僕のすぐ前を歩く一葉さんが、仁王立ちで指を6本立て、カウンターの奥へ太い声を飛ばす。
「二葉! 6名だッ!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、厨房でジョッキを磨いていた二葉さんの動きが止まった。
彼女は、数日前の特訓のダメージが抜けきらず、どこか誇らしげにボロボロの格好をしている兄たちと、その横で死んだ魚のような目をしている僕を一瞥し、深い、深いため息をついた。
「…………チッ」
店内に響き渡る、遠慮のない鋭い舌打ち。
「……奥の個室! 変な人6名さま、入ります!!」
二葉さんは厨房の奥に向かって、まるで厄介な漂着物でも処理するかのような事務的な叫び声を上げた。
(……二葉さん、正解です。僕も、自分がその『変な人』の枠にカウントされていることに、一点の異論もありません。……というか、僕だって本当はそっち側のカウンターで、誰とも喋らずにしめさばでも突っついていたいんです……)
東島さんに促されるまま、僕は二葉さんの氷点下の視線から逃げるように、ゾロゾロと「変な人専用個室」へと滑り込んだ。
畳の部屋にそれぞれ飲み物が運ばれてくる。東島さんや一葉さんは、戦いの後の渇きを癒そうと、大ジョッキの生ビールを握りしめていた。
僕はといえば、狂気的な熱量に当てられ、アルコールを受け付ける胃袋の余裕など一ミリも残っていない。ただ静かに、黒々と立つコーラのグラスを両手で包み込んでいた。
全員のグラスが揃ったのを確認すると、上座に座った一葉さんが、重厚なトーンで口を開いた。
「今回集まってもらったのは他でもない。先週の打ち上げだ。まずは……乾杯ッ!!」
「「「乾杯ッ!!!」」」
個室に響き渡る野太い声と、ジョッキがぶつかり合う音。
僕はその勢いに気圧されながら、控えめにコーラを一口喉に流し込んだ。
「ぷはぁっ! 風間くん、この一杯のために我々は生きていると言っても過言ではないな!」
東島さんが髭に白泡をつけながら、隣の僕の肩をガシッと掴む。その力強さは、島村さんの家の庭で受けたパンチの重さを僕の改造筋肉に思い出させるには十分すぎるほどだった。
と言うかなんかすごくご機嫌だ。
いや、まぁこの人と言えばいつもご機嫌ではあるけども。
「……しかし風間くん。そのライダースーツ、暑くないか? 居酒屋の座敷でコートまで着ていたら、流石に堪えるだろう」
東島さんが、僕のトレンチコートの隙間から見えている本物の強化パーツを、隣の家の車でも褒めるような気軽さで指差した。
「……あ、いや。……実は、全然暑くないんです。これ、自動で内部の温度と湿度を最適に保つ機能が付いてて。……外がどれだけ蒸し暑くても、中だけはずっと一定で、サラッとしてるんですよ。……性能だけは、無駄にいいんです」
僕は視線を落としたまま、ボソボソと答えた。
「東島さん、それは野暮というものですよ。風間さんは今居酒屋という日常の中でも油断なく備えているんです」
三葉さんが得意げに言うのを、僕はコーラのグラスを回しながら遮った。
「……三葉さん、深読みしすぎです。ただ、本当に着替えがないだけですから。……あ、いや、一応下着は着てますよ。普通の。……これ、一応その辺は汎用性が高くて、中にTシャツとか着込めるようになってるんで。……でも、このライダースーツ自体は洗濯機に入れられないし、これ一枚しかないから、結局毎日これを羽織るしかないんです。不便ですよ。性能はいいのに、見た目は毎日同じ不審者ですから……」
「なるほどな。内側の快適さを保ちつつ、外側は変えぬ。まさに『歩く不変の正義』というわけか。そのライダースーツ、君によく似合っているぞ。それはそれで、一つの究極の形だな」
東島さんは、僕の不満を自分なりの美学として納得したようで、深く頷きながらビールを煽った。
「……究極っていうか、ただの貧乏人な気がしますけどね。……あと、一葉さん。そのポテサラ、一口もらっていいですか。炭酸ばっかり飲んでたからお腹空いてきちゃって……」
