国王名代マリア   作:カール334世

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帝国領事館

在キュール帝国総領事館は、港湾地区において異質な威容を誇っていた。 王国の伝統的な煉瓦造りとは一線を画す、寒色を帯びた白い石材の壁。整然と並ぶ列柱は、過剰な装飾を排した実利的な機能美を湛えている。それは、ここが王国の法が及ばぬ帝国の領土であることを、音もなく主張していた。

 

公館より一段低い位置にありながら、港の全容を一望できるその設計には、海洋国家たる帝国の傲慢なまでの意図が表れている。

 

王国と帝国の二国間条約に基づき、この地の総領事は本国から全権大使に準ずる外交権を付与されていた。

それは王国の内乱という”定期的な発作”に備え、王都の大使館が機能不全に陥った際でも、帝国の権益――すなわち貿易と在外帝国臣民の安全――を独断で守り抜くための、言わば大使館のスペアとしての側面も持っているのだ。

 

午後四時前。沈黙に包まれた執務室には、五人の男がいた。 総領事ハインリヒ・クラウゼンを筆頭に、帝国が誇る国家機構の優秀な歯車たちである。

 

机上には、二等理事官ポールが静かに置いた一通の封書があった。 重厚な赤い封蝋に刻印された王室の紋章。それを見た瞬間、室内の空気は物理的な重さを増した。

 

「……第二王女殿下からだ。」

 

総領事ハインリヒはすぐには手を伸ばさず、銀色のペーパーナイフの重みを弄ぶように確認した。 帝国はすでに知っている。王国第三十一代国王アントンが、四日前にこの世を去ったことを。 帝国の諜報網に死角はない。崩御の事実は確定しており、公式発表の遅れは、王都が後継者選定という底なしの沼に足を取られている証左でしかなかった。

 

だが、外交の世界において”知っていること”と”公表され文書になっていること”の間には、深淵ほどの隔たりがある。

 

ハインリヒが封を切った。一読し、わずかに眉を動かす。 二度目は、言葉の一つひとつを咀嚼するように、ゆっくりと。

 

「……読み上げろ、トニー。」

 

副領事トニー・ロビンソンが書簡を受け取り、実務家らしい抑制された声でその骨子を要約し伝えた。

 

一、王国情勢は現在、流動的な局面にあり、不測の混乱が懸念されること。

二、キュールにおける王国の備えは万全な状態であるものの、不測の事態や不幸な誤解により、今すぐ安全が保障されないというわけではないものの、港湾と在留外国民の安全が不安定化するという予測は荒唐無稽というわけではない為、王国主導を前提とした新たな警備体制の確立が必要があること。

三、当面のキュールにおける公式窓口は、”国王名代”たる第二王女マリアが全責任を以て担うこと。

四、早急なる責任者レベルの会談を要請すること。

 

読み終えたトニーが、顔を上げた。

 

「国王の死には、一言も触れておりません。」

 

「当然だ。公式発表前の機密を安売りするほど、あの姫君は愚かではないだろう」

 

ハインリヒは淡々と応じたが、その眼光は鋭い。

 

「だが、これは要請ではない。事実上の宣告だ。」

 

書簡は懇願してはいない。かと言って、高圧的な命令でもない。 ただ、”誰がこの街を支配し、誰と話せば帝国の安全が買えるのか”という現実を固定しに来ているのだ。

 

「“安全が保証されるとは限らない”か。自国の無能をこうも優雅に、かつ脅迫の道具に使うとは。第二王女殿下の面皮は、どうやら特注の金属製のようですな。」

 

領事ミッチ・ケンドリックが、嫌悪感すら混じった感心と共に吐き捨てた。

 

「帝国臣民の勤労精神に照らせば、予見できる危機を放置するなど国家への叛逆に等しい。だが、王国ではその限りではないらしい。ひどいマッチポンプだ。」

 

厳密にいえばマリアも混乱に振り回される側なのだが、帝国側からすれば知った事ではなかった。

 

「署名も奮っている。”国王名代”か。」

 

領事アラン・ガネルが、その称号の重みを口にする。

 

「形式的な顔役に過ぎなかったはずですが。」

 

「だが、書類上は今も有効だ。そして王不在の現在、その空虚な肩書きは、解釈次第で如何ようにも膨らむ」

 

ハインリヒは机に肘をつき、組んだ指で鼻先を隠した。

 

「この姫君は、秩序の守り方ではなく、システムのハックの仕方を熟知している」

 

沈黙が流れた。 帝国の利害は明確だ。王国には弱体化したままでいてほしい。だが、物流が止まる内戦だけは最悪の選択肢だ。特にこのキュールは、帝国王国間貿易の心臓部なのだ。

 

「返書は?」

 

書記官の問いに、ハインリヒは短く答えた。

 

「簡潔に。書簡を受理したこと、当面の対話窓口として彼女を認識したことを伝えろ。……それと、直接会談の要請を受諾すると」

 

「王女殿下を、正式なカウンターパートとして扱うのですか」

 

「”事実確認”が必要なだけだ。荒波を乗りこなすには、舵を握っている者の顔を拝んでおかなければならんからな」

 

副領事が、わずかに口角を上げた。

 

「……実質的な、承認ですね」

 

ハインリヒは否定しなかった。 この瞬間、在キュール帝国総領事館は王都の混乱を切り捨て、一人の王女を”王国の顔”として選んだ。

 

「ところで、総領事」

 

トニーが問いを重ねる。

 

「この姫、玉座を狙っていると思われますか?」

 

ハインリヒは即答しなかった。書簡の、一分の隙もない文面をもう一度見下ろす。 そこには野心も、父を失った悲しみも、一切の情動が排されていた。

 

「分からん」

 

そう前置きし、彼は断じた。

 

「だが少なくとも、彼女は盤面に、誰よりも早く駒を置いた。……チェックメイトを狙っているのか、それとも盤そのものを守ろうとしているのか。それを確かめるのが、我々の仕事だ」

 

港の外では、帝国の商船が一隻、何事もなかったかのように入港してくる。 だが、水面下ではすでに、運命の糸が引き絞られていた。 その糸の一端は、間違いなく、丘の上の公館で筆を置いたばかりの王女殿下へと繋がっている。




2話です。3話は暫く先になりそうです。
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