「セヴルス....子供たちだけ頼むわ。あとは俺がやる」
ミレニウスはカエルス少年から剣を取り上げ、俺の傍らに立つと言った。
俺は目が点のようになってしまったのを感じた。そして改めて周囲を見回した。
重装備の兵士たちが百人以上。これをどうやって『やる』というのか?
最初に出てきた三人の兵士たちの背後にも次々と新手が進み出てきた。
たちまち二重、三重の包囲網が形成された。全員が甲冑を着て兜を被っている。俺たちよりはるかに重装だ。
隊長が叫ぶ。
「囲め!娘を確保しろ!」
リラ嬢は怯えた表情で辺りを見回した。健気なことに、カエルス少年はリラ嬢を庇うよう立って、腰に提げてきていたあの模造剣を抜いた。
俺は喉が乾くのを感じながら、ミレニウスに囁いた。
「……どうするつもりなんだ?百人以上だぞ。俺たちじゃ――」
ミレニウスは俺を遮って言った。
「あ~....慣れてるから、俺。こうゆうの」
俺は完全に言葉を失った。
慣れてる?ひとり対百人の戦いに?
ミレニウスが進み出るのと同時に、俺は半歩下がってカエルス少年とリラ嬢の前に立った。
その途端に兵士たちが気合いの声を発して斬りかかってきた。
ミレニウスはわずかに首をすくめて手近の敵から一撃を躱すと、剣を立て別の兵士の斬撃を受けた。だがもう一人が突きを放つ。それがミレニウスの腹に刺さった。
俺は声を上げた。
だが、次の瞬間ミレニウスは怯む様子もなく自分の剣を振った。まるで、自分のサインを証書に書きつける商人のような手つきだった。
三人の兵士が、よろめいて後ろに退いた。
見ると、全員がその利き手の手首から先がスッパリと切断されている。
ミレニウスは自分の腹に刺さった剣を抜くと、左手にそれを持って呟いた。
「....久しぶりだなぁ両手持ちは。忘れてねぇといいんだが」
一瞬たじろいだ残りの兵たちが、気を取り直すように剣を構えた。新たに形成された包囲網がジリジリと狭まる。
ミレニウスは腹から血を流していた。だがまったく平然とした顔をしている。
一体....こいつは何者なのだ?
再び気合いの声が上がった。今度は四名が左右二名づつに分かれて斬りかかってくる。
だがミレニウスは相手に目もやらず、それどころか目の焦点も合わせないまま両手の剣を振った。
金属と金属が衝突する音。
ミレニウスの片方づつの手に握られた剣が独立した生き物のように動き、相手の剣を逸らす。
刃が空気を切り裂く唸りが聞こえる。その途端に悲鳴が上がった。四人ともが、左手で右手を押さえながら剣を取り落とした。
「おい、右手使えねぇ奴は早く下がれよ。剣が当たっちまうかも知れねぇからな」
ミレニウスは刃から血の滴る剣を両手にぶら下げるように持ちながら言った。まるで足場の組み方を弟子に指示する大工のような平静な口調だった。
周囲の兵士たちがざわめいた。何人かは驚愕の表情で仲間たちと顔を見合わせている。
「ひ.....怯むな!こいつはただの一人だ!押し潰せ!」
隊長が叫ぶ。だが、兵士たちは明らかに攻めあぐねていた。
俺は息を呑んだまま、ミレニウスの背中を見つめていた。
包囲網が再び狭まる。今度は六人。三人と三人の挟み撃ちだ。
「同時に行け!反撃の暇を与えるな!」
隊長が再び怒鳴った。それを聞いたミレニウスは顔を上げた。
「いいのか?そのほうがこっちぁ楽なんだけどな」
前に出た兵士たちが怯えた顔で互いに目を合わせた。だが、彼らは決心したように頷き合うと、雄たけびを上げながら剣を振り上げてミレニウスに突進した。
だがミレニウスの身体が沈んだ。そして円を描くように回転する。
ヴン...と音がした。風圧が生じて、空気が吹きつけてくるのを感じた。
背後に迫っていた建物からの煙が吹き散らされる。それが収まった頃、俺は目を上げた。
