バグ・ロジック ―無能力者の成り上がり観測記―   作:来世で会おう

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第11話:深淵の系譜、欠損の記録

 1. 奈落への秒読み

 

 エレベーターが下降を始める。

 

 重力に抗う感覚が全身を包む中、ホールの照明が消え、非常用の赤いランプだけがカロンの横顔を不気味に照らしていた。

 

「……灰谷。十年前、あの研究所で何が起きたか、君は『火事だった』と記憶しているね?」

 

 カロンの機械的な声が、密閉された空間で反響する。

 

 零は壁に身を預け、震える神代の肩を支えながら、カロンの瞳を見据えた。

 

「ああ。火と、煙。……そして、何かが『砕ける』ような音だ」

 

「半分は正解だ。だが、もう半分は違う。……あれは燃焼反応ではない。君の両親が生み出した『概念の飽和』が、現実の物理法則を焼き切った結果だ」

 

 カロンが指を動かすと、エレベーターの壁一面に、十年前の事故記録映像が投影された。

 

 ノイズまみれの画面の中で、幼い零が机の下で震えている。その目の前で、零の両親──灰谷夫妻が、何か巨大な「光の塊」を必死に抑え込もうとしていた。

 

「彼らは、異能を消し去るための『究極のデバッグコード』を見つけた。……だが、それを実行すれば、世界中の異能者の脳が焼き切れる。……君の両親は、世界を救うことよりも、世界を壊さないことを選んだ」

 

 映像の中の父親が、最後に振り返り、机の下の零に何かを叫んだ。

 

 だが、音声はノイズにかき消されている。

 

「彼らはそのコードを、自分たちの息子──君の脳の中に隠して、自ら『事故』という名の心中を選んだんだよ。……パンドラは、その続きを回収しに来ただけだ」

 

「……隠した? 俺の、中に?」

 

 零の頭痛が激しくなる。

 

 網膜に映る景色が二重になり、カロンの体が、何万ものコードの集合体に見え始める。

 

 自分の「眼」は、単なる観察の道具ではない。それは、父と母が命を懸けて守り、自分に託した「何か」を読み解くためのインターフェースなのか。

 

 

 2. 箱庭の風景

 

 チィン、と音がしてエレベーターが止まった。

 

 扉が開くと、そこには「島」のイメージからは程遠い、広大な空洞が広がっていた。

 

 そこは、地下数百メートルに作られた、巨大な「脳の農場」だった。

 

 何千ものカプセルが幾何学的に配置され、中には意識を失った子供たちが収容されている。彼らから伸びる神経接続ケーブルは、中央にそびえ立つ、巨大な水晶のような構造物──『プロト・パンドラ』へと繋がっていた。

 

「見なさい、灰谷。君の両親の理論を、神代家の資金で形にした傑作だ。……この子たちの脳を並列に繋ぎ、異能のバグを一つの『完璧な法則』へと統合する」

 

「……これが、リゾートの正体か」

 

 神代が絞り出すような声で呟いた。

 

 自分の家が、これほどまでの非人道的な実験のスポンサーであったという事実。その重圧に、神代の膝が折れそうになる。

 

「父上……貴方は、何を……」

 

「颯、理解しなさい。これは進化なのだよ」

 

 中央のコントロールデッキから、神代源三郎がゆっくりと歩み寄ってきた。彼の背後には、完全武装の異能兵たちが控えている。

 

「異能という不確定要素を、完全に支配下に置く。そのためには、灰谷夫妻が残した『最後のピース』が必要だった。……それが、零くん、君自身だ」

 

 

 

 3. 認識の反撃

 

 零は中央の巨大な水晶『プロト・パンドラ』を見上げた。

 

 その内部では、膨大な「異能の計算」が超高速で行われており、周囲の空間が微かに歪んでいる。

 

 

 カロンが零の背中に手を置こうとした、その時。

 

「……触るなと言ったろ。バグが移るぞ」

 

 零の瞳が、青白く発光した。

 

 それは異能の光ではない。彼の脳が、周囲の膨大なデータ量を無理やり「演算」し始めた結果生じた、網膜の異常反応だった。

 

「源三郎さん。あんた、大きな勘違いをしてる。……両親が俺の中に隠したのは、あんたたちが欲しがっているような『支配のコード』じゃない」

 

「何だと?」

 

「このシステム……『プロト・パンドラ』。……設計図が古すぎるんだよ。両親が十年前、事故の直前に書き換えた最新の論理構造(ロジック)が、ここには反映されていない」

 

 零はフラつきながらも、コントロールパネルへと一歩踏み出した。

 

 異能兵たちが銃を構えるが、源三郎がそれを制止する。

 

「……説明しろ、灰谷くん」

 

「あんたたちは、異能を『統合』しようとしている。……でも、両親が最後に辿り着いた答えは『拡散』だ。……異能というバグを、誰にも制御できないほど細かく分解し、世界に還元する。……今、俺がこのシステムにアクセスすれば、どうなると思う?」

 

 零の指が、キーボードを叩く。

 

 彼には、パスワードも認証も必要ない。システムの「論理的な穴(バックドア)」が、最初からそこにあるかのように見えているのだ。

 

「……システムの暴走? いや、自爆させる気か!?」

 

 カロンが空間を捻じ曲げ、零を止めようとする。

 

「神代! 今だ! 全スペックを『冷却』に回せ!」

 

「……っ! ああ、分かっている!」

 

 神代は、絶望のどん底から這い上がるように叫んだ。

 

 彼は自分の家族への怒りを、すべて純粋なエネルギーへと変換する。

 

 地下空間全体の酸素が、神代の意志によって一箇所に収束し、絶対零度に近い断熱膨張を引き起こした。

 

 

 

 4. 沈黙の回答

 

 キィィィィィィィン……! 

 

 空間が凍りつき、カロンの空間操作が、分子運動の停止によって物理的に「静止」させられた。

 

 その僅かな隙に、零はシステムの中に「偽のデバッグコード」を流し込んだ。

 

 ──ガガガガッ! 

 

 巨大な水晶『プロト・パンドラ』の輝きが乱れ、地下施設全体が激しい振動に襲われる。

 

 だが、爆発は起きなかった。

 

 ただ、施設のすべての照明が落ち、静寂が訪れた。

 

「……何をした」

 

 闇の中で、源三郎の低く震える声が響く。

 

「……『休眠モード』に入れただけだ。……あんたの玩具(システム)は、今、俺が仕掛けた論理の迷宮の中で、永遠に答えの出ない計算を続けている」

 

 零は膝をつき、激しく喘いだ。

 

 脳が焼けるような熱。視界が急速に狭まっていく。

 

『零くん! 神代くん! 今よ! 久我山さんの強行突入班が、地上の防壁を破ったわ!』

 

 凛華の通信が、希望の灯火のように響く。

 

 

「……カロン。十年前の続きは、また今度だ」

 

 零は闇の中、カロンの視線を感じながら、神代の手を握った。

 

 神代の震える手は、確かに温かかった。

 

「……灰谷。……あの日、お前の父さんは、なんて言ったんだ」

 

 神代の問いに、零は薄れゆく意識の中で、思い出そうとした。

 

 ノイズの向こう側。火の海の中。

 

 父が自分に微笑みながら、最期に遺した言葉。

 

「……『世界を、見捨てないでくれ』……だったと思う。……バカげた願いだよな」

 

 零はそのまま、神代の肩に顔を埋めるようにして、深い意識の闇へと落ちていった。

 

 謎はまだ、深淵の底に眠ったままだ。だが、止まっていた時計の針は、確かに動き始めていた。

 

 

(続く)

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