「どうしたんだ、ダン」
「なんでもねえ。起きたついでだ。ちょっと付いてこい」
リュウは寝間着のままでふらふら立ち上がった。目をこすり、オレの後ろをついてきた。
オレは洗面所にリュウを連れて行くと、この寺の使い方を逐一教えていった。
水は井戸があるからそこで汲んでくる。(昔は川まで汲みに行っていたそうだ。信じられない。師匠とその弟……今は修行に出ていると聞いた、その人たちが勝手に掘ってしまったらしい。すごい行動力だ)
ガスは通ってないのでカセットコンロを使う。ときどき薪も使う。(かまどでメシを炊くので、ガスばかりに頼ってもいられない。薪を割るのはオレの仕事。……師匠はぎっくり腰になりたくないだとか言い訳していたが、あんたがなるわけないだろう)
電気は理由が不明だがバッチリ通っているので……まあ、テレビは見られる。(たぶん、師匠が見たいからだ。あの人は意外と機械を嫌っていない。この間は英会話講座を見ていた……マジメか!!)
ついでに、消耗品を押し込んでいる倉庫にも案内し、部屋で切れかかっている電球の替えを手に取る。後ろから「ここでの在庫が無くなったらどうするんだ?」と聞かれたので、「当然、オレが買い出しに行ってるよ……」と力なく答えた。
部屋の電球を替えに行き、今度は井戸に向かう。リュウはふんふんと聞きながら小さな手帳かなにかに覚え書きをしている。この年でなんてマメなやつなんだ。
井戸に着いたあと、使い方は元から知っていたみたいで、手慣れた様子で井戸から水を汲み、手桶に入れる。そのまま洗面所に入って顔を洗っていた。
「ダンも使うよな?」
なみなみと水が注がれている桶を、隣で見ていたオレに渡してきた。なんて気が利くやつなんだろう。
「あ、ああ。悪いな」
「なに言ってるんだ。あんたが兄弟子なんだろ。これぐらいするのは普通だ」
こいつは本当にオレより年下なんだろうか。なんでこんなにしっかりしているんだ? という疑問は置いておいて、オレも顔を洗う。うーん。リュウのやつ自分でなんでもできそうだな。生活で困ることはなさそうだが。なんだか、焦っちまうというか……。
朝食をとってそれからは、当然修行も一緒にやっていたんだが。オレはもう驚き通しだった。
なんせ、「気」の扱いをすでに心得てるっていうんだからな。
体中の経絡に大地と空気中から取り込んだ気を張り巡らせ、丹田で煉り上げる。言葉で言うのは簡単だが、すぐに身につく技では無い。
オレは、休憩中にこっそり聞いてみた。この寺にベンチのような気の利いたものはないので、リュウと二人で境内にある小さい堂の階段に座る。
「おい、なんで波動が使えるんだ」
「あんただって使えるだろ。オレよりも上手く」
「そりゃあオレは、物心ついてからずっとやってるし」
そう、親父のあとにひっついて、そのマネゴトをしていた。思い出すと、心臓に針が立つようだ。
リュウは、オレの顔に気がついたのか「なにか嫌なことを言ったか」と気にしだした。オレは「そんなんじゃない」と振り切って、話をせかした。
「そうか、それならいいけど。それで。オレが何で気を扱えるかって話だったっけ。それは、父さんのおかげだ。あの人は毎日が鍛錬の日々だったからな……」
リュウは笑った。あきらかに苦笑いだった。だめだ。リュウの親父ってたぶんすごいろくでもない。子供にこんな顔をさせてんじゃねえ。
その日の晩は疲れちまって、すぐに寝られた。それなのに、夢で親父の顔を見て、つい起き上がってしまった。外を窺うと、まだまだ暗いようだった。
オレは縁側から外に出て、荒れた庭の中で突っ立っていた。空を見る限り、真夜中に近い。時計は確認していないが、そんなところだろう。今すぐ布団に入っても寝られそうになかった。そのままでは難だから、修行でもしようと意識をとりまとめる。
自分の中に、気を集めていって、出て行こうとする気を内にとどめ……そうしていると、背後に気配を感じた。オレは振り返る。
「リュウ? どうした?」
リュウは縁側の板張りになった部分に立ち、こちらをじっと見ていた。
「どうしたって、あんたこそ。こんな夜中まで熱心だな」
オレは、ばつが悪かった。
「あのな。そんなマジメくんじゃねえよ。横になってると落ち着かなくて……寝ていられなかっただけだ」
「そうなのか?」
「ああ」
オレはリュウが気になって、結局縁側に行った。リュウの隣に行ってから座って、指を組んだ。リュウも座り込み、オレの顔をのぞき込んだ。
「ダンはなんだかオレに遠慮しているような気がするんだが。なあ、オレが居ると、そんなに迷惑か?」
突然そんなこと言われたもんだから、オレは大声を出してしまった。
「そんなことあるわけない!」
はっ、と師匠の存在を思い出した。起こされた、とか文句言われたら面倒だ。落ち着け、オレ。一旦、息を大きく吸い、吐き出す。それから言い直した。
「そんなことねえけど。オレ、親父が居なくなってからずっと一人部屋だったから。それってこの寺に来る前からの話で……他の人間が部屋にいるのが、馴れねえんだ。それだけのことだ」