六人の兵たちが悲鳴を上げて後じさりし、座り込んだ。見ると、全員が膝や太腿に深手を負って血を流している。
残った兵士たちの間から怯えた声が上がった。
「に....人間じゃねぇ...魔物だ!」
「腹刺されてるのに平気な顔しやがって...」
「こ...こんな奴に勝てるかよ!」
だが隊長は部下たちを見渡すと再び号令を上げた。
「貴様らゴルギアスさまの顔に泥を塗るつもりか!.....怯むなと言っておる!」
その名前を聞いた瞬間、兵士たちが目を見開き、一瞬だが、士気が上がったような表情になった。五名ほどが剣を振り上げてにじり寄ってきた。
だが、今度はミレニウスのほうから動いた。
五人の真ん中に無造作に歩み寄る。驚いた相手が武器を振り上げた瞬間、剣の先でチョンと突いた。剣先が目に入ったのか、兵士は叫び声を上げてよろめいた。
その時には既に、ミレニウスは右手にいた二人に向き直っていた。
同時に斬りかかられた二本の剣をいとも簡単に弾き飛ばす。気がついたときには、その二人ともが肩口の傷から血を噴出させながら崩れ落ちていた。
ミレニウスが残りの二人に向き直る。そいつらが退こうか進もうか迷っている間にミレニウスが左右の手に持った剣を同時に投げつけた。
飛んで行った剣は、二人の兵士の太ももに深く突き刺さった。たちまち悲鳴が上がり、倒れた兵士たちが苦痛にのたうち回る。
「おいおい...そんなビビんなよ。俺だって好きでやってるわけじゃねぇんだからよ」
ミレニウスは足元に倒れる兵士たちから剣を取り上げて両手に持つと、遠巻きに取り囲んでいた敵を眺めながら気だるそうな口調で呟いた。
「弓兵!前に出ろ!」
すると隊長の号令とともに、兵士たちの隊列が二つに割れて、クロスボウを携えた弓兵たちが出てきた。その数、十名以上だ。
「射殺せ!射殺せ!」
弓兵たちが武器を構えて狙いをつけた。ミレニウスは肩越しに振り返って俺たちの位置を確かめると言った。
「伏せてろ。流れ弾が来るぞ」
俺は慌ててカエルス少年とリラ嬢を伏せさせた。だが背後の建物はもはや表のほうまで火の手が近づいている。庇からは火の粉や細かな燃え差しが飛んでくる。俺は二人の子どもを庇うように覆い被さった。
矢が発射される音が立て続けに聞こえた。
もうもうと煙を上げる戸口に矢が次々と刺さる。顔を上げると、ミレニウスは剣を両手に提げたまま突っ立っている。
だが俺は見てしまった。
矢が貫通して、その背中から突き出している。
「ミレニウス!」
俺は思わず叫んだ。
いくら何でも。これではどんなタフな男でも生きてはいられない。
だが信じられないことは続いた。
「あ~....大丈夫大丈夫。これくらいなんとかなる」
ミレニウスは振り返りもせずにそう言うと、弓兵たちのほうに歩み寄っていった。
「な......矢を受けても死なないって...?」
「ば......化け物だ!逃げろ!」
兵士たちの間から声が聞こえた。
「じ....次弾装填!」
隊長が慌てて叫ぶ声が聞こえた。だが、その頃にはミレニウスは敵との距離を詰めていた。
「ちょっとゴメンよ」
彼はそう呟くと両手の剣を振った。
深手を受けた弓兵たちが悲鳴を上げて崩れ落ちる。それは、まるで大人対子どものような一方的な戦いだった。ミレニウスが剣を振るたび、痛みに耐えかねたような叫び声が響き渡る。
たった数秒のうちに弓兵たちが全員倒れた。周囲の兵士たちは剣を構えながらも次第に後退し始めた。
「こんなもんかな。セヴルス...そろそろ行こうぜ」
ミレニウスは俺に声をかけた。俺は目の前にある光景が現実なのか夢なのかもよく分からなくなってしまいながら、ヨロヨロと立ち上がった。
カエルス少年とリラ嬢も、信じがたいといった表情で目を丸くしている。
「に....逃がすな!逃がすな!」
