てなわけで、翌朝。
俺、セヴルスは装備を整えて所定の時間に下宿の前に立った。
すると、約束の時間を五分ほど過ぎたあたりで、まだ人通りの少ない道を二人の人影がこちらにやってきた。
「おはよ、セヴルス!」
「おはようございます、お嬢様」
リラ嬢が俺に声をかけてきたので、俺は儀礼的に頭を下げた。
見ると、彼女の背後には品の良さそうな細身の少年が立っている。だがその顔は明らかに緊張に引き攣っていた。
「お.....おはようございます。初めまして.......」
「あぁ......君が確か、剣術を練習中だという....」
「カエルスと申します。宜しくお願いします」
少年は頭を下げた。俺はその顔やいで立ちを見て、明らかに冒険者には向いていないと直感した。その表情は、殴り合いの喧嘩もしたことがなさそうなおっとりとしたものだったし、着ているチュニックは仕立てがよく上等そうな繊維でできている。破いたら直すのに金がかかるということだ。つまり、冒険で何が起こるかを理解していない。
とはいえ、腰にはどうやら本物の剣を下げている。だが鞘を見るだけでわかった。居間かどこかに長い間飾られていたものだ。持ち運ばれていた形跡が見られない。
「俺がセヴルスだ。ええっと...カエルスくん。まずはいきなりで済まないが、君の腕を見せてくれないか?」
「ええっ....腕...ですか?」
俺が尋ねると少年はギョッとした顔で俺を見た。
「心配はいらない。俺はちゃんとした訓練を受けているから君を傷つけないよう寸止めする。まずは斬撃を見せて欲しいんだ」
少年は困り果てた表情になったが、やがておずおずと剣を抜いた。リラ嬢は目を輝かせながらその様子を眺めている。俺は自分も剣を抜きながら重ねて言った。
「遠慮はいらない。やってみてくれ」
「カエルス、見せてやんなさいよ。毎日稽古してるんでしょ?」
リラ嬢がけしかけた。カエルス少年は、可哀そうに、追い詰められたような目をして俺と彼女を交互に見ていたが、とうとう剣を構えた。
「じゃ.....じゃあ.....参ります」
少年はそう言うと、やおら自暴自棄のような叫び声を上げ、縦斬りを繰り出してきた。だが浅い。腰が引けている。俺はステップバックして回避した。
次いで、少年は少し踏み込んでくると横斬りを出した。これも浅い。俺は自分の剣を相手の刃に添えると勢いよく弾き、踏み込んで相手の胸元に剣先を突き付けた。
カエルス少年は目玉が飛び出しそうなほど目を見開いて停止した。そして次の瞬間喉を締め付けられたような悲鳴を放ち、道路に座り込んだ。
「すまんすまん.....。脅かすつもりはなかったんだ」
俺は慌てて謝罪した。
「だが......なんだな.....プロの視点から言わせてもらうと.......」
俺が少年にアドバイスを送ろうとした瞬間、下宿の扉が開いた。中から男が出てくる。
ミレニウスだった。
彼は、腰に剣を吊るし、古風なズボンとゲートルの姿で旅装を固めていた。上半身には皮鎧まで着ている。俺は直観で分かった。やはり、この男は経験者だ。そして俺は少し安堵した。
だが、服装は良くても、髪型は寝起きなのかぐしゃぐしゃにしたままだ。彼はあくびをすると気だるそうに外へ出てきた。
「んぁ? 朝っぱらから何やってんだ、お前ら」
その声に、カエルス少年はビクリと肩を震わせた。リラ嬢はというと、なぜか得意げに胸を張っている。
「見てよおじさん!カエルスの剣!本物よ!」
「ん?」
それを聞いたミレニウスは大儀そうに身を屈めると、カエルス少年が放り出した剣を拾い上げてその刀身を眺めた。そして呟いた。
「これ.....刃が入ってねえじゃねえか。装飾用だな」
俺はそれを聞いて耳を疑った。そして羞恥の念で一気に顔が赤くなった。
「そ......装飾用って......!カエルスくん、きみ、どこからこれを?」
「え....も....物置にあったやつです。それをそのまま..............」
俺が叫ぶように尋ねると少年はオドオドと答えた。
ミレニウスは刀身で指を切る仕草をしてみせた。だがその指先には傷一つついていない。
「ほらな。これじゃぁなあ.....棍棒のほうがまだマシってもんだ。だが.....まぁ」
彼は肩をすくめると、少年に剣を返しながら付け加えた。