「ああ、そうだな。戦士といえど腹は減る」
一葉さんはごく自然な動作で取り皿を僕の方へ寄せてポテトサラダを渡してくれた。「飲み会」を優先したい気分らしい。
「そうだな。戦士にも休息は必要だ。風間くん、ポテサラだけじゃ足りんだろう。もっと食え。追加で頼んだ鶏の唐揚げももうすぐ届くはずだ」
東島さんが、自分の皿の枝豆を僕の皿へ分け与えてくる。
「あ、すみません……ありがとうございます。……いただきます」
(……結局、この人たちといると、流れに身を任せるのが一番楽なんだよな。……それにしても、このポテサラ、本当に美味しい。……ショッカーの調整槽で流し込まれていた栄養剤とは、比べるまでもない。……話題がやっぱり全部そっち系だけど、なんだか親戚の集まりみたいで、意外と居心地が悪くないのが悔しい。……東島さんはもう三杯目のビールを注文しようとタッチパネルを連打してるし。……この間の殺気立った特訓が、嘘みたいだ……)
「三葉、例のライダーマンのヘルメットの塗装だが、あそこはもう少しマットな質感にした方が、夜戦での隠密性が上がるんじゃないか?」
一葉さんが、今度は模型の色の話をするようなトーンで弟に語りかける。
「兄さん、僕もそう思って、昨日新しいスプレーを買ってきたんですよ。……風間さんのスーツみたいな、あの鈍い光沢……あれが理想なんですけど、なかなか再現できなくて」
やり取りを見たユリコさんが、お湯割りのグラスを揺らしながら微笑んでいる。
この人たち、僕のスーツを羨ましがったり自分たちのコスプレの参考にしようとしたり……。本来なら恐怖の象徴であるはずの技術が、この部屋では『憧れのディテール』として消費されていく。……それが、なんだかおかしくて、少しだけ肩の力が抜けるのが分かった。
僕は、二杯目のコーラをタッチパネルで注文し、唐揚げを口に運んだ。
その後一葉さんが急にユリコさんに告白してぶった斬られたりツッコミだったり歌ったりボケだったりを眺めながらおつまみのホッケをつまんでいた。
(みんな出来あがっちゃった・・・。どうしよう。なんか話したほうがいいのかな、でも盛り上がっちゃってるしなぁ・・・)
こう言ってはなんだが今の僕に話題にあげることができるほどのニュースというものはない。あるにしてもダークでバイオレンスなものしかあげられないしそんな話をしても盛り下がーーーりはないかもしれないがなんか嫌だ。
そんな時ーーー
「んん?」
「ッ?!」
僕の頭の中にビビッと来る感覚が走った。
「……来る」
ユカリスさんが唐突に、持っていたオレンジジュースのグラスを置いた。
その瞳は居酒屋の安っぽい照明を弾き一瞬で戦士のそれへと変貌している。
東島さんがジョッキを傾けたまま首を傾げ、一葉さんも三葉さんも、ポテトサラダを口に運ぶ手を止めて不思議そうに彼女を見つめる。何事かと疑問符を浮かべるメンバーをよそに、彼女が感じ取っている「組織(ショッカー)」の気配を察知できたのは、同じ改造人間である僕だけだった。
(……本当だ。なんか嫌な感じのが来る。……でも、ここ居酒屋ですよ? ユカリスさん)
僕の脊髄を、微かな電流のような感覚が駆け抜ける。
ユカリスさんは僕ののんびりした思考を待たず、弾かれたように席を立つと、勢いよく個室の襖を開け放った。
「誰ッ!!」
鋭い叫びが廊下に響き渡る。そこに立っていたのは一人の男だった。
オールバックの髪に、鋭い眼光。仕立てのいい高級なスーツ。一見すれば、この界隈を仕切る「本物の極道」にしか見えない。
だが、その男から放たれる圧は、単なる暴力のそれとは異なっていた。
彼の肌の奥から、僕やユカリスさんと同じ、あの忌まわしい「組織の臭い」が漏れ出している。
「あの、……その、もしかして……ショッカーの人、……だったりします?」
僕は唐揚げを口に含んだまま、首を傾げて尋ねた。