リュウが、オレに返す言葉が見つからないのか口をぱくぱくとさせた。
「いや。そんなに慌てるなよ。オレ、お前のことは嫌ではない。それは本当なんだ」
自分で自分が言ったことに驚いてオレは口に手をやった。
オレは、……親父の敵討ちが出来れば、それでよかったはずなのに。弟弟子の面倒なんか、見てる暇ないのに。自分が強くなるために、焦ってるはずなのに。
本当は、嫌がってるはずなんだ。オレは。でも。
オレの言葉を聞いて目を輝かせてるリュウを見ていると、オレの心が二重になる。
リュウの存在を疎ましいと思うオレ。リュウと居ると心が落ち着くオレ。
どちらがほんとうの自分なんだろう。オレが考えていると、リュウが静かに語り出した。
「ダンにそう言われると、ほっとする」
オレは、じくじくと胸が痛んだ。違う。お前にそんな風に言われる資格は無いんだ。
「父さんとはいっしょにいたけど、あんたのように年の近い人といるのははじめてなんだ。勝手かもしれないけど、親しみやすいというか」
笑うリュウを見ていると、自分のことがよく分からなくなる。でも、これだけは確かだ。
オレは、こいつの笑顔が好きなんだ。それは、信じていいことだ。
次の日は、一日中走り回った。また次の日は、川に行って滝に打たれた。
滝に打たれた帰り道、リュウがオレの目をまっすぐ見てきた。相手になってくれ、って合図だ。オレはうなずいて、構えをとる。河川敷の、砂利が一定の大きさじゃ無くて、不安定な地面で駆け抜ける。
リュウが真剣にやってるのを見ると、負けられないと対抗心がうずく。師匠はめったに組み手をやってくれねえけど、リュウは何度でもオレに挑んでくる。
リュウの動きは基礎をよくたたき込まれていて、教科書のようだ。だから、こういうのに弱い。
オレは、リュウの連携を注視した。オレがガードしている間、向こうの連撃には規則性があった。
緩い足刀……はひっかけだ! 本命のボディブローをかわし、オレはカウンターの拳をリュウのみぞおちに入れた。
リュウが思い切り咳き込んだ。オレは「大丈夫か!?」と慌ててしまう。
「大丈夫だ、これぐらい……。それより、もう一本! 頼む、やらせてくれ」
オレはリュウの足ががくがくいっているのを見て、首を振る。
「だめだ。やるなら回復してから。無理はさせない」
「……あんたって、もしかして過保護なのか」
オレは、首の裏筋がぎくりと硬直するのを感じた。
「そんなことはない、と思う。うん。そうだ。たぶん。お前の親父がスパルタだったんじゃねえ?」
「……そうなのか?」
腕を組んで考え込んでいるリュウを見ると、ごまかせてよかったと思う気持ちに自分自身戸惑っていた。
オレは、こんなに甘い男だったか? と。
オレの修行はやり方がまるきり変わってしまった。あいつになめられないように。あいつに尊敬されるように。
あいつの兄弟子らしく。あいつをよりいい道に導けるよう。
優先されるべき事項が、変わりつつあった。
オレのやりたいことが、変わりつつあった。
オレたちはそうやって、ぎこちないなりに距離を縮めていた。
そうしていると、オレは心の水面が静かになっていくのがわかった。ちょっと前までは、波が大荒れで苦しくてたまらなかったってのに、な。
オレがリュウと過ごすようになってから、もう二週間が経とうとしていた。あっという間だった。初日は自分以外の人間が寝室にいるって感覚を久しぶりに思いだして、なんともいえず寝返りをうちまくったってのに。
結局初日に一回聞いてからは、「オレの動機」についてあいつから言及してくることはなかった。当然だろうな、オレは敵討ちを望んでる。こんなの聞きにくいったらない。
その代わり、あいつはそれ以外のことじゃあ遠慮はしなかった。ああ、今日もどたどたと廊下を駆けてくる音が聞こえてくる。縁側でぼーっとしているオレの耳が、ごとごと揺れている。
「ダン、今日も外周をサボる気なのか? あまり感心しないぞ」
真面目か。そうだ、真面目なんだこいつ。たったの二週間で思い知ったぞこの野郎。つーかこの野郎。遠慮しなくなったな。ずけずけと来るようになったな。
「ちっ、分かってるって。つーかな、オレはお前が見ていないところで修行をしてるんだ。そういうことなんだよ」
嘘だ、という視線を体一杯に浴び、オレはそのきつーいまなざしから逃れるべく立ち上がった。くっ、兄弟子のはずなのに立場が弱い。
おい、あの適当師匠のちゃらんぽらんメニューをバカ正直にやるやつが居るか。もっと効率よくやろうぜ。
なんて言えるわけねーから、リュウのランニングに付き合うことにした。この山駆け上がって下ってを繰り返して麓をぐるっと一回り。口で言うのは簡単だが、そう簡単にこなせはしない。
山の斜面を走って三十分もすると、肩で呼吸をしたくなってきて参った。だめだだめだ。腹筋、集中。肺に空気を深く取り込み丹田に呼気を巡らせることをイメージしろ。暗い山中を、駆ける頭に言い聞かせた。気は経絡を巡り、丹田にて煉り上げられる。体内で気を高め火にかける、体の前後の正中線を想像しろ、炉にかけられた火が、体の中心を巡る、想像しろ!
