バグ・ロジック ―無能力者の成り上がり観測記― 作:来世で会おう
「
S.A.S作戦室に、神代の絶叫に近い声が響き渡った。
無理もない。名門の麒麟児として育てられ、これまであらゆる記録を塗り替えてきた彼にとって、昨日の今日で「無能力者の監視役兼相棒」を命じられるのは、死刑宣告にも等しい屈辱だろう。
「落ち着け神代。これは室長決定だ」
久我山はコーヒーを啜りながら、モニターに一枚の写真を映し出した。
「今回の
画面には、警察の装甲車がひしゃげ、機動隊員たちが自分の放った弾丸で倒れている無惨な現場が映し出されていた。
「見ての通り、あらゆる物理攻撃をそのままの威力で反射する。神代、お前の『酸素操作』による衝撃波も、下手に撃てばそのままお前に返ってくるぞ」
「……フン、反射などという受動的な能力、最大出力で障壁ごと押し潰せば済む話です」
神代は不機嫌そうに鼻を鳴らし、部屋の隅でパイプ椅子に座ってカップラーメンを啜っていた俺を睨みつけた。
「おい、ゴミ。……いや、灰谷と言ったか。現場では私の後ろから一歩も出るな。反射に巻き込まれて死なれては、私の経歴に傷がつく」
「安心しろよ、お坊ちゃん」
俺は麺を飲み込み、割り箸を置いた。
「君の後ろは一番危険そうだ。反射された自分の攻撃を避けるのに必死で、隣の人間なんて視界に入らないだろ?」
「貴様……!」
「久我山さん、一つ確認。その乾って男、反射の『対象』を選んでるのか? それとも自動反射か?」
久我山はニヤリと笑い、タブレットを操作した。
「いい着眼点だ。過去の記録では、雨粒や風は反射していない。つまり、本人が『攻撃』と認識したものだけを弾き返す、選択的反射だと思われる」
「なるほど。……脳の認識フィルタリングか」
俺は自分の顎をさすった。
もしそうなら、この事件は「力」で挑めば挑むほど、泥沼にハマる。
そして、その「泥沼」を一番作り出しそうなのは、俺の隣で青筋を立てているこのプライドの塊だ。
「行くぞ、灰谷。力の差というものを、鏡越しに見せてやる」
神代はそう言い残し、コートを翻して部屋を出て行った。
俺はため息をつき、ポケットに日雇い現場で拾った「あるもの」を突っ込むと、重い腰を上げた。
現場は、都心の巨大なショッピングモールだった。
犯人の乾は中央広場に陣取り、数人の人質を「反射の壁」の中に囲い込んでいる。
「どけ! 俺に触れる奴は全員、自分自身に殺されることになるぞ!」
乾が叫ぶ。彼の周囲には、目に見えない歪んだ空間の膜が張られている。
駆けつけた警察官たちは、下手に手出しをすれば弾丸が自分たちや人質に跳ね返ることを恐れ、遠巻きに囲むことしかできていなかった。
「退け、素人ども。ここからは特務班の領域だ」
神代が悠然と歩み出る。
彼は右手を軽く掲げた。それだけで、広場全体の空気が震え、乾の周囲の酸素が異常な密度で圧縮され始める。
「【
「待て、神代。撃つなと言っただろ」
俺の制止は、神代の耳には届かなかった。
ドォォォンッ!
