「……ここだね」
廃倉庫を前に椿咲は呟いていた。
椿咲は現世に来た時から奇妙な気配を感じていた。それは死神が扱う鬼道とはまた別の結界の気配。
「やっぱり死神が張ったものじゃないね。かと言って
椿咲は左手で結果に触れ、集中するように目を閉じた。
それはかなり複雑な構造をしていると感じ取れた。
「私の鬼道で破れればいいんだけど、ダメだったら仕方ない。他の手を考えよう」
椿咲は結界に触れる左手に霊圧を込めた。
「”縛道の九十一”『
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
「……?」
廃倉庫の地下、一護とひよ里の修業を見ていた有昭田は不意に顔を上げる。
「……どないした、ハッチ」
有昭田はどこか緊張した面持ちをしていた。
隣に座っていた平子はその様子にいち早く気が付いて聞いていた。
「いえ、その……」
有昭田は答えかけ、言葉を止めた。
何かがおかしい。
結界そのものに異常はない。外部からの干渉も、侵入の痕跡も確認できない。
にもかかわらず―――
「……誰かが私の結界の中に現れまシタ」
「ッ!!」
有昭田が発した一言は
廃倉庫を取り囲む結界は有昭田が
外部からの霊圧探知を遮断し、内部の様子を悟らせない。並の死神は勿論のこと、隊長格どころか同じ
「死神か?」
「はい。しかもこの霊圧は……」
「―――……へぇ」
聞き覚えのある声と共に全員の目が向けられる。
「あの結界は有昭田君のものだったんだ。どうりで破れなかった訳だよ」
階段の上部に一人の女性が立っていた。
隊長だけが身に纏う白い羽織をはためかせ、口元は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「あんたは……」
全員、その姿に見覚えがあった。
110年前、殉職した十番隊隊長の代わりに隊長に就任した人物、
そして流魂街魂魄消失案件で共に前線に派遣された十番隊隊長として―――
「……どうやって、
有昭田はそう問いかける。
死神では破ることがまず不可能な結界をどうやって通過して来たのかを知るために、
「ちょっと強引な手を使ったんだよ」
椿咲は淡々と答えた。
まるでそれが当たり前であったかのように、
「強引、ですか?」
「うん。初めは”
椿咲は事も無げに語る。
「卍解をね、一瞬だけ使ったの。そして結界の内側に私を作った」
「……まさか、結界の内側に直接」
「そうだよ。今みんなの目の前にいる私は『
椿咲は片目を閉じてどこかドヤっとした表情をしながら、自分の胸元を指でトントンと軽く叩いていた。
「本体はまだ外にいるよ。結界そのものには手を出してないから安心して」
「無茶苦茶な方ですね……」
「椿咲さんはほんまに……」
平子が呆れたように額を押さえる。
「結界破れへんから中に自分を作るて……発想がおかしいやろ」
「ありがとう。褒め言葉として受け取っておくね」
「褒めとらんわ!」
椿咲は懐かしそうにうんうんと頷いていた。
この瞬間だけ、あの時抱いた後悔が薄れたような気がしていた。
「……そんで、何しに来たんや。椿咲さん」
そう問いかける平子には先ほどまでの軽さが消えていた。
非はないが、
「別に何もしに来てないよ。平子君」
「はあ?どういう事やねん」
平子は思わず聞き返していた。
彼の予想では、自分たちに藍染との戦いに協力してほしいと頼み込みに来たものだと思っていたからである。
「雷山隊長の命で平子君たちを探していただけだからね」
「雷山隊長……?」
その名が出たとき、
護廷十三隊隊長格だった彼らにはその名に覚えがあった。
雷山悟。椿咲の前代に五番隊隊長を務めていた死神。
「そっ!私が命じられていたのはみんなを探すところまで。連れ戻せとも何か頼んで来いとも言われてないよ」
「……そうか。なら、ええわ」
まだいろいろと聞きたいことがある。
平子はそんな表情をしていた。しかし、ここで椿咲相手に変に詮索することは避けるべきだとしてあえてそこで話を止めたのだ。
