カエルス少年とリラ嬢が修道女たちの手を縛った縄を断ち切っている間、俺とミレニウスは敵の死体を道の脇に押しやって片付けた。それでも、修道院の前庭と町への坂道はそこらじゅうが血だらけになっていた。
「ルクレア...大丈夫か?」
ミレニウスは修道女たちの群れに近づくと声をかけた。
すると、ルクレアが顔を上げた。憔悴の跡はあったが、思ったよりもずっと気丈そうな表情だった。
「わたくしは大丈夫です。剣士さま」
「それにしても...奴らなんでわざわざ修道院を?金目の物目当てか?」
俺は不思議に思って呟いた。
「いや、宗教絡みだろ、おそらく」
ミレニウスは剣を布で丹念に拭いながら答えた。
「南方帝国の制式宗教はいわば『C教』のパクリだからな。そうすると奴らにしてみりゃ『C教』の信者が一番邪魔だってことになる。憎むのも当然っちゃあ当然さ」
「パクリ....」
俺は当惑して彼を見た。
「ああ。パクリだ。ある男が『C教』に目を付けて自分流にアレンジし、信者を増やした。だが教義の矛盾を指摘されると激怒して相手をブっ殺していった。そうやって勢力を拡大したのさ」
「そ....それが....今では一大帝国?」
ミレニウスの答えに俺は目を白黒させた。
「もちろんその中でも現実主義者とか穏健派が権力を持つこともあるから一概には言えねえがな。....それはそうと、だ」
ミレニウスはルクレアの前にしゃがみ込んだ。
「ルクレア...悪ぃことは言わねぇ。この町を離れろ。東に逃げるんだ。もうじき戦さが始まる」
それを聞いたルクレアは少しの間相手を見つめていたが、やがて顔を伏せた。
「剣士さま...あなた様に命を救われるのはこれで二度目です。折角救って頂いた命なのに、あなた様の助言を無碍にするのは心苦しいです..。ですが....」
「おい、ミレニウス、あんたやっぱり人助けしてたんだな。やるじゃねぇか」
俺は横から彼の脇腹を突ついた。だがミレニウスは煩そうに手を振って俺を黙らせると言った。
「まさか、お前残るなんて言い出すんじゃねぇだろうな。戦争が始まる。人が大勢死ぬ。お前も狙われる。わかってんのか?」
「...それがわたくしの残る理由です」
ルクレアは小さな声だったがハッキリと答えた。
「わたくしに癒しの賜物がある以上、ここに残って傷ついた人々を癒すのはわたくしの務めです。それを捨てて逃げることは....わたくしにはできません、剣士さま」
するとミレニウスは白目を剥くと溜め息をついた。
「おいおいおい。お前やっぱわかってねぇだろ。お前さんが誰かを癒したって、また片っ端から殺されるんだぞ。んで、最後にはお前も殺される。それで終わりだ。そんなことやって一体何になるってんだ?」
「...申し訳ありません、剣士さま。それでも..わたくしは残ります」
「正気か?」
「...はい」
ルクレアは沈痛な表情で答えた。するとミレニウスは明らかに機嫌を損ねたようだった。
彼は黙り込むとルクレアに背を向け、剣を鞘に納めた。俺は思わず彼に近づいて声をかけた。
「なあ、ミレニウス。彼女も俺たちと一緒に来てもらったらどうだ?」
「ざけんな」
ミレニウスはあっさりと俺の提案を斬り捨てた。
「セヴルス、よく考えろ。俺たちはまずリラを守らなきゃなんねぇ。非戦闘員を何人も抱えて戦場をうろつくバカがどこにいる?」
「そ...それはそうだが...」
「うち、自分の身くらい自分で守れるよ。だってこれもあるし」
リラ嬢が腰の短剣に手をあてたが、ミレニウスは振り向きもせず言い捨てた。
「ガキは黙ぁってろ」
するとリラ嬢は驚き、そして不服そうな顔をしたが、何も言わなかった。
ミレニウスはそのまましばらく腕組みして口をつぐんでいたが、やがてカエルス少年が引いてきた馬の手綱を取ると坂を下り始めた。
「おい!せめて別れの挨拶くらい....」
俺は彼の背中に声をかけた。だがミレニウスは首を動かしさえしない。
俺たち三人は慌てて追いかけていった。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
「ねぇ...おじさん。おじさん、あのお姉さんのこと好きなんでしょ」
リラ嬢が歩きながらミレニウスの背中に声をかけた。だがミレニウスは反応せず歩き続ける。
