バグ・ロジック ―無能力者の成り上がり観測記― 作:来世で会おう
1. エリートの血脈
神代家のプライベート・アイランドへ向かう特別仕様の大型ヘリ。そのキャビンは、揺れを一切感じさせないほど静かだった。
対面に座る神代は、窓の外に広がる夕闇の海を黙って見つめていた。その横顔には、いつもの傲慢なエリートの面影はなく、どこか追いつめられた少年のようにも見えた。
「……灰谷。貴様は、神代家がどうやってこの地位を築いたか知っているか」
神代が唐突に口を開いた。
俺は手に持っていた冷めたコーヒーを置き、小さく首を振る。
「異能産業のパイオニア、だろ。国中の異能防衛システムを独占し、富を築いた」
「表向きはそうだ。……だが、我が家訓は『完璧であれ、さもなくば無価値であれ』だ」
神代は自嘲気味に笑った。
彼の父親であり、神代グループの現総帥・神代源三郎。彼は、異能という「バグ」を徹底的に管理し、それを「商品」として磨き上げることで世界を支配してきた男だ。
「私は、三男として生まれた。長男は経営を、次男は政界を。そして私は──『神代家の剣』として設計された。物心がつく前から、私の生活は分刻みの訓練と、異能出力を高めるための投薬で埋め尽くされていたんだ」
神代が制服の袖を少し捲り上げる。そこには、数え切れないほどの注射痕に似た、微細なアザが残っていた。
酸素操作という高ランクの能力。それは天賦の才だけでなく、神代家という巨大なシステムが、一人の子供を「最高の兵器」に仕立て上げるために強行した、過酷な「調整」の結果でもあったのだ。
「期待に応えられなければ、廃棄される。私の居場所は、常に成果の上にしか存在しなかった。……だから、貴様のような『何もないのに平然としている男』が、許せなかったのかもしれないな」
神代の独白。それは、彼が初めて俺に見せた「弱さ」だった。
俺には何も言えなかった。俺は復讐のために自ら地獄へ降りたが、こいつは生まれた時から、黄金で作られた地獄の中にいたのだ。
2. 楽園への着陸
「……見えてきたぞ」
神代の声で、俺は窓の外を見た。
夕闇の中に浮かび上がる「神代島」。
島全体がオレンジ色のライトアップに彩られ、まるで海に浮かぶ巨大な宝石のようだ。中央には白亜の宮殿がそびえ立ち、その周囲を完璧に整えられた庭園が囲んでいる。
『二人とも、着陸許可が出たわ。……でも、零くん、気をつけて』
凛華の声が通信機から届く。彼女は本庁の作戦室で、島全域のデータをハッキングし続けている。
『島全体の電子防壁、設定が「外部からの侵入阻止」じゃなくて、「内部からの情報遮断」に切り替わってる。まるでお城の中に何かを閉じ込めているみたい……』
「……ああ、分かっている」
ヘリがヘリポートにゆっくりと降下していく。
出迎えるのは、純白の制服を着た執事やメイドたち。彼らは一糸乱れぬ動きで整列し、深々と頭を下げた。
「お帰りなさいませ、颯様。本日はご友人をお連れとのこと、会長も喜んでおられます」
出迎えた初老の執事の言葉。
だが、俺の「眼」は、彼の笑顔の裏にある「バグ」を捉えていた。
(……おかしい。全員の視線が、微妙に焦点が合っていない)
彼らの瞳孔は開き、呼吸は完全に一定。まるで、精密なプログラムに従って動いている機械のようだ。
神代もまた、その違和感に気づいたのか、顔を強張らせて俺の隣に並んだ。
「……父上はどこだ」
「地下の書斎でお待ちです。さあ、こちらへ」
執事の案内で足を踏み入れた邸宅の中。そこは、静寂が耳に痛いほど支配する「完璧な死の世界」だった。
3. 完璧な違和感
大理石の床に響くのは、俺たちの靴音だけだ。
壁に飾られた名画、一点の曇りもないクリスタルのシャンデリア。神代グループの富の象徴がこれでもかと並んでいるが、そこには「生活」の匂いが一切ない。
「灰谷……気づいたか」
神代が囁くように言った。
