オレは身体丸ごと真後ろに吹っ飛んで、……それから一、二秒ほど気絶した。と思う。
ばっと立ち上がろうとしたが、まるで足が動かない。それどころか全身が固まっていた。師匠から受けた衝撃は全身をつらぬき、たちまち身体を痺れさせていた。
師匠がこちらに歩いてきているのが、草を足がかき分ける音で分かった。早く動けよ、オレの体! 間に合わせろ、バカ!
「これで終いのようだな」
無情な声が響く。いやだ。こんなのはいやだ。まだ終わらせるわけにはいかない。オレはまだ、なにも証明してはいないんだ。寝てる暇はないんだ。
無残にも、オレの体は動かない。
そのオレをあざ笑うように、師匠の声が聞こえてくる。
「お前は、この程度で復讐するつもりだったのか」
オレは目を見開いた。なんだ、師匠は、今なんて言った?
「この程度の力量で、父の敵を討つつもりだったのか」
なにを……なにを言ってるんだ? この期に及んで安い挑発か? くそ、ふざけてる。オレは違う。オレはもうそんなことは望んでいない。
オレは肺に大気を取り込む。体中に気を行き渡らせ、筋肉を動かす。ふくらはぎが痛い。太ももが痛い。脚が全部痛い。限界なんてとっくに越えていた。それでも、違うったら違うんだ。
オレは立った。とにかく立った。全身の筋肉が悲鳴を上げている。体の軸が安定しない、片足がまっすぐにならない。みっともない立ち姿に違いない。それでも立った。
「違います、オレは、そんなこと望んじゃいない」
「ならば、お前はその拳の先になにを求めている。なんのためにその拳を振るうというのだ?」
くっそ、話なんか聞かないってふうだったのに、こんなときになってなぜ聞くんだ! 足に力は入らない、腹から声を出せない。それでも、オレは否定した。そうしなければいけないんだって、意地だった。
荒野にはたった三人が居た。三人しか聞く者の居ない、さびしい言葉を繋げていく。
言わなければ、ここまで耐えた意味が、なくなってしまうから。
「オレは……そもそも、オレが憎んでいたのは、サガットのやつなんかじゃなかったんだ……」
師匠の目に光が走った。驚いたのかもしれなかった。
そうだ、オレだって気がついてはいなかった。気がついてしまえば、オレの心は潰れてしまいそうだったから。
「オレは……ごほっ。オレは、ほんとうは、オレを、たったひとり残った家族を平気で置いていった、勝手に満足して死んでいった、……親父のことを、憎んでいたんだ……」
膝の力が抜け、がくり、と腰が落ちる。膝が地面に付く前に力を入れて体勢を立て直し、オレは言い続けた。
「オレは、勝手なことをした親父を憎んで、そんなどうしようもない、やり場のない憎悪を持っている自分が嫌いで、それを、親父を殺したサガットへの悪意にすりかえたんだ。そうしないと、感情の収まる場所が見つからなかった……」
がくがくと足が揺れていた。立っているのがつらかった。それでも、全部吐き出さないといけなかった。
そうしないと、自分自身が納得できなかった。
答えはもう出ていた。口にするのはためらわれたが、口にして形にして、全てを精算してしまいたかった。
「オレは親父への憎しみをサガットに向けた。もともと、あの男のことだって恨んではいたのだから、それは自然にできた。オレはそうして感情をごまかしてさ。サガットさえこの手で殺してしまえば、すっきりすると思ったんだ。全部、なにもかも、きれいに片付くって。でも、そんなことはないんだ」
オレは乱れる呼吸を一旦整え、心臓に手を当てた。速く速く速く、心音はオレの体を鞭打つように速まっていく。