「うち、見ててわかる。あのお姉さんも、おじさんのこと好きなんだなって。......ねえ、どうして一緒にならなかったの?」
リラ嬢の声など聞こえないかのように、ミレニウスは歩き続けていた。やがて坂道が終わり、俺たちは町に入っていった。
だが、まだ昼間だというのに人通りはない。商店も軒並みガランとしている。その棚は略奪にでも遭ったのか空っぽだ。
「おじさん、今からでも遅くないよ。あの人と一緒になって、幸せにしてあげればいいのに」
リラ嬢が呟く。だがミレニウスはそれでも返事をしなかった。
「おじさん、怖いんでしょ」
するとリラ嬢が言った。
「おじさん、きっと怖いんだ。一緒になったあとあの人がいなくなっちゃうのが。それはわかるよ。でも、二人で作った幸せな思い出は消えないよ。だからおじさん...」
「リラ...俺はなぁ」
そこへ来て初めてミレニウスが声を発した。
「俺は別に怖がってるわけじゃぁねぇ。誰かを失うことなんてもう百回以上やってるからな。だが.....」
彼はそう言うと、上を見上げた。その顔はようやくいつもの眠そうな顔に戻っていた。
「俺は...あいつ自身の誓いを大事にしてやりたいだけだ。あいつは、その『神』って奴に身を捧げる決心をしたんだ。それでいいじゃねぇか」
「そんなの建前だよ。本当は幸せになりたいに決まってるよ。うちにはわかるもん」
「建前でも何でもいい。俺は物事に手を突っ込んでゴチャゴチャにする気はねぇ。コルネリウスの奴が王家のために死ぬってぇなら、それでいい。ルクレアの奴が『神』とか『務め』に身を捧げるってなら、それでいい。それが俺のやり方だ」
「どうしてそんなに冷たいの?人の命はよく救うくせに」
リラ嬢が食い下がった。俺たちは街道を西に、神殿群の方角に向かっていた。
「別に救ってるつもりもねぇよ。よしんば救ったとしても、そのあと命をどうするかは本人の決めることだしな」
ミレニウスはそう言ったきり口をつぐんだ。俺たちはやがて町を出て、神殿の丘に近づいていった。
だが、ミレニウスは丘の裏手には回らず、ゴツゴツとした岩だらけの登り道を登って、丘の頂上を目指した。
三十分ほどもかけて頂上に着くと、俺たちはそこで宿営を立てた。薪を組んで焚火を熾し、リラ嬢とカエルス少年がパンを焼く。その頃には日が傾きかかっていた。
俺とミレニウスは運んできた装備を整理した。
予備の剣が数本。どれも年代物だが、手入れは行き届いている。俺の矢立てには矢がニ十本ほどある。俺は兜を被ると、弓の弦をもう一度点検した。
ミレニウスは馬の背から小さな樽を下ろすと、それを地面に置いた。紙を何枚か取り出すと、樽の中身をその上に空け始めた。樽の中身は黒い粉だ。
「なにやってるんだ?」
俺が何気なく尋ねると、彼は粉を紙に包みながら言った。
「まだ使えそうな粉が残ってたんだ」
ミレニウスは紙の包みをいくつか作ると、今度は陶器製の半球形の椀のようなものを二つ取り出し、その中に包みを入れ、その合わせ目を溶かした蝋でピッタリと密封した。
「爆弾って奴だ。遠く東の国の連中が使ってる武器さ。コケ脅し程度だが、役に立つこともある」
ミレニウスはその謎めいた球を二つ三つ拵えると、立ち上がって大きく伸びをした。
「パンが焼けました」
カエルス少年が言う。俺たちは配られたパンを食べ始めたが、ミレニウスは座らずにじっと西の方を眺めながらパンを齧っている。
俺も気になったので立ち上がり、彼の横に並んで眺めた。
丘の頂上からは、コルネリウスが言っていたテルモピュライの隘路がよく見えた。
眼を凝らすと、その隘路に王家直属部隊の兵士たちが集結していた。銀色に輝く鎧の色で判別できる。皆が皆、片手に長槍、もう片方の手に長方形の大盾を持っている。
だが、その先に視線を移したとき俺は息を呑んだ。
既に南方帝国軍が海岸に到達し、陣を築き始めている。
まるで産卵のため浜辺を覆う蟹の群れのごとく、兵たちが砂浜全体を覆っている。無数の天幕が立ち、あちこちで焚火の煙が上がっている。
それだけではなかった。沖合にいる船団から数限りないほどの小舟が行き来し、次から次へと小隊を上陸させていた。
いよいよだ。いよいよ始まるのだ。