「使用人たちの歩くリズム……私に能力を使わせないための『特定波長のノイズ』を含んでいる。……意図的だ。私の家族を護るためのシステムが、今は私を封じ込めるために機能している」
「ああ。……それに、さっきからすれ違う連中。全員が同じ『香水の匂い』がする。いや、これは香水じゃないな」
俺は鼻をひくつかせ、空気に混じった微かな異臭を嗅ぎ取った。
それは、十年前の事故現場で嗅いだものと同じ──「異能抑制剤」の霧状ガスだ。
ごく微量だが、常時この濃度で充満していれば、並の異能者はまともに力を振るうことすらできない。
「颯様、こちらです」
辿り着いたのは、巨大な木製の扉の前だった。
扉が開くと、そこには広大な書斎が広がっていた。壁一面の本棚、そして中央の巨大なデスク。
背中を向けて椅子に座っている一人の男。彼が、この世界の異能産業の頂点に君臨する男──神代源三郎だ。
「……来たか。颯」
重厚な声。椅子がゆっくりと回転し、厳格な顔立ちの初老の男が姿を現した。
神代は緊張で肩を震わせながらも、凛とした態度で一歩前へ出た。
「父上、失礼を承知で伺います。パンドラの侵入者がこの島に潜伏しているという確実な手がかりがあります。……捜査への協力をお願いしたい」
「協力? 颯、お前はまだそんな小さなことを言っているのか」
源三郎は、慈しむような、しかし底冷えするような笑みを浮かべた。
「パンドラは敵ではない。彼らは、我が神代家が目指す『完璧なる管理社会』を実現するための、協力者だよ」
「……何だと……!?」
「異能とはバグではない。それは神が与えた『資源』だ。資源は独占し、加工し、適切に分配してこそ価値がある。……颯、お前を訓練し、調整したのも、すべてはこの日のためだ」
源三郎がデスクの上のボタンを押した。
突如、書斎の壁が左右にスライドし、そこには無数のモニターと、その先に広がる「地下への巨大な穴」が映し出された。
4. 深淵の覗き窓
「見なさい。これが、神代グループがパンドラと共に作り上げた『
モニターには、地下数百メートルの巨大な空洞で、何千人もの人々がポッドに繋がれている光景が映し出されていた。
彼らの「夢」と「脳のエネルギー」を抽出し、一つの巨大な「仮想異能ネットワーク」を構築しようとする狂気の実験。
「……父上、正気ですか!? これは、人道に反する暴挙だ!」
「人道? そんな言葉は、力なき者が自分を守るために作った虚像に過ぎない。……颯、お前も『こちら側』へ来い。お前の酸素操作をコアにすれば、このネットワークは完成する」
源三郎の合図と共に、書斎の周囲から十数人の「強化異能兵」が現れた。
彼らの装備には、神代家のロゴと、パンドラのシンボルマークが刻まれている。
「灰谷……逃げろ」
神代が低く言った。
「私の家族は……もう、狂っている。貴様だけでも凛華と合流して、久我山さんに伝えてくれ」
「断るよ、お坊ちゃん」
俺はポケットから、ヘリに乗る前にコンビニで買った「ミントタブレット」を数粒、口に放り込んだ。
刺激的な清涼感が、抑制ガスのせいで鈍っていた脳を無理やり覚醒させる。
「俺は日当十倍の約束でここに来たんだ。……まだ一円も受け取ってないのに、帰れるわけないだろ」
俺の「眼」が、書斎の床に張り巡らされた「微細な配線」のパターンを解析する。
敵は多勢。環境は最悪。能力は抑制されている。
だが──完璧に設計されたシステムであればあるほど、一度「バグ」が発生すれば、その崩壊は一瞬だ。
「……神代、三秒後に、全力で真上のシャンデリアを撃て。能力が出ないなら、拳銃でもいい。……物理的な『光』を、こいつらの目に叩き込んでやる」
「……っ! ああ、了解だ、灰谷!」
黄金の書斎で、俺たちは初めて「共通の敵」を見据えた。
それは、神代にとっては自らの血脈であり、俺にとっては復讐の黒幕へと続く、最初の扉だった。
「……チェックメイトは、もう少し後にとっておいてやるよ。クソ親父さん」
俺が指を鳴らした瞬間、完璧な静寂に包まれていた神代島に、初めて「不協和音」が響き渡った。
(続く)