圧縮された空気の塊が、目に見えない壁に激突する。
直後、乾の前の空間が激しく明滅し、神代が放ったものと全く同じ「衝撃」が、倍以上の速度で神代へと跳ね返った。
「なっ……!?」
神代は咄嗟に自分の前に酸素の盾を作ったが、防ぎきれずに数メートル後退し、大理石の柱に背中を打ち付けた。
「ハハハ! 威勢がいいな特務班! だがな、俺の壁は『敵意の強さ』に比例して硬くなるんだよ!」
「くっ……バカな、私の出力が負けるだと……!」
神代が再び右手に力を込める。今度はさらに高密度の衝撃波。
負けず嫌いのスイッチが入ったエリートは、相手の土俵で勝つことしか考えられなくなる。典型的な「強者のバグ」だ。
「どけ、お坊ちゃん。君が頑張れば頑張るほど、あいつの壁は鉄壁になる」
俺は神代の肩を叩き、横を通り過ぎた。
「灰谷、下がれと言っている! 無能力者が近づいてどうするつもりだ!」
「見てろよ。……乾さんだったっけ。あんたの能力、確かに凄いよ。でも、あんたの脳は『攻撃』と『そうじゃないもの』をどうやって区別してるんだろうな」
俺はふらふらと、無防備に乾へと近づいていく。
乾は不気味な笑みを浮かべた。
「死にてえのか? 拳銃も異能も持たねえゴミが、俺に何ができる!」
「何もしないよ。ただ、あんたに『プレゼント』だ」
俺はポケットから、日雇い現場で拾った「大量の錆びた釘」を取り出した。
それを、攻撃する意志など微塵も見せず、ただゴミを捨てるような無造作な動作で、乾の足元に向けて「バラ撒いた」。
「……あ?」
釘は、乾の「鏡面障壁」をあっさりと通り抜け、パラパラと音を立てて乾の足元に転がった。
「な……反射、しなかった……!?」
神代が目を見開く。
「当たり前だ。俺はあいつを攻撃するつもりなんてさらさら無い。ただ、そこに釘を置いただけだ」
俺は乾にニヤリと笑いかけた。
「乾さん。あんたの壁は、時速数十キロ以上の『速度』か、明確な『殺意』を持った物体にしか反応しない。……じゃあ、これはどうかな?」
俺はさらにもう一つのアイテムを取り出した。
それは、どこにでもある「強力な磁石」だ。
俺はそれを、乾の後方にある鉄製のオブジェに向かって放り投げた。
「何の意味が──」
乾が言いかけた瞬間、足元に撒かれた錆びた釘たちが、強力な磁力に惹かれて一斉に「移動」を開始した。
釘は乾の足を刺す方向ではなく、磁石の方へと、「ただ引き寄せられるだけ」の物理現象として動く。
だが、その移動経路上には、乾の「障壁」の内側にあった彼の足首があった。
「ぎゃああああああっ!?」
殺意のない、単なる磁気反応による釘の移動。
乾の脳はこれを「攻撃」と認識できず、障壁は発動しなかった。
錆びた釘が何本も乾の足首を深く抉り、彼は激痛で転倒した。
「今だ、神代! 能力の維持が解けた!」
「……っ!」
神代は一瞬だけ屈辱に顔を歪めたが、流石はエリートだ。チャンスを逃さなかった。
乾が痛みで障壁を霧散させた瞬間、神代の操作する酸素が乾を包み込み、一瞬にして意識を刈り取った。
静寂が戻る広場。
神代は荒い息をつきながら、倒れた犯人と、その横で欠伸をしている俺を交互に見た。
「……何をした」
「言ったろ。脳の認識フィルタリングを突いただけだ。あいつの脳は『磁石に引かれる釘』を攻撃とは見なさなかった。ただそれだけだよ」
俺は落ちていた磁石を拾い上げ、埃を払ってポケットにしまった。
「お見事でした、神代さん。最後の一撃、かっこよかったですよ。……ま、僕の釘がなきゃ、今頃君の顔は自分の衝撃波でグチャグチャだったろうけど」
「貴様……!」
神代は言い返そうとして、言葉を飲み込んだ。
実際に自分を救ったのは、自分が「ゴミ」と呼んだ男の、安っぽい釘と磁石だったのだから。
「……次は、こうはいかないからな」
絞り出すような神代の声。
俺はそれを聞き流しながら、モールのフードコートの看板を見上げた。
「さ、任務完了だ。久我山さんにボーナス請求しに行こうぜ。今日はいい肉が食いたいんだ」
不揃いな二人の足音が、静まり返ったモールに響いていた。
(続く)