そういうふうにガンガンガンガン頭の中で繰り返して、そうしていないと絶対にばてる。だってこんなメニューはオレやリュウのような体格の子供がこなせるものではないからだ。
そう、オレたちが普通の子供であればな。
ほとんど獣道にしか見えない道を、歩くのではなく駆け上がっていく。足の裏に地面を感じる、掴んで、跳ね返す。
森を駆けていくと、張り巡らされた気の流れが見えるような気がした。
オレたちは今、いちばん基本のトレーニングをしている。ただの体力作りじゃない。
体を限界まで追い込みながら、自然に巡る気を取り込み、自分の体内で煉り上げ力とする修行だ。これによって格闘家という生き物は一般人とは比べものにならない力を持つのだ。公の資格なんか取ったら、段位によっちゃ裸でも銃を持ってるのと同じ扱いを受けてしまうぐらいの逸脱した存在。それがオレたちの行く道なんだ。
だからまあ、こんなのは初歩的なアレであって、年齢を考えると「いきすぎ」ではあるけど、オレたちにとっては効果的なのは確かだった。
でも、しんどいし、なにより地味すぎる。やりたくてやるやつなんかいない。でも、後ろをついてるリュウなんかは前を見据えて必死だけど、いやだとは言わない。こいつはなんなのだろう。
苦しいのが好きなのか? あ、これ、口に出したら嫌がられるな。言わないでおこう。
そういう地獄のランニングにも終わりが見えてきた、ラスト一周を済ませて山門に向かって木々の間をすり抜ける。
門が見えて、もう走るのも嫌になってきたので足の裏に意識を集中させる。一点に気を集め、飛んだ。開いている門の向こうへと、ジャンプして飛び込んだ。
リュウが「あーっ」と叫ぶ声がしたが知るもんか。オレは門の向こうに受け身を取って転がり込み、ずるっと地面から立ち上がる。
「オレの勝ち、になるのか??」
別に、勝負をしてはない。けど、疑問だ。オレのぼそぼそした独り言に、リュウが律儀に返してきた。
「今のは反則だ、と思う」
オレは振り向いて、舌を出した。
「すまん。もう走りたくなくって」
「はあー、いいよ。別に。でも……いや、……いい」
でも、となにか言いかけて、リュウはそれきりなにも言わずにすたすた行こうとした。
「おい、待てよ。なにか言うことあったんじゃねえの」
「あるけどな。ダンは疲れてるんだろ。」
「お前だってばててるだろ」
リュウはふらつく足をぎくっとさせた。疲れてないと言い張りたいようだ。無理があるだろ。
「今言えよ。話ぐらい聞くって」
オレが食い下がると、リュウはなんだかオレに申し訳ない、みたいな。そんな感じの顔をした。くろい目が揺れる、挙動不審だ。なにが申し訳ないってんだろう。
修行に付き合わせたから? そんなわけあるか。オレが嫌がってんのは不真面目だからだ。じゃあ、なにが?
「じゃあ聞かせてもらう。ダンは、本当は技の練習を優先するほうがいいんだろ」
「まーな。しんどいのは同じだけど。まだやりがいってもんがあるぜ」
「誤魔化すな。あんたの目的には、技を磨く方が手っ取り早いだろ?」
空気が凍った。ざらざらの、整地がいまいち行き届いていない黄土質の地面でオレは後ずさった。