祈りの残響にその名を呼ぶ   作:砂月(さつき)

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【短編】『異端者:001』 1章読了後推奨

「なるほど」

 それ(・・)――は、ある日こう言った。

「私は、あなた方に『001』として、管理されているのですね」

 しまったと、エルヴィンが認識した時には、もう遅い。

 

 遅かった。

 

 それは、既に机上の『記録』に藍色の瞳を向けていたからだ。

「アイル」

 仕方なしに名を呼べば、それ――異端者、否。『改宗者』アイルは、楽しげな笑みを浮かべていた。

 薄く、冷たく、嘲笑うかのように。

「おや? 記録官――エルヴィン様は、私に名を許してくださるので? 遠慮なく『1』と呼んでいただいて構いませんよ」

「アイル。それ以上は『反抗の意思あり』と、記録せざるを得ない」

 エルヴィンは、手帳の表紙を左手の指先で軽く撫でた。

 引き下がれという警告は、しかし無駄に終わる。

「何故? ここは、監査部屋ですよ。教皇陛下の目は届きませんから。あの方がいない場で、私は『人間』ではなく『物』として扱われる。それは、貴方が一番承知しているはず。

 私は、ただ事実を申し上げているにすぎません」

 黒髪の間から、藍色の目が真っ直ぐにエルヴィンを見ていた。

 尋問に慣れているエルヴィンでさえ、感情が伺えない表情だった。

 

「もう一度言いますよ、アイル。

 ここは、監査部屋だ。私が合図するだけで、異端審問官はすぐに戻る。私が『警告有り。反抗の兆候有り』と、記録にするだけで、貴方の言動はすべて尋問の材料になる。

 それは、アイル。貴方ならわかっているでしょう?」

 

 アイルは定期的に『教義理解確認』と称した、事実上の思想監査を受ける義務が与えられている。

 教義に反する、異端的思想を持っていないか。

 神を冒涜し、教皇と教会を愚弄する意図はないか。

 それらを、この『改宗者』は逐一記録されている。

 アイルが太陽神教会により、神の奇跡を穢す異端者であると、認定されているからだ。

 

 異端者001:監査調書

 過去の監査記録は全て、ここに収められていた。

 

 アイルは口を閉ざしたが、その瞳はまだ噛みつき足りないと言わんばかりだ。

 何を言っても無駄だと、エルヴィンは思った。

 エルヴィンが制度側に立って話す以上、アイルはこの挑発をやめない。

 

 エルヴィンは嘆息し言葉を継ぐ。

「そもそも……貴方の本性はもっと、尊大でしょう。その気持ちの悪い仮面、外してはどうですか」

「本性?」

 アイルが、わざとらしく小首を傾げている。

 エルヴィンは知っている。

 アイルの語りは本来『私』ではなく、『俺』という人称ではじまることを。

「ええ、肯定します。隠しても無駄ですからね。しかし、私は仮面舞踏会には招かれていない身。故に、仮面を外せば、卑しい『異端者』という身分が露呈し、この輝かしい舞台から追い出されてしまいます。でしょう?」

 アイルが口元に笑みを浮かべる。目はずっと、試すようにエルヴィンに向けられている。

「記録にしない。これでどうですか」

「私的記述が残ります。エルヴィン様が走り書きに留めても、他の記録官が承認するならば、それは立派な『記録』だ」

「ならば神に誓って、この場の一切を後世に伝えない、残さない。ただし、アイル、貴方がこの場で、神と教会を裏切らない限り」

 エルヴィンが提示した条件に、少しばかり楽しそうな様子で、アイルが思案するように目を閉じる。

 

「外に見張りは、なし、か。まぁ……その条件ならいいだろう。それで?

 エルヴィン・ノクス・フィデス。

 記録官たる『真実を綴る者』が、わざわざ俺の仮面を剥いで、何をしたいんだ?」

 フルネームを呼ばれて、エルヴィンはどきりとした。

 目を開いたアイルは、従順な改宗者の仮面を、あっさり捨て去る。

 行儀良く座っていたはずなのに、背もたれに身を預け、腕を組んだ。

 

「アイル、貴方の本音を引きずり出すため、ですよ」

 はぁ、とわざとらしく溜め息を吐いて見せ、エルヴィンは机の端に愛用の手帳、そして万年筆をそっと置く。

「本気で記録しないんだな」

 その様子を見ていたアイルが、楽しげにそう言った。

「私は、リザーブ様(私の神)に誓いました。そうそう破れるわけがない」

 エルヴィンは、左手首の銀十字をそっと右手を添えた。緑の飾り石は、太陽神教会において、助祭位の証となる。

 

