「教えてあげよう。この私がたった今、何を成し遂げたのかを」
ゴルギアスは気軽な仕草で階段に腰かけ、両手を組んで自分の顎を支えた。そして、子供たちにおとぎ話を聞かせるような調子で話し始めた。
「セヴルス君....きみはこの神殿の地下にあるモノを見たことがあるね?」
「ああ」
俺は油断せず剣を構えながら頷いた。するとゴルギアスは重ねて尋ねてきた。
「では...それが一体何で、何のためにあるのかを聞いたことは?」
「『霊気収集機』だろ。知ってるぜ...あんたがウラヌスを使って意図的に『魔霊気』を漏洩させ、魔物の大発生を引き起こしたこともな」
「ふむ...」
俺が答えるとゴルギアスは微笑んだ。
「ならば...もう君には分かっているだろう。その『霊気』の力を取り入れたとき、人間に何が起こるのかを」
「お....お前まさか......」
俺は愕然とした。
もう既に、ゴルギアスは『魔王化』したというのだろうか?
だが目の前にいる男は、いささか気障っぽい貴族の男に過ぎない。体格も平均的だ。
「そもそも『霊気』の利用は千年前のメネラオス皇帝に遡る」
ゴルギアスは大学で講義でも始めるかのような口調で切り出した。
「その作用により、人間に若返りや身体の強化をもたらせると学者たちが発見したとき、メネラオスは自らの身体にそれを取り込む手術を命じたそうだ。結局その前に暗殺されてしまったがね」
彼は顔を上げると、部屋の床を指さした。
「だが、メネラオスの死後も『霊気』の研究は続いた。だが、『霊気』注入手術についてはその副作用が未知であるゆえ
そこまで話した後、ゴルギアスは傍らに横たわるリラ嬢を見た。
「この少女の父親は魔法技師であり、これら機械の保守を担当していた。可哀そうに、彼は何を血迷ったのか、多額の報酬を蹴って命令を裏切ったのだよ」
俺は眉をひそめた。
「...教えろ。いったいリラお嬢様の父親に何があったんだ?」
「ふん...知りたいかい?」
ゴルギアスは面白そうに微笑み、言葉を継いだ。
「軍長官に就任した時、『霊気収集機プロジェクト』の全てが私の管轄下に置かれた。私は考えた。この力をただ眠らせておくのは余りに惜しい。『魔の転換』がもしも本当に収集機からの漏洩によるものだとしたら、この機械には戦略的にとてつもない価値がある。例えば....」
ゴルギアスがそこで止めて俺たちの顔を見渡したとき、カエルスが答えた。
「それは例えば....敵国に運び込んでから...蓋を解放する...とかですか?」
ゴルギアスが手を打った。
「ご名答だ。君は...確か....」
「カエルスです」
「カエルス君。君はもう理解しているだろう。利用法によってはこの機械がわが国をいわば絶対強者の地位に押し上げる。北方帝国の崩壊より七百年....我ら海の北側の国々はともすれば足並みの崩れがちな連合と折衝により結束を保とうとしてきた。だが『霊気兵器』の利用は、そんな時代を根底から変える力を秘めている」
「気が狂ってやがる」
俺はゴルギアスの長広舌を遮った。
「...あの箱の蓋を開けて魔物の大発生を呼び起こしてまで戦争に勝ってどうするんだ?家は燃え、畑は荒れ果て、再建まで何十年も...」
「いや、違う。大発生...どころではないよ」
ゴルギアスはせせら笑うと手を上げて俺を制した。
「大...爆発だ。一瞬で国が消滅する。避難も反撃も対策も不可能な速度でね。輸送管からの少しの漏洩だけで町が半分焼けるのだから」
俺とカエルスは呆然として口をつぐんだ。だがカエルスがやおら声を上げた。
「僕がリラさんのお父上なら、あの箱は永久に封印します」
「そう...彼はまさにそうした。いや、それを企てて、あと少しでやり遂げそうになったのだ」
ゴルギアスは立ち上がると、また階段を数段降りた。
「それが十年前のことだ。私はそこで彼を....」
彼はふと立ち止まると、振り返ってまたリラ嬢の顔を見た。
「私はそこで...彼を適切に処分した。我が国に絶対的優位をもたらす可能性のある兵器を封印するなどあってはならない反逆だからね」
「貴様ぁ!」