「どのみち戦力は二人分と思ってたからな。お嬢ちゃんとお坊ちゃん、あんたらは目と耳さえ貸してくれりゃぁいいさ。それでヤバイ雲行きになったら、すぐ撤退する。それでいいな?」
呆然として彼を眺めていた少年と少女は我に返って頷いた。俺は落胆と安堵が同時に襲ってきて力が抜けそうになるのを堪えた。
剣術修行中といったって、剣そのものを持ってなければ戦力はゼロだ。従って、俺たちは子供二人のお守りをしながらダンジョンを探索しなければならない。
だがその反面、このミレニウスという男は頼りになりそうだ。
今回の冒険は、俺がパーティーリーダーだという建前は変えないつもりだったが、今後は必要あらば恥を忍んででもこの男に助言を仰ぐことを躊躇わないようにしよう。
俺はそう心に言い聞かせた。
* * * * * * * * * * * * * * *
二時間ほどをかけて街道を進んで市街地の外まで出た俺たちは、やがて古代の神殿群がある丘に近づいた。ここまで来ると、人通りは皆無に近い。
丘といっても、差し渡し数キロはある巨大なものだ。傾斜はなだらかだが、全体が岩地でできており植生は乏しい。かつては、その丘の頂上で犠牲が捧げられたり、巫女が託宣を聞いたりしていたらしい。
しかし、その後時代が下るとこの丘を聖地と見立ててその周囲に様々な宗教施設が建造された。多くは豊穣の女神に捧げられたものだ。
今より景気の良かった時代には、神殿には参拝客が群がり、彼らの持ち込む捧げ物で祭壇は溢れていたと聞く。
ところが、ある時点で『魔の転換』と呼ばれる事件が起きた。
神殿施設に魔物が出没するようになったのだ。やがてそれは急激に件数が増え、まさしく魔物たちが『溢れる』ようになってしまい、近隣街道を行きかう旅人や商人たちにまで危害が加わるようになってしまった。
軍隊による定期的な巡回で街道の安全は取り戻されたが、そんなわけで、今現在はよほどの命知らずでなければこれらの神殿跡地を訪れる者はいない。
俺たちが丘の麓に近づくにつれ、空気が変わった。風が止んだわけではない。だが、肌に触れる空気が妙に重い。まるで、丘そのものが息を潜めているような感覚だった。
リラ嬢が小声で言った。
「なんか、静かすぎない?うちの気のせいかな?」
「気のせいじゃないですよ、お嬢様。ここら一帯は『魔の転換』以来、冒険者でもなけりゃあ誰も寄りつかないんですからね」
俺が答えると、カエルス少年は喉を鳴らした。
「あの....本当に魔物って.....出るんですか?」
「出る。出るからこそ金になるんだ」
そう言いながらも、俺自身、胸の奥がざわついていた。軍にいた頃、巡回任務で遠目に見たことはあるが、実際に足を踏み入れるのはこれが初めてだ。
俺は頭の中で地図を思い起こし、アルテミス神殿の位置に見当をつけた。この神殿は丘の麓にある神殿群の中でも比較的近世に建てられたものだ。そして、『魔の転換』が起こるまではそこで盛んに礼拝が行われていた。
俺は一行を先導して街道を外れ、草原に入っていった。円柱に支えられた巨大な屋根を持つ建造物に近づいていく。神殿の前で一旦休憩を取る心づもりを固め、俺は他の三人よりやや足を速めて目的地に近づいた。
神殿の入り口で俺は足を止めた。見上げるばかりの大きさだ。円柱の一本だけでも高さ二十メートルはある。
背後から他の三人の足音が近づいてくる。振り向くと、カエルスは建物の壮観さに目を奪われた様子だった。
「すごい.....こんな巨大な建造物が存在するなんて」
「これだけ大きいってことは中にいる魔物も相当の大物......かも知れんな」
俺が呟くと、少年は途端に愕然とした表情になり、そして恐怖を露わにした。
「いや....冗談だよ冗談。さすがにここは魔物発生から年数が経っていない。いるとしても小物だろう」
俺はそう慰めたが、少年は暗い表情のままだった。
だがその時、建物の脇で足音がした。見ると、人影がある。
神殿の周囲を調べていたのか、男たちが辺りを見回しながらこちらに出てくる。
最初は数人ほどだったのが、すぐに数が増えて最終的に二十人ほどになった。
俺は困惑し、そして焦りと苛立ちで頭が熱くなった。
依頼主には、俺以外に話を持っていくなと伝えたのに。俺に言わずにあいつらにも依頼したのだろうか?
