俺と、リラ嬢を抱えたカエルス少年が身を低くした瞬間に何かが頭の上を通り過ぎていった。兜に針のようなものが当たり金属音を立てた。
俺は肩から弓を下して矢をつがえながら振り向き、何かが飛んできた方角に狙いをつけた。
視界に入ってきたのは黒い影。しかも複数だ。
一の矢を放つと、手応えを感じる前に二の矢をつがえた。その途端、押し殺した悲鳴が聞こえた。
すると丘の頂上の周囲ぐるりから、黒い影が次々と姿を現した。
黒装束。黒帽子に黒マスク。見えるのはギラギラと光る眼だけ。
忘れもしない。
南方帝国の刺客たちだ。
真正面にいた敵に二の矢を放つ。命中し、呻き声を上げた相手が蹲る。
だが、姿を現した敵が一斉にこちらに走り寄ってきた。
その足音は妙に静かだ。無駄のない動作で背中の剣を抜き、殺到してくる。
「カエルス!抜け!」
俺は叫び、三の矢を放つと、弓を放り出して剣を抜いた。
「グワッ...」
さらに敵が一人倒れる。だがその頃には距離が詰まっていた。
俺たちはあっという間に周囲を囲まれてしまった。俺とカエルス少年は地面に倒れたリラ嬢を背中側にして守るようにして剣を構えた。
ちらりと肩越しに見ると、少年の指が細かく震えている。だが、驚くことにその目はしっかりと見開かれ、敵を見据えている。恐怖よりも決意が勝っているのだ。
だが敵は十人。前回戦った連中と同程度の練度なら、万にひとつも勝ち目はない。
頭の中を短時間でさまざまな思考が駆け抜ける。
ミレニウスが気づいてくれたら?あるいは助けを呼んだら?
だが彼はいま敵陣の奥深くにいる。呼び戻せても、その頃には手遅れだろう。
何よりも俺は自分が情けなかった。
俺も剣士なのに、ミレニウスがいなければ少女ひとり守ることができないのか。
ならば、俺は戦う。
せめて、敵の目論見を一分一秒でも遅らせるため。
視界の隅で刺客が動く。
「俺が受ける!」
そう叫んだ瞬間には相手が突進し斬りかかってきた。向き直ってこちらの刃をかざし、切っ先を逸らす。
回し蹴りが飛んでくる。俺は首をすくめて身を低くし、兜の側面でそれを受けた。頭部に衝撃が走る。だが想定済みだ。
俺は剣を斬り下して相手の軸足に深手を負わせ、逆袈裟斬りでもう片方の脚も斬り上げた。振り返りざま後ろ蹴りを放つ。吹き飛んだ相手を見もせず、次の攻撃に備える。
思った通りだった。反対方向の敵も目の前に来ている。飛んできた斬撃を受けると鍔迫り合いになった。
カエルス少年が絶望的な気合いの声を発すると、自ら進み出て剣を振り回していた。だが刺客の一人がいとも簡単にその攻撃をいなすと、バッサリと袈裟斬りで斬り捨てた。少年が動きを止め、脱力したように立ち尽くした。
カエルス......。
俺は心の中で声にならない声を上げた。
鍔迫り合いを長く続ける余裕はない。俺は身を沈めると、乾坤一擲の巴投げを放った。見事引っ掛かった敵が後ろに転がっていく。
俺は素早く立ち上がり、カエルスを斬った相手に向かっていった。止めを刺そうと突きの体勢を取っている。
相手が気づいた瞬間に飛び掛かって斬りつけた。すんでのところでそいつは後ろに飛び退いた。
「カエルス.....!生きてるか!」
俺は構えたまま振り向かずに叫んだ。
「....まだ生きてます、セヴルスさん」
少年が言うのが聞こえた。俺は心底驚いた。
さぞ痛かろう。なのに、リラ嬢を守りたいという一念で彼は立っているのだ。
飛び退いた敵を牽制しながら、剣を構えなおし、注意深く位置取りした。カエルスは血を失ったのか顔が蒼白だった。それでも剣を上げようとしている。
俺は再び彼を背にすると、左右に視線を走らせた。巴投げで転ばせた奴は既に立ち直って武器を構えている。その後ろで俺に両脚を斬られた奴が血を流しながらのたうち回っている。まだ九人。