もし彼が組織の人間なら、とりあえず注文した分を食べ終えるまで待ってくれないだろうか、なんて呑気なことを考えながら。
「あぁ……?」
男――中尾八郎は、足を止めると、ゆっくりと僕たちの方へ体を向けた。
その視線が、僕のトレンチコートに固定される。
「なんだガキ。……なんだその格好は? 室内でコートまで着込んでよ、……不審者か、お前」
「あ、いや……これは、その。ちょっと事情があって脱げないというか……」
「……つーか、そのコートの隙間から見えてるモンは何だ。どっかのチームのロゴか? 妙にゴツいモンぶら下げやがって……。いい年して、室内でのマナーも知らねえのか」
中尾は僕のコートから覗く強化パーツを、ファッションか何かの飾りだと思ったらしい。呆れたように鼻を鳴らす。
そんな僕の横で、ユカリスさんが低く構えを取り、鋭い声を飛ばした。
「……貴方、組織(ショッカー)の人間ね。私を消しに来たの?」
殺気立つユカリスさんを、彼はじろりと眺め、ふっと口角を上げた。
「ん? ……お前も、ショッカーなのか。……消しに来ただぁ? んなこたぁ知らねえよ。こちとら目が覚めたらこうなってたんだ。いきなり物騒なこと言うんじゃねえ」
そういうと今度はこちらの方をじろりと見て怪しむように上から下まで観察される。それに居心地の悪さを感じていると彼は言葉を漏らす。
「お前もショッカーなのか? ああ?」
彼の瞳が僕を射抜く。
「あ、いや……全然、そんなことはないです。……僕はただの、事故というか、とばっちりというか……あ、風間と言います。……思想的には、どっちかというと『家で寝ていたい派』です。……すみません、なんか期待外れで」
僕はコーラを一口飲み、申し訳なそうに自己紹介をした。
「……風間っつったか。……宝の持ち腐れだな。そんな立派なツラ構えして、室内でコート着てるような常識のねえ野郎が、組織への恩も誇りもねえとは。……反吐が出るぜ」
本物のショッカー戦闘員に、本物の改造人間である僕が、マナーと志の低さを説教される。
あまりにも噛み合わない状況だが、まあ、怒鳴られなかっただけマシか……。
しかし
彼が吐き捨てるようにそう言った瞬間、個室内の空気が「沸騰」した。
「……おい、あんた。今、誰に向かって何て言った?」
ガタッ、と激しい音を立てて立ち上がったのは一葉さんだ。その背後では、三葉さんも静かに、だが確実に拳を握り込んでいる。
「風間さんはな、我々が認めた『本物』の戦士なんだよ。それをどこの馬の骨とも知れん男が、マナーだの恩だのと……笑わせるなッ!」
「左様だ!」
東島さんまでもが、ビールジョッキを置いてスッと腰を浮かす。その瞳には、怪人と対峙する時のような、純粋で真っ直ぐな闘志が宿っていた。
「風間くんの孤独を、その若さで背負う重荷を理解せぬ輩に、彼を侮辱する資格はない! 貴殿がショッカーを自称するならば、我ら仮面ライダーが相手になろう!」
(……え、ちょ、待ってください。……東島さん、一葉さん。……座ってください、お願いですから……。僕、別にそんな怒ってないし、言われてることはわりと正論っていうか……実際室内でコート着てるの不自然だし……!)
僕の必死な心の声は熱い大人たちの耳には届かない。それどころか、中尾の眉間に深い皺が刻まれた。
「……あぁ? ライダーだぁ? どいつもこいつも、そのツラ……見たことある。反吐が出るって言ってんだよ。俺に力をくれた組織をコケにする野郎は、……身内だろうが何だろうが、ブチ殺す」
「……言わせておけば」
低く、温度のない声が部屋に落ちた。
ユリコさんだ。
「誇り……? 冗談じゃないわ。その『組織』がどれだけの絶望を振り撒いてきたか、身を以て教えてあげる」
彼女の指先が、微かに、だが殺気立って震えている。
本物の戦闘員である中尾の出現が、彼女の中の「戦士」のスイッチを完全に押し切ってしまったのだ。
(あ、ダメだ、ユリコさんまでガチだ。……この人、本当にここで必殺技とか出しちゃうタイプだ……!)