「だって、もしあいつを殺せたところで、オレの人生はこれからもずっと続くんだ。殺意に呑まれて、あいつを殺した後、この拳にはなにも残らない。オレは自分の本心を偽って、見えないところに傷を隠して生きていくしかない。そんなんじゃ、そんなのは意味が無い。オレの進んできた道に意味が無くなってしまう。人を殺すためだけに技を磨いて、その後は用済みになって、オレにとって格闘技はそれっきりの付き合いになってしまう。オレは、そんな拳はいらない。そんなものを身につけたくはない」
「ならば」
師匠が問うてくる。まっすぐにオレを見ていた。
「お前はどうする気だ。なんのために拳を振るい、力を身につける気だ」
「へへ……そんなもの……」
オレは、背後に居るであろう弟弟子を見ようと後ろを向いた。リュウは遠くでじっと、オレを見つめていた。オレがどうするのか、自分のことのように気がかりのようだ。
オレは、師匠に向き直った。
「オレは……リュウに教えられたんです、全部、オレの中にあるものを見せられた。よどんだもの、きたないもの、全部あいつが居たから見つめ直せた。あいつが居なければ気がつかなかった。だから」
オレは叫んだ。腹の底から、言わなくちゃ済まないことだった。
「オレはなあ、リュウの兄になってやりたいんだ! あいつに借りを返さなきゃならないんだ、オレが間違いそうだったのを、あいつが正してくれたんだから! だから、破門になるわけにはいかない! これがオレの答えだ!」
オレは最後の力を振り絞り、地面と平行になるようにして片足を移動させた。両手で空気中に漂う気を圧縮し、この体を巡る気と合わせ膨れあがらせる。下丹田、中丹田、労宮、気は流れ勁となる。勁は移動するのに比例して増大し、破裂する寸前に、師匠のほうに、ぶち当てるつもりで向けた。
「波動……拳!!」
師匠は真正面からオレの波動拳を受け止める。師匠の片手にまばゆい閃光が走ったかと思うと、オレの波動拳は見事にかき消されていた。
オレは自分の弱さに愛想が尽きた。前のめりにぶっ倒れ、つぶやいた。ははは、オレの両手は……オレの全力は……あの人の片手でかき消される程度なのか。こりゃあ、勝てねえよ。
「だーめだ。どうやっても勝てねえ」
「当たり前だ。年季が違いすぎる」
師匠の無情な言いぐさに、なんだか笑えてきたオレはひっくり返って空を仰ぎ見た。雲が空を流れている。いい青空だった。
「お前、両手で波動拳を撃つようになったんだな」
師匠が聞いてくる、もうやけっぱちになっているオレは適当に答えた。
「まあね。それだって、リュウの受け売りなんですよ。あいつ曰く、オレが片手でやるなんて十年早いんだってさ。そうだ、オレはそういうところだってあいつに教わりっぱなしなんですよ。兄弟子のくせに、あいつになんにもしてやれなかった……」
「だったら、これからいくらでも教えてやればいいだろう。お前にしか教えられないこともあるはずだ」
は??? 今、なんて???
「は??」
なにを言っているのだろうこのオッサンは。この勝負で良い感じに決着がつかなかったら、オレって破門になるんじゃないの?
オレはものすごく嫌な予感がして仰向けになったまま師匠の顔を見た。いたずらが成功したあとのようだった。にんまりと、意地悪く笑っていた。
「破門は取り消しだ」
「は?? 今、え、なに? なんて言いました?」
「だから、破門はなし、だ」
「えええええーーーっ!!!? ちょ、ちょっと、……がは、ごほっごほっ、ぐ、ぐぐぐ、えええーっ!!?」
オレは苦しみのたうち回りながら叫んでいた。叫びながら転げ回った。あまりの異様さに、リュウが駆け寄ってくる。
「ダン!? どうしたんだ、なにが、まさか師匠が手加減を間違えたのか」
「ワシはそんな下手は打たん」
「あっ、そうですか……。そ、それであの! もしかしてダンは破門のショックでこんな風に」
「逆だ。破門は取り消しだと言ったらこうなった」
「ええっ」
リュウがあからさまに困惑していた。それはそうだろうよ! オレだってわけがわからねえからな!
