下宿の2階に住む男
商業都市コリントは海のほとりにあり、交易による繁栄と、限度を知らない快楽の追求で名を馳せている。海を通って運ばれる荷はほぼ例外なくこの町の港で下ろされ、商人たちが馬車で引かせる大量の荷車に積み替えられ周辺都市に運ばれていくのだ。
一方で、町の一角には名物の娼館が立ち並ぶ。ため、王国各地からそれを目当てにした男たちが引き寄せられてくることでも有名だ。
とはいえ治安はそれほど悪くない。町には王立軍の駐屯地があり、反乱や蜂起が起これば、立ちどころに鎮圧されるからだ。
──申し遅れた。俺の名はセヴルス。剣士だ。
歳は二十六。
ついこの間まで王立軍の兵士を務めていたが、思うところがあって除隊し、今は剣士としてこの町で身を立てようとしている。
安定した給料が得られる軍隊をなぜ辞めて、わざわざ不安定な民間剣士に転身したかって?
その理由の一つは、俺が剣を愛するからだ。軍隊勤めというのはいつも剣を振っているばかりではない。兵士は訓練や戦闘以外にも、さまざまな退屈な任務に駆り出される。祭りの日に暴動が起きないよう目を光らせる歩哨警備。単調極まりない土木工事。部下ができようものなら、その行動や練度の具合をいちいち監視し記録することも課せられる。俺は身軽になって、剣一筋で生きていきたいと願っていた。それが軍を辞めた理由だ。
とはいえ、なりたての剣士というのはすぐ仕事にありつけるわけではない。
俺は軍時代に溜めた貯金を食いつぶしながら、安下宿を拠点に情報を収集し始めた。この町の周囲には古代遺跡が多数残されていて、その遺跡の内部にある遺物や宝物の回収に対し、裕福な好事家が法外な対価を支払ってくれることがある。俺が真っ先に当て込んだのはその種の仕事だった。
なぜそんな単純な仕事に高額な報酬が支払われるのか?理由は簡単だ。そういった遺跡には多くの場合、ゴブリン、オーク、ワーウルフ、あるいはグールといった魔物たちが巣食っている。武装もせず踏み入ったら五分でお陀仏だ。
俺は以前、軍の四人小隊が非番の日に遊び半分でそういった遺跡に入ったという話を聞いたことがあった。彼らのうち二人は死に、ひとりは発狂し、五体満足に帰ってきたのはひとりだけだった。なるほど、危険なわけだ。
---だが、だからこそ報酬も大きい。
とはいえ、こういった仕事は、酒場の女給の募集のように常に町の掲示板に張り出されているわけではない。俺が軍を辞めたのは折あしく遺跡探索ブームがひと段落した後だった。かといって身辺警護というのも、実績のないどこの馬の骨とも知れない剣士に依頼しようという依頼主はなかなかいるものでもない。
そんなわけで、俺は目減りしていく貯金を睨みながら、心に密かな焦りを抱えていた。剣一本で生きていくなんて返す返すも無茶な決心をしたものだ。
やっぱり兵隊課業に戻ろうか.....。そんなことを考え始めたある日のことだった。
「おや、あんた、剣士かい。じゃあ頼まれて欲しいんじゃがなぁ」
酒場で出会ったデメトリウスという銀細工職人がそう言った。
「廃墟になったアルテミス神殿があるじゃろ。あの丘の裏にのぉ。あの中に儂のひい爺さんが造った女神像があるんじゃよ。大量の銀が使われていてな。あれが回収できりゃあ大した金になるんじゃ。あんたの取り分は...そうじゃな。五分の一でどうじゃ?」
俺は詳しく話を聞いた。その女神像というのは今からは想像もつかないような景気のいい時代に制作されたもので、使われた銀の値段だけでも豪邸を一軒買えるほどだという。
俺は乗ることにした。まず、その職人に対してこの話は他の者たちには持っていかないと確約させたうえで、仲間を集めて出撃準備が整ったら知らせると言っておいた。
下宿に帰った俺は早速策を練った。いくら剣に自信がある俺でも、さすがにひとりで突っ込んでいくほど無謀ではない。パーティを組まなければ。
俺はまず、軍隊の同期に声をかけた。非番の日のアルバイトとしては実に身入りのいい仕事だと持ち掛けた。だが、彼らは皆一様に首を横に振った。軍の規律上、軍務以外で戦うことは建前上禁止だ。それを破ってまで冒険しようという奇特な者はいなかった。
困り果てた俺が下宿で腕組みしながら唸っていると、風が吹いているのか窓がガタガタ揺れる音が聞こえてきた。
だが顔を上げ、窓の外の木を見ると、枝どころか葉も揺れていない。騒音は二階から聞こえてくる。不思議に思った俺は自分の部屋から出て、階段を上った。二階の廊下を歩いていくと、ひとつの部屋の扉がガタガタと揺れている。
あの部屋は、確か『ミレニウス』とか呼ばれている冴えない男の部屋だ。
彼がなぜそんな名で呼ばれているのかは知らない。俺は彼の本名も知らなかった。彼は四十手前の中肉中背の男で、ザンバラ髪に無精ひげ、いつも気だるそうな顔をしている。何を稼業にしているのかも不明だ。
その彼の部屋の扉が、突風でも吹いているかのように揺れている。俺は首を傾げた。それと同時に、軽い好奇心を感じた。今はまだ酒を飲んでパーティ騒ぎをする時間ではない。あるいはあの『ミレニウス』は地味な外見とは裏腹に、舞踊の練習でもしているのだろうか?