刹那、中尾の身体の周囲にパチパチと青白いプラズマが走り、空気が焦げるような異臭が立ち込めた。
次の瞬間、爆発的な輝きとともに彼のスーツ姿は消え去り、そこには鷹のエンブレムを腰に刻んだ、あの兵士が立っていた。
「イィィィィィッ!!!」
居酒屋の廊下に、あってはならない「本物」の咆哮が轟く。
「ひっ、……あ、あわわ……」
僕は椅子から転げ落ちそうになりながら、激しく動揺した。
目の前には、やる気満々の「自称ライダー」たち。そして対峙するのは、理屈抜きで組織を愛する「本物の戦闘員」。さらには殺意MAXの電波人間。
(……ダメだ。……これ、もう無理だ。……ここで暴れたら、この店、絶対壊れる。……そしたら、……そしたら二葉さんに、殺される……。警察より、ショッカーより、……あの人の『チッ』っていう舌打ちの後の追い込みの方が、よっぽど怖い……!!)
一触即発。
東島さんが踏み込み、ユカリスさんが掌を突き出し、中尾が拳を振り上げる。
その時、僕の頭の中で何かがぷつりと切れた。
「……あ、……ああああ、もう!! !!」
僕は震える手で、自分のトレンチコートのボタンに手をかけた。
普段なら絶対にやりたくない。人前でこんな姿を晒すなんて、陰キャの僕にとっては死ぬより恥ずかしいことだ。
でも、やるしかない。
僕は半分キレながら、トレンチコートの前を開いた。
人前でこの姿を見せるのは、僕にとっては全裸で街を歩くのと同じくらい恥ずかしいことだ。でも、二葉さんの怒りで店を追い出されるくらいなら、もうどうにでもなれという心境だった。
僕は腰のベルト横にある、普段は忌避している重たいスイッチを押し込んだ。
――ギュィィィィィン!!
空気を震わせる駆動音とともに、全身の人工筋肉にプラズマが駆け巡る。
剥き出しになった僕の首から下は、鈍い光沢を放つ強化装甲と人工筋肉。それはどこからどう見ても、彼が先ほどまで「反吐が出る」と唾を吐いていた存在――「仮面ライダー」の系譜に連なる、戦慄すべき戦闘形態だった。
「なっ……!?」
拳を振り上げていた彼の動きが凍りついたように止まった。
髑髏のマスク越しでも分かるほど、その瞳が驚愕に、そして戦慄に見開かれる。
トレンチコートの下から現れたその圧倒的な「本物」の威圧感。それこそが、彼が最も憎みそしてかつては憧れ、そして最も恐れるべき「ショッカーの敵」の姿だったからだ。
「ま……まさか、お前……ッ!? ……本物の……ッ!?」
中尾がその「正義の象徴」のような姿に圧され、たじろいだ――その瞬間だった。
僕は、羞恥心と二葉さんへの恐怖でぐちゃぐちゃになった頭のまま、地を蹴った。
爆発的な加速で彼の懐へと潜り込む。
肩と腰をガシッと掴むと、重心を深く落とした。
そして、腹の底から、自分でも驚くようなやけっぱちの声を上げる。
「……そぉい!!」
次の瞬間、中尾の身体は彼のへそを中心点として、独楽(こま)のようにその場で猛烈に回転し始めた。
五秒間で十回転。居酒屋の畳の上で、物理法則を無視した超高速旋回が巻き起こる。
「が、は……ッ!? な、何……をッ!?」
「組織の誇り」も「極道のメンツ」も、凄まじい遠心力の前には無力だ。
おまけに不味いことに、彼は先ほどまでアルコールを摂取していた。僕の強化された指先が、宇宙飛行士の訓練さながらのGをかけ続ける。
十回転を終え、僕がパッと手を離した瞬間。
遠心力から解放された彼は、千鳥足どころではない、深刻な平衡感覚の喪失に襲われた。
「……あ、……う、……うぇ、ぷッ!!!」
「イィー!」という咆哮ではなく、非常に「現実的」なリバースの音が、静まり返った個室に響き渡った。