バグ・ロジック ―無能力者の成り上がり観測記―   作:来世で会おう

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第5話:情報の魔女

 

 特務班(S・A・S)の作戦室に、場違いな軽快な音楽が流れていた。

 

 デスクの上に足を投げ出し、ポテトチップスを頬張りながらモニターを眺めている女。彼女が、俺が今日紹介された三人目のチームメンバーだった。

 

「へぇー、君が『のり弁顧問』くん? 噂通り、全然強そうに見えないね」

 

 女──皇 凛華(すめらぎ りんか)は、指先の油を舐めながら、いたずらっぽく笑った。

 

 緩く巻かれた赤毛に、着崩した制服。神代のようなストイックさは微塵も感じられないが、彼女の周囲に浮遊する数枚の透過ディスプレイには、この街のあらゆる監視カメラの映像や機密情報が、超高速で流れている。

 

「凛華、足を下ろせ。……灰谷、彼女は皇凛華。能力は【電脳模倣(サイバー・ミミック)】。ネットワーク上のあらゆる情報を脳内で並列処理する、うちの索敵と通信の要だ」

 

 神代が忌々しそうに説明する。彼は相変わらず俺と目を合わせようとしないが、前回の任務以降、言葉の端々にあった「ゴミ」という蔑称が消えていた。

 

「よろしく、凛華さん。……画面、右から三枚目。そのパケット通信の揺らぎ、バックドアを仕掛けられてるぞ。さっきから0.2秒間隔でデータが外部に漏れてる」

 

 俺がさらりと言うと、凛華の動きが止まった。

 彼女は目を見開き、コンマ数秒でキーを叩く。

 

「……嘘、マジだ。私の防壁を抜いてる!? 君、本当に無能力者? 脳に直接LANケーブル刺してない?」

 

「ただの観察だよ。……それより久我山さん、新しいホシは?」

 

 俺が促すと、部屋の奥から久我山が顔を出した。その表情はいつになく険しい。

 

「……ああ。凛華が追っていた『情報の漏洩』の先が見つかった。場所は銀座の地下カジノ。だが、相手はただのハッカーじゃない」

 

 モニターに映し出されたのは、タキシードを完璧に着こなした初老の男だった。

 

「通称『フォーチュン』。能力名は【黄金率の裁定(ゴールデン・ルール)】。……彼は、自分の周囲で起こる『確率』を操作する。彼が望めば、飛んできた弾丸はすべて不発になり、彼が投げたコインは必ず表が出る。……つまり、絶対に『負けない』男だ」

 

「確率操作……。そんなの、どうやって倒せばいいんですか」

 

 神代が眉をひそめる。

 

「神代、お前の酸素攻撃も、あいつの前では『たまたま』不発に終わるか、『偶然』逸れるだろうな」

 

 久我山が俺を見た。

 

「灰谷。……運命を操作する男に、お前の理屈(ロジック)は通じるか?」

 

 俺は空になったカップラーメンの容器をゴミ箱に投げ入れた。

 

「確率なんてのは、事象の積み重ねに過ぎない。……『運』という名のバグ、修正してやりますよ」

 

 

 ──ー

 

 地下カジノ『エル・ドラド』。

 

 煌びやかなシャンデリアの下で、欲望に狂った人間たちがチップを積み上げている。その中心に、フォーチュンは座っていた。

 

「さあ、賭けようじゃないか。私の寿命か、君たちの未来か」

 

 神代は潜入用のスーツを窮屈そうに直しながら、俺の隣で低く呟いた。

 

「……灰谷、作戦はあるんだろうな。私は酸素を凝縮していつでも撃てるが、あいつの周囲では能力の出力が安定しない。空気が『偶然』逃げていく感覚だ」

 

「それでいい、神代。派手に暴れる準備だけしておけ」

 

 俺はフォーチュンの目の前の席に座った。

 凛華の通信がイヤホンから届く。

 

『零くん、気をつけて。彼の周囲10メートルは完全に「彼の領域」よ。すべての物理定数が、彼に都合よく書き換えられてる』

 

「ディーラー、ルーレットを」

 

 俺は手元のチップをすべて『0(ゼロ)』に置いた。

 

「ほう。私にオールインで挑むか。面白い……。だが、無駄だよ。この球がどこに落ちるか、それはすでに私が決めている」

 

 ルーレットが回り出す。球が放たれる。

 本来なら、物理法則に従って球はどこかのポケットに収まるはずだ。だが、フォーチュンが指を鳴らした瞬間、球は不自然な跳ね方をして、俺が賭けた場所をあざ笑うように通り過ぎようとした。

 

(……見えた)

 

 俺の網膜が、球の回転数、摩擦係数、そしてフォーチュンが発している「微細な波動」を捉える。

 

 確率操作。それは魔法ではない。

 

 彼は無意識に、空気中の分子を振動させ、極めて微小な「風」や「振動」を起こすことで、結果を誘導している。

 

「神代、今だ! 足元の床をわずかに凍らせろ!」

 

「……!? 分かった!」

 

 神代が酸素の断熱膨張を利用し、一瞬で床の温度を下げる。

 フォーチュンの周囲の空気が冷やされ、対流が激変した。

 

「何っ……!?」

 

 フォーチュンが起こしていた「微細な誘導」が、神代による「強引な環境変化」によってかき消される。

 計算外の気流に煽られた球が、再び不規則に跳ね──そして、俺が賭けた『0』の溝に、吸い込まれるように静止した。

 

「な、……馬鹿な! 私が、外しただと……!?」

 

「あんたの『運』は、静的な環境でしか機能しない繊細なプログラムだ。……神代のような『暴力的すぎる物理量』をぶつけられれば、あんたの精密な計算(幸運)は一瞬でバグる」

 

 俺は椅子を蹴って立ち上がった。

 

「凛華、システムを落とせ!」

『了解! カジノ全域、停電させるよ!』

 

 暗転する会場。パニックに陥る客たち。

 フォーチュンは慌てて懐の拳銃を抜こうとしたが、暗闇の中で俺の言葉が突き刺さる。

 

「無駄だ。あんた、さっきのルーレットで『運』を使い切ったと思い込んでるだろ? ……心理的なバイアスだ。あんたの脳は今、自分を『不運』だと定義した」

「う、うああああ!」

 

 恐怖で引き金を引くフォーチュン。だが、銃声は響かない。

 

 彼が「不運」だと思い込んだせいで、本当に指が震え、セーフティを解除し忘れていたのだ。

 

 ドォォォンッ! 

 

 闇を切り裂くように、神代の放った強烈な酸素弾がフォーチュンの腹部を直撃した。

 絶対不敗の男が、無惨に壁まで吹き飛ぶ。

 

「……チェックメイトだ、自称・幸運児」

 

 非常用電源が復旧した時、そこには取り押さえられたフォーチュンと、平然とポテトチップスを食べる凛華のホログラム、そして──初めて、僅かに「拳」を合わせた俺と神代がいた。

 

「……悪くない連携だったな、灰谷」

 

 神代が、顔を背けながら小さく言った。

 

「ああ。……でも次は、もっとマシな服で潜入させてくれ。このスーツ、肩が凝る」

 

 俺はそう答えながら、連行されるフォーチュンの背中を見つめていた。

 

 凛華の通信が、最後に俺の耳にだけ、低い声で囁いた。

 

『……ねえ零くん。さっきの「バグ」の見抜き方。……10年前に死んだ、ある天才学者の論文にそっくりなんだけど。……君、何者なの?』

 

 俺は答えず、ただ名刺の裏に書かれた復讐のリストを、暗闇の中でなぞった。

 

(続く)

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