倒れた弓兵たちから遠ざかろうとするかのように後じさりしながらも隊長が叫ぶ。
だがミレニウスは短く溜め息をつくと右手に持った剣を振り上げて、軽く投げた。
放物線を描いた剣が、切っ先を下にしてストンと落ちた。それは、隊長の片足の甲の上だった。
隊長はこの世の終わりかというような絶叫を上げると、涙声を漏らしながら座り込んだ。
他の兵士たちは完全に戦意を失っているのがわかった。
俺は二人の子供たちに目配せをするとミレニウスのほうに歩み寄った。周囲には、戦闘不能になった兵士たちが累々と横たわり、呻き声を上げている。
「どいたどいた。道を開けてくれ」
ミレニウスは祭りの日に人込みを掻き分けるときのような何気ない声を上げた。
すると、恐怖が伝染していくのが見えるようだった。黒い甲冑の列が、波のようにざわついたかと思うと、波が引くように退いていく。
「そうだ....だが俺の仲間に手を出した奴は....容赦しねぇからな」
ミレニウスは周囲の兵士たちを一瞥しながら付け加えた。
「そん時ぁ手加減なしだ。特に子供に手を出した奴はな」
周囲の兵士たちの何人かはそれを聞いて悲鳴に近い声を上げた。もはや誰も剣を構えてさえいない。
火の手は既に屋敷全体を包み始めていた。火柱が日の暮れた空を染め、メラメラと木が燃える音が響き渡る。梁が燃え落ちる音や、瓦が砕け散る音も聞こえてきた。
俺たちはセレウコス邸の正門から外に出た。そしてミレニウスに導かれるままに街路を歩いていった。
* * * * * * * * * * * * * *
「なあリラ。落ち着いて聞くんだ」
ミレニウスは歩きながら剣を血払いし、鞘に納めた。
夜の街区には、いつもの静けさは微塵もない。
遠くから軍隊の鬨の声が上がっている。あちこちの家から荷物を抱えた町民たちが飛び出し、できるだけ騒ぎの少ない場所を目指して小走りに避難し始めていた。
「お前の養父なんだけどな..........」
ミレニウスは躊躇いながら続けた。リラ嬢とカエルス少年は、彼の横を歩きながらも、その腹の傷から流れる血と胸に突き刺さった矢を茫然と眺めている。
「お前の養父.........実はな.......」
「死んだ.....んでしょ?うち、なんとなくわかってた」
リラ嬢が呟いた。その目には涙が溜まっている。ミレニウスは、『しまった』というような狼狽した顔でリラ嬢を見た。そして言葉を探すように口を開きかけて、また閉じた。何度かその喉が動いた。
「……あー……その……だな……」
するとリラ嬢は涙をこぼしながら、それでも前を向いた。
「……パパ、最近ずっと怯えてたわ。誰かに見張られてるみたいに。夜も眠れないみたいだったし……うち、気づいてたよ。あのままじゃ……長くないって」
ミレニウスは眉を寄せた。
「……そうか。気づいてたか」
リラは小さく頷いた。
「うん。でも……死んだって聞くと……やっぱり……」
声が震え、言葉が途切れた。カエルス少年が歩きながらそっとリラの手を握った。
ミレニウスはしばらく黙っていたが、やがて深く息を吐いた。
「悪かったな。本当は、もっとちゃんと...」
リラは涙を拭いながら、ミレニウスを見上げた。
「おじさんのせいじゃないよ」
ミレニウスは視線をそらし、夜空を見上げた。
「あいつは……最後まで、お前のことを心配してたよ。リラを頼むって。俺にそれだけ言って...」
「わかった。ありがと」
それを聞いたリラは小さな声で言った。
俺はミレニウスがついた嘘を、あえて聞かなかったフリをすることにした。養父が王家の秘密を握るため自分を養子にしたなんてことは、リラ嬢は知らなくていいのだ。
その時、前方から行進の音が聞こえてきた。甲冑の金属が触れ合う音と、異様に規則正しい足音だ。
