「ちょっとちょっとセヴルス!どこ行くのよ!」
下宿を飛び出した俺に声をかけてくる者があった。振り向くと、少女が腰に手を当てて俺を睨んでいる。
俺は聞こえないように舌打ちをして、溜め息をついた。
「逃げるつもり?うちに剣術を教えてくれるって約束はどうなったの?まさかすっぽかすつもり?」
「リラお嬢さま......ちょっと.......今は都合が悪いんですよ。勘弁してもらえませんかね?」
詰め寄られた俺は困り果てた顔で言った。だが相手はズイっと近寄ってくると俺の腕を掴んだ。
「そうやって忙しいフリをしたって騙されないわよ。プータローのあんたのどこが忙しいっていうの?どうせ賭場か売春宿に行くつもりなんでしょ?」
彼女はリラ。この辺りではよく知られた裕福な商人セレウコスの養女で、現在十三歳。ただ、名うてのお転婆で知られていて周囲の者の手を焼かせている。
彼女の父はまた、俺の下宿の地主でもあった。それで、俺が軍を辞めて暇を持て余していることを知った彼女は、『剣術を教えろ』と連日のように押しかけてくるようになったのだ。
それに、彼女が主張するに、自分には魔法使いの血が流れているとかで、しかもいつか冒険者になることが夢だとのたまっている。これについて、養父セレウコスは心配して娘を窘めるのかと思いきや、「子供のうちは夢を追えばいい」と笑って相手にしていない。さすが、金持ちというのは余裕があるものだ、と俺などは感心してしまう。
「いや、それがあいにく、剣士の仕事が舞い込んできたんですよ。俺もこれを逃すと食い詰まることになっちまうんでしてね。じゃ、失礼しますよ」
そうあしらって立ち去ろうとしたら、彼女はたちまち好奇心を剝き出しにして食いついてきた。
「剣士の仕事?じゃあダンジョンに行くの?」
「そ.....そうですよ。戻ってきたら報告しますから。じゃあ........」
「どこのダンジョン?この近く?」
「ああ.....アルテミス神殿の跡地ですよ。丘の裏にある.........」
「じゃあうちも連れてって!」
それを聞いた俺は呆れ果て絶句してしまった。
「連れてく........って。無茶言わないでくださいよ。まさかダンジョンに子供を連れてくなんて.......」
「連れてきなさい。命令だから。嫌だっていうなら、パパに頼んであんたを下宿から追い出してもらうから」
「そんな無茶苦茶な!」
彼女が言い張るのを聞いて俺は悲鳴を上げた。金持ちというのは、皆さんご承知かも知れないが自分の権力を嵩にきてとんでもないことを要求してくることがある。
「だいたい、お嬢様はどうして冒険にこだわるんです?家にお金があるんだから、劇を見たり船に乗ったり、いくらでも娯楽があるじゃないですか」
「だって......うち、本当はあの家の子じゃないもの。うちは本当は魔法使いの娘だもん」
彼女はやや俯いてそう言った。だが俺は思った。また始まった。十三歳の娘の出生の秘密とか、俺にとっては本当にどうでもいい話なのに、話題がここに差し掛かると軽く十五分は消費させられる。
「うち知ってるんだ。うちの本当のお父さんは魔法使いだったんだ。だけど.....だけどお父さんは冒険中に行方不明になっちゃったの。だから、うち........冒険者になってお父さんを探すの。そのためには強くならなきゃ」
俺はまた溜め息をついた。ともかくこの場から逃れたい。
「お嬢様。気持ちは分かりますけどね。ダンジョンってのは遊びじゃないんですよ。魔物が出るんです。噛まれたら死ぬんです。分かります?」
「分かってるわよ。でも、うち魔法が使えるんだもん」
リラはそう言うと、人差し指を立てて俺に突き付けた。
その指先にぼんやりとした光が宿る。数秒後、ほんの一瞬だが、そこから炎のようなものが立ち昇り、そしてすぐに消えた。
「アチチチ........!」
彼女は悲鳴を上げると、泣きそうな顔になりながら慌てて右手を振り、人差し指をもう片方の手で押さえた。俺はそれを見ながら脱力した。そして言った。