オレはなんとか肘をついて上半身を起こした。リュウが背中を支えてくれて、なんとかかんとか立ち上がる。膝に衝撃が来ていてふらつくが、なんとか立った。
「いや……あの……ごほ、あの、取り消しはいいんですけど? いいんですけど、あの、なんでっすか?? ちょっと、理由とかあるんですか?? まさか、気まぐれではないですよね?? つうかあの、なんで勝負の途中でいきなり尋ねてきたんですか。勝負事の最中に問答とか、あれは卑怯ですよ。言い訳無用みたいな雰囲気にしておいて。あんなの死にそうになるに決まってるじゃないですか」
「お前が、体力があり余ってるときに言い訳をさせたら嘘つくに決まってるだろう。誤魔化すだろう。ワシはお前の本心を聞き出さねばならなかった。だからぼこぼこにするしかなかった。疲弊していれば、デタラメを言う余裕もなくなるからな」
「うっ、まったく言い分を否定できない!!」
「破門の取り消しについてもごちゃごちゃ言うんじゃない。理由はある」
「だからその理由をですね」
「お前、今そいつに支えられてるだろう」
「はい、そうですね」
オレはリュウと顔を見合わせた。この人、なにが言いたいんだろう。
「その背を支えてくれる人間のことを考えられるなら、まあ、問題は無いということだ」
「えっ、なんですかそれ」
「人間とはそういうものだ」
「意味がーっ、ぐっ、こほっ、こほっ、意味が分かりません!」
「そのうち分かる。というか、お前、自分で答えを言ってただろうが」
師匠がそんなことを言うので、頭を働かせようとしたが、頭痛がしてきた。無理だった。こんなぼろきれのような状態で物事を考えろというのはひどいと思う。すごいひどいぜこの状況。
オレが愚痴を言いたくなっているのをよそに、師匠はマイペースだった。取り消しの理由を淡々と述べていた。
「お前の父親は、お前を置いて死地に向かったそうだな。言い方は悪いが、お前を捨てた、とも言い換えられよう」
空気にぴしりとひびが入ったような。緊張感が漂う。
「はい、……オレはそう思ってます」
「道を極めてしまった格闘家という人種は、得てしてそういうものだ。自分の力量を試したい、という域を遙かに超えてしまう。自分の生き様を格闘によって体現してみたい、身命を賭し、命が果てるまでその身を燃やし尽くしたい。勝負の果てに相手を殺してしまうのも同様だ。お互い精一杯やったのだから、死んだかどうかなど、ただの結果に過ぎないと平気で言う。……自殺願望がある人間や、殺人衝動に苛まれる人間とたいして変わらんぐらいだ。本人が前向きすぎて、ただの自殺者や殺人者よりもよほど質が悪いがな。そして、その願いを叶えるためならば手段は選ばんし、残される人間のことも考えない。身勝手なものだ。お前が父や対戦相手を恨むのも当然だ」
オレはなんにも言えなかった。恨んでるってコトを肯定されるのも苦しいことだった。
「だが、お前も格闘家の端くれになって、実感したのではないか? この試合の果てでどちらかが死んでしまうなら、それはそれでいい……。そういう、格闘家特有の、刹那的な生き方を分かっただろう」
「……はい」
「しかし、お前はそうはしたくないと言うんだな?」
「はい。確かに、この力を試した結果死ねるなら……それは、幸せなことかもしれない。力を出し尽くして死んだり殺したりしてしまっても平気で居られるかもしれない自分が、そういう考えに至る自分がいるってのも、分かります。でも、そんな人間にはなりたくない。いや。ならない。それはぜんぜん、意味が無いことだと思う。オレが死んだら、もっと進めるかも知れなかったすごい道が途絶えるってコトだし、相手が死んだら、次にあるかもしれなかった、もっといい試合がなかったコトになる。そんなの、オレは望みません。それに、……人殺しの兄弟子なんて、持ちたくないだろ、リュウ」
話を振られて、リュウは迷ったように目を揺らがせた。でも、すぐに持ち直して言った。
「ああ。ダンが「殺してもいい」とか、「死んでしまえ」と思って戦うようになったら、それは残念だな。オレは、そういうのはいやだ。うまく言葉には出来ないけど、そういうのが当たり前になると、格闘家っていうのは……とにかく、オレの目指してる格闘家じゃないから、そういうのは」
