ミレニウス: 生き過ぎた男   作:nocomimi

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それぞれの戦い

「お...ろ...か...も...の...がぁ.......」

 

地の底から鳴り響くような声でゴルギアスが呻く。

 

だがその姿はもはや人間のものではなかった。

 

硬い鱗。口から突き出す牙。頭部から生える角。

 

盛り上がった筋肉。赤黒い肌。関節各所から突き出る鋭利なトゲ。

 

その筋張った手の指先からは長い爪が生えている。

 

『魔王化』した男。

 

その完全な姿がいま、目の前に現れたのだ。

 

ミレニウスの半身が、先程ゴルギアスの口から吹き出た炎を浴びたせいで炎上している。

 

「ミレニウス!......」

 

俺とウラヌスはほぼ同時に叫んだ。ウラヌスの腕に抱かれているリラ嬢も、ベンチに座っていた王女も、驚愕の表情でこの光景を眺めている。

 

「貴様....だ...け...は...許さん....」

 

ゴルギアスが喋った。その声は原型をとどめていない。まるで鉄と鉄を擦り合わせているような、おぞましく耳障りな声だった。

 

俺は焦り、迷った。

 

加勢するべきか。

 

だが、俺などにできることはタカが知れている。

 

ゴルギアスが先ほど見せた膂力からすれば、俺が掛かっていったところで簡単に吹き飛ばされてしまうだろう。

 

「....あッちぃな畜生...」

 

ミレニウスはそう呟くと、剣を鞘に収め、手で自分の身体を払い火を消した。

 

火はすぐに消えた。だが俺は息を呑んだ。

 

ミレニウスの、頭の半分、そして左腕と左上半身が焼けただれている。

 

「ミレニウス!大丈夫か!」

 

俺はまた叫んだ。だが、彼は剣を抜くと相手から目を離さないまま軽く手を上げて答えた。

 

「...ああ。大丈夫だ。慣れてるからな」

 

.....慣れてる?

 

俺は戸惑った。

 

俺はかつて兵舎が火事になり大火傷を負った同僚を見たことがある。そいつは痛みにのたうち回った挙げ句翌朝には死んでしまった。

 

いま、ミレニウスの身体は言葉に尽くしがたい痛みに襲われているはずだ。

 

それを....『慣れてる』の一言で片付けるのか。この男は。

 

「痩せ我慢を....今に全身を黒焦げにしてやろう...その時には貴様は私に命乞いをするのだ....」

 

魔王化ゴルギアスがニヤリと笑った。だがその顔はもはや元の彼とは別物だ。その眼さえも、瞳孔が針のように細く、ドラゴンの眼そっくりだった。

 

「ま、腕はいつもどおり動くからな。問題ねぇよ」

 

ミレニウスは気軽な口調で言い、軽く首を回すと言葉を継いだ。

 

「なあセヴルス。お前の剣貸してくれるか?」

 

「わ...わかった」

 

俺は剣を鞘から抜くと、柄を前にして投げつけた。ミレニウスは振り向きもせず手を上げ、飛んでいった剣を受け取る。

 

その時だった。背後の廊下から誰かが駆けてくる足音が聞こえる。

 

振り向くと、戸口から姿を表したのは修道女だった。

 

ルクレアだ。

 

「ミレニウスさま!ミレニウスさま!」

 

彼女は叫んだ。その眼は驚きに見開かれていた。

 

「...んあぁ?ルクレアか?」

 

ミレニウスは振り向かないまま言う。

 

「ミレニウスさま!お怪我を?.....わたくしが治療いたします!」

 

「いらねえ」

 

彼は即座に否定した。

 

「見てわかるだろ?今ちょっと忙しいんだ」

 

ミレニウスとゴルギアスは向き合って間合いを測り始めた。両手の剣をわずかに上げながらミレニウスが呟く。

 

「お前はどっかに隠れてろって言ったのよぉ...まだうろついてやがるのか?悪いこたぁ言わねぇ。早く行け」

 

「わたくしは...わたくしは....」

 

ルクレアは胸に手を当て、顔を伏せた。

 

「わたくしは...人を癒やすという使命をいまこの時に捨てるわけには参りません。いえ.....」

 

彼女は顔を上げて言った。

 

「これこそがわたくしの『戦い』です。わたくしはそこから逃げません」

 

