俺は馬を走らせ、丘の下り道を駆け下っていった。ほどなく街道に着くと、辺り一面に死体が転がっている。その多くは、誤射により巻き添えの矢を喰らった帝国軍の兵士たちだった。
顔を上げ、さっきまで主戦場だった隘路の方を見渡す。
だが、いまや戦線は大きく後退していた。隘路の向こう側で混乱状態に陥った帝国軍の中から怒号と悲鳴が聞こえてくる。
そして、取り残されたように、コルネリウス隊の生き残りが街道に座り込んでいた。全身から血を流している。
早く治療してやらねば。俺は思った。だが一方で、リラ嬢を取り戻さなければゴルギアスの野望が実現してしまう。
馬の方向を変えようとした俺の脳裏に、一瞬ある考えがよぎった。
ミレニウスを呼び戻せれば。
だが、その時カエルス少年が言った。
「セヴルスさん。リラさんを奪われたのは僕らの責任でもあります。だから取り戻すのも僕らで...........」
「.......そう.....だな」
俺は答えた。それに、今帝国軍を喰いとめておかねば、コルネリウス隊の生き残りも殺され、敵は神殿にまで押し寄せるだろう。そうなったら元も子もない。
俺は馬を再び走らせ、街道から外れた草地に入った。行く先は神殿だ。
草地の上を快速に駆けていくと、ほどなく神殿の敷地に入った。俺たちは下馬すると、剣を抜いて前進した。
だが円柱の立ち並んだ入り口に近づくと、俺は様子がおかしいことに気づいた。
前庭にも、円柱の間にも、死体が転がっている。
思わず走り寄って確かめると、それは傭兵たちだった。
バラバラの服装や装備品。不潔そうな無精髭。間違いない。
ふと顔を上げると、見知った顔の男が円柱にもたれ掛かって座り込んでいるのが見えた。
ウラヌスだ。
「おい.......ウラヌス!大丈夫か!」
俺は剣を納めると駆け寄った。傍に跪いて傷を確かめると、腹を深く刺された重傷のようだった。
「うん?.......なんだ、ミレニウスんとこの若造じゃねぇか...。ま...まだ生きてたんだな」
ウラヌスは擦れた声で笑った。だが痛みが酷いらしく、額に汗が浮かび、顔面は蒼白だ。
カエルス少年がウラヌスのマントを剣で引き裂き、包帯を作ろうとしたが、傭兵団長はそれを手振りで押しとどめた。
「もういい....。どうせ助からねぇ........そ...それより若造。俺たちの仇を取ってくれ」
「ゴルギアスだな?」
「ああ...。そうだ」
俺が確認するとウラヌスは小さく頷いた。彼は苦し気に呼吸していたがやがて言葉を継いだ。
「俺たち...は...ゴルギアスの奴を待ち伏せしてたんだ。だが...奴の刺客どもが...神殿の中から襲ってきた。不意を突かれて...あっという間に全滅しちまった」
それを聞いた俺は血の気が引いていくのを感じた。
だとしたら、ゴルギアスはずっと神殿の中にいたということだ。
そして今、リラ嬢はその手に落ちている。
奴の目論見は、もう完成直前にまで来ている。
「もう少し持ちこたえてくれ」
俺はそう言ってウラヌスを励ますと、カエルス少年と二人で武器を構え神殿の建物に入っていった。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
円柱の間を通り抜け、神殿の前室に足を踏み入れる。かつて俺がフリーランス剣士として最初に冒険をした場所だ。
ガランとした前室にはひとの気配はない。用心深く構えながら慎重に進んでいったが、見通しの効く前室内には隠れられる場所はなさそうだ。俺たちは早々に見切りをつけると、奥の突き当りにある廊下の入り口に足を踏み入れた。
廊下は薄暗く、前室に射しこんでいた日光ももはや奥までは届かない。俺はカエルスに警戒を任せると、腰の物入れから蝋燭を取り出して火をつけた。
確か前回の記憶では、廊下には分岐もなく、待ち伏せに使えそうな場所は無かったはずだ。