目を上げると、街路の向こうから兵士たちが列を組んで行進してくる。
その先頭には騎上の将校がいた。馬を並足で進ませている。
「やべっ....よりによってあいつかよ」
ミレニウスはそう声を上げると顔をしかめて立ち止まった。
兵士たちは王立軍だ。しかもすぐわかった。王家直属部隊。
そしてその先頭にいるのはコルネリウスだ。
俺の中で逃走本能が跳ねるように動いた。だが、街路は一直線。引き返したら、ゴルギアスの手下どものところに戻ってしまう。そうこうしているうちに、兵士たちの群れはすぐそこまで接近してきた。
「停まれ!」
コルネリウスはこちらの姿を認めると、号令をかけた。すると彼の背後にいた百人隊長が叫んだ。
「....もしや貴様ら!」
「あ....あぁ。その節はどうも....」
ミレニウスはそう言って頭を下げた。
「捕まえろ!今度こそ逃がすな!」
百人隊長が号令をかける。だがすぐにコルネリウスが手を上げた。こちらに突進しかけていた兵士たちが動きを止めた。
「ミレニウス.....」
コルネリウスの馬が逸ったように嘶きを上げる。彼は馬をなだめながら、ミレニウスを見下ろして問いかけた。
「南方帝国からの刺客たちを制圧したのは君だな?」
「え...?あ。まぁ」
問われたミレニウスは曖昧に答えた。コルネリウスは続けた。
「礼を言おう。そのお陰で貴族派の一斉蜂起をいち早く察知することができた。そして....そこにいるリラ嬢が『全ての鍵』だということもな」
それを聞いたリラ嬢が当惑した顔で俺たちを見た。だがミレニウスは話題を変えるように言った。
「あ~...。あれかぁ。昔ながらの鞭打ちで吐かせたんだな」
「ねぇ...どういうこと?うちが『全ての鍵』って..?」
リラ嬢が震えた声で問うた。だがミレニウスはそれには答えなかった。
「正直...俺もあれだけは勘弁だわ。キッツイからなぁ」
「そこでだ......ミレニウス」
コルネリウスは表情を変えずに言葉を継ぎ、こちらを見据えた。
「今がどのようなときか....君は知っているな?」
「....あぁ。まぁね....結構ヤバいって聞いてるよ」
ミレニウスは言った。すると千人隊長はこちらを指さした。
「ミレニウス。わが方に立って戦え。王が倒れ、いま王国は危機に瀕している。王の血を絶やし謀反もて王位を奪おうとする陰謀を許してはならない」
コルネリウスは馬の手綱をもう一度引き締めながら言葉を継いだ。
「...それは長きにわたる禍根と流血につながる。君ならわかるだろう」
「あぁ........。せっかくだけど俺さぁ」
ミレニウスは溜め息をついて気だるげに答えた。
「遠慮するわ.....もうそうゆうの疲れちまったんでね...」
すると百人隊長が怒鳴った。
「貴様、それでも王国市民なのか!」
だがコルネリウスは百人隊長に一瞥を送って黙らせると、続けた。
「ならばミレニウス。君に命ずる。リラ嬢を守れ。絶対に奴らに渡すな。いいな?」
「『命ずる』.......ねぇ」
ミレニウスは苦い顔をして肩をすくめた。
「ま...言われなくてもそうするつもりだったしな。いいぜ。約束する...ただし」
彼は人差し指を立て、続けた。
「王国のためなんかじゃねぇ。俺は守りたい奴を守る。ただそれだけだ」
「それで十分だ」
コルネリウスはそれだけ言うと、隊列に号令をかけた。たちまち兵士たちが前進し始める。
俺たちは慌てて街路の端に寄り、道を開けた。兵士たちはもはやこちらには目もくれず、よく整った歩調で小走りに進んでいく。
やがて兵士たちの列が遠くに去っていくと、ミレニウスはボソっと呟いた。
「よくもまぁあんなマジになれるよな....」
彼は去っていく兵士たちの背中を一瞥しながら続けた。
「.....せいぜい国の寿命なんて千年ぽっちだろうによ」