「気の毒ですけどお嬢様.....それは『魔法を使える』うちには入りませんよ。お嬢様は魔力体質なのかも知れないけど........」
「だから剣術を覚えるって言ってるじゃない。なのにあんたがいつまでたっても教えてくれないのが悪いんでしょ!」
リラは目を上げると俺を睨んだ。なぜかいつの間にか俺が悪いことになっているらしい。
すると、下宿の扉が開いた。中から男が出てくる。
ミレニウスだった。彼は俺に気づくと声をかけてきた。
「ええっと.......きみ.....セリウスじゃなくって.........」
「セヴルスです!」
俺はそう言いながらちょっと落胆した。名前も憶えてもらえていないということは、彼にとって俺は印象が薄かったらしい。あるいはまだコソ泥疑惑が晴れていないのかも知れない。
「......あぁ......セヴルスくんか。俺、ちょっと武器屋行ってくるから」
彼はそう言った。腰を見ると、例の剣を下げている。俺はそれを見て、途端に期待に胸が膨らんだ。俺のオファーを受けてくれるつもりなのだ。彼は道を行きかけながらこう付け加えた。
「あと....忠告だ。最低でもあと一人、できれば二人集めたほうがいいぜ」
「ねえ、おじさんもダンジョンに行くの?」
リラはそうミレニウスに話しかけた。問われたミレニウスは立ち止まってやや驚いた顔をした後、答えた。
「あ.....あぁ。そうだが.....」
「じゃあ、うちがもう一人連れてくればパーティー完成じゃない。そうしましょ?」
「は.......はぁぁぁぁぁ?」
彼女の提案を聞いて俺は口を開けてしまった。話がどんどんおかしな方向に転がってしまっている。
「うちの家庭教師の長男、まだ十五だけど、剣術やってるの。うちが声かけたら絶対嫌とは言わないし。ていうか言わせないけどね。ウシシ.......。で、これで四人でしょ?」
彼女は悪戯っぽく笑うと片手を上げ、親指を折り曲げた。だが俺は彼女の身長に合わせて身を屈めると説き聞かせた。
「あのですねぇお嬢様。冒険者のパーティは遊びのパーティっていう意味じゃないんですぅ。子供を二人も連れていくなんて聞いたこともないですよ。だいいちそれで誰か怪我でもしたら、俺は下宿を追い出されるだけじゃ済まなくなるじゃないですか!」
「ダメ。あんたに拒否権ないから。じゃ、明日の朝九時に出発ね」
リラは平然とそう言い放つと、踵を返して去っていった。俺とミレニウスが後に残された。
彼は俺と同じように口をポカンと開けていたが、やがて言った。
「おい......あの娘は一体....何者だ.......?」
「下宿のオーナーの娘です。すいませんミレニウスさん........機嫌を損ねると追い出されかねないので」
俺が謝罪すると、彼はしばらく考え事をしている様子だった。俺は再び口を開くと提案した。
「ま...まぁその......なんですね。この場ではああ言いましたけど、彼女に内緒でもう一度パーティ組みなおしましょうよ。それで探索が成功したら、もっといい下宿に移ることもできるし........」
だがミレニウスはボソっと言った。
「ま.......いいんじゃないの?」
「え.......?」
俺は耳を疑った。
「剣が使えるのが二人。あと、目と耳がプラスで四つあれば、危険は察知できるからな.......。ヤバけりゃ途中で帰ればいい。そうすりゃあの金持ちのお嬢さんも満足するだろ」
「は......はい」
俺は半信半疑で生返事をした。そうしてミレニウスは立ち去り武器屋に向かった。俺はしばし茫然としていたが、我に返ると銀細工師の工房に向かい、依頼主のデメトリウスに明日出撃の旨を伝えた。
こうして俺の剣士としての初仕事は、その出発の時点から、想定していたよりだいぶ面倒なものになってしまった。だが、実際には、これよりさらに面倒なものへと発展していくのだったが。