「...ッたく、言うことを聞かねぇ頑固な女だ。嫁の貰い手がなくなるぜ」

 

ミレニウスは構えたまま吐き捨てる。するとルクレアもニヤリと笑った。

 

「構いませんわ。わたくし、神に身を捧げた修道女ですもの」

 

彼女は素早く周囲を見回すと俺のところに走り寄ってきた。ひざまずいて、俺の腕の中にいたカエルスの顔を覗き込む。

 

「ルクレアさん....」

 

俺は少なからず安堵を感じた。彼女も俺に軽く微笑むと、少年に手をあてた。

 

だが俺はカエルスの顔を見て息を飲んだ。もはや土気色だ。慌てて首に手を当てた。脈がない。

 

「カ....カエルス!しっかりしろ!」

 

俺は叫んだ。だがルクレアは素早く手を上げると俺を制止して言った。

 

「まだ間に合いますわ。わたくしに任せて」

 

ルクレアが低い声で祈祷を始める。俺はカエルスの顔を見、そして眼を上げて聖所の中央でにらみ合うミレニウスと魔王を見た。

 

「グフフフ....わからぬかミレニウス.....貴様には万にひとつも勝機はない....両手足をもぎ取ってゆっくりと料理してやろう...」

 

ゴルギアスが呟いた。自らの勝利を確信している声だ。だがミレニウスは答えた。

 

「.....お前さん『魔霊気』を身体回復に使っちまったな。そこまでやっちまったらもう戻れねぇぜ」

 

「戻る?戻る必要などない。私は永遠に君臨するのだ。最強そして最恐の魔王としてな」

 

ゴルギアスの答えを聞いてミレニウスは溜め息をつく。

 

「...んでどうする?それじゃ王女に求婚どころか友達さえもできねぇぜ」

 

「いらぬ!そんなもの!」

 

苛立った魔王が叫び、足を踏み鳴らした。ドシンッ...と建物全体が振動する。

 

「友?そんなものが何の役に立つ....チカラ!チカラ!それこそが全てだ....。私は今それを手に入れた!」

 

ゴルギアスは床に手を伸ばすと戦棍を拾い上げた。だが、爪が伸び過ぎた手では持ちづらいのか、直ぐに取り落とした。

 

「爪くらい切っとけよ。あんまり不潔にするとモテねぇぞ」

 

ミレニウスが笑った。

 

「黙れぇ!」

 

ゴルギアスが突進すると手を振り上げて薙ぎ払った。ミレニウスが剣をかざしつつ僅かに身を傾けて回避する。

 

火花が飛び散った。俺はすぐ悟った。魔王ゴルギアスの爪はそれ自体が鉄の刃と同じだ。

 

二撃目、三撃目が襲う。ミレニウスは剣を相手の刃に添えて逸らす。

 

だが反撃が出ない。魔王の攻撃の速度は先ほどに比べ格段に速い。武器を振るのではなく自分の肉体が武器なのだから当然だ。

 

魔王が突進しながら右手、左手と交互に振り回し、爪で斬りつけるのを、ミレニウスは剣を巧みに使って防ぎ、踊るようなステップで回避していた。

 

その目はもはやいつもの眠い眼ではない。だが同時に、恐怖も興奮もない。工芸品を仕上げる職人のような注意深い眼だ。

 

ガキィン!ガキィン!

 

爪と剣の衝突音が響く。

 

一方で、俺の腕の中で横たわるカエルス少年に手を当てているルクレアは、低い声で祈祷を続ける。目の前で繰り広げられている死闘など全く目に入らないかのようだ。

 

だが、ルクレアを除いた全員―――俺はもちろん、王女も、リラ嬢も、ウラヌスとその手下たちさえもが、目の前の戦いに釘付けになっていた。

 

王女は祈るように手を組み、リラ嬢は瞬きもせず見つめている。

 

俺も心の中で念じていた。

 

ミレニウス、頼む。

 

魔王を倒してくれ。

 

魔王の一撃ごとに、爪が空気を裂き、床石が切り裂かれる。ミレニウスが壁際に逃げる。追いかける魔王が手を振り回すと、石の柱がバターのように削られた。

 

「喰らえぇ...!」

 

ゴルギアスが叫ぶと、壁を背にしたミレニウスに襲い掛かった。もはや逃げ場はない。

 

だが、ミレニウスは奇妙な動きを見せた。背後の壁を蹴って跳躍したのだ。

 

その身体の下を鉤爪が唸りを上げて通過する。だが次の瞬間にはミレニウスは魔王の後ろに立っていた。

 

バシュッ...!

