バグ・ロジック ―無能力者の成り上がり観測記―   作:来世で会おう

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第6話:亡霊の残響(前編)

 

 深夜二時。警視庁本庁舎の地下深くに位置する『S.A.S』作戦室は、青白いモニターの光だけに支配されていた。

 

 昼間の喧騒が嘘のように静まり返った室内で、皇凛華は一人、猛烈な勢いで仮想キーボードを叩いている。彼女の周囲を浮遊する数十のウィンドウには、膨大な家系図、戸籍抄本、そして十年前の新聞記事が目まぐるしく流れていた。

 

「……やっぱり、おかしい」

 

 凛華がポテトチップスの袋を放り出し、画面の一つを指先で拡大する。

 

 そこには、十年前の爆発事故で亡くなったとされる夫婦の写真があった。

 

『異能医学の権威、灰谷夫妻。研究施設での不慮の事故により逝去』

 

 その記事の下部、遺族の欄には一人の少年の名が記されている。

 

「灰谷零。当時十歳。……事故後、彼は施設を転々とし、五年前から完全に足取りが途絶えてる。公的には『行方不明』扱い。なのに、どうして今さら、のり弁を持って日雇い現場に現れるわけ?」

 

 彼女の脳内にある『電脳模倣(サイバー・ミミック)』が、数万の情報を並列処理し、一つの仮説を導き出していく。

 

 灰谷零が持つ、あの異能を解体する「眼」。それは天性の才能などではない。

 

 世界で最も異能の深淵に近かった学者の息子が、十年の歳月をかけて磨き上げた、血の滲むような「執念」の産物ではないのか。

 

「……見てはいけないものを見ちゃったかな、私」

 

 凛華が独り言を漏らしたその時、作戦室の自動ドアが静かに開いた。

 

 入ってきたのは、コンビニの安物コーヒーを手にした零だった。

 

「夜更かしは肌に悪いぞ、情報屋。……何を調べてる」

 

 零の声はいつも通り冷めていたが、その視線は凛華が隠しきれなかったモニターの一角──両親の写真──に釘付けになっていた。

 

 凛華は慌てて画面を消そうとしたが、零はそれを手制止し、ゆっくりと彼女のデスクに近づいた。

 

「隠さなくていい。遅かれ早かれ、君なら辿り着くと思っていた」

 

「……零くん。君の両親の研究、あれは事故なんかじゃないんでしょ? 私が調べた限り、当時の消防の記録と、警察の現場検証の結果が矛盾してる」

 

 零はコーヒーを一口啜り、窓のない壁を見つめた。

 

「……あの日、俺は机の下に隠れていた。両親が何者かに詰め寄られ、そして『存在しないはずの異能』によって、部屋ごと消し飛ばされるのをこの目で見たんだ」

 

 作戦室の空気が、凍りついたように静止する。

 

 零が語る言葉には、怒りも悲しみもなかった。ただ、事実を淡々と述べる冷徹な響きだけがあった。だが、その瞳の奥には、十年経っても消えない黒い焔が揺らめいている。

 

「俺が日雇い現場を転々としていたのは、目立たないためじゃない。……あの事故の背後にいた奴らが、今もこの街のどこかで『異能』を餌に動いているからだ。警察じゃ届かない、裏社会の深い場所に」

 

「それが、特務班(ここ)に来た本当の理由?」

 

「……半分はそうだ。もう半分は、単に日当がいいからだよ」

 

 零が自嘲気味に笑ったその時、作戦室に赤い警報灯が激しく点滅し、鼓膜を劈くようなサイレンが鳴り響いた。

 

 

『警告。サーバーエリアにて未認可のアクセスを検知。物理的な侵入者を確認。全隊員は直ちに配備に就け』

 

 凛華のホログラムが瞬時に切り替わり、地下三階のサーバー室の映像を映し出す。

 

 そこには、複数の警備ロボットが、何もない空間に向かって銃を乱射し、次々と破壊されていく光景が映っていた。

 

「……透明人間? いや、違う。加納の時とは波形が違うよ!」

 

 凛華が叫ぶ。

 

「熱源反応なし。音響センサーも無反応。でも、物理的にそこにある何かが、サーバーを物理的に引き剥がしてる!」

 

「神代は!?」

 

「彼は今、別件の事情聴取で上階に……あ、来た!」

 

 作戦室の扉が勢いよく開き、神代颯が飛び込んできた。彼は制服のネクタイを締め直しながら、零を一瞥する。

 