俺は蝋燭を掲げ、天井や周囲をくまなく照らしながら、片手に剣を握って前進していった。その斜め後ろにカエルス少年が続く。教えてもいないのに、数秒に一度用心深く背後を振り返っていた。
廊下の出口が見えてきた。その先は聖所だ。天井の破れた箇所から漏れてくる日光が、暗い廊下にも射し込んでくる。
だが、俺は脳内で何かが鳴るのを感じた。そして手振りでカエルスを立ち止まらせると、低い声で耳打ちした。
「聖所に入った途端死角から刺客が襲ってくる.....はずだ」
「最初は気づいてない振りを装って、いきなり反撃ですか?」
カエルスも囁き返してくる。俺は答えた。
「そうしよう。俺は横から来る奴を片付ける。お前は襲ってきた奴らを喰い止めててくれ。すぐに加勢に行く.......ちなみに、『死角から刺客』って洒落じゃないからな」
「寒いですよ、セヴルスさん」
カエルスは低く笑った。その声はもはや全く震えていない。
俺は蝋燭を消してしまうと、剣を両手で構えて前進の速度を上げた。
廊下の出口が近づいてくる。とうとうその戸口を跨ぐと、俺は思い切って足を速め前に出た。カエルスも続く。
やはり予想通りだった。視界の脇で動きがあった。戸口の左右の壁に隠れていた刺客どもが突進してくる。
だが俺は、首を狙ってきた相手の斬撃を落ち着いて回避すると、体の泳いだ相手の肘の内側を逆袈裟斬りで切断した。返す刀で首筋を断ち斬る。
背後でカエルスが敵と剣を交える音が聞こえた。
生きてろよ。
俺は心で念じると、崩れ落ちる一人目の後ろから跳躍してきた二人目の影を見据え、横に転がって身を躱した。
素早く立ち上がると、敵は向き直って剣を腰だめに構え、突進してきた。突きだ。
距離が一気に詰まる。だが俺は剣から片手を離して相手の手首を掴むと、自分の身体ギリギリで剣先を逸らさせ、足をかけて投げ、転ばした。
だが、敵もまた素早く立ち上がる。俺は袈裟斬りをかけた。相手は剣でそれを受けると、鋭い突き蹴りを放ってきた。
だが、その軌道が見えた。俺は剣を手放すと、胸に蹴りを受けたまま相手の脚を掴み、勢いで捻って投げ、そのまま関節をヘシ折った。苦痛の声を上げた敵の股間に思い切り蹴りを入れて悶絶させると、素早く剣を拾ってカエルスの方を見た。
カエルスは二人の敵と同時に渡り合っていた。斬撃を剣で逸らし、首をすくめて蹴りを躱し、身体を回転させ突きを回避している。
俺は目を見張った。
焦れたように突進してきた敵の一瞬の隙を突いてカエルスが小手を放つ。
痛烈な一撃で敵が剣を落とした。そこに少年が突きを放った。教科書に載せられるような綺麗なフォーム。勝負が決まった。
だが、二人目が躍りかかるとカエルスに体当たりを喰らわせた。そいつは武器を取り落としたカエルスに馬乗りになり、逆手に剣を突き刺そうとしている。カエルスは咄嗟に手元に落ちていた石を相手の横面に叩きつけた。
相手が怯んで動きを止めたところで、俺が駆け寄って剣を払った。首に致命傷を喰らった刺客がゆっくりと崩れ落ちる。
俺はカエルスに手を貸して立ち上がらせた。だが、今しがた見たものがまだ信じられなかった。
「お前.....さっき二人同時に相手してたよな」
俺が呟くとカエルス少年は剣を拾いながら戸惑った声で言った。
「な.....なんか.....見えたんです。次にどこに来るか」
それを聞いた俺は電流に打たれたような気がした。
この少年も、俺と同じ経験をしたのだ。
一度死線を越える戦いを経験することで、『見えて』くるのだ。
「カエルス.....お前を『豆』剣士と言ったのは取り消す。もう立派な『剣士』だ」
俺はそう言って彼の肩を叩いた。少年は恥ずかしそうに頭を掻くと、落ちていた鉄兜を拾って被りなおした。
だがその瞬間だった。
殺気だ。
その源を探して、俺は部屋の奥に視線を向けた。以前女神像が立っていた辺りだ。
女神像を除去した跡の床の穴から、次々と人影が出てくる。
一人、二人、三人、四人.........その数は二十名以上。全員が刺客だ。
そして最後に、武装していない何者かがゆっくりと現れた。