「遅い言うてるやろ!!」
甲高い怒号が響き渡る。その場の全員の視線がそちらに向けられる。
視線の先。広い空間の中央で、二つの人影が激しくぶつかり合っていた。
片方は赤いジャージを着た小柄な金髪の少女。
もう片方は、黒い死覇装に身を包んだ橙色の髪の少年。
「……さっきから気になっていたんだけど」
そう切り出す。
椿咲は二人が修行の為に戦っていることに気付いていたが、あえて触れていなかった。
だが怒号が辺りに響き、辺りが一瞬だけ静寂したため、触れざるを得なくなった
「黒崎一護君はみんなが修行を付けているの?」
「……まあ、隠してもしゃあないか。
「え?」
その時、椿咲は改めて一護の霊圧を探知してみた。感じ取れるは確かに死神としての霊圧。
しかしその奥底から死神のものとは異なる、
「……ホントだ。少し
「今は
「成程ね。だから、一護君をここに置いているんだ」
椿咲の視線の先、ひよ里に赤子のように転がされながらも、必死に食らいつく一護の姿があった。
グリムジョー・ジャガージャックとの戦闘から数日、一護は着実に戦う力を身に着けていた。
「一護君も頑張っているね」
「だー、もう!さっきからうっさいなぁ!」
怒号と共にひよ里の視線が向けられる。隊長羽織と死覇装を身に纏う椿咲を見て、明らかに機嫌が悪くなったと感じられた。
ひよ里は椿咲の事を知ってはいたが、死神自体に嫌悪感を抱いていたため攻撃的になっていた。
「なんでお前がおんねんっ!?ハッチ!結界はどないしたねん!」
「そ、そう言われましても……」
「久しぶり、ひよ里ちゃん」
優しく名前を呼んだ椿咲だったが、
それがかえってひよ里の神経を逆撫でした。
「ウチのことを気やすく呼ぶなや!ハゲが!」
ひよ里は椿咲に向かって突進した。
その手にはいつの間にか彼女が履いていた草履が握られていた。
「ちょっと!?」
寸でのところで椿咲は身体を傾けて躱す。
躱されたことでさらに機嫌を悪くしたひよ里は愛川羅武と鳳橋楼十郎の2人に抑え込まれた。
「落ち着けって、ひよ里」
「そうだ。こんなところで、椿咲さん相手にすんじゃねぇ」
「離せコラァ!」
それを見ていた平子はポツリと呟く。
「もう修行どころの騒ぎちゃうな……」
「……真子さん」
有昭田が小声で呼びかける。
「どないした?」
「椿咲さんは、本当に所在確認だけが目的なのでしょうか……?」
「……さあな」
平子は少し間を開けてから答える。
視線は椿咲を捉えたまま。
「俺らの所在を確認しに来たのは……まあ、ホントやろな」
軽薄な笑みを浮かべているように見えるが、平子には分かっていた。
椿咲南美という死神は昔からそうだった。
普段は人当たりが良く、冗談を好み、面倒見のいい隊長。
必要とあれば誰よりも早く状況を見極め、誰よりも大胆に動く。
復帰で務めた十番隊隊長のはるか前、現役で五番隊隊長を務めていた頃からその性質は変わっていない。
「……しかし、ただ顔見せに来ただけっちゅうことはないやろな」
平子は小さく呟いた。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
「すごい結界……」
そんな騒動の中、地上では一人の少女が結界の前に立っていた。井上織姫だ。
織姫は自身も似たような結界術を持っているためここを探知して来たのだ。
「どこか私の
織姫は右手を結界に触れる。途端、まるで結界が存在しないかのようにすり抜け始めた。
「―――いける」
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
「――ッ!?」
有昭田はバッと階段の方へ目を向ける。
それは椿咲が急に現れた以上に信じられないと言った顔をしていた。
「ハッチ、今度は何や?」
「今度は誰かが結界をすり抜けて……―――」
「あ、あのー」
有昭田が言い終わるより早く、場に明るい声が響く。