「カエルス、連中も服の下は鎖帷子だ。一撃を与えてもそこで止めるなよ!」
俺は言った。
「わかりました、セヴルスさん」
少年の冷静な声が帰ってきた。俺は胸が痛んだ。まだ学校に行くような年齢でこんな死地に立ち、剣を握っているのだ。
だが、ミレニウスの受け売りではないが、俺は思った。リラ嬢を守るというのが彼の誓いならば、それを守らせてやるのみだ。
包囲網が狭まり、そして動いた。
二人が一気に斬りかかってくる。俺は咄嗟に剣を下げ姿勢を低くすると、やおら顔を上げて故意に一人の斬撃を受けた。首を狙ってきたものを僅かにずらし、肩で受ける。
狙いは当たった。剣がけたたましい音を立てて鎧の金属と火花を散らす。徹らない。
俺は体の泳いだ敵の喉目掛けて突きを放った。当たった。
だがその瞬間には、もう間に合わない距離に二人目が来ていた。
腹を目掛けた突きだ。
だが、その瞬間俺の頭で何かが鳴った。
相手の突きの軌道がはっきりと脳裏に浮かぶ。
これは以前やられた手口だ。
俺は身体の中心線を軸に身を回転させた。敵の刃が俺の腹を抉る。皮膚と皮下脂肪が斬り裂かれる。だが、それ以上は行かず通り過ぎる。
全てがゆっくりと動いているような気がした。俺は剣を相手の首目掛けて振り下ろした。刃が深く食い込む。
次の瞬間、勢いよく血を噴き出しながら、二人の刺客が崩れ落ちていった。
だが、俺の視界の隅に、カエルス少年が倒れていくのが映った。
剣を逆手に握った刺客が、その上に覆いかぶさろうとしている。
俺は言葉にならない叫び声を上げると、手を伸ばしてカエルス少年の身体を引き寄せ、もう片方の手で剣を振り回した。
止めを刺すのを中断した刺客が、慌てて後ろに飛び退く。
俺が手を離すと、カエルス少年は片膝立ちしながら倒れるのをこらえ、剣を前に突き出して構えた。鉄兜は脱げ、顔は血だらけだった。
「す....少しでも...手こずらせないと......コルネリウスさんみたいに...」
カエルス少年が呟く。
だが、生き残りが一斉に斬りかかってきた。
俺の前に、四人。
目に映った刃の動きから咄嗟に判断し、遅れをとった奴の方に突っ込んだ。
敵の縦斬りを敢えて頭部で受ける。
またも激しい衝撃が襲う。だが、年代物の兜は予想通り持ちこたえた。突きを繰り出す。手応えがあった。
敵の身体に突き刺さった刃を抜こうと引っ張った。横から突きが襲ってくるのはもう予想していた。
身体を傾け、牽制の蹴りを放つ。敵の突きが紙一重で逸れる。腹に蹴りを喰らった刺客がたじろいで数歩後退した。
だが、そこまでだった。一人が高く跳躍し、俺に覆いかぶさってきたのだ。
剣を戻す暇もなく、虚を突かれた俺は、相手と組討ちになり地面を転がった。
剣を手放し、拳を振るって相手の顔を打った。だが二発目を見舞おうとした瞬間、二人目、三人目が次々覆いかぶさってくる。
完全に動けなくなった俺の腹に剣が突き刺さった。二度。三度。四度。
口の中に血の味が広がる。俺は力が抜けてしまい、呻き声を上げ地面に倒れ伏した。
カエルス少年が倒れているのが見える。
必死に視線を上げると、刺客どもがリラ嬢を抱きかかえて去っていくところだった。
くそっ....。
俺は呟いた。
そして、視界が急激に暗くなっていき、やがて意識を失った。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
どれくらい時間が経っただろうか。
刺客どもが去った後、俺は誰かの足音が近づいてくるのを聞いた気がした。
たった一人だけだ。
装備品や武器の金具が触れ合う音を伴う兵士の足音ではない。
俺は夢か現実かわからないまま、それを不思議に思った。
こんな激戦場をうろつく非戦闘員とは一体誰なのだろう?