俺は怒りの声を上げると、剣を構え直した。脳裏にはリラ嬢の泣き顔が浮かんだ。自分の人生を復讐に捧げたいとまで彼女に思い詰めさせた張本人がここにいたのだ。
「まあ待ちたまえ。彼女をセレウコスに預けたのもこの私だ。何不自由ない楽な暮らしができるようにと、ね」
ゴルギアスは俺の形相も意に介さない様子で手を上げると、また話し始めた。
「その後私は王家に報告した。箱の制御は不可能。放置するしかない、とね。だが、その間ずっと考えていたのだ。その利用方法を。兵器として利用できればよし。メネラオスが企てたように、不老不死と身体強化のために使うことができればなおよし。そこで私はある『実験』をすることにした」
「ウラヌスを使って漏洩を引き起こしたんだな?」
俺が言うとゴルギアスは頷いた。
「そうだ。そして実験は成功裏に終わった。君も知っての通りね」
「やっぱり狂ってやがる。自分の国を犠牲にして兵器の実験をする奴がどこにいる?」
「未来のために必要な犠牲だよ。他国で試したらそれこそ戦争になるじゃないか」
ゴルギアスは平然と言う。彼は顔を上げると遠くを見た。
「だが、最後の難関が残っていた。リラの父親は箱の蓋そのものに鍵をかけていた。物理鍵ではなく魔法鍵だ。ある要素がなければ絶対に開錠できない。だが、長年の研究と解析が実り、開錠の鍵は『血』だと私は突き止めた。魔法使いの魔力は『血』に宿る。そして、同じ『血』を持つ人間は世界にひとりしかいない」
「それでリラさんを....」
カエルスが言った。冷静な声だったが、その声には果てしない怒りと闘気が込められているのが感じられた。
「その通り。ところが予想外のことが起こってね。リラは突然君たちと連れ立って神殿に行った。彼女が自分の父親の死についてあれほどの疑いを持つほど賢いと私は思わなかったよ。そこでセレウコスに回収を命じたがうまく行かず、私の指揮下で蜂起した兵たちも取り戻すことができなかった」
「じゃあ...南方帝国の刺客どもを雇ってリラお嬢様を狙わせたのもお前だったんだな?」
俺が言うとゴルギアスは目の前に並んだ刺客どもを見回して微笑んだ。
「そうだ。まさか彼らまでもが一度失敗するとは私も思わなかった。まあ二度目で成功したのだから文句はないがね」
攻撃開始の指示は近いと察したのか、刺客たちは剣を構え直すとジリジリと間合いを詰めてきた。
「最後に答えろ。この国を南方帝国に売り渡した後、お前はどうするつもりだったんだ?」
「私は損失と利益を天秤にかけたのだ」
俺の問いには答えず、ゴルギアスは人さし指を上げて口を開いた。
「『霊気兵器』のような画期的な兵器を使うに真に値するのは、王家のような間抜けどもではない。兵器の実用化に成功しても失敗しても、王家は邪魔でしかない。だから私は時を同じくして王家を倒し、権威を引き継ぐことを企図していた」
ゴルギアスの口調は急に熱を帯び始めた。
「考えてもみたまえ。血筋が僅かに違うというだけで人を重用したり疎んじたりする愚かな連中に高度な判断などできるわけがない。私はまず真っ先に南方帝国に使者を送り、侵略に最適な条件を整えることと引き換えに、口が固く役に立つ連中を貸すようにと要求した。これで情報の漏洩が防げる。そしてマカベウスを除去し、配下の兵を一斉に蜂起させた」
「バカな...!それで南方帝国にこの国を乗っ取らせてどうするんだ?お前はこの国のトップになれるかも知れないが、実際はただの傀儡になるだけじゃないか」
「思い出したまえ、損失と利益の天秤...と私が言ったことを」
ゴルギアスは眉を上げた。
「君が言ったのは種々のシナリオの中で最も利益の低いものだ。私は傀儡としてこの国の総督となる。だが、もしも『霊気兵器』が実現できれば、私は帝国最強の兵器の管理者となる。これが第二のシナリオ。そして...最高のシナリオは....」
そこまで話すと彼は静かに微笑んだ。だが俺は慄然とした。
その目つきが異常だ。まるで狂信者の目だ。
「『霊気注入手術』が成功すること。このシナリオが成功すれば、全ての損失は消え去る。そして.....実際に私は成功した」
俺はごくりと唾を飲み込んだ。だが、いまだに信じがたい。
この男は本当に.........『魔王』になったのか?