だが俺は肩をすくめると引き返そうとして踵を返した。その瞬間、扉の揺れが止んだ。そしてガチャリと扉が開き、男が出てきた。フウと溜め息をつき、額の汗を拭いている。上半身が裸だ。俺はその体つきに目を奪われた。鍛え抜いたといったレベルではない。筋骨隆々というのも違う。逞しく、それでいて俊敏そうで、無駄な肉がまるでついていない、野生動物のような身体だ。
彼は顔を上げた。俺と目が合った。
「....うるさかったかい、兄さん。悪ぃ悪ぃ。もう終わったよ」
彼はボソっと言った。そして歩き出すと、俺とすれ違って浴場のほうに歩いていった。
俺はいたく好奇心をそそられた。あの男は何者なのだろう?俺は、悪いこととは知りながら、彼の出て行った部屋の扉にそっと手をかけて開け、中を覗き込んでしまった。
殺風景な部屋だ。荷物もほとんどない。だがその中で、床に置かれた一振りの剣が目を引いた。俺は頭の中で鐘が鳴るような思いがした。
俺は思わず部屋の中に滑り込むと、その剣を手にとって鞘から抜いてみた。質素な造りの剣だが、ズッシリとしていて良い鉄を使っていることがわかる。刀身を確かめてみる。よく研がれている。しかも、何度も何度も刃こぼれした後に研がれた形跡が見て取れた。
俺は心臓が高鳴るのを感じた。間違いない。あいつは引退剣士だろう。それもかなりの腕利きと見える。
その瞬間、閉じておいた扉が開いた。そしてあの男が入ってきた。
「あっ............いやっ.............」
俺は顔面蒼白になり、次に赤面しながら必死で言い訳を探そうとした。これ以上バツの悪い思いは生涯したことがなかった。ところが、男は平静な表情で、眉一つ動かさないままこう言った。
「泥棒するつもりなら当てが外れたろ。俺ぁ一文なしだよ。さ、帰りな」
「あっ............いやっ............すいません....違うんです.....」
俺はしどろもどろになりながらも自己紹介した。そして、ダンジョン探索に同行してくれる仲間を探している旨を必死になって説明した。信用してくれるかどうか自信はなかったが。
「ダンジョン?........ダンジョンねえ...........」
男は気だるそうに言ったあと考え込むように黙り込んだ。
「あの...お見受けしたところ....あなたは剣士でしょう?俺も剣をやってるからわかるんです。あなたはかなりの腕前だと。どうでしょう。儲けは山分けということで構いません。一緒に行きませんか?」
俺は熱心にかきくどいた。だが男はまた溜め息をつく。乗り気ではないようだ。だが、俺の推測は確信に変わった。少なくとも、自らが剣士であること、それも熟練の剣士であることを、この男は否定していない。
「まあ....やってもいいけど....後でいろいろ面倒ごとにならないといいんだがなぁ....」
『ミレニウス』はそう呟いた。だがここまで言質を取れば俺には十分だ。俺はなかば強引に彼を仲間に加える旨宣言し、詳細はのちのち打ち合わせると伝えたうえでその場を後にした。
だが俺はその時はまだ知らなかった。この男が実はとんでもない男であったということを。そして探索しようとしていた遺跡もまた、想像を絶するほどのものを秘めたとんでもない場所だったということを。