その足音は俺の側まで来て止まった。
やがて誰かが俺の傍らに座って、俺に手を置いたかと思うと、何事かを唱え始めた。
女の声だ。
俺はますます不思議に思った。
こんな危険地帯を女が一人で出歩くなど、何を考えているのだろうか。
俺はいつしか、横たわった俺自身の姿と、その横で祈る黒い修道服姿の女を客観的に眺めている自分に気づいた。
ああ、死んだのか。
俺は思った。魂が身体を抜け出したのだ。
だから自分を外から眺めているのだろう。
だが次の瞬間、急激な変化が起こった。
眩い光が突然俺の視界を満たしたかと思うと、俺は眠りから叩き起こされたかのように目を開いた。
身体の中に戻っている。
それに気づいて思わず上体を起こすと、目の前にいた修道服姿の女が言った。
「セヴルスさま。ご気分はいかがですか?」
数秒するとようやく目の焦点が合った。女はルクレアだった。その傍らにはカエルス少年が座って俺を見ている。顔は血だらけのままだったが、どうしたわけか蒼白だった肌色が元通りになっている。
「ル.......ルクレアさん.......!」
「良かった..脈拍が止まってらしたから心配でしたの」
ルクレアは笑顔を見せると、傍らにいたカエルス少年と顔を見合わせた。少年も安堵の表情を見せ微笑んだ。
「じゃ.....じゃあ....死んでたのを.....蘇らせたっていうんですか?」
俺は信じがたい思いで呟いた。するとルクレアは頷いた。
「わたくしが来たとき、カエルスさんはまだ生きていらしたの。でも、治療して差し上げたら『セヴルスさんを蘇らせてください』って泣きながら仰るものだから...」
ルクレアはそう言うとカエルス少年の頭を撫でた。すると彼は恥ずかしそうに目を伏せた。
「わたくし、今まで一度も試したことはなかったんですけど...勇気を出してやってみた甲斐がありましたわ」
「あ......ありがとうございます。一度ならず二度までも俺を.........」
俺が礼を言うとルクレアは首を横に振った。
「いいえ。わたくしの命も、あの方に救われた命ですわ。だから、あの方の喜ばれるようにそれを使うのが当然と思うんですの」
だが俺は大事なことに気づいて顔を上げた。
「リラお嬢様を......取り戻さないと」
「やはり....貴族派に攫われたのですね?」
俺が呟くとルクレアは真剣な面持ちに戻った。
「行きましょう、セヴルスさん」
カエルス少年はそう言って立ち上がると、鉄兜を拾い上げて被り、剣を鞘に納めた。その動作はまるで歴戦の兵士のように一片の迷いもなかった。
「ルクレアさん......俺たちの命を救って下さったのに、また捨てるような真似をしてしまうことを...許してくだい」
俺は自分も剣を拾い上げると、彼女に深く頭を下げた。
「でも、どうしてもリラお嬢様を取り戻さないとならないんです。彼女自身のためだけじゃあない。世界のためにも.......です」
するとルクレアは沈痛な表情になったが、やがて口を開いた。
「わかっています...。きっとあの方もそうされると思いますから」
ルクレアは俺の手を取ると頭を垂れた。
「どうか......ご武運を」
俺は頷き、ルクレアの前を辞すると、少し離れた場所に植わっていた木に繋いでおいた馬の綱を解いた。馬に跨ると、カエルス少年を引っ張り上げて後席に乗せた。
「行くぞ....カエルス」
「はい!」
俺が手綱を鳴らすと、馬は嘶きながら丘の下り道を駆け下っていった。