夜が明けてから隘路のほうを眺めると、ちょうど王家軍も帝国軍もそれぞれに陣営を整えていたところだった。両者百メートルほど距離を置いてにらみ合っている。
すると、帝国軍の隊列からひときわ光り輝く金色の甲冑を着た武将が輿に乗って進み出てきた。
「将軍かな。もう一度降伏を勧めに行くんだろうか」
俺は呟いた。するとミレニウスは片手を額の上にかざして目を凝らしたあと呟いた。
「..........ん?あぁ、ありゃ南方皇帝本人だぜ」
「なっ....まじかよ!」
俺は思わず叫んだ。
「ああ。昔見たことがあるから間違いねぇ。わざわざ出張って来るたぁ随分な熱の入れようだな」
ミレニウスが言う。俺はもう一度眼下に目を凝らした。皇帝と思しき武将は王家軍の隊列に向かって何事か話している。
すると、突如として王家軍の兵士のひとりが何かを皇帝に向かって投げつけた。
その何かが皇帝の身体に当たると、皇帝は慌てふためいたようにそれを払い落とした。お付きの者たちが急いで手ぬぐいを取り出し、皇帝の甲冑を拭き始める。王家軍の隊列から笑い声が起こった。
「ったく。チンパンジーじゃあるめぇし...」
ミレニウスが苦笑した。どうやら王家軍の兵士は糞便か何かを皇帝に投げつけたらしい。
皇帝が引き下がると、帝国軍は突撃隊を組織し始めた。今度は昨日に比べて入念な様子だった。最前列では、長槍を携えた一番隊が気勢を上げる。その身のこなしは、明らかに他の兵士たちより鋭く、訓練が行き届いているのが見て取れた。
やがて帝国軍が突撃を開始した。同時に、王家軍からコルネリウスの怒号が響くと、瞬きの間に防御隊形が形成された。
ズシッ...ン....
激突の音が地響きのように伝わってくる。帝国軍の前列がやはり槍を喰らって崩れ落ちる。生き残りが王家軍の盾の隙間を狙って自分たちの槍をこじ入れようとしていたが、果たせないでいた。
王家軍の盾の守りが一瞬開き、内部から槍が突き出され、帝国軍兵士たちが倒れる。そして次の瞬間には何事もなかったかのように盾が合わせられる。
俺はいつしか瞬きも忘れて戦いを見守っていた。
帝国軍の槍兵たちはひたすら突撃を繰り返しては、倒れていく。だが、その後ろには数えきれないほどの新手が続いている。
「昨日の連中と動きが全然違うな」
俺は感想を漏らした。戦果が上がっていないのは昨日と同じだったが、動きに初心者特有の『怯え』からくる一瞬の戸惑いが全く見えない。
「もしかするとデヴシルメの連中かもな」
ミレニウスも立ち上がって眺めながら言った。
「デヴ?なんだそりゃ?」
俺が聞くと彼は言った。
「強制徴用兵...征服した異教徒の息子たちをさらってきて洗脳し訓練する。すると地方の部族主義とは無縁の、皇帝にのみ忠誠を誓う狂信者が出来上がるのさ」
俺は背筋が寒くなった。そんな連中を三百人で止めるのか。
その時だった。
「おい!見ろ!」
俺は思わず指をさして叫んだ。王家軍の隊列のうち槍を受けて倒れた者が出たのか、盾の壁の一角が崩れるのが見えた。
だが、それはほんの一瞬だった。王家軍の盾の守りは何事もなかったかのように閉じられた。形成し直された壁に、帝国軍の槍兵が再びぶつかっていく。
しばらくすると、また王家軍の隊列の一角が揺れ、崩れた。
それでも、王家軍は素早く盾の壁を形成し直す。そして次々と襲ってくる帝国軍を受け止め、押し戻していた。
「始まったな...ああやってひとり抜け、二人抜けして最後は崩れる。今日の日没までもてば運のいいほうさ」
