孤独な目をしていると思った。
今は雲に隠された双月のように、冷たい瞳だった。
支配欲を隠せない声に、だから諦めと――少しの期待をした。
※
(普通、狩りなんざやらねぇだろ?)
闇に紛れるように身を潜め、アイルは周辺の様子を探る。
また、祈りが許されない現実を見せつけられる。
狩りを終えたばかりの現場。
兵士の数は見えるだけでざっと三十。
目で追いながら、侵入経路を探る。
緊張の余韻が残る今、迂闊な行動は手痛い目を意味する。
だから、判断を誤る余地はなかった。
何もかもが信じられなかった。
慣例では教皇がやって来る時、こういった穢れた行為は遠ざけられる。
そのはずだった。
二百年を経て、空位を埋めた教皇という存在は、いくら太陽神教会といえどあまりにも重い。
少なくとも、アイルはそう認識していた。
「まぁ、そう変わるわけないか」
嘆息し、アイルは左手首を軽く握る。
天秤の両皿に何かをかける。
この瞬間だけは、いつも気が重かった。
「俺は、守るために使う」
祈るように左手首を額に押し当てると、アイルは目立たぬように移動を始める。
それは異端者狩りと呼ばれるものの、後を追うためだった。
――異端者狩り。
それは、教会が『教義から外れ逸脱した』と認定した者を捕縛する行為を指す。
いや、捕縛など生温い。獣を狩るように、人を狩る蛮行だ。
アイルは認めたくなかった。
きっと教会だって認めはしない。
だが事実として、同じ『人間』が『人間』を狩るという構図は、皮肉以外の何物でもない。
教会はこう教える。
神に祈り、聖句を唱え、許された願いのみが神の奇跡を模倣する。
それこそが『祝福』だと。
一方で教会は、自らが認めない
許されるのは祝福だけ。
あらかじめ決められた、正しい奇跡だけ。
それが、教会が定めた『制度』だった。
少なくとも、制度の上では。
異端者は最初から、人ですらなかった。
アイルは異端者だ。
否、異端者だと認定された。
アイルは祈ることすら、許されなかった。
異端者は生きることさえも、許されないのだ。
狩りで捕まった異端者は、尋問が終われば処刑される。そこに、人間が受ける審判も許しもない。
ただ人ではないとされるが故に。
アイルの目的は、異端者とされた人間の解放だった。
他の誰でもない、アイルだけがそれを成し遂げることが出来る。
だから、やらねばならない。
――ベリル地区外縁、
詰め所と呼ばれるには、あまりに粗末な造りだった。
木と石を組み合わせた仮設の小屋が三つ。その周囲には、捕縛された者を入れるための空っぽの檻が無造作に並んでいる。
馬はいない。
逃げるなら、足で距離を稼ぐしかなかった。
焼け焦げた大地に、怒号と軍靴の爪痕が残る。
(まだ中か)
ほんの少しだけ、アイルの心が重くなる。
異端者とされる者は、アイルが知る限りほとんど善良な人間だった。
ただ運悪く、教会の規範から逸脱した力を発現してしまった。
それだけで、人は人として見做されなくなる。
「俺は……誰も殺さない」
それは、アイルの規範と誓いに反する。
祈るように口にして、アイルは、詰め所の反対側に立つ木を一瞥した。
想像する。
雷が落ちる音を。
乾いた音と共に樹皮が裂け、弾けた火の粉が枝先を舐める様を。
その木が燃え上がる未来を、アイルは見ていた。
ただの天災。何の意味もない偶然。
けれど、誰かが逃げる時間を稼げるなら、それでいい。
刹那――想像は、現実へ染み出す。
閃光が走り、轟音と共に木が裂け、生まれた火種が天へ向かって這うように伸びていく。
(そうだ、これでいい)
詰め所にいた者たちが、慌てて消火に向かう姿にアイルは安堵する。
中にいる敵は三人。
アイルはそのまま詰め所の影に滑り込み、鍵を壊して扉を押し開けた瞬間――
「誰だ!?」
誰何の声が響く前に、アイルはすでに想像を終えていた。眠ってくれ、と。
ばたばたと折り重なるようにして倒れた兵を横目に、アイルは椅子に縛られた青年を見遣る。
アイルより少しばかり若く見える青年は、まだ成人した頃合いだろうか。突然の闖入者に、怯える眼差しを向ける。
手枷と首輪を確認し、留め具を切り落とす。
それからアイルは、青年と目線を合わせるように片膝を付いた。
「安心しろ。俺は君を助けに来た……異端者だ」
ざっと見るに骨などは折れてはいなさそうだった。ただ腫れた頬があまりにも痛々しく、失礼と断りアイルは手袋を外した手で触れる。
炎症が引きますように。痛みが治りますように、と。
「え、痛くない……?」
「それが俺の禁呪ってやつだ。他に痛いところはないか? 逃げるぞ」
周囲の人間はまだ気付いていない。
怯える青年に自身の外套をかけてやり、大丈夫だと繰り返し言い聞かせる。
詰め所の外は想定通り、燃える木に人も視線も奪われている。
「このまま真っ直ぐ、あの出口へ向かう。何があっても振り返るな」
そっと背を押し、行こうと合図する。
ここからは人目を避けられない。
だが、アイルが見える範囲ならば、青年を守ることが出来る。
案の定、目敏い歩哨が二人を見つけた。
夜闇に鋭い笛の音が響く。
立ち止まりそうになる青年を叱咤し、アイルは降り注ぐ矢を撃ち落とす。
その視線のまま、再び雷を呼んだ。
閃光、轟音。
大地を伝う振動に、追っ手の勢いが削がれる。
一本の矢が、アイルに向かっていた。
「走れ、振り向くな」
咄嗟に避けようとした。
だが、アイルの足は止まった。
その向かう先に、あの青年が居たから。
真っ直ぐ矢を見つめて間に合えと、アイルは手を横に伸ばす。
アイルの想像が現実に染み出すより早く、
「――ッ」
嫌な音を立てて右肩を矢が貫く。
それでも、アイルは想像を手放さなかった。
背後で木が軋み倒れる音に、成功を祈らずにいられない。
突き刺さった矢は、思いのほか深い。
骨のすぐ近くを掠めていた。
だが、意識だけは、手放さなかった。
まだ保っている。
力も行使できるはずだ。
けれど、もう制御できる保証がない。
だから、アイルは止まった。
取り押さえられる直前、一瞬だけ背後が見えた。
倒れた大樹が道を塞ぎ、その先はもう見通せない。
肩を裂く痛みの中、それでも、手を組もうと伸ばした。
「異端者の分際で抵抗はやめろ」
視界が暗い。
顔も見えぬ兵にその手を掴まれ、後ろ手に拘束される。
(救えるなら、何度でも矢を受ける)
まだ、誰かを守れると信じたかった。
(せめて、ひとりだけでも)
どうか無事に逃げてくれ。
名も知らぬ青年の無事を、アイルは祈るしかなかった。