たどたどしかったが、言ってることはよく分かった。オレたち、どうも格闘家のくせに、人を大切にしなくちゃ気が済まないようだ。その、大切にするってのも結局は自分の目線からなんだろうけど。とにかくそれは人を殺しては成らないことだって、それだけは確かだ。
オレたち二人を見比べるように見回して、師匠はにこりと笑う。
「というわけだ。今日はこのぐらいにしておいてやろう。明日からは励めよ、存分にな」
オレたちは顔を見合わせてから、師匠と向かい合った。返事の声は、自然と揃った。
「はい!」
寺への帰り道は、師匠が一人で瞑想してから戻るというので、リュウと二人きりだった。師匠と三人というのもなんだか馴れないので、別に良いのだがみょうにそわそわした。
だってさ、てっきり破門はほぼ確定みたいなさ。そういう雰囲気があったわけなんだよ。それが一転、やっぱり破門は止めようってコトになってもよ、ついていけねえよな。
足を持ち上げるのも疲れていて足をひきずりそうになるがみっともないので無理矢理膝をあげて歩いていた。
「なあ」
リュウがオレに呼びかけてきた。声がうわずっていた。足が滑りそうになる。かかとで強く地面を踏み、こける前に踏みとどまった。
「なんだ?」
「あのさ、これからは正式な兄弟弟子なんだよな……」
「ああ。そうだな。なんか、実感がねえけど」
「オレもだ。なんというか、ずっと、兄弟弟子というか、……兄弟みたいに接してくれたからな。ダンが」
「お前だってそうだよ」
「そうか?」
不思議そうにしていた。そうか、オレが馴れ馴れしくしてたのも、そんなに嫌だとは思われてなかったんだな。オレは、ちょっとだけ調子に乗った。
「おう。お前がなついてくれてうれしかったんだぜ、オレ。そうだ。これからはさ、お兄ちゃんと呼んでくれたっていいんだぜ。なんせ、ほんとに兄弟弟子なんだからな」
オレが叩いた軽口にリュウが身構えた。オレは慌てて否定しようとした。
「えっ、あっ。ごめん。今のはちょっと言い過ぎたか。いや、冗談だからな。うん」
「あっ、別に。驚いただけだ。そうか、お兄ちゃん……お兄ちゃん?」
「んん!? お前って妙なところがマジメだよなあ!? 無理はしなくていいからな!? そう、嫌なら呼ばなくていいからな!!」
「いや、うん。そうだな……なんだか慣れないよな、うーん」
リュウが腕を組んで考え始めた。おいおい、ちょっと、まずいっていうか……変なことを言ってしまったんだろうか、オレは。
山道の中で、リュウの足が止まる。オレも止まる。で、考えているリュウを眺めているしかない。なんだ、この状況は。
リュウは、なんだか閃いたようだった。組んでいた腕を解いて、にっと笑う。
「そうだ。なあ。お兄ちゃんってのはちょっと照れくさいからあれだけど、兄さん、って呼んでもいいか? ダンのこと」
「えっ」
いきなりだった。
「兄さん」
呼ばれた。ちょっと心の準備が出来ていなかった。
「なんだ!? なに!?」
自分でもびっくりするぐらいうろたえた。いやいや、それはそうだろう、いきなりなあ、その、兄さんってさあ。びっくりだよな! うん! 悪くないけど! 決して悪くは無いけど!
「……やっぱりやめようか」
心なしかしょげているリュウをオレは制した。なに言ってんだよお前! いいんだよそれで!
「いい! そのままでいい! 止めるな! 止めないでくれ!」
「おう? ……ダン、じゃなくて兄さん、なんでそんなに手や足がばたばたしているんだ。落ち着きが無いぞ」
「あっ、いや。その、オレなあ、わかんねえわ。わかんねえけど、足下がふわっふわして、落ち着かねえ」
「兄さん、って言うの、止めたほうがいいのか?」
「だから、止めないでいいって!」
そうやって言い合って、二人でやかましく帰って行ったんだよ。舗装もされてない石ころだらけの道でさ、裸足だから痛えのなんのって。それでもこのときだけは、この道を歩くのが楽しくて仕方なかったんだ。
これにて「ウチに弟弟子がやってきたぜ!編」は終わりです。
これからどうなるかは、……これからわかります(某構文)
(この時点でのダンは、学年でいうと小6にあたります。つまり、この道場に来てから三ヶ月〜四ヶ月しか経ってません。
コレのせいで、あとからケンに「あんた兄弟子気取ってるけど(入門時期が)ほぼオレらと変わんねえじゃんか!!!」と激詰めされ、しおしおになるダンも居ます)