あるいはミレニウスの見立てが間違っていたのだろうか?
だが、思索を巡らせる暇もなく、刺客たちが急速に包囲網を狭めてきた。
「私も最後に聞いておきたい。セヴルス君、そしてカエルス君。私の部下になるつもりはないかね?私は身分にこだわらず人材の多様性を重んじるたちでね」
「願い下げだ」
「僕もです」
ゴルギアスが尋ねると俺とカエルスはほぼ同時に答えた。
「そうか...残念だよ」
ゴルギアスは肩をすくめると、手を上げて指を鳴らした。
刺客たちがさらに間合いを詰めてくる。あと僅かで『始まる』。
俺は横目でカエルスを見た。口は真一文字に結ばれ、まなじりを決しているが、怯えは全く見られない。
俺は胸が激しく痛むのを感じた。
たった数日で、彼は心身ともに熟練の剣士に成長した。
だが、この部屋が彼の最後の戦場になるだろう。
生き永らえれば、楽しいことも苦しいことももっと多くの経験を積めただろうに。
しかし俺は決意した。
俺の仕事は、この少年を一分一秒でも長い間生き延びさせることだ。
ちょうど、コルネリウスがあの隘路を命がけで守ったように。
指を僅かに動かして剣の柄を握り直す。
カエルスが中段に剣先を上げたのが見えた。
刺客どもの息遣いが聞こえる。その足先が床の小石を踏む僅かな雑音も。
さあ、これが俺の剣士としての最後の花道だ。
俺は息をゆっくりと吸い、吐いた。
行くぞ。俺は身体を前に傾け、蹴り足に体重を乗せた。
だがその瞬間だった。
「旦那さま方....旦那さま方ぁ......どうか...どうかお恵みをぉ...」
哀れっぽい声が背後の廊下の奥から聞こえてきた。
俺は思わず目を丸くした。カエルス少年は覚えず後ろを振り返っている。
刺客たちも困惑の表情を浮かべた。
「....どうか...どうかお恵みをぉ...」
「もう家も畑も焼けてしまいました...何も残っておらんです....」
そう言いながら俺たちの背後から現れたのは、襤褸を着た二人の老婆だった。
その瞬間、俺の頭の中で信号が鳴った。
「カエルス!伏せろ!」
俺は少年の肩を掴んで無理やり地面に引き倒し、自分も頭を低くした。
それと同時に、二人の老婆もその外見に似つかわしくない動きで地面に身を投げ出す。そしてその背後の暗がりから矢が飛び出してきた。
不意を突かれた刺客どもが次々に矢を喰らって倒れる。
廊下の出口から弓兵が雪崩れ込み、矢継ぎ早に矢を射掛けた。その後ろからは剣や槍を持った男たちが続く。
さらには、老婆たちもスカートの下から剣を抜き放って構えた。いや、老婆と見えたのは変装だ。スカーフがずれ落ち、ギラギラ光る眼をした髭面がその下から覗いた。
刺客どもが慌てて後退していく中、割れ鐘のような男の声が響いた。
「よう、ゴルギアスの旦那!借りを返しに来たぜ」
廊下の出口から姿を現したのは、あの男だった。
――傭兵団長、ウラヌスだ。