ミレニウスは言った。俺は悔しさに唇を噛んだ。だが、同時にコルネリウス隊の覚悟と練度に対する感嘆の念で胸が一杯になり、呟いた。
「...ああやって...仲間の屍の上にでも立ち続けるのが彼らの誇りなんだな」
「ねえ...おじさん」
するとミレニウスの傍らに来たリラ嬢が遠慮勝ちに言った。
「なんだ、リラ?」
「おじさん、助けてあげられないの?」
ミレニウスはそれを聞いてしばらく考えていたが、首を横に振った。
「....だめだな」
「....なんで?」
「あいつらの邪魔するわけにはいかねえ。ああやって死ぬのがあいつらの仕事なんだからよ」
「そんなのって....嘘だよ。死なずに済んだらそっちのほうがいいじゃん」
リラ嬢は抗弁した。するとミレニウスは溜め息をついた。
「リラ...お前にはわからんだろうが」
彼は振り向くと彼女を見て続けた。
「あいつらは自分から進んでああいう仕事のためあの場に立ってるんだ。その仕事を誰かが勝手に取り上げたらどうなる?」
リラ嬢は黙っている。ミレニウスは言葉を継いだ。
「あいつらの努力とか、信念とか、熱意とか、そういったもの全てが宙に浮いて行き所がなくなっちまう。それだけじゃねえ。取り上げたその誰かが、今度は英雄だとかなんだとかいって持て囃される。それは本来あるべき姿じゃねぇと俺は思う」
「よくわかんないよ。あのままみんな死んじゃうのを黙って見てたほうがいいってこと?」
「ああ。その通りだ」
ミレニウスは静かに言った。リラ嬢は不服そうだった。だが、俺はリラ嬢の気持ちもわかったが、ミレニウスの言っていることもよく理解できた。
王家軍の隊列は、櫛の歯が欠けるように数を減らしていく。だが、それでも隘路を塞ぐだけの数は残っていた。結局その日も帝国軍は隘路を突破できずに終わった。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
翌朝、帝国軍は早朝から気勢を上げていた。明らかに昨日の戦いで手ごたえを感じ、士気が上がっているようだ。
「いよいよだな」
俺たちが眺めているとミレニウスが言った。
「....今日が最後....ってことか?」
「ああ。そうだ」
尋ねると彼は躊躇いなく頷いた。
帝国軍は、昨日動員された槍兵たちをメインに、歩兵から弓兵まであらゆる兵科が集められて街道に整列した。隊列の中には見たこともないようにな巨大な獣がいる。
「あれは何だ?」
俺が指さして尋ねるとミレニウスは言った。
「象だ。草食動物だが怒らせると面倒だ」
その瞬間、王家軍から一斉に鬨の声が上がった。全員が一糸も乱れぬタイミングで大盾を高く掲げ、叫んでいる。
「王家万歳!」
「侵略者に死を!」
二日間も激闘を耐え抜いたとは思えない士気の高さだった。
だが、俺は薄々感づいていた。これは蝋燭が燃え尽きる前の最後の燃え上がりだ。
低い太鼓の音が鳴り響いた。帝国軍が一斉に前進する。今度は象を先頭にし、その背後から歩兵が横並びになって慎重に進んでいる。
距離が縮む。コルネリウスの号令が響き、王家軍が一瞬で盾の壁を形成する。
だが、帝国軍の先頭が到達する前に、王家軍は再び隊形を変えた。盾の守りが中央から割れ、後列にいた兵士たちが進み出て次々と槍を投げつける。標的は象だ。
象の乗り手は胸を刺し貫かれ即死した。途端に象の歩調が乱れ、その頭といわず腹といわず槍が突き刺さる。やがて象は友軍を踏み潰しながらコースを変えた。帝国軍に動揺が広がり隊列が乱れる。