「記録官に、聖職者、教皇付きの副官。なかなかに、お前の肩書きは愉快だな。……慣例より数年早い、僻みが多くて大変そうだな?」

 藍色の目が、エルヴィンの左手首を見つめている。少しもそう思っていないように目を細め、アイルは足を大胆に組み替えている。

「久しぶりに気分が良い。エルヴィン、お前は何が聞きたいんだ?」

「先程は数字扱いに怒っていたのに?」

「いいや?」

 鷹揚にアイルが笑う。

「『1』の意味を考えると、面白くなっただけだ。初めて教会に服従した異端者か。

 はは。それとも――生き延びて『制度』に組み込まれた異端者か」

 そこで、エルヴィンははじめて、アイルの本当の笑い声を聞いた気がした。

「異端者の俺からすれば『2』が記録される日が楽しみだ。それで、エルヴィン。もう質問は終いか?」

 その言葉に釣られて、エルヴィンはある質問をしてしまった。

 

「貴方は、教会の手の届かない場所に、逃げようとしなかったんですか? 他の信仰圏があるでしょう」

 

 他にも問いたいことは山ほどある。

 なのに真っ先に口をついたのは、この疑問だった。

 教会の武官や祝福使いたちは、口を揃えてアイルを警戒すべきだとした。

 禁呪を扱うから、だけではない。

 異端者狩りを妨害した日の、アイルの動きが問題だったのだ。

 辺境守備隊(狩りの実行部隊)に怪我はあれど、死者はいない。

 あとから押収したアイルの手荷物には弓があり、事実アイルの手には日常的に使っていた証があった。

 ましてや、『アーレストル』という身体能力が高い種族であると自己申告したのだ。

 警戒はもっともだ。

 これは、射撃ができる、戦える者だ。

 アイルは、決して無力な存在ではない。

 

「あの不毛地帯の向こうか?」

 アイルはそう冷静に問うてくる。

「そうです。六神信仰のうち、太陽神以外の五神信仰圏なら、また違うのではないかと」

 アイルが、僅かに躊躇した。

 普段のエルヴィンなら、そう記録していたはずだ。

 

 この大陸の七割ほどを、六神のうち太陽神信仰が支配圏においていた――ただし、その土地の半分近くは、砂漠と荒野の不毛地帯を占めるのだが。

 普通の人間なら、不毛地帯で命を落とす。

 しかし、アイルならば可能なのではないか。

 エルヴィンはそう考えたのだ。

 

 アイルが一旦顔を伏せ、重い口を開く。

「忘れないでくれ。俺は、俺の神、太陽神への信仰を捨てたことはない。今もだ。その上で肯定する、他の地を目指したことはある、と」

 何かを吹っ切ったように、アイルは顔を上げて、真剣な眼差しで語り続けた。

 

「火神カッツ、海神ディエス、地神ジール。

 これら三神の信仰圏はわからない。俺も、踏み入っていない」

「では、他には?」

「月神ティア。これは、二百年前に太陽神圏に改宗し、編入した地域があるだろ? あの街なら知ってる、行ったことがある。創造神アテスは……」

 言い淀むアイルは本当に珍しく、エルヴィンは彼が口を開くのを待つ。

「アテスの信仰圏には、たしかに行ったことはある。不毛地帯の荒野を、死ぬ思いをして向かった。だから言う――お前たちは、絶対に行くな」

 明確に、警告を発した。

「何故です?」

「俺が、こちらに居る理由だ。死ぬ思いをしてまで、帰ってきた理由だ。

 アテス信仰圏では、祝福も禁呪も関係ない。区別されていなかった。こちらで、祝福使いや禁呪使いと区別されている俺たちは、まとめて異端者扱いだ」

 ここまで来たらと、アイルは全て話すことに決めたようだった。

「行ったのは、百年以上前。俺がまだ若い頃だ。あれから月日は経ち、今は解釈が変わっている可能性は否定できないが、しかし、確実かはわからない。

 教会は、相互不干渉を決めてるんだろう?