 

剣が閃き、ゴルギアスの腕から血が飛び散った。

 

「後ろかぁ!」

 

振り向いたゴルギアスがもう片方の手の爪で斬りかかる。ミレニウスは素早く身を伏せて避けると距離をとった。

 

「やった....肘関節の上の靭帯だ。片腕が使えなくなるぞ」

 

俺は思わず呟いた。剣士にとっては絶対に斬られてはいけない場所だ。

 

だが、その刹那だった。

 

魔王は斬られた箇所に手を当てると、唸るように言った。

 

「馬鹿め。この程度の傷...治せぬと思うか?」

 

するとどうだろう。魔王が手を離すと、その傷跡は綺麗に消えていたのだ。俺は目を疑うしかなかった。

 

「●ねぇッ!」

 

ゴルギアスが再び嵐のような攻撃を始めた。ミレニウスは剣で防ぎ、身を躱し、右へ左へ移動して避ける。

 

ヴォ....ッ!

 

風鳴りの音とともに、魔王の爪が横殴りに襲う。ミレニウスは極端に身を低くして避けながら剣を払った。

 

魔王の太腿に傷跡が浮かぶ。その動きがわずかに鈍る。

 

だが、ニ・三秒後にはその傷は消えていた。

 

「無駄だ!無駄だ!そんなかすり傷で私を倒すことはできん!」

 

ゴルギアスが勢いを取り戻し、攻撃を続けながら叫んだ。

 

「...でも痛てぇだろ。痛てぇのに慣れるのは時間がかかるぜ」

 

ミレニウスはそれを捌きながら呟くように言う。

 

いったいどうすればいいのか。

 

俺は思った。

 

ミレニウス得意の『筋斬り』も、こんな短時間で治ってしまうのでは意味がない。

 

急所を深く斬らなければ。

 

だが、奴の間合いに入り、一撃を喰らったら終わりだ。

 

その時だった。俺の腕の中にいたカエルスが身じろぎし始めた。

 

「カエルス....カエルス!気が付いたか!」

 

俺は少年の顔を覗き込んだ。カエルスは薄っすらと目を開け、呟いた。

 

「セヴルスさん....?」

 

「カエルス!安心しろ!ミレニウスが....ミレニウスが!」

 

俺はカエルスを励ました。だが、少年の顔色はまだ青白い。ルクレアはその胸に手を置いて一心不乱に祈祷を続けている。

 

ガキィン!ガキィン!

 

鋭い衝突音と火花の飛び散る源に目をやると、魔王とミレニウスの激闘は聖所の中央に場所を移していた。

 

凄まじい鉤爪攻撃を躱し、あるいは捌いたミレニウスが、カウンターで魔王に一撃を加える。だが、数秒すると直ぐに傷跡が消える。

 

「なぜ分からぬ!そんな生ぬるい攻撃は効かぬぞ!」

 

魔王は叫びながら両手を振り回す。だがミレニウスは平静な口調で答えた。

 

「まぁな...でもどっちにしても嫌な気分だろ?斬られるってのはよぉ」

 

それを聞いて俺は気づいた。

 

ミレニウスは相手を苛立たせ、平常心を失わせようとしている。

 

事実、ゴルギアスの攻撃が、パワーと速度を増していくとともに、どんどん単調になっている。

 

「小癪なぁ!」

 

ゴルギアスが突進すると、手を振り上げ爪を縦に振り下ろす。ミレニウスは身を翻して回避した。魔王の手が床に激突し、石材に亀裂が入った。

 

するとミレニウスは相手の隙を見逃さず、片手で袈裟斬りのモーションをとった。

 

「愚か者が!」

 

次の瞬間魔王がその手をハネ上げた。ミレニウスの片腕に爪が当たり、一瞬にして切断された。魔王は手を横に払って追撃する。

 

だがミレニウスは鹿のように身軽に跳躍してそれを避けた。

 

「ガハハハハ!貴様の動き...見切ったぞ!これで終わりだ!」

 

魔王は上方に飛んだミレニウスを待ち受けるように両手を広げる。

 

だが、予想だにしないことが起こった。

 

切断され宙を舞ったミレニウスの腕――――

 

その手に握られていた剣が力を失った指からするりと抜け出した。

 

剣は魔王の頭上の空中にあった。

 

そしてそのさらに上方には―――ミレニウスがいた。

 

「残念だな。ハズレだよ」

 

ミレニウスが呟いたような気がした。彼は飛んだまま、空中に残された剣を自分の手にあったもう一つの剣で思い切り叩いた。

 

ガキィ.......ン!