「王家万歳!」
すると、王家軍の最前列が敵方に斬り込んだ。象の迷走による混乱に乗じるつもりらしい。
剣を抜いた王家軍兵士たちが次々と帝国軍兵士を斬り捨てていく。圧倒的な多数であるにもかからず、帝国軍は慌てふためき、退き始めていた。
その時、帝国軍の背後から号令が響いたかと思うと、一斉に矢が打ち上げられた。たちまち真っ黒な塊となった矢の群れが上空に昇り、衝突地点に降り注いでいる。
号令とともに、王家軍が防御隊形をとった。だが間に合わずに矢を喰らった兵士たちが次々に倒れる。王家軍だけではない。彼らと斬り結んでいた帝国軍兵士たちも同様に矢で刺し貫かれて崩れ落ちた。
「ひどい...。味方さえも犠牲にするなんて」
カエルス少年が口を手で覆いながら呟いた。ミレニウスは溜め息をついた。
「そんなもんさ、戦争なんてのは。だから本当はやらねぇほうがいいんだ」
ひとしきりの矢の雨が終わると、王家軍と帝国軍双方が隊列を整え始めた。王家軍は再び鉄壁のような防御隊形をとる。
だが、昨日まで二重三重になっていた隊形が、今は一列しかない。
リラ嬢が震える声で言った。
「……減ってる……」
ミレニウスは静かに応じた。
「ああ。半分以上死んだからな」
帝国軍から急かすような号令が上がり、再び進軍が始まった。歩兵たちが土砂崩れのようになって押し寄せる。
ズシン....
激突の音が響く。コルネリウスの号令が聞こえる。呼応するように王家軍兵士たちも鬨の声を上げる。その隊列は動かず持ちこたえていた。
「も....もういいよ!もう十分じゃない!」
たまりかねたようにリラ嬢が叫んだ。その目には涙が溜まっていた。カエルス少年もしきりに手で涙を拭いていた。
帝国軍の槍兵が、王国兵の盾の壁を破ろうと躍起になって槍を繰り出す。だが、壁は破れない。
すると、帝国軍の後方から破城槌を抱えた一団が進み出てきた。
俺は喉が乾くのを感じた。巨大な丸太に補強金具の嵌められた、鉄の城門を破るのに使う兵器だ。
「ヘッ....あいつら城攻めと同じ扱い受けてやがる」
ミレニウスが乾いた声で笑った。リラ嬢とカエルス少年は釘付けにされたように戦場を見つめている。
帝国軍の隊列が左右に大きく割れ、巨大な破城槌が真ん中を通っていく。
王家軍の盾の壁が分かれ、数人の兵士たちが飛び出した。破城槌を持った帝国軍の集団に馳せかかっていく。
王家軍の防壁は何事もなかったかのように閉じられた。防壁の外に飛び出た兵士たちは剣を振り回し、次々と敵を斬り倒しながら破城槌に迫っていった。
だが、左右に散開していた帝国軍の槍兵たちがこれに素早く反応した。蟻の集団のように押し寄せた槍兵によって、王家軍の決死隊はあっと言う間に串刺しにされていった。
破城槌の速度はやや鈍った。だが止まらない。その先端が王家軍の防壁に到達し、それを無理やりこじ開けるように割った。
「....破れたな」
ミレニウスが呟く。
盾の壁が割れると同時に、帝国軍の槍兵たちが攻撃を一点に集中させ始めた。前線は混雑を極めた。破城槌を運んでいた集団が王家軍に斬り倒されると、次の瞬間には帝国軍の槍がその王家軍兵士たちを刺し貫く。
コルネリウスが号令をかけ、王家軍が隊列を修復しようとする。だが果たせなかった。もはや予備の兵員がいないのだ。
「お.......おじさん。お願い。助けてあげて....」
リラ嬢が啜り泣きながら言った。だがミレニウスは静かに首を振った。
「そういうわけにはいかねぇさ。言ったろ。これはあいつらの仕事だ。死ぬことも含めてな」