現れたのは、オレンジ色の髪をした少女だった。
「……井上?」
一護が驚いたように声を上げる。織姫がこの場に現れることは想定外だったからである。
「お前、何でここに……!?」
「あ、黒崎くん! よかった、いた!」
織姫は嬉しそうに笑っていた。
「…………」
その光景を余所に有昭田は心ここに在らずと言うように完全に固まっていた。
「……ハッチ?」
「結界が……」
「ん?」
「私の結界が……」
「……ああ」
有昭田はショックを受けていた。一度ならず二度までも自身の結界を意に介さずに中に入って来たものが現れてしまったからである。
そんな有昭田の気持ちを平子は察して肩を軽く叩いていた。
「気にすんな。今日はそういう日や」
「……あれ?椿咲さん?」
織姫が椿咲に気づいた。
何故この場に椿咲まで居るのだろうと織姫は考えているようだった。
「織姫ちゃん、こんにちは」
「こんにちは」
「驚いちゃったよ。まさか織姫ちゃんが入って来るなんてね」
「触れてみたらは入れそうだったんで、つい」
「へぇ、やっぱり織姫ちゃんって特異体質なのかな」
二人の気安いやり取りに、平子は怪訝そうな顔をした。
「なんや、織姫ちゃんまで知り合いかいな」
「平子君、嫉妬?」
椿咲は平子の顔を覗き込むようにしていた。
その顔には悪戯心を含む笑みが浮かぶ。
「なわけあるかい」
「ふふっ。織姫ちゃんとは
「相変わらず顔が広いこっちゃな……」
「そうそう、織姫ちゃん。一護君に何か用事じゃなかったの?」
「あっ、そうでした!」
織姫は慌てたように一護へ向き直る。
「黒崎くん! 大事な話があるの!」
「……!」
ほんの少しの違いだが、声色が変わったことに椿咲は気づいた。
先ほどまでの明るさとは違う。どこか緊張を帯びた、真剣な声。
「……大事な話?」
椿咲と同じく、織姫の雰囲気が少し変わったことに気が付いた一護は眉をひそめていた。
「うん。総隊長さんから連絡があって……」
そこで織姫は一度息を整えた。
「藍染さんの本当の目的が分かったの」
「…………!」
一護の表情が変わると同時に目が見開かれる。
同時に話を聞いていた平子の目が細くなった。
藍染惣右介の名が出た途端、場の空気が一変する。
それは先ほどまで騒いでいたひよ里がぴたりと動きを止めるほどに。
「織姫ちゃん、詳しく聞かせてもらえるかな」
「はい」
織姫は静かに語りだす。
藍染が調べていたもの。その目的。それが『崩玉』だけに留まらず『王鍵』であること。
そして『王鍵』を創生するために必要なもの。
即ち、十万の魂魄と半径一霊里に及ぶ重霊地のこと。
そしてその条件を満たす場所こそが―――
「……
織姫の言葉が、静かに落ちた。
「藍染さんは、空座町を犠牲にして王鍵を作ろうとしているって……」
沈黙が辺りを包む。
誰もすぐには口を開かなかった。いや、開けなかった。
「……分かった。ありがとうな、井上」
一護はただ一言だけそう言うと、立ち上がり、ひよ里の方へ向かった。
「ひよ里、修行の続きを頼む」
「あ、ああ……って、ひよ里さんや!」
「……一護君。冷静だね」
歩いていく、一護の背中を見送った椿咲はそう呟いた。
空座町が消えるかもしれない。
「きっと、やるべきことが分かっているからなんだと思います。だから、たとえ動揺してもすぐに平常心に戻れる」
「旅禍として
「私、戻ります。黒崎君だけじゃない、私も力を付けないと」
「……うん。織姫ちゃんも修行がんばってね」
織姫は一礼すると、
椿咲は手を振って見送っていた。織姫の姿が見えなくなると、そっと手を降ろして、平子の方へ向き直る。
「ねえ、平子君。一つ提案があるんだけど、聞いてくれる?」
「提案?」
「うん」
椿咲は微笑んでいた。
しかし、その笑みは先ほどまでのものとはまるで別だった。
「
「……あんた、自分が何言うてるか分かってるんか?」
「分かってるよ。冗談でこんなことは言わない」
「さっき所在確認だけって言うたところやろ」