「灰谷! 貴様の仕業か!?」

 

「……相変わらず短絡的だな、お坊ちゃん。俺がやるならもっとスマートに、証拠を残さずやる。……それより見ろ、この侵入者の動きを」

 

 零が指差すモニターの中。侵入者は、まるで最初から「そこにあるべき壁や扉が存在しない」かのように、最短距離で最深部の機密アーカイブへと向かっていた。

 

「神代、あれは透明化じゃない。……『空間の位相』をズラしてる。あいつは三次元の物理法則の中にいながら、一歩だけ外側に立っているんだ」

 

「位相操作……。そんな高ランクの能力、国内には数人しかいないはずだぞ」

 

「ああ。だからこそ、相手は『プロ』だ。……狙いは、S.A.Sが保管している【未登録異能者リスト】だろう」

 

 神代の顔色が変わる。そのリストには、現在監視下に置かれている潜在的犯罪者だけでなく、特務班が極秘に進めている「異能の起源」に関する調査データも含まれている。

 

「凛華、ロックダウンしろ! 物理的な隔壁をすべて落とせ!」

 

「やってるわよ! でも、相手は隔壁をすり抜けてくるの! まるで壁が霧であるかのように!」

 

 神代が拳を握りしめ、周囲の酸素が激しく震え出す。

 

「……物理的な壁が効かないなら、私の酸素圧で空間ごと押し潰すまでだ。灰谷、行くぞ」

 

「ああ。……だが、一つだけ忠告しておく。あの侵入者の動き、どこかで見たことがある。……十年前、俺の両親を殺した奴らの手法(手口)にそっくりだ」

 

 零の言葉に、神代は一瞬だけ足を止めたが、すぐに背を向けて走り出した。

 

 その背中を追いながら、零はポケットの中で十円玉を弄んだ。

 

 復讐の鐘が、ようやく鳴り始めた。

 

 ──

 

 地下三階、サーバー室。

 

 冷房の効いた室内は、破壊されたハードウェアから漏れる火花と、焦げたシリコンの匂いで充満していた。

 

「そこか……!」

 

 神代が叫ぶと同時に、虚空に向けて酸素を凝縮した衝撃波を放つ。

 

 ドォォォン! 

 

 サーバーのラックが数台なぎ倒されるが、手応えはない。

 

 

 

 ふわり、と。

 

 何もない空間から、漆黒のライダースーツに身を包んだ「人影」が染み出すように現れた。

 

 顔はフルフェイスのヘルメットで隠されているが、その立ち姿からは圧倒的な強者の余裕が感じられる。

 

「無駄だ、神代家の子息よ。三次元の『風』で、四次元の影を捕らえることはできない」

 

 合成された機械的な声が響く。

 

 侵入者が手をかざすと、神代の周囲の空間がガラスのようにひび割れ、強烈な反動が彼を襲った。

 

「ぐっ……!? 空間自体を、捻じ曲げたのか……」

 

「おっと、動くなよ。君が酸素を圧縮すればするほど、この部屋の気圧差は限界を超え、君自身が潜水病のような激痛に襲われることになる」

 

 侵入者の言う通りだった。神代が能力を使おうとするたびに、彼の鼻からツーッと血が流れ落ちる。

 

 圧倒的な相性の悪さ。神代の能力は「物質(酸素)」を操るものだが、相手は「世界そのもの(空間)」を操っている。

 

「……さて。リストは頂いた。次は、そこに立っている『灰谷の忘れ形見』を回収するとしようか」

 

 ヘルメット越しに、侵入者の視線が零に注がれる。

 

 零は壁際に立ち、壊れたサーバーから漏れ出す冷却液を眺めていた。その表情は、相棒が窮地に陥っているというのに、どこまでも冷徹だった。

 

「……回収? 俺をか。随分と高く見積もられたもんだな」

 

「君のその『眼』は、我々の計画には不可欠だ。……抵抗は無意味だぞ。君の知略(ロジック)も、物理的に干渉できない相手には通用しない」

 

 侵入者が零に向けて、ゆっくりと手を伸ばす。

 

 その指先が、空間を透過して零の喉元に触れようとした、その時。

 

「……神代。今だ。左足元の冷却液を、一気に『気化』させろ」

 

「……あ?」

 

「いいからやれ! 脳の計算(スペック)をすべてそれに回せ!」

 

 零の怒号。神代は反射的に、床に広がる液体へと意識を集中させた。

 

 

 

(続く)

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