 なら今更、干渉も交流も、やめた方がいい。こちらの異端者狩りは、尋問の時間があるだけ――可能性が低くとも、説得しまだ生きられる希望がある。

 あちらは違う。捕まればその場で、執行される。俺は見た」

 

 アイルが、ふぅと息を吐いた。

 

「教会の歴史では、三千年前に大災害により、各地から記録が失われた、といいますよね。聖都も例外ではなく、免れることは出来なかった。大火により蔵書は失われ、少なくとも、一般に明かされている最古の記録は、その災害と大火についてです」

 淡々と、アイルは語る。

「そう、ですね。そう私も習い、事実それ以前の記録は残っていません」

 エルヴィンは肯定するしかない。

 職権で入れる書庫にすら、それ以前の記録は残されていない。

 エルヴィンの止まった手に、アイルは視線を逸らした。

「他の信仰圏とは、お互いに信徒を大切にするべきだと、交流を絶ち不干渉の契約を結んだと、俺は、ずっと昔にそう教えられた。

 なら、そのままにした方が、よほどいい。

 エルヴィン、お前が他の信仰圏について調べたいのなら、旧月神信仰の都市を調べれば良い。

 異端者の扱いは、どこも似たようなものだ」

 はぁ、とアイルが息を吐き出した。

 

「これで、俺が逃げなかった理由がわかったか? どこに逃げても、末路は同じ。なら、危険をおかしてまで荒野を移動するくらいなら、愛着のあるこの地で、審判を待ちたい」

 

 アイルはそう言って、手枷の嵌まった左手首にそっと、右手を重ねた。

「『主は我らの行いを常に見ておられます。

 それらは全て魂の記憶として刻まれ、その御手により天秤の左皿にかけられます。

 善き行いを積み重ねれば天秤は沈み、我らは再びこの世界に放たれ新たな人生を歩むのです』」

 それは、教義の暗唱だった。

 淀みなく、正確な発音と抑揚でアイルは続けた。

「『我らは主に恥じぬ行いをし、また、胸を張って生きなければなりません。

 左手に教典を、右手に誓いを、唇には祈りを。 全ては我らが神、リザーブの名の下に』」

 アイルの右手がそっと唇を撫で、両手が祈りのかたちに組まれた。

「信じなくて良い。ただ、俺は、この教えを信じている」

「いえ」

 エルヴィンは即座に否定した。

「少なくともこの場において。私、エルヴィン・ノクス・フィデスは、貴方の告白を信じましょう」

 教義を持ち出されてしまえば、それを否定することは、肩書きだけの助祭の身としても、許せなかったのだ。

 

 尋問で平然としているアイルは、今はどこかぐったりとしていた。

 思い出したくないことを、思い出したからだろうか。

 二十四年しか生きていないエルヴィンにとって、百六十をこえる歳月を生きる痛みを知ることはできないからだ。

 

「アイル。今日はこれで終いにしましょう。私からの質問は以上です。誓いは守ります」

 その言葉に、アイルはゆっくり立ち上がると、疲労の色を隠すようにエルヴィンに背を向ける。

「そうしてください。私も、他の土地の話はなるべくしたくないので。では、私は私室に戻ります」

「よろしい。協力に感謝します」

 従順な改宗者に戻ったアイルに、帰還の許可を出して、エルヴィンはひとり監査部屋に残った。

 

 太陽神教会において、異端者は人ではないとされる。

 異端者は話が通じない。

 神に背き、人を惑わせる。

 人ではないが故に、彼らには審判を受ける権利も許しもない。

 最期に神の御前で、魂の裁きを受けることしかできないのだ。

 

「アレの、どこが『人ではない』のやら」

 教会が、異端者と接触させなかった理由を、エルヴィンは身をもって理解する。

 

 信仰を語り、自分たちと同じ言葉を喋り、思考を開示する。

 それを『人ではない』と切り捨てるのは、あまりにも難しい。

 

 異端者001:監査調書

 過去のアイルの監査記録は全て、ここに収められていた。

 この中には、記録官たちの『私的記述』が残されている。

 

 制度上、アイルは『物』だ。

 しかし、『人』に見える。怖い、と。

 

「私たちは、何を、教会に招いたのやら」

 エルヴィンはそう独白し、調書や手帳を回収した。

 

 エルヴィンはもう、記録に『物』として書けなくなるだろう。

 それでも、責務を果たすために、アイルを物扱いする。

 その行為が、果たして太陽神の審判において『善』とされるのか。

 もう、自信が持てなくなっていたのだ。

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