 

金属音が響き、火花が飛び散る。勢いをつけられた剣は切っ先を先頭に真っすぐに落下していき、

 

ストォン!

 

魔王の額に深く突き刺さった。

 

ゴルギアスの身体が硬直し、動きを停めた。

 

身軽に床に降り立ったミレニウスは、剣を鞘に納めるとポーチから紐を取り出し、斬られた腕を素早く縛って止血した。

 

「なんの....わ....私は...これくらいでは死なぬ....」

 

ゴルギアスは呻くと、額に刺さった剣を両手で掴んだ。

 

だが、爪が伸び過ぎているうえ、剣の刀身が血で滑り、うまく掴むことができない。

 

「さぁて...たしかお前さん...言ってたよな?」

 

ミレニウスは再び剣を抜くとゆっくりと魔王に歩み寄った。

 

「治癒より早く破壊すれば.......『死ぬ』、ってよ」

 

ゴルギアスがミレニウスを見た。その瞳には明らかに『恐怖』が宿っていた。

 

ミレニウスが剣を振り上げる。

 

ヴォン..!ヴォン..!

 

風鳴りがして、剣が二度閃いた。逆袈裟斬りでゴルギアスの両の脇の下が切り裂かれ、血が大量に噴き出る。

 

ヴォン..!ヴォン..!

 

次に、左右の首筋が深く斬られた。噴出した血が身体を流れ落ち、床を赤く染める。

 

「な....なんの....私の....回復力で....」

 

魔王が呻く。だがミレニウスは凄まじい勢いで剣を振り回し始めた。

 

その度に魔王の身体に深い刀傷が走る。

 

俺はそれを見て戦慄した。

 

手首。首筋。脇の下。太腿の内側。

 

ミレニウスが斬りつけている箇所は、皮膚近くに太い血管が走る人体の弱点。斬られたら一分で死ぬような箇所だ。

 

それを、徹底的に斬り裂いている。

 

ザシュッ!ザシュッ!ザシュッ!ザシュッ!ザシュッ!

 

刃が肉を斬る音が響き、血が飛び散る。魔王は、額に刺さった剣を抜こうと悪戦苦闘しながら、それらの斬撃を甘んじて受ける以外になかった。

 

俺は、ほんの少しだが、思ってしまった。

 

魔王が可哀そうだ、と。

 

やがて数十秒の間続いた一方的な攻撃が止まった。

 

魔王の身体は、あらゆる急所が深く斬られ、伐採される寸前の枯れ木のようになっていた。

 

「わ...私は..死なぬ。...回復力を...最大に...すれば...」

 

「遅せぇよ」

 

魔王の震え声に被せるようにミレニウスが言う。

 

彼は剣を持ち上げると、その切っ先で魔王の左胸の辺りをつついた。

 

「確か...この辺だったか?」

 

「ひ....ヒイッ...やめろ!」

 

ゴルギアスの目が大きく見開かれる。その額に脂汗が浮かんだ。

 

「ま、お前さん体内にたっぷり『魔霊気』があるから死なねぇんじゃねえの?....知らんけど」

 

そう言うと、ミレニウスは剣を引き、体重の乗り切った突きを放った。

 

ズンッ...!

 

硬い鱗をすり抜けた切っ先が、魔王の胸を刺し貫く。

 

「グヘェッ?」

 

ゴルギアスは白目を剥き、その両腕がダラリと下がる。ミレニウスは剣を相手の身体から抜くと、振り上げながら呟いた。

 

「おやすみ、魔王の坊や」

 

ヴォォォン.....!

 

特大の突風が吹き、砂塵が巻き上げられ、石の破片が吹き飛ばされた。俺は思わず目を伏せた。

 

そして数秒後目を上げると、そこには魔王とミレニウスが変わらず立っている。ミレニウスは剣を振り抜いた姿勢のままだった。

 

だが、やがて魔王の首がゆっくりと胴体からズレ始め、それは床に落ちて転がっていった。

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