「雷山隊長から命じられているのは、本当にそこまでだからね」
「だったら、何で……」
「これは私個人の提案だから」
椿咲は平子の言葉を遮っていた。
「藍染君の目的が判って、状況が変わったと判断したの」
「…………」
「藍染君がただ
「ああ、そうやな。ただ、協力する言うんが気に入らんわ」
「……残念」
「椿咲さんは勘違いしとる。俺らは俺らで藍染に借りがある。空座町を巻き込もうが、そうでなかろうが、借りは返す」
「…………」
『成程、そう言う訳ね……』
「……ふふっ」
平子の意図を察した椿咲は少し口元を緩ませて背中を向ける。
数歩行った後、振り返った椿咲の表情はまた共に戦えることを喜んでいるような笑みだった。
「じゃあ、協力してほしいって言葉は撤回するよ。その代わり【宮廷遊撃部隊】と
「……なあ、椿咲さん」
「なに?」
「あんたん
「知らないよ」
椿咲は首を振って否定する。
「さっきも言ったでしょ?私個人の提案だって」
「あんたなぁ……」
「けど、たぶん雷山隊長なら反対しないと思うよ」
「なんでそう言い切れんねん」
「平子君は聞いたことないの?雷山隊長の人となりについて」
平子は椿咲が隊長の頃に護廷十三隊に入隊したため、雷山とは面識が無かったため、彼を知る人物たちから話を聞いた程度の知識しか持ち合わせていなかった。
「……まあ、噂程度ならな」
「”敵を倒すためなら、なんでも利用する。場合によっては己の命すらも”こういう考えの人だからね」
「はぁ……」
平子はどこか後悔するようにため息を吐く。
藍染に借りを返したいのは本音だが、迂闊に椿咲の前で言うべきではなかったと。
「ほんまに椿咲さんはやりにくいわ」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
「はぁ……言うたもんは仕方ない。話には乗ったるわ」
「ありがとう。それじゃあ、そろそろ私も行くね」
途端、椿咲の姿がまるで変身を解くかのように、足元から徐々に霧散していく。
「じゃあ、またね。平子君にみんな」
手を振っていた椿咲だが、その言葉を最後に彼女の姿は蜃気楼のように消え失せた。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
「……ん」
倉庫の外。
結界から少し離れた場所で座っていた女性が目を覚ます。
「……ふぅ」
椿咲南美の本体だった。
彼女は首に手を当ててポキポキ鳴らしてから軽く肩を回す。
「……やっぱり、夜でもないのに卍解で無理矢理『
そう呟きながらも、その口元には満足げな笑みが浮かんでいた。
雷山から命じられた平子たちの所在確認。それは無事に達成した。
「……さて」
椿咲は何気なしに空を見上げる。
「雷山隊長、何て言うかな」
驚くだろうか、呆れるだろうか。もしかしたら面白がるかもしれない。
「ともかく、報告は早いに越したことは無いね」
椿咲は行く。
101年前に救うことの出来なかった仲間との共闘に胸を躍らせながら
・その他用語
『
椿咲南美の持つ斬魄刀『
幻覚として作り出した分身体に実体を持たせる。本体と記憶や感覚が全て繋がっているのが特徴で、言うなれば『ドッペルゲンガー』みたいなもの。
デメリットは感覚が繋がっているため、傷を負えば本体にもダメージが入ってしまう点と長い時間本体と同時に動くと脳へのキャパオーバーが起きる点(今の限界は30分ほど)。
メリットは通常の分身体と違って物や人に触ることが出来たり、結界など本体が入れない場所内部に作るなどして様子を探れたりする点。
”縛道の九十一”『
この鬼道は「自身に掛けられた鬼道を解除する」効果を持つ縛道で、自身に掛けられているものが対象であり、それ以外には使えない。
それを自身に掛けられたものと無理矢理に頭で認識することで他者が張った結界などを破れるように昇華させたもの。
※今回は有昭田の作る結界がかなり複雑な構造をしていたために破ることが出来なかった。