見ていると、男たちもこちらに気づいたのか、訝し気な視線を投げつけてきながらこちらにやってくる。
その服装はまちまちだった。だが俺は妙なことに気づいた。私服なのに武装が整っている。全員が皮鎧や鎖帷子に身を固め、槍を持っている奴までいた。
「おい、あんたらここに何しに来た?」
男たちの先頭に立っていた逞しい男が尋ねてきた。こちらの恰好を上から下までジロジロと眺めまわしている。俺は溜め息をついた。
「どうやら同業みたいだな」
俺はそう言ったあと、言葉を継いだ。
「俺たちはあんたらの邪魔をする気はない。だからあんたらもここで好きな場所を探し回ったら、俺たちのことは詮索しないでもらいたいんだ」
男たちは次々と俺たちの前に集まってきた。人数が多い。俺は気圧された様子を見せないよう注意しながら続けた。
「依頼主との契約があるんでね。詳しいことは明かせないが.....。何にせよ、あんたらが探索している間、俺たちはここで待っていてもいい。ここに着いたのもあんたらが先みたいだしな」
俺は頭を忙しく働かせながら言うと、相手の反応を見た。人数では太刀打ちのしようがないから、こちらがリスクを冒して目的のものを回収した後横取りされるという事態だけは避けたかった。
だが、その逞しい男は答えずに腕を組んで俺の顔をじっと眺めている。その背後にいた仲間たちからの視線も実に剣吞だ。
「なあ、あんたらも冒険者だろ?互いに損するようなことはないようにしようじゃないか」
俺はそう声をかけながらも心の中に違和感が膨らんでくるのを感じた。冒険者パーティにしては余りに人数が多すぎる。
その時、相手方の男たちの何人かが互いに目配せをし始めた。かと思うと、音を立てずにゆっくりと散開し始めた。俺は背中の毛が逆立つのを感じた。どう考えてもいい兆候ではない。
「なあ、おい。俺はあんたらと敵対するつもりはないぜ。もしもどうしてもお宝が欲しいってぇんなら譲るよ。俺たちはまだ......」
俺の頭にある単語が浮かんだ。
傭兵団?あるいは盗賊団?
噂で聞いたことがあった。政府が嫌がる汚れ仕事を手掛ける武装集団。だが、そのメンバーは時として盗賊まがいの行為に手を染めることもある、と。
「どうする?」
「始末しようぜ。誰にもバレねえだろ」
男たちが互いに囁き交わすのが聞こえた。まずい。実にまずい。周囲を見るとすっかり包囲されている。カエルス少年は先ほどとは別種の恐怖を顔に浮かべている。リラ嬢もようやく事態に気づいたようだ。だが彼女は臆することなく声を上げた。
「ちょっとあんたたち。悪いこと考えてるんだったらやめたほうがいいわよ。うちのパパは、なんていったって........」
その瞬間、男たちが一斉に腰に手を伸ばし、剣を抜いた。
ヤバすぎる。何でこうなるんだよ。俺は泣きたい気分になった。