貴族らしいゆったりとした寛衣を着て、入念に油で整えた髪形をした壮年の男。
そして、その右の腕には若い女、左の腕には少女が抱えられていた。
「お嬢様!」
「リラさん!」
俺とカエルスは同時に叫んだ。
男の左腕に抱えられているのは、リラだった。だが目は虚ろで虚脱状態だ。
その時、男の右腕に抱えられた女が叫んだ。
「これ!お前たち!早くわらわを助けよ!」
俺は気づいた。
王女だ。
「貴様がゴルギアスだな?」
俺は剣を握り直すと男に呼びかけた。
すると、男はにっこりと微笑んだ。
状況がこうでなかったら、貴族階級のパーティで開会を宣言するときのような笑顔に見える。
そして彼は口を開いた。
「........君は....確かセヴルス君だったな?お勤めご苦労だった。まあ武器を下したまえ。話し合おうじゃないか」
* * * * * * * * * * * * * * *
刺客たちは散開してこちらを半円形に包囲すると、油断なく武器を構えた。
だが、奇妙なことにその背後にいる男は、武器どころか、顔に笑顔を浮かべている。
彼は、まず左腕に抱えていたリラ嬢をゆっくりと床に横たえると、王女から手を離し、優雅な仕草で一礼した。
王女は我に返ると、再び俺たちに向き直った。
「お前たち!何をしておるのだ。早く.....!」
すると、男が優しい手つきで王女の肩に手を触れ、祭壇の背後のベンチに座るよう仕草で促した。王女はたちまち蛇に睨まれた蛙のように口をつぐみ、大人しく従った。
男はこちらに向き直ると、パンと両手を打ち合わせて言った。
「さて、レディたちには休んでいてもらおう。そして紳士どうしの話し合いと行こうじゃないか」
「話し合うことなんてないぞ。リラお嬢様を解放しない限りな」
俺は精いっぱいの殺気を込めて相手を睨みつけながら応じた。
だが男は笑顔を崩さずに答えた。
「申し遅れた。いかにも私がゴルギアスだ」
彼はそう言うと、人差し指を立てて言葉を継いだ。
「だが、ちょっといいかねセヴルス君?」
ゴルギアスはゆっくりと階段を降りながら続ける。
「彼女はそもそも王家の血を引く身なんだ。その彼女の身柄をこの私が預かることに何か不都合があるのかい?私は彼女を殺したりはしない。むしろ、彼女の能力と役割を十全に果たせるよう、力添えをするつもりだよ」
「ふざけやがって。都合のいいように利用するだけだろ」
俺は言い返した。だがその一方で、刺客どもが斬りかかってきた時の戦略を脳内で忙しく組み立てていた。
二十名。包囲陣形。距離は約十歩。
カエルスの位置は俺の左後方。リラ嬢は床に横たえられ、王女はベンチ。
ゴルギアスは階段の中段。
だが――その瞬間、ゴルギアスがふっと笑った。
まるで、俺の思考を読み取ったかのように。
「セヴルス君。君はまだ理解していないようだね」
その声は、優しい教師が生徒を諭すような響きだった。
「この場で、君たちが勝てる可能性は――限りなくゼロに近いのだよ。いや失礼。ゼロそのもの、あるいはゼロ以下と訂正しよう」
「僕は諦めません。コルネリウスさんが諦めなかったように」
やおらカエルスが声を上げた。
するとゴルギアスは笑い出した。ひとしきり笑うと、彼は涙を拭いながら言った。
「純真だねぇ。こんな純真な少年の心に影響を与えられたのだから、あの千人隊長も本望だったろうよ」
「コルネリウス隊長どのは生きておられる。そしていつか貴様の首を取りに来る。生き残りの部下たちとともに。...もし俺たちが貴様を取り逃がした場合の話だがな」
俺は剣を突き付けて叫んだ。だがゴルギアスは鼻で笑った後、軽く溜め息をついた。
「やれやれ、まだ物事の真相を理解いただけていないようだ。仕方がない.........」
ゴルギアスは気軽な仕草で階段に腰かけ、両手を組んで自分の顎を支えた。そして、子供たちにおとぎ話を聞かせるような調子で話し始めた。
「教えてあげよう。この私がたった今、何を成し遂げたのかを」