「でも...でも....」
会話している間にも、王家側の兵士は一人また一人と倒れていく。カエルス少年もつられたように啜り泣き始めた。
ほどなく、隘路は帝国軍によって完全に突破された。
だが号令が響き、王家軍の生き残りは素早く円形の防御円陣を組んだ。突破した帝国軍の軍勢が防御円陣を取り囲む。
もはや洪水のように隘路を埋め尽くした帝国軍の中にポツンと取り残された王家軍は二十人ほどだった。
帝国軍はその周囲から押し潰そうと迫ったが、固い盾の守りに攻めあぐねている。王家軍は時折槍を突き出しては盾を掲げ身を守る。
すると、帝国軍は地面に転がっていた王家軍の負傷兵を立たせ、寄ってたかって何事かをし始めた。
「おいおい‥‥なんつう趣味してやがる」
ミレニウスが呆れて呟いた。
「な‥‥何をしているんだ?」
俺は尋ねた。
「拷問さ。帝国軍の連中、ああやって挑発して王家軍の残りを崩す気だ」
捕えられた王家軍兵士の苦痛の叫び声が聞こえた。すると、防御円陣が解かれ、王家軍の生き残りが各々飛び出して戦い始めた。
当初は王家軍が最後の力で敵を圧倒しているかに見えた。虚を突かれた帝国軍兵士がバタバタと倒れる。
だが、帝国軍側から号令が響き、たちまち新たな槍兵の波が押し寄せた。最後の力を使い果たした王家軍兵士が次々と刺し貫かれ、捕えられ、武装を剥ぎ取られていく。
「コルネリウス隊長‥‥」
俺はいたたまれなくなって呟いた。捕らわれた者たちの中に、コルネリウスの姿が見えた。体中に傷を負っている。
「おじさん‥‥!」
リラ嬢が泣き濡れた目でミレニウスを見上げる。だが彼は動かない。一列に並べられた捕虜たちへの虐待が始まり、苦痛の叫び声が上がってきた。
「おじさん‥‥!お願いだから!」
それでもミレニウスは動かなかった。
俺は無力感と悔しさで一杯になっていた。涙をこらえるのがやっとだ。
悲鳴と怒号、罵声と断末魔の叫びが遠くから聞こえてくる。
「おい....あんまり見るんじゃねぇ。夢に出てくるぞ」
ミレニウスはリラ嬢の肩にそっと手を置き、彼女の身体の向きを変えさせようとした。だがリラ嬢はその手を乱暴に振り払うと、かぶりを振った。
そして、彼女は真っすぐ顔を上げた。体を震わせて泣きながらも、その目は真っすぐに戦場に向けられていた。
俺は彼女を見、そしてミレニウスを見た。
ミレニウスも何かを感じたのか、怪訝な表情をしている。
嫌な予感がした。
........まさか。
そしてその予感は見事に的中した。
彼女は大きく息を吸うと、足を踏み出し、下り道に向かって歩き始めた。
「お‥‥お嬢様!どこへ‥‥」
俺は思わず声をかけた。
「‥‥うちが止めてくる」
リラ嬢は小さな声で言った。震えた声だった。だが、変えられない決意の滲み出た声だった。カエルス少年が驚いて顔を上げた。
「無茶‥‥‥です!お嬢様!」
俺は追いかけ、彼女の肩を掴んだ。
その瞬間だった。
「バカ野郎!」
ミレニウスが大声で叫んだ。
リラ嬢も俺もカエルスも思わず振り向いた。
ミレニウスの目が見開かれている。三日前、ルクレアが捕虜になったとき以来だ。
「ったく‥‥言うことを聞かねえクソガキが」
吐き捨てるように呟くと、ミレニウスは地面に置いた予備の剣に手を伸ばして抜刀し、左手に持った。
「セヴルス、こいつらを頼むぞ」
彼は右手でも剣を抜き放つとそう言って歩き始めた。その手に握られた二本の剣が陽光を受けて鈍く光る。
